A72.ひたちサンドアートフェステイバル
1.動 機久しく山歩きから遠ざかっていて、脚力低下を心配して和子が毎日朝食前に風神山のお散歩コースを歩くことを思い立った。今日はその初日、山頂で一組のご夫婦とおしゃべりしたと言って嬉しそうに下りてきた。話題の中で「毎年楽しみにしている河原子海岸のサンドアートフェステイバルが今年も今日行われる。」の情報をいただいていたので、一緒に初参加で出掛けることにした。
NETで調べると会場近くは車両通行止めで、アプライアンス駐車場(日立の旧多賀工場他が合併社名変更)からリムジンバスが出るらしい。この駐車場から会場まで1kmほどなので、バスに乗らなくても大丈夫そうだ。
折角河原子まで出かけるなら日立の文化財も探索しようと「日立のまち案内人の部屋」を調べると、河原子海岸の烏帽子岩に藤田東湖の詩碑があった。烏帽子岩のすぐそばに河原子台場跡があったが今は旅館街になっていて何の痕跡もないらしいが、少し離れると東大沼に大沼番所跡、金沢に弁天池、湧水多賀町に相馬碑があり、帰りにこれらを車で見て回わる積りで出発した。 R245を北上すると車は渋滞気味、みんなサンドアート目当ての車かなあと心配しながら走っていくと、案の定、多くの車がアプライアンス駐車場方向に曲がっていく。会社の通勤者用の駐車場は広大だがすでに満車状態、多くの入口があるが、整理員の案内に従った入口から入っても空きは見あたらない。一番奥の方で丁度フェステイバルから帰ってきた若夫婦が出るとところを見つけて滑り込んだ。 駐車場から会場までは狭い生活道路で車両通行止めかと思ったら、駐車場に入れない車がどんどん入っていく。帰ってくる車も多くて交差がやっとの道をひやひやしながら歩いて行くと、会場近くの旅館街に一日1000円也の有料駐車場がいくつもあった。海岸の砂浜では多くの家族連れやカップルが連日30度を超す夏の海遊びを楽しんでいた。
烏帽子岩の周りは全周柵で囲まれていて立ち入り禁止だった。大震災の時に一部崩壊したというニュースは見た覚えがあるので、その後の崩壊も心配しての処置なのだろう。烏帽子岩の中腹にある藤田東湖の詩碑もその隣の津神社も入口の石段は健在だが入れない。
千尋是吾棲世間 冨貴王候楽不換 先生一日遊
ついでに烏帽子岩に付いて「潮風薫るまち河原子探訪」には 烏帽子岩は、もともとは地続きの台地であったが、波の侵食により約100mにわたって切断され、今日の姿になったもので、昔は岩の周囲にまで海水があり高さもかなりあった。昭和60年頃の 港湾建設の際に埋め立てられ、海浜公園として整備された。烏帽子岩 には、津神社が祀られ又中腹には、「藤田東湖」の詩碑が建てられている。東湖48歳の嘉永6年(1853年)福島県塙町で静養の帰途、門人の神官である宮田篤親を訪れ、その時、津神社の前で詠んだ七言絶句を 町の有志により建碑したものである。
フェステイバル会場は烏帽子岩のすぐ先の河原子漁港の脇だった。舞台で若者たちがにぎやかに踊っており、その先に屋台が連なり辺り一帯にいい匂いが漂っていた。
右手の広場に巨大な砂の造形のいくつかが並んでいた。砂を凝固剤で固めてから削り出すとのことで、札幌の雪まつりの向こうを張って4年前から始めたらしい。今年のテーマは「逢」で、プロとマニアによる大きな作品が並んでいるが、いずれも全体像と言い、顔の細かい表情と言い、見れば見るほど素晴らしい。大勢の子供連れやカップルの記念写真の合間を縫って夢中でシャッタを押して行ったので、テーマの題名が残っていない像もあった。
テーブルで屋台の焼きそばを食べているとき、急に自宅に帰らなければならない事態が起こった。途中で立ち寄る予定だった文化財も無視して我が家に急いだ結果、問題は帰宅後無事解決した。
夕食後、写真を整理していると、外でドーンドーンという大きな音がしてきた。5km離れた河原子海岸で、今日のフェステイバル締めくくりの花火大会が始まったのだ。二階の窓から見事な花火の競演を楽しんだ。
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