A49a.東海村の文化財(2)

1.動 機
 ゴールデンウイークの好天気続きに誘われて少し外に出かけたくなり、東海村の文化財マップの続きを歩くことにした。今回は前回のマップ北西部に続いて北東部を歩くことにした。歩いたと言っても、ほとんどは車での移動で、歩いたのは1万歩に達しなかった。
(東海村北東部の文化遺産map)


2.データ
a)山域:東海村
b)撮影日:2013/4/28(日)
c)コースタイム:
自宅11:45 = 12:00 No26No27クロマツ12:15 = 12:25 No28ケヤキ12:30 = 12:40 No25ヒイラギ12:45 = 12:55久慈川河口緑波(昼食)13:45 = 13:55愛宕山古墳14:05 = 14:10にじのなか14:35 = 14:40 No35ヒサカキ14:45 = 14:50白方古墳群15:00 = 15:05豊受皇大神宮15:15 ---- 15:15白方溜蛍影15:30 = 16:00自宅
d)同行者:和子

3.記録写真
 昼前に我が家を出発して、R245の赤い橋を渡ったところから右斜めに入る。マップによればこの辺りに26番と27番のクロマツがあるはずと思って周りを見渡すが、あまり目立つ大きな松の木は見当たらない。マップの(みこしの松)説明写真にある屋根付き白壁塀を見つけ、ここと見当をつけて門を入ると、入口に「東海村(ふるさとの自然・文化)登録文化財第27号)クロマツ」の立札が立っていた。ゆっくり見せていただこうと、御殿のような造りの立派な家の玄関をたたくと奥さんが出てこられて、広く立派なお庭を眺めながら色々と話を伺えた。
 入口門そばのNo7クロマツは、中から見た方が太くてねじれた幹がよく見えて見応えがあった。奥さんはこの家にお嫁に入ったとのことだが、91才まで長生きした曾御婆さんが「私が子供のころと幹の太さは変わらなよ」と言っていたとのこと。マップによれば樹齢350年というが、年取ると松も育たなくなるようだ。
(立派なお庭)
( 27 クロマツ)

 白壁塀の傍に横に枝を張ったクロマツが、No26のみこしの松だった。樹高は2.2mほどで外からは見えないが、左右に17mも枝を張った姿は見事だった。
( 26 クロマツ(みこしの松))

 次はマップをたよりにNo28のケヤキに向かって走っていくと、家並みの中に大きな木が聳えて目立っていた。道が狭いので手前に車を停めて歩いていくと、木はだんだん大きく見えてくる。文化財の立札は庭の中に立っていて見えないが、間違いはなさそうだ。庭に入って家の人を煩わせるのが気が引けるし、外から眺めただけでもその威容は十分感じ取ることができるので、庭に入るのは止めにした。
 ケヤキの大きさを目立たせようと木のすぐ下まで車を持ってきてケヤキの写真を撮った。幹の太さは植え込み越しに伺う。
( 28 ケヤキ)
( 28 ケヤキ)

 そろそろお腹が空いてきて、弁当を広げようと東海村12景の久慈川河口緑波に向かった。常磐線の鉄橋下に運動公園が広がり、マップにはその海側に久慈川河口緑波のマークがあるが、そのあたりは一面葦が繁っていて、いままでの東海村12景にあった立派な「東海村一二景」の石碑はどこにも見えない。気になってきて、「東海村一二景」の石碑を探しにR245の赤い橋近くまで堤防上の道を歩いてみたが、どこにも見つからなかった。途中、葦原の中に入る道があったので、川岸すぐまで入ってみたが、そこは個人的なボート場だった。久慈川河口緑波の証拠品探しはあきらめて弁当を食べて次に向かう。
(久慈川河口緑波T)
(久慈川河口緑波U)

 次の愛宕山古墳は前回訪れた石神城跡の県道日立東海線の道向かいにあるようだ。ナビに従って車を走らせるが、はっきりそこと特定できず、外で作業中のお婆さんに「近くに愛宕山古墳てありますか」と尋ねると「そんなもの知らねえ」とのこと。ほかの地図に天王神社というお宮が出ていたので「天王神社は」と聞くと「てんのうさんならあの茂みのところだよ」とスギ林を指し示して貰えた。近くまで車を入れて、畑地のなかの道を歩いていくと鳥居があり、その奥の社の中を伺うといくつもの小さな祠が祀ってあった。
 このそばに古墳がある筈だと少し探してみたが見当たらず、農作業中のご婦人に尋ねると「昔はこの向こうに古墳があったが、県道を造るときになくなってしまった。いろいろ出土品があって、どこかに保存されているようだよ」「そのお宮がてんのうさんだが、お正月の祭事を3年ごとの持ち回りで行っているが、若い人には引継ぎできなくてこまっているよ」などなど。
(愛宕山古墳?)
(天王神社)

 次はにじのなかに立ち寄って特別セール中の苗や野菜を物色してから、No35のヒサカキに向かった。マップには表示がないが、前回村役場で岡経塚の傍にあるはずと分かっていた。近くまで車で入って脇の畑で農作業中の男の人に尋ねると、すぐ近くのこんもりとした木立を教えて貰えた。「ここに車を停めておいてもいいよ」と言われて歩いていく。
 根元から6本に枝分れしていて10m四方に枝を広げた樹齢120年というヒサカキはまだ元気が良さそうに見えた。根元に石の祠があり前には鳥居もあるので、ここが岡経塚なのだろう。
( 35 ヒサカキ)
( 35 ヒサカキ)

 次は白方古墳群、マップでは白方公民館の周りに点在している。数年前までここで同期の友人が主宰する囲碁の会に通っていたが、建物は大きくなり駐車場も見違えるほど広くなっていた。今日は公民館で「脱原発首長会議」が開かれているかららしく、NHKの車も停まっていて広い駐車場も満車状態、入口近くに丁度空いばかりのスペースに車を入れた。古墳について公民館の事務室でいろいろ教えてもらう積りでいたが、多くの人が出入りしていて遠慮した。
 玄関の左に回ると長さ27mの小さな前方後円型の古墳があって五号墳の説明板が立っており、その脇に小さな円墳と思われる土盛りも3基あった。三号墳、六号墳、十号墳の木の標識も転がっていたが、大学時代、近くの仁徳天皇陵の500mもある巨大な前方後円墳を見慣れていた目には何とも頼りない感じがいななめなかった。
(白方古墳群:前方後円墳)
(白方古墳群:円墳3基)
(白方古墳群説明板)

 最後は白方公民館の県道向かいにある豊受皇大神宮と白方溜蛍影に向かう。
 白方溜池下に車を停めて、白方公園に向かって歩いていくと右に鳥居があって石段が上がっていた。その石段を登っていくと豊受皇大神宮の立派な社が立っていて、境内を歩いてみると本殿周りのには多数の小さな境内社が立っていた。
 入口に「東海村指定文化財 常州埴田五所大神宮縁起・埴田神宮年中行事并末社記」の説明板は立っていた。それによると、「常州埴田五所大神宮縁起」には御祭神が当地に祀られるようになった由来について書かれており、「埴田神宮年中行事并末社記」には年間の行事が記され、特に毎年4月7日に行われた磯神幸大祭礼のことが詳しく記載されていて、丸山可澄が元禄15年に記した縦40.6cm、幅820cmの私本一巻で貴重な歴史資料とのこと。
 大神宮の前にも駐車場があって、こちらに入るのが正解のようだった。
(豊受皇大神宮)
(F歴史資料の説明板)

 石段を下りて広い溜池と噴水のある2段の池を見ながら白方公園に向かうと、池を見下ろせるところに「東海一二景 白方溜蛍影」の石碑が立っていた。碑文には「植田宮の鳥居の倒影、夏の宵の蛍の明滅。たたずめば涼気が肌をうち、さざ波立って、再び水鏡の静けさを返える。」とあった。
公園から右側の遊歩道に向かおうと思ったが、ロープが張られて通行止めだった。公園の上端まで上がると森の中に踏み跡が下りていたので踏み込んでみた。
(白方公園)
(白方溜蛍影))

 下ったところに小さな石組があり、ここに水が流れていると綺麗な滝になりそうだった。その先にロープが張ってあって通行止め、今いるところが立ち入り禁止で、だから滝は枯れていたんだと気が付いた。近くで子供連れで遊んでいる人の目を気にしながら慌てて通過する。
 駐車場へ戻る途中、逆光の夕日に輝く白方溜の下池が綺麗だった。
(枯れた小滝)
(白方溜蛍影))

 半日の観光散歩に満足して帰途に着き、途中スーパで買い物して我が家に帰った。



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