101.川桁山

1.動 機
川桁山は猪苗代湖の盆地にでたところで、磐梯山の手前にあって堂々とした山容を見せる山だが、少々遠方になるので登ったことがなかった。紅葉の季節に水戸アルパインで日帰り山行が計画されたので参加した。コースが観音寺から登って、生野に下りる縦走になっているのも嬉しかった。和子は8月のヨーロッパアルプストレッキングから帰ってすぐに腰を痛めて山行きから遠ざかっており、一俊も9月中旬の槍ケ岳以来1ケ月お休みで、二人とも久しぶりの登山だった。川桁山は途中に何箇所も厳しい急坂があるようなので、無事に歩けるかどうか心配していたが、楽しい仲間と一緒に歩いたお陰で全山黄葉が真っ盛りの中を無事に完歩できた。

2.データ
a)山域:川桁山(1413m)
b)登山日:2004/10/24(日)晴
c)コースタイム: 
日立計算センタ前5:05 = 5:40勝田駅西口6:05 = 6:40 那珂IC = 9:05猪苗代IC = 9:20観音寺 9:35 ---- 10:50林道終点11:00 ---- 11:55小田峠 ---- 13:00川桁山頂13:50 ---- 14:40三十八転び坂14:45 ---- 15:50別荘入口15:55 ---- 16:10内野16:15 = 16:25猪苗代IC =19: 20 那珂IC =20:45日立計算センタ前
d)同行者:水戸アルパイン(男性7、女性21)、和子
e)地形図:1/25000 「関都」、山渓「福島県の山」No.5

3.山行記録
朝5時前に我が家をでて、いつもの計算センター前バス停で一番乗りの乗客になる。昨夜電鉄吉川さんから「今度のバスは日立電鉄の車両のやりくりがつかず、椎名観光のバスになるので、停車場所ごとに仲間を案内してくれ。」との電話があった。乗ったのはいつものオレンジとは様変わりの青い色のバスであり、これがバス停に着いても合図しないと誰も寄ってこない。東海駅では運転手が東口に行こうとするので、アルパインの案内では西口だよと教えるが、電鉄からの指示だと言って東口に入ってしまった。案の定誰もおらず、運転手もやっと納得して西口に回った。リーダ含めて予定の3人が乗り込んだので定刻前に勝田駅西口に向かった。メンバー表では勝田での乗車予定は10人。定刻前に8人はそろったが、2名が現われず、連絡も取れないまま20分超過して見切り発車した。まもなく携帯で2名はモリ商会前にいるとの連絡が入った。2名は東海駅から乗車するよう連絡したらしいが、メンバー表に勝田駅になっていたため置いてきぼりを食ったのだ。東海駅から水戸までタクシーを飛ばして間に合わせたとのことだが、メータはずいぶんとあがったことだろう。こんな時のため非常連絡網の整備が待たれる。
那珂ICで最後の仲間を乗せて高速に乗り、途中3箇所で休憩して、猪苗代ICで下りた。今日は天気も絶好、磐梯山は山頂に少しガスがかかっているが、川桁山は全山これ黄葉で輝いており、今日の楽しい山行を期待させていた。観音寺登山口に9時15分に到着し、身支度を整え観音寺山門前に移動し、準備運動をし、槍ケ岳から取り入れられ、MACの名物になったグッパー体操も賑やかに行って9時35分に歩き始めた。
はじめの1時間は広い林道歩き、脇の沢の流れや川桁山から天狗相撲取山あたりの紅葉を堪能しながらゆっくりと歩いた。林道が終わるとやや勾配のある山道になってきたが、始めはまだ沢音を聞きながらまだ元気に歩いていた。シモン夫妻はどこで見つけたか、ムキタケやクリタケが入ったビニル袋をぶら下げている。
小田峠に近づくと最後の15分間はものすごい急勾配の坂道になった。峠にやっと登りきり、少し下ってから小休止したが、ここからまた本格的な急勾配の連続となった。尾根に出るまでの1時間はまさによじ登るの表現がぴったり、息を切らしながらの苦行が続いた。
尾根道は紅葉の樹間に、吾妻、安達太良の連峰、会津の山々が見え隠れし、磐梯山も見えてきて嬉しくなる。1時に山頂に着いてやっとお昼ご飯になった。猪苗代湖を見下ろしながら弁当を食べ、会津の山々の同定が始まった。特徴のある山容からすぐにそれと判る小野岳、大戸岳を基準に、会津朝日や七ケ嶽など決まっていった。二こぶが目立つ二岐山を確認したくて来た道を引き返してみたが、こちらからは双耳峰にならないのか見つからなかった。(あとから考えると方向を少し間違えていた。)手間取っているうちに、集合写真に遅れそうになり、慌ててしまって三等三角点の山頂でのツーショットの証拠写真を撮り損ねてしまった。

尾根道を50分ほど下ると、三十八転び坂という物騒な名前の付いた急坂になった。始めはジグザクにつけられた道を辿っていたが、根っこが出ていたり、土がぬかっていたりで、結構歩きにくい。その横をシモンさんがカモシカのように真っ直ぐに滑るように追い越していった。それを見て登山道をはずれて歩いてみると、枯れ葉の積もった軟らかい斜面はなかなか具合がいい。みんな後に続いて下りだした。
下り坂がなだらかになると、みんなまたキノコの目になって歩き始めた。別荘地に着いた時に、シモン夫人ほか数人のキノコのベテラン婦人達が後からゆっくり下りてきたが、手には重そうなビニル袋がぶら下がっていた。
別荘地からは車道になり、15分歩いて16時過ぎにバスの待つ内野の部落に着くと、磐梯山が夕日をバックに美しい姿を見せていた。バスに乗って、車窓から見える川桁山をカメラに収めて猪苗代を後にした。



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