A48.東海村の文化財(1)

1.動 機
 先日の盛金富士登山の時、水戸アルパインクラブ役員の平野さんから、東海村の文化財マップを頂戴した。私が無理して山登りしないようにとのご配慮である。その後風神山に登ったが、平野さんの助言に従って前報告に書いたようにしばらく山歩きはお休みすることにした。整形の先生も平地のお散歩なら支障ないだろうとのことだったので、暇になった時間で、頂いた東海村の文化財マップをしらみつぶしに歩いてみることにした。
 17日水曜日、整形外科にかかる積りで出かけ、その前に東海村北西部の13か所の文化財を見て回った。病院に行くとその日の午後が休診日だったので、翌日出直しになり、翌日も追加で2か所を回ることになった。
 
A聖徳太子絵伝
Cキンモクセイ
D石神社のスギ北
E石神社のスギ西
Fケンボナシ
Gサツキ
Iヤブツバキ
Jヤブツバキ
K座応権現山古墳
L別当山古墳
O願船寺のイチョウ
P住吉神社サカキ
Qエノキ
Sモチノキ
34セイヨウシャクナゲ
Y:石神城春草
 (東海村12景)
Z:願船寺晩鐘
 (東海村12景)
(東海村北西部の文化遺産map)

赤字は村指定文化財 緑字は「ふるさとの自然・文化」登録文化財

2.データ
a)山域:東海村
b)撮影日:2013/4/17(水)、18(木)
c)コースタイム:
1日目:自宅12:50 = 13:00昼食13:30 = 13:40DE石神社13:50 = 14:10P住吉神社14:15 = 14:20AOZ願船寺14:30 ---- 14:35L別当山古墳14:40 = 14:50座応権現山古墳15:00 = 15:30Qエノキ15:35 = 15:45東海村役場16:10 = 16:20(34)セイヨウシャクナゲ16:30 = 16:45CGIJ宮本さんち16:55 ---- 16:55Fケンボナシ = 17:15自宅
2日目:自宅11:35 = 11:50整形外科12:15 = 12:20にじのなか12:30 = 12:35幸の実園P12:40 ---- 12:40Y石神城跡13:00 ---- 13:10Sモチノキ 12:35 = 13:15幸の実園P = スーパ= 14:00自宅
d)同行者:和子

3.記録写真
1日目
 水曜日割引のある常陸南部のレストランで昼食をとってから、R6を南下して榊橋を渡ったすぐのところでV字に引き返すように左折すると石神神社の鳥居があった。その先の広いところに車を停めた、神社の境内を見上げると色々な老木が鬱蒼と茂っているのが見えるが、文化財「石神社のスギ」はどれだか定かでない。鳥居前に回ると石神社の由緒板があり、「創立年代は未詳だが、現存する社殿は昭和23年に建てられた。」「神代の昔大岩の上に住んで悪事をなしていたのを天手力雄命が降臨してその岩を3つに砕いてしまった。2つの塊は城里町の石塚と笠間の石井に飛び、残った石がこの石神社のご神体になった」とのこと。
 鳥居のすぐ後ろにある巨スギが文化財のNo.6の石神社のスギ(西側)だった。もう一本のNo.5の石神社のスギ(北側)は本殿奥の左にあり、樹齢350年と言われ周りの木を圧倒している。奥には小さな祠があり、「皇紀2605年 石神社村社昇格記念」の記念碑がたっていた。終戦の年に村の鎮守様になったようである。
 マップではこの近くにCキンモクセイFケンボナシGサツキIヤブツバキJヤブツバキがあるようになっているが、神社の外を見渡してもそれらしき木が見えず、境内にも標柱の立っている木は見当たらない。隣の工場で作業中の男性にマップを見て貰って、こんな大きな木がどこにあるか尋ねたが、植物については興味がないようでご存知なかった。これらについては後で村役場に行って聞いてみることにして、住吉神社への道を聞いて車に戻った。
(E石神社西側のスギと鳥居)
(D石神社北側のスギ)

 住吉神社の鳥居前を通り過ぎ、石神小学校前で左折して住吉神社の奥に回ったところに路側駐車して、裏から住吉神社の境内に入った。この境内にも大きな木が立っていてどれが文化財なのか分からない。本殿脇まで歩くと、文化財のNo.17の「住吉神社のサカキ」の標柱が立ったサカキの老木があった。マップの説明によると樹齢300年、目通り1.66m、桁高20mとのことで、普通サカキは直径0.3m以下であり、これだけの巨木は亜高木としては珍しいらしい。
 境内に聳える樹齢300年というスギや赤ガシの巨木を眺めながら鳥居の前に回ると、神社の由来の看板が立っている。それによると、創建は1200年前に大阪の住吉神社から今宿に分社され、石神城主の厚い宗敬を受けて700年前に現在地に鎮座されてたとのこと。現在の本殿は350年前に建立され、拝殿は220年前に建てられた由緒深いもの。
(Pサカキ)
(住吉神社参道)

 次の願船寺には車のナビに従って走っていると、願船寺の駐車場があった。駐車場からは願船寺の屋根の上に文化財のNo.16の大イチョウが大きく聳えているのが見えた。境内に入ると、太いイチョウの幹の向こうに鐘撞堂が見えていた。鐘撞堂のそばには文化財のNo.2の絹本著色聖徳太子絵伝の説明板があった。イチョウと鐘撞堂の間の石段を下りると、「親鸞聖人御手植公孫樹」の小ぶりの古い石碑と「親鸞聖人御旧跡二十四輩第十四番石神願船寺」の新しく大きな石柱が立っていた。更にその前には「東海十二景願船寺晩鐘」が立っていた。
(願船寺のOイチョウとZ晩鐘)
(A聖徳太子絵伝の説明板)

 願船寺前の道を右に向かって歩いていくと、T字路の向かいに「東海村指定文化財別当山古墳」の説明板があり、直径52m高さ8mのこの円形古墳のほかに、近くに十基近い古墳があったが今はないとのこと。マップにある中道前古墳群を探す手数はなくなった。
 説明板の脇に丸太の階段があり、これを登っていくと古墳の上には小さな祠が祀られていた。違う道を下りたかったが、他に道は見当たらず往路を下った。
(L別当山古墳入口)
(L別当山古墳)

 マップには願船寺のすぐ東に文化財に指定されていない座応大権現古墳があったので寄り道することにした。(マップに文化財記号が入っていなかったので指定外だと思っていたが、後で和子がマップを眺めていて、付表に座応大権現古墳がリストされていることに気付いた。)車ですぐ近くまで行くつもりで走ると、途中道路工事で通行止め、路側に車を停めて歩いて行った。
 民家の庭を通り過ぎたところにあり、挨拶したが応答なく、通り過ぎると座応大権現の鳥居前に出た。丁度その時裏から奥さんが出てきて、いろいろと話を伺うことが出来た。昔はこの回りは美しい松並木があったが、松くい虫で全滅して今は竹が繁茂して見る影もなくなったと嘆かれていた。石段を登ると上にはここにも小さな祠が立っていた。ご婦人の話では「田圃向かいの石神城址が公園になっていて、アジサイの時期には綺麗だからぜひ行ってみなさい」と勧められた。これから役場に行ってマップについて教えて貰う積りなので、今日は無理だが、近いうち行ってみよう。
(座応大権現)
(権現山古墳)

 役場に行く前に、近くにあるQのエノキを見に立ち寄ることにした。マップを頼りに農道に沿って車を走らせると、遠くからでもそれと分かる大木が田圃の向こうの民家の上に聳えていた。農道に車を停めて、民家への道を歩いて民家の庭に入って声をかけると、長い鎖に繋がれた犬が猛烈な勢いで飛び出してきて吠えかかってきた。びっくりして腰が引けたが、すぐにご主人が出てきて犬を抑え、快く対応して頂けた。エノキの根元まで案内されると目通り4.2m、樹高20mは樹齢300年の貫録十分だった。根元にはエノキの説明板のほかにご主人が代々引き継いで大事にしている氏神様の小さな社があった。
(Qエノキ)
(氏神様)

 16時前に役場に入って文化財マップについて教えて貰える部署を聞くと、観光課ではなくて生涯学習課に行きなさいとのこと。4階に上がって窓口に行って尋ねたのはCキンモクセイFケンボナシGサツキIヤブツバキJヤブツバキの所在場所と、新たに指定されてマップに記載がなかった34と35の文化財所在地だったが、対応してもらった若い女性がマップについて良く知っておられて、一つ一つの文化財について具体的な情報をすぐにもらえた。C〜Jについては民家の名前も教えて貰い、詳細地図のコピーも頂いた。
 先ず、役場に近いNo34のセイヨウシャクナゲを見に車を走らせた。教えて貰った地点の近くに行ってうろうろしていると、不審者と思われたか民家から男性が現れて用件を問われた。セイヨウシャクナゲの話をすると、50m先の民家の庭に立っている木を教えて貰えた。民家の庭に入っていくと数人で作業中の家族の方が「もう少し前だと綺麗だったんだがねえ。」と良いところを見せられなくて残念そう。わずかに残っている真っ赤な花を見上げながらネパールで出会った満開のシャクナゲの大木を思い出した。
(34セイヨウシャクナゲ)
(34咲き残り)

 石神社まで引き返して、役場でもらった詳細地図を頼りに宮本さんの庭に入って声をかけた。この庭には4件の文化財の大木があり、出てきた奥さんから広い庭の管理の大変さを伺った。Cのキンモクセイは頭の部分は切り取ったとのことで、マップの写真にある繁った様子からは変わっていたが、幹部分の太さは大変なものだった。
 庭の真ん中に小山のような大きなサツキの木があった。奥さんのおじいさんが植えたもので100年にもなるとのこと、今時期でも大きいだけでも迫力があるが、5月になれば花が咲いて見事な光景にになることだろう。とても剪定鋏も届きそうにないが、剪定はどうやってやるんだろうかと質問するのを忘れていた。
(Cキンモクセイ)
(Gサツキ(笑い獅子))

 ヤブツバキは入口脇に立っていて、「少し前には真っ赤な花がたくさん咲いて綺麗だったんだよ」とのこと。これだけの大木が満開の花を落としたら、それを拾って処理するのも大仕事だなと変な同情をする。もう一本のヤブツバキは家の裏にあったが、切り倒してしまったとのことで、その切株で作った丸太椅子が2個置いてあった。
 宮本さんにお礼を言って2軒先の河野さんちのFケンボナシを見に向かう。3本の大きな木が車道からも良く見えて、外から眺めるだけで満足して、家の方を煩わすのは止めにした。
(Iヤブツバキ)
(Fケンボナシ)

2日目
 前日整形が空振りになったので、午前中に受診を終わらせて、昼食前に昨日薦められた石神城址を歩き、その近くにあるはずのSのモチノキを探すことにした。
 地図を見ると、石神城址は何度か訪れた事がある長松院と幸の実園のすぐ裏にある。受診を終わって農産物直販店のにじのなかで野菜を買ってから、幸の実園の裏の駐車場で製塩作業中の男性にお願いして車を置かせていただく。
 思った通りに駐車場すぐのところに、石神城址公園の標柱が立っていて山の中に道が伸びている。途中「この場所は放射線量が基準値を超えているので立ち入りを控えてください」の注意札があったが、もう放射線障害が現れるまでには寿命も尽きそうなので構わず登っていくと、回りにサクラの木が立ち並ぶベンチのある広い公園に飛び出した。
 少し先に看板が見えたので行ってみる。「東海十二景石神城春草」の石碑と「石神城の歴史と構造」の大きな説明板があった。石神城は歴史のあるお城で、昔は随分広かったようだが、今残してある公園部分になっている本郭だけでもT郭、U郭、V郭の三つの広場があるらしい。
(東海十二景石神城春草南入口)
(サクラの石神城跡V郭)

 入ったところはV郭でU郭には広い通路でつながっていた。U郭はV郭よりももっと広く野球もできそうな広さがあった。T郭の遠見城へは深い濠を越えていくので、腰への負担を考えて敬遠し、北東隅まで歩いていくと座応権現の奥さんが話していたアジサイの群落があった。まだ花はないが、また来てみようかな。
(石神城跡U郭)
(アジサイ)

 アジサイの先の茂みの中に遊歩道があって、これを辿っていくと行く手下に広い駐車場が見え、こちらが正門のようだった。U郭に引き返すとウワミズザクラが花開いていて、アジサイの代わりに目を楽しませてくれた。
(北入口へ)
(ウワミズザクラ)

 T郭に戻って北西隅に通路を見つけてここを通って住宅街に出ると、ここにも駐車場があり「石神城址公園入口」の立札があった。
 住宅街を歩いていくと上にボタンザクラが咲いていたり、下にはミヤマキンバイに似た花が庭いっぱいに咲いているところもあった。
(ボタンザクラ)
(ミヤマキンバイ?)

 その先の屋根付き漆喰の立派な塀に囲まれた民家の庭に大きなモチノキが聳えていた。今花の盛りで目立たないが小さな黄緑色の花が固まった房をいっぱいつけていて、樹勢の旺盛さを示していた。門から少し入ったところに「東海村指定天然記念物もちのき」の標柱と説明板があり、まさしくNoSのモチノキである。犬も歩けば棒に当たる、だった。
(Sモチノキ)
(Sモチノキ全景)

 そのまま歩いて幸の実園の駐車場に戻り、2か所の文化財見物で満足し、途中スーパで買い物して我が家に帰った。


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