11.石尊山/御亭山

1.動 機
石井光造著「記念日に登る山」に、家族の誕生日と同じ標高の山を登る提案があった。登る日も合わせれば申し分ないが、日程合わせも大変だし、暑さや藪など不都合もありそうなので、そこまでは拘泥しないことにした。外孫達の誕生日は新潟や九州にしかなさそうで、これらは計画から外した。
一俊:きのこ山(茨城)済 和子:丸山(福島)
長女:住谷山(茨城) 長男:高笹山(茨城)済 
結婚記念日4月21日に相当する標高421mの山の中から、大子の石尊山を選んで、これを最初に登ることにした。インタネットでは全部西側からの登山ルートをとっており、これは藪漕ぎのようなので、地形図を見て、南側の上金沢から入って県境の稜線を辿ってみることにした。
ここだけでは時間が余るので、先月下山先生から紹介された少し栃木県に入った黒羽町にある展望の山御亭山513mにも登ってみることにした。

2.データ
a)山域:石尊山(421m)、御亭山(513m)
b)登山日:2004/01/06(火)晴
c)コースタイム: 
9゚00' 森山発車=10゚25' 法龍寺10゚40'----11゚00' 牛舎----11゚25' 部落の石尊山---12゚10' 石尊山12゚25'----13゚20' 部落の石尊山----13゚35' 牛舎----13゚40' 大子ブルナリ14゚15'----14゚20' 法龍寺=14゚50' 御亭山公園15゚25'=17゚20' 森山
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000「大子」、「黒羽田町」

3.記 録 
a)ドライブ
ゆっくり9時に森山を発車して、常陸太田から水府径由R118で大子に入り、大子道の駅からR461に曲がって、しだれ桜の上岡を通り過ぎ、上金沢に入ると左に法龍寺というお寺があり、ここに駐車させてもらった。ここは如信上人の終焉の地であり、榧や銀杏の巨木があった。如信上人は親鸞の孫で、浄土真宗の開祖だそうだ。

b)石尊山
法龍寺から黒羽方向に少し歩くと大子ブルナリがあった。ここに駐車したほうが便利だった。地形図の破線の道を行くつもりで左折して民家の人に「石尊山にはどこから登れば良いでしょう」と聞くと、「この先の牛がいっぱいいるところから登ればいいよ」と教えられた。牛舎のところでブルドーサを操作中の青年に更に聞くと、これが牛舎の息子さんで「どうしてこんな山にわざわざ登るのか」と怪訝な顔をしながら、分かれ道まで案内して「俺が作った道だよ」と言いながら丁寧に教えてくれた。
ライトバンなら走れそうな道をしばらく歩いて、大きく左に曲がりこむところで左の稜線へ分かれる山道を見つけて登っていった。主尾根に到着すると左に社が見えたので曲がってみた。石尊山の文字が消えかかってやっと読める大きな板を頂いており、ここが部落の人の石尊山であることに気がついた。地形図の・351mの南にあるピークと思われ標高330mぐらいだから、これで石尊山に登ったよと言っておしまいには出来ない。左折点まで引き返して、稜線上のかすかな踏み跡を辿ると、・351mで県境の杭にたどり着いた。ここからは、この県境の杭を目印に登って、藪漕ぎすることもなく目的の421mの石尊山に登頂できた。
山頂には、黒羽山の会のもの、あちこちで見かける山部さんのもの、RKさんのもの、町がつけたような印刷されたもの、と4枚の山名板がかかっていた。山頂からは樹間からいくつか山が見えたが山名は分からなかった。紅茶で乾杯して下山にかかった。
下山は往路を忠実に辿る積りだったが、途中直角に曲がるところを直進して、県境標がないことに気がついて引き返すハプニングをやり15分のロスをした。部落の石尊山から石段を下ったら、牛舎の少し上の所に出た。青年が教えてくれた分岐はここだったのだろう。
ブルナリで一番速く出来ると言う暖かいカレーうどんを頂いて、一杯のビールを2つに分けて乾杯し結婚記念日の山の登頂を祝った。

c)御亭山
14時20分に法龍寺を出て、県道13号でバイパスして再びR461に入り、唐松峠の先で左に入る道に御亭山の道標があり、これにしたがって進むと意外に立派な舗装道は山頂の公園まで続いていた。公園ではまだ新しい道路の工事中であり、車は更に走りやすくなりそうだった。14時50分に到着してトイレ脇に駐車して、少し歩いて山頂からの展望を楽しみ、証拠写真を撮った。日光や那須のには少し雲がかかっていたが、360゚の展望で、八溝山、奥久慈男体山、二岐山など特徴のある山を確認できた。

d)帰途
御亭山を15時25分に発車し、来たと同じ道を引き返して、17時20分に帰着した。



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