63.記念日の山(丸山)と山開きの山(明神ケ岳)

1.動 機
前夜はネマガリオフの仲間半数と温泉つきの道の駅「喜多の郷」で車中泊して、夜中に賑やかにホームレスパーテイーを楽しんだ。今日は会津に向かい、和子の誕生日の山「丸山704m)」と息子の誕生日の山「場良山 921m」に登る予定だった。大戸岳の近くの丸山から下りて、博士山の先にある場良山にR401を車で向かう途中、明神ケ岳の山開きの宣伝をしているのに出くわし、麓から見る山容が美しいのに釣られてここに登ってしまった

2.データ
a)山域:丸山(704m)明神ケ岳(1074m)
b)登山日:2004/06/06(日)晴
c)コースタイム: 
喜多の郷6:10 = 7:25桑曽根 7:45 ---- 9:00 丸山山頂 9:20 ---- 10:20桑曽根10:30 = 11:20冑 11:30---- 12:15登山口---- 13:35伊佐須美神社奥の院 ---- 13:50明神ケ嶽山頂14:10 ---- 15:15 登山口 ---- 15:50冑 16:00 = 17:50 白河= 19:10 日立
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「上三依」「会津高田」

3.山行記録
a)丸山
今日は和子の誕生日の標高704mを持つ丸山に登り、息子の921mの場良山に登る予定だ。喜多方の道の駅で車中泊し、昨夜のホームレスパーテイの残り物で朝食を済ませ、安達太良や駒止湿原に向かう他の方々と別れて、6時過ぎに出発してR121を南下した。芦の牧温泉の先で闇川沿いの道に入り(この道は大戸岳に登ったとき入ったことがある)、桑曽根部落まで走ったところで、名前の通り丸い形の丸山が姿をあらわした。農作業に出かける男性に出会い、「あの丸山という山に登りたいのだが、登り道は分かりませんか」と道を尋ねると、「あの山は俺の山だが、なんであんな山に登るの?」と逆に聞かれる。
記念日の山のいきさつを説明したが「道はないが、下の川を渡って、杉の植林をしたところを上へ向かって登れば山頂にたどり着けるが、すごい藪だよ。私はごめんだね」と言われて、和子は自分の誕生日の山なのに「下から眺めただけで十分よ」と怖気付いてしまった。
植林の向かいまで林道を進んで、昔は畑だったらしい地形のなかに、踏み跡らしきところを見つけて下っていくと、細い川に出合った。適当な間隔で岩が並んでいて濡れないで渡渉できた。10mほどの崖を登ってみると植林まで結構な藪がつなっがている。元に戻るために、ところどころ小枝を折り曲げながら歩くことにした。地形図を睨んで、植林に入ってとにかく尾根に出れば、尾根通しに山頂にたどり着けると考えて尾根まで頑張ると、藪が急に薄くなってきた。 小枝を折りながら登ると、植林が切れて雑木林になり、根っこから変形したコナラ奇形樹、花は終わったつつじの群落、ギンリョウソウの群落などに気をとられているうちに1時間ほどで山頂に着いた。山頂は展望もなく、・の図根石の前で証拠写真をとって、折り曲げた小枝を頼りに下山にかかった。途中、何度か小枝を見失ったが、何とか川までたどり着いた。10mの崖を避けたので渡渉点は変わったが、浅瀬に石を投げ入れて濡れないで渡渉した。
b)明神ケ嶽
次の場良山に登るため、R401を博士山方向に走っていると、「歓迎明神ケ嶽山開き」の横断幕が目に入り、脇道にいっぱい車が止まっている。右には格好の良い明神ケ岳の山容が姿を見せている。一日に藪漕ぎ二つは気が進まなくなり、山開きで何かいいことがあるかなと欲も出てきて、ここに登ることに意気投合した。
脇道への駐車は延々と繋がっていて、300mも先にやっと駐車スペースを見つけた。登り始めたが、もう時刻は昼前、そろそろ下ってくる人と出会う。冑の集落から大岩観音の登山口まで延々と続く車道歩きは、下ってくる人がだんだん増えてきて、「いまから登るの」と呆れ顔で挨拶されるのに辟易して辛かった。普段の日に登れば、この45分の車道歩きは車で入れたのにと悔やまれた。登山口に役場の職員が控えていて、「いまから登ったのでは記念品は品切れかも」と老夫婦を気遣って鈴二つを鞄から出して譲ってくれた。登り始めてすぐに大岩神社の水場があり、飲んでみると冷たくて美味しかったので、ボトルの水を入れ替えた。
登山道脇にはシシウドが多く、谷全体が白い花で埋まっているところもあった。タニウツギのトンネルやシャガを愛でながら、どんどん下ってくる大勢の人と挨拶しながら登ったが、展望はほとんどなかった。わずかに磐梯山がうっすらと見えていた。狭間峠につくと、下山にかかる役場の人が集まっており、「もう山頂には誰もいないので貸切だよ」と言いながら「遠くからご苦労様」と言って鈴をくれようとする。もう頂いたと丁重にお断りした。
手入れの行き届いた登山道だったが、山頂間近に伊佐須美神社の奥社の赤い鳥居を過ぎた辺りから、突然急勾配の登りになり、木の根っこや草の根を掴みながら登ってやっと山頂に到着した。部落から2時間少々だった。立派な2等三角点と1074mの山名標識があったが、山頂はブナの木立に囲まれて展望はなかった。菅沼方向の下山口には(下山禁止)の標識とともにロープが張ってあった。
往路を戻り1時間40ほどで部落に着いて、16時に出発して白河に出てR349を走って19時に日立に到着した。



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