A63.中学同窓会

1.動 機
 久井中学校卒業生の同窓会が6月15日に広島県の庄原かんぽの郷で行われ、これに参加するために6月14日から16日まで出かけてきた。長い旅に腰が耐えられるか少なからず心配したが、移動中は何事もなく無事旅をこなし、久しぶりの故郷の土地も踏み、懐かしい仲間との会合を心行くまで楽しむことが出来た。

 自宅の居間や廊下の板張りが劣化して張り替え工事やキッチンセットの更新工事を17日から始めて、パソコンを操作しにくいところに臨時移動していたので、今日までHPの書き換えができないでいました。今日24日やっと工事が完了して新情報をアップすることが出来ました。

2.データ
a)山域:三原市久井町、庄原市
b)登山日:2013/06/14(金)〜16(日)
c)行程:
14日:大甕駅8:55 =(スーパ日立22)= 10:28上野駅10:37 = 10:43東京駅11:30 =(のぞみ29)= 15:11福山駅15:35 =(こだま745)= 15:56三原駅
15日:三原駅9:10 =(中国バス)= 9:48久井13:35 =(かんぽ車)= 14:30庄原かんぽの郷
16日:庄原かんぽの郷9:20 =(かんぽ車)= 9:40三次ワイナリ10:25 =(かんぽ車)= 12:05三原駅12:53 =(こだま738)= 13:08福山駅13:32 =(のぞみ28)= 17:06品川駅17:15 = 17:34上野駅18:00 =(スーパ日立47)= 19:24大甕駅
d)同行者:単独


3.旅行記録
(1日目)
 和子に見送られて9時前に大甕駅を出発、上野駅で乗り換えて東京駅で早めの昼食をとって”のぞみ”に乗り込む。”のぞみ”に乗るのは初めてだが、揺れも少なくて快適、読み物などしている間に3時間40分で広島県の福山駅に到着した。三原駅には”のぞみ”は停まらないのでここで”こだま”に乗り換える。福山駅のプラットホームで”こだま”を待つ間、尖塔が建って中欧に行ったような雰囲気の街を眺めながら、汗をかきかき日立との10℃の気温差を身を以て感じていた。”こだま”は各駅で”のぞみ”の通過待ちをするので時間のかかること、福山駅で”こだま”に乗り込んでから三原駅に到着するまで30分かかったが、そのうち実際に走っている時間はたったの16分だった。 
(新幹線)
(福山駅乗換)

 三原駅に到着して北口に向かうと、出口に三原城址への通路があったので行ってみる。階段を上るとすぐにそこは公園になっている三原城址の天守台跡だった。三原城は小早川隆景の築城で、昔はこの城址から三原港まで壮大なお城だったらしいが、今はところどころに城壁などが残っているだけらしい。
 城址からは三原の裏山が見渡せるが、すぐ目の前に並んでいる野畑山と桜山が格好いい。今見ると登ったら眺めがいいだろうなと思うが、広島に住んでいたころは山登りなんてしんどいことには見向きもしなかった。中学時代友達が登っていた久井の宇根山にも、昼休みにみんなが良く登っていた世羅高近くの新山にも一度も登ったことがなかった。
(三原城址公園)
(桜山)

 北口近くの一泊朝食付き\4500の格安ホテルに入って身軽になって市内見物、城址公園から隆景広場、本丸中丸跡を見ながら三原港まで歩いた。三原港は母の故郷の因島に渡るとき何度もここから船に乗ったことのある懐かしい港だ。工都らしく周囲に煙突やタンクが立ち並ぶ三原港には、今でも色々な船が出入りしていた。港近くの食堂でビールを飲みながら美味しい夕食をいただいて、船入り櫓跡などに立ち寄ったりしてからホテルに戻ってゆっくりと休んだ。
(三原港)

 ホテルの朝食を頂いてから、三原城址のお堀近くのバス停から9時過ぎの甲山行きのバスに乗って久井に向かった。私が住んでいた久井村は三原駅から20km山奥の農村だった。
(お堀)
(中国バス)

 バスは市街を抜けるとすぐに九十九折の道路を走って100m近く高度を上げ、絶壁に作られた道をうねうねと走っていく。今は2車線の舗装された車道になっているが、私が久井にいた頃は1車線の未舗装道路だった。バスの端は道からはみ出すこともあって、遥か下の谷間を見下ろして肝を冷やしたものだ。
(九十九折りの道を登って)
(断崖絶壁の道を行く)

 整備された道路を快適に走って40分で久井の中心地の江木に着いた。部落入口に中学校と小学校があったが、中学校は校舎もすでになく、小学校も今年9人の卒業生を送り出して閉校になり、4校が統合されて三原寄りの土地に三原市立の隣接型小中連携校に変身していた。
 江木のバス停でバスを降りると、私より一才年上の叔父・十四男さんが待っていてくれて、ここから車で久井の中を、積もる話をしながら案内していただいた。我が家の5人兄弟は全国に散らばっていて、兄弟みんな久井に来る時は十四男さんのお世話になっている。
 まずは十四男さんにお守して頂いている川本家代々のお墓にお参りした。あいにくの雨模様で線香はダメだったが、お花を上げて長いご無沙汰をお詫びした。還暦の同窓会で来てお参りして以来14年ぶりのお参りだった。
(久井の江木到着)
(代々の墓)

 我が家があった久井江木のメインストリートに入ると、昔はいつも人通りが絶えず広い通りだと思っていたが、今はバイパス道路が出来てからはバスが通らなくなってまったく寂れてしまった感じだ。我が家があった場所も病院の駐車場になっていて残る面影は何も残っていなかった。
(昔のメインストリート)
(川本邸跡)

 江木集落の裏山に稲荷神社があり、長い石段を登ってお参りしたり遊んだりしたものだが、今日は車で境内まで登ってもらった。
 神社の本殿や周囲の多くの境内社は昔と変わらないが、境内には石碑の数が随分多くなっていた。厄年に同窓会をやってはだか祭に参加するのが代々の習わしで、そのたびに寄進して記念の石碑を立てるので、一年に一つづつは増えていく。
(稲荷神社参道石段)
(稲荷神社境内)

 神楽殿の回廊から久井の街並みを展望しながら、昔話に花が咲いた。国保病院や老人ホーム、小学校、中学校の変遷など色々面白い話を伺った。
(神楽殿回廊からの展望)

 久井は昔から牛馬市が盛んで日本三大牛馬市と言われていて、市が開かれる時には村中に博労さんの姿があふれ、我が家も宿を提供していた。牛や馬は村の大事な宝物、神社の境内には境内社と同じ格式で馬と牛の石像が祀ってある。
 神社下に牛馬市が開かれる広場があったが、市が途絶えた今は跡地に立派な歴史民俗資料館が建っている。中には川本家にあった古い家具や台所用品も保管されていると聞いたので中に入ってみたいと思ったが、あいにく開館は日曜祭日だけだった。今日は金曜日、残念でした。
(馬と牛の像)
(歴史民俗資料館)

 同窓会会場の庄原かんぽの郷から迎えの車が三原駅までやってきて、久井で乗る仲間を13時半ごろ拾って一路庄原に向かった。車中は旧交を温める賑やかな雰囲気だが、周りの景色は見たことがない風景、昔知っている道とは違うところを走っている様だった。
 宿について周りを少し散歩して温泉に入たりしてして時間をつぶし、定刻17時半になって全員会場に入って宴会の始まり始まり。参加者は27名、現在生存者64名の42%の盛況、酔っぱらう前に全員揃った記念写真が撮られた。カメラはプロのカメラマンをやっている仲間が引き受けてくれていた。
 幹事作成の名簿によると、物故者は男性15名、女性7名で、女性が長生きする日本の標準に一致していた。開宴の最初に物故者への黙とうが行われた。
(庄原かんぽの郷)
(全員集合)

 宴会は幹事団の巧みなリードで和やかに進む。乾杯に続いて自己紹介が続いたが、皆さんみんなお元気で、その道の一端の長老格になっている人が多かった。山歩きなどにうつつを抜かしてふぬけの生活をしてきて、山歩き途中に滑落したというような恥さらしの自己紹介をしたのは私だけだった。
(宴会)

 自己紹介や幹事団による欠席者の情報連絡などの後、有志による隠し芸の披露が行われて会はますます盛り上がる。圧巻は安来節全国大会師範の部で準優勝の実績のある砂川師範(実名池田)の泥鰌掬い、巧みな仕草、表情で舞台いっぱいに踊りまくり、5分間の演技時間が笑いの渦のうちにあっという間に過ぎて行った。今年はぜひとも優勝を狙って精進しているとのこと、近いうちきっと朗報が聞けることだろう。
 他にも尺八や日本舞踊、謡いの師匠格も数人いて見事な芸を披露してくれ、カラオケになっても登壇する仲間は歳を感じさせない美声を響かせていた。
(安来節・泥鰌掬い)
(尺八)

 20時半に宴会が終わって幹事室で二次会が始まり、12時まで賑やかな思い出話が続いた。私は古いアルバムから集合写真やクラブ活動、修学旅行などの懐かしい写真を10枚ばかり選び出してスキャンし、A4サイズに印刷して持参したが、一枚づつ眺めながら思い出話の種になってなかなかいい評判だった。小学校入学時の写真では、自分の姿がどれだかわからない人もいて笑いを誘っていた。
('45小学校入学)
('55中学校卒業)

 朝湯にも入り近くを散歩したりして9時過ぎに宿のバスが発車、途中幹事の計らいで近くの三次ワイナリに立ち寄って色々なワインを試飲していい気分になった。中には1本1万円の超高級ワインもあったが、さすがこれを買う人はいなかったようだ。 
(三次ワイナリ)
(一本1万円)

 久井で半数が下車し、私は今度は三原駅まで送ってもらった。三原駅に到着したのが予想よりも早く到着したので、窓口で指定席の切り替え手続きをやった。
 この時、思わぬ収穫があった。大甕駅で新幹線の予約した時は”のぞみ”はビューカード割引がきかず、割引が利く”こだま”区間の福山三原間を切り離して特急券を買ったが、分割したための割高分がビューカードによる割引分よりも多くて1000円ほど高い切符を買っていたと若い係員が教えてくれた。三原東京間通しの特急券に切り替えて三原駅で復路の1000円を戻してくれ、大甕駅に着くとこちらの駅員も恐縮しながら往路分の1000円の払い戻しをしてくれた。
 多くは三原駅の喫茶室に集まって別れを惜しんでいたが、遠路の私は先に失礼させてもらった。三原駅から一緒に乗車したM君は旅慣れていて、新幹線の指定席はとらない習慣で、よっぽど混雑する時間帯以外は支障がないとのことだった。次に新幹線に乗ることがあったらこれも参考にさせて貰おう。
 居眠りして乗り越ししないかと心配したが、ちゃんと大甕駅で下車できて、和子の迎えを受けて無事我が家にたどり着くことが出来た。




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