A53.東海村の文化財(4)

1.動 機
 山登りを自重し、山菜採りシーズンも終わってくると、このHPに書くネタ探しに悩むことになる。こんな時に助けになるのが東海村の文化財マップである。今回は、前回歩いた東側、東海村の南東部の文化財を見て回った。今回も楽しいドライブ&ウオーキングであったが、Lのヤマザクラは所在が確認できず、Qのヤマザクラは近くに標柱が見つからず真偽のほどが不明である。来春、サクラ開花の時期にもう一度確認する仕事が出来た。

@人物埴輪、B直刀・三輪玉、C武人埴輪、E釜付遺跡出土品、Kホオノキ、Lヤマザクラ、Nクヌギ、Pクヌギ、Qヤマザクラ、(36)ヤマザクラ、(37)オオシマザクラ
(東海村南東部の文化遺産map)


2.データ
a)山域:東海村
b)撮影日:2013/5/15(水)
c)コースタイム:
自宅11:00 = 11:20東海村中央公民館12:00 = 12:05船場稲荷神社12:15 = 12:20笠松運動公園12:40 = 12:45ドリームたんぽぽ(36)13:55 = 14:00オオシマザクラ(37)14:25 = 14:30ホオノキK14:50 = 14:50クヌギP14:55 = 15:00ヤマザクラQ15:15 = 15:15クヌギN15:25 = 15:35ヤマザクラL15:50 = 15:50中央福祉センタ16:25 = 17:20自宅
d)同行者:和子

3.記録写真
中央公民館
 先ずは文化センターの隣にある文化財@、B、C、Eが展示されているという東海村中央公民館に行ってみよう。公民館に入ると、玄関ホールに文化財NoEの釜付遺跡から出土したおびただしい数の小さな祭祀遺跡がガラスケースに収められていた。その数、剣形197・有孔円板126・勾玉4・臼玉2、手づくね土器42ヶにのぼり、一つ一つに番号札が付いていた。祭祀遺跡とは一般の生活に使用されていたものではなく、儀式に使うために模造されたものだと説明されていた。釜付遺跡は東海ゴルフセンタの造成時に発見されたもので、ゴルフ場の計画が変更されて今も真崎城跡近くの墳丘と遺跡のある一角を旧に復して保全しているとのこと。次の機会にぜひ見に行ってみよう。
(釜付遺跡出土品:剣形、有孔円板、勾玉)
(釜付遺跡出土品:手づくね土器片)

 他の文化財が見えないので事務所で尋ねると「2階の廊下にありますよ」とのこと。階段を上がったロビーに同じようなガラスケースが置いてあり、中には石神外宿で出土したという文化財NoBの長さ1.1mの鉄製の直刀と三輪玉が展示されていた。向かいのガラスケースにも鉄製や土器の出土品が展示されていたが、No@、Cの埴輪は見当たらなかった。


(中道前古墳出土品:刀剣と三輪玉)
(隣のケースの出土品)

 丁度来合わせた女性職員に尋ねると、埴輪は大震災で倒れて破損したので修理して仕舞ってあると言って、事務所から鍵を持ってきて倉庫に案内してもらえた。専門家でもないのに申し訳ないなと思いながら倉庫に入ると、ダンボールで保護されたガラスケースの中に2体の埴輪が保管してあった。ダンボールの隙間から覗いて観察し、写真も撮らせてもらった。
 文化財NoCの武人埴輪は布の中に横たえられ、腕など損壊している様に見えたが、丸い兜をかぶった上体の高さは60pほどあって意外と大きくみえた。昭和53年に動燃建設中の残土の中から発見されたもので、6世紀中葉の埴輪として県内では数少ない精巧な資料とのこと。
 文化財No@の人物埴輪は県指定文化財で、高さ80pほどあり立位で保管されていた。説明文には「三角形の天冠をつけ、三角板の短甲を思わせる文様が全面にみられ、やや誇張した草摺(クサズリ)が裳(スカート)のように表現されている。顔には赤や黒味の着色があり、髪は美豆良(ミズラ)に結われ、腕には手甲がつけられている。脚以下が欠損しているが、造りはきわめて精巧で、本県を代表するものである。」とのこと。以前は彩色されていたらしいが、今は茶色一色のように見えた。
(C武人埴輪:動燃出土)
(@人物埴輪:舟塚古墳出土)

東海村12景・稲荷社杉風
 車に乗って県道358に出て南下し、舟石川小学校の先の右手に鬱蒼とした稲荷神社のスギ林が見えてきた。この道は勝田や那珂町からの帰りにいつも走る道だが、こんなところに神社があるとは気が付かなかった。交通量が多いので路側駐車は気が咎めるので、左手にあった集会所の前庭に入り、人気がないので無断駐車させてもらった。
 県道向かいのスギ林の手前の道路沿いに東海十二景の石碑が立っており、碑の文には
    「老杉の木立はこんもりと社殿を囲み梢に風を鳴らしている 深々と静寂感があたりを包み 神の啓示をまつかのようである。」とあった。
 入口門がその左手にあり、入口に「船場稲荷神社」の石柱が立っており、屋根つきの門を潜ると正面は社務所で、本殿は右手、鳥居は左手にあった。この入口は裏門だったようで、左手の鳥居から石畳の参道が伸びていて、その先にも鳥居があってこっちが正門のようだった。

 正門から入りなおすと、高く聳える杉の老木群が厳粛な気分にさせてくれた。本殿前まで歩くと、6体のお狐さんの石像が出迎えてくれており、左奥には天満宮などの小宮が祀ってあった。全体が高いスギ木立に囲まれて荘厳な雰囲気を醸し出していた。
(稲荷神社正面)
(おきつね様と杉林)

(36)ヤマザクラ
 平成16年作成の文化財マップにはNo(36)の印刷はなく、臨時の(36)マークが笠松運動公園の境界近くに貼り付けてある。運動公園の中なのか外なのか判断できないが、まずは運動公園の中を探してみることにした。マラソン道路に出てから第3駐車場に入って、境界壁沿いの遊歩道を水の広場から野球場の先の(36)マークの近くまで歩いて行ってみた。場内の外周近くには色々な樹木が立ち並び、設立されて40年も経つとどの木も大きくなっており、大きなサクラの木も何本もあったが、文化財の標柱は立っていなかった。塀の隙間から外に出て外も眺めてみたが、それらしい木は見えなかった。
 20分ほどで駐車場に戻って車に乗り、マラソン道路を更に先に走って左手の公園外周沿いの道路を走って行ってマーク近くまで来ると、写真に写っているのと似た家の前に大きなサクラの木が立っていた。近くまで行くと指定番号36号の文化財標柱が立っていて確認できた。表に回ると家の形も写真の家になり、日除けには「カフェ ドリームたんぽぽ」の表示があった。ランチの表示がしてあり、丁度お腹が空いた時だったので中に入ってみると、店内いっぱいに手芸品が飾られているオシャレな感じだった。ランチはサラダ、スープ、パスタ、デザート付きで、お店自慢の自家製パンのサンドを美味しく頂いた。これだけ手の込んだ料理で500円也は申し訳ないほどの御馳走、100円足して飲み放題の薫り高いコーヒも御馳走になった。ランチは週替わりなので、また違うランチも味わってみたいものだ。
 店の女主人のお話「これだけ大きくなると剪定も大変で、専門業者が特殊車両を使ってやるので一回16万円もかかる。落葉も多くて屋根の上の処理も大変ですよ。それでもこの木は綺麗な花を咲かせてくれるので大事に守っていきたいと思っていますよ。数年前まではお隣の敷地に大きな欅の木が立っていて、2本の大木が対で並んで見ものだったのだが、お隣で娘さんの新居を建てると言って切ってしまった。ヤマザクラも日陰になるから切ってくれと言われたが断った。」などなど。
 料理の給仕は幼い感じの男女で、シェフや女主人が言葉使いの一つ一つを丁寧に指導していた。隣の建物が障碍者支援施設「NPO法人ドリームたんぽぽ」で、2軒が共同施設だった。
(ヤマザクラ36)
(カフェドリームたんぽぽ)

(37)オオシマザクラ
 外で庭仕事中のドリームたんぽぽの御主人から次の(37)のオオシマザクラへの行き方を教わって出発した。教えて貰った信号機のある交差点近くに来たが、駐車に都合のいい場所が見つからず、裏道に回り込んで適当なところに路側駐車した。
 交差点手前のスギ林の中にあると聞いていたので、スギ林の周りを歩いてみたら、交差点すぐ右のスギ林の外沿いに大きなサクラの木があり、その下に文化財標柱が立っているのが見えた。近付いてみると、枝分かれの様子などマップの説明通りの形だった。
(オオシマザクラ37)
(オオシマザクラ近景)

Kホオノキ
 マップを見ると、次のKホオノキは広い車道からの枝道に入ったところにあるようだ。枝道は家並みへの取付き道路かと思って走って行くと、その枝道は山に入る草蒸した狭い道で車で入ることが憚られた。先の方から入って来たらいい道なのかもと車道を先まで走ってみたが見通しが立たない。建設業者の広場に車を停めさせていただいて、先ほどの枝道に歩いて入ってみた。ホオノキは道沿いにあると思ってきょろきょろしながら歩いて行ったが、ついに道は草が茂る道になってしまった。この草をかき分けながら歩くのかと暗然としたが、少し脇も探してみようと左に30mも入った谷間にそのホオノキと標柱が立っているのが見つかった。
 ホオノキは根元で5本の幹に分かれていて、高さが20mもあって一枚の写真には入りきらない。白い大きな花が咲いていることを期待したが、残念でした。
(樹叢入口)
(ホオノキK)

Pクヌギ
 次のクヌギの木はKホオノキのところまで走ってくる途中で目にとまっていたので今回は探す手間が省けた。この木はY字路分れすぐの車道沿いにあり、高さ20m以上あり下10mの幹は真直ぐに伸びていた。マップに「地上根は何本あるかな?」のクイズのような記載があったが、1ダースもありそうに見えた。
Pクヌギ
Pクヌギの根本

Qヤマザクラ
 次のヤマザクラにも苦労した。左手を見ながら車を走らせるが、写真に見るようなサクラの木は見当たらない。少し先まで行って左に見えた大きなサクラの木を、農道を100m近く入って検分したが標柱は見当たらなかった。写真を見直すと手前にパイプの構築物があるように見えたので、車道を手前に引き返したところにあったビニルハウスのところに入ってみた。他の樹木も繁っていて遠くからはそれと分からないが、茂みの中にマップ記載の特徴に似た幹が見えていた。このサクラの木で間違いはなさそうだが、標柱がない。幹のすぐそばまで色々な作業道具などが散らばっていたので、作業に邪魔なので撤去されたのかもしれない。

Nクヌギ
 次のNクヌギの木もすぐに分かった。Qヤマザクラから車道を500mも直進した交差点を左折して少し走ると道路沿いに大きなクヌギの木が見えてきた。路側の広いところに駐車して歩いていくと、丁度下校中の小学生の集団に出会い「こんにちは!」「お帰りなさい」の挨拶に忙しい。木の傍に寄ってみると確かに文化財標柱があり、見上げると真直ぐに伸びた樹形が気持ちいい。クヌギの木は遠くから見ても目立っていて探しやすい。
(クヌギN)
(クヌギN)

Lヤマザクラ
 マップによると次のLヤマザクラは動燃通りから北にY字に分かれた枝道の右手にある。枝道はコンクリートの道だったが、車幅すれすれぐらいの狭い道で走るのみ脱輪しないよう気を遣った。奥の草地に駐車して右手のスギ林の中を探した。「スギ林の中に一本、独立樹のように聳える」とあるが、スギ林には他の広葉樹も繁っていて目立ったサクラの木は見当たらない。湿地のような田圃の畦道を通ってスギ林の傍まで入って、それらしき大きなサクラの木を見つけたが文化財標柱は立っておらず当たっているかどうかははなはだ??来年花が咲く頃来て、花の咲いているマップの写真と見比べてみよう。
 動燃通りに戻り、その先の右手にあった新しい道に入っていくと真新しい中央福祉センタの建物が建っていた。中に入って文化財マップを示しながら「近くに大きなヤマザクラの木を見たことはありませんか」と聞いてみたが、この建物が出来たばかりで職員の人もこの近くのことには疎く、ヤマザクラのことはご存じなかった。
 左にある少し高台になっている遊園地に行って、遊んでいた子供たちに「おじいちゃん」と声をかけられながら滑り台の上に立ってみたが、周りの木立が高くて良くわからない。先ほどの職員の男性が気にして追いかけて来られて、「道向かいの森の中に見える黄緑色の大きな木は違いますかね」と指差された。草地の踏み跡をかき分けるように登ったところは住宅地で、そのはずれに大きなサクラの木があったが、やはり標柱は見当たらない。マップのマーク位置とはずいぶん外れているのではなはだ???
(田圃の奥に見えたヤマザクラL??)
(住宅近くのヤマザクラL???)

 ヤマザクラの木についてははっきりとした確証は得られなかったが、今日の目標の地点の検分はし終えてまずまずの収穫に満足して、16時半帰途に着き、途中スーパの買い物も済ませて我が家に退勤車の混雑が過ぎた時間に帰りついた。




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