34.三太の山越えコースとぼとく山

1.動 機
ぼとく山は3年前の62会ハイクで天下野から林道を車で入って、荷鞍山から歩いたことがある。そのときの記憶では、岩山だが比較的楽に登れて展望の良い山だったように思った。今回は、新しく諸沢部落に出来た三太の山越えコースの途中から登るので、結構厳しい登りが待っているとの事だった。現地は地滑りが起こっているが、下見した結果、歩行に何の問題もないとの事だった。

2.データ
a)山域:ぼとく山(440m) 現地ではおかめ山と呼ぶ
b)登山日:2004/03/16(火)晴
c)コースタイム: 
三太の湯 9゚40' ---- 10゚10' A展望所10゚15' ---- 11゚10' おかめ岩 10゚15' ---- 11゚35' ぼとく山 12゚15' ---- 12゚50' 吸殻入れ12゚55' ---- 13゚10' 中島藤右衛門生家 13゚15' ---- 13゚20' D集会所 13゚30' ---- 14゚00' F牛舎 ---- 14゚25' 三太の湯 = 金砂の湯
d)同行者:62会(男6、女2)、和子
e)地形図:1/25000「大仲宿」

3.山行記録
a)三太の湯
我家を8時40分に発車し、三太の湯第2駐車場には集合時間9時30分の10分前に到着したが、もう参加者全員が揃っており、温泉スタンドにタンクを積んで給湯に来ていた土地の人に質問をしたり、誰かが忘れて行ったらしい made in Italyの立派な登山靴について憶測が飛んだりしていた。
b)登り
9時40分に歩き始め、30分でAの展望の良い原っぱについたが、ここからはこれから登るおかめ岩などの岩頭が良く見え、登る稜線の説明などを聞いた。数軒の民家のある部落の坂を下りきったところに、左に上る登山道があった。何も指標はなかったが、ここが宝明部落からぼとく山(土地の案内図にはおかめ山とある)への登り口とのこと。下見した下山先生だから分かる別れ道であった。
ここからしばらく登って、主稜線近くになるとすごい岩場が待っていた。これが案内図に岩場注意の注記があるところで、足場の悪い急坂で一歩一歩慎重に登った。とても下りには使えそうにもなかった。最初に岩頭がおかめ岩、なかなかの展望である。近くにダンコウバイが綺麗に咲いていた。続いて屏風岩、電柱岩と続いたが、岩松が張り付いており展望もますます良くなり、三太の湯も見え奥久慈男体山も見えてきた。
ぼとく山にはいったん下って木立のある岩場を登って11時35分に着いた。ここで昼食の予定だったが、風が強いので、少し下に通り過ぎた岩場でみんな揃って弁当を広げた。
c)下り
ゆっくりと昼食を終えて、12時15分に歩き始めた。3つの岩頭を過ぎて、分岐点に着いたとき登ってきた急坂を覗いてみたが、やはり怖かった。3年前に歩いた稜線を歩いて吸殻入れのある分岐点で一休みした。斜面を横切って地割地区のC地点に着くと、コンクリートの擁壁が大きく割れて補強工事をしていた。これが地滑り地点で、ハイキングルートを閉鎖処置している原因と思われた。
すぐに中島藤右衛門の生家と書いた立派な石柱の立った旧家があった。中島藤右衛門とは何者と言っているうちに、若いふくよかなご婦人が現れ、「藤右衛門はこんにゃくの開発者で、私がその八代目」とのこと。啓ちゃんは「一緒にツーショット」と申し込んで即座にOKを貰った。
みんなでお邪魔虫をしてそろっての記念写真を撮った。近くのD地点の集会所では元気な老人達(我々と似た年頃)がクロッケーを楽しんでいる。観戦しているとゲートボールとクロッケーの違いを解説してくれる。
山道に入って下って向かいに牧場が見えるE地点につくと、シデコブシや少し盛りの過ぎたコウバイが咲いており、フキノトウがたくさん咲いていた。フキノトウはここだけでなく、あちこちに咲いていて、みんなたくさん採取して帰った。その日はどこの家庭でもフキミソやてんぷらで春の香りが漂ったことでしょう。
F地点の牛舎のところからはあの屏風岩などの岩頭が正面に見えていた。ここには立ち入り禁止の立札が立っていたが、かまわず進んで14時25分に三太の湯に着いた。ここは料金が高いので、みんなで金砂の湯まで移動して汗を流して帰った。



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