A81.京都東山、大阪みなみ(兄弟会)

1.動 機
 私は広島県の山奥の育ち5人兄弟の次男坊で茨城在住、ほかの兄弟も、長姉は新潟、長兄と末弟は大阪、三男は千葉と全国に散らばっている。親の葬式、法事ぐらいしか全員揃って顔を合わす機会がなく、6年前に千葉のお嬢さんの結婚式で集まったのが最後である。昨年秋、山で不注意事故を起こして死に損なって以来、自分の生きているうちにもう一度兄弟に逢っておきたいものとしきりに思うようになっていた。今年春になって千葉在の三男が自分史を作って送ってくれたのだが、その中に広島での子供時代の話や兄弟の今迄なども色々と書いてあった。これを読んで思い立ち、8月6日、7日全員が集まりやすい東京を開催場所にして兄弟会を企画して参加募集したところ、新潟だけがどうしても都合がつかなくて不参加だったが、みんな大賛成。開催場所を大阪に変更して幹事を大阪在の末弟に引き渡したところ、大阪在の従弟も参加してくれることになって賑やかで嬉しい兄弟会になった。
 折角大阪まで出かけるなら、ついでに観光もして帰ろうと考えるのが我が家夫婦二人のいつもの流儀。5日夜日立発の高速バスで出発して、6日兄弟会前に京都東山を観光、7日兄弟会後、なんば花月の吉本演芸を楽しみ、通天閣に登ってから阿倍野発の夜行高速バスに乗って日立に帰ってきた。今回はこの京都東山と大阪みなみの放浪記を報告する。

2.データ
a)山域:京都市、大阪市
b)登山日:2013/08/6(火)、7(水)
c)行程:
1日目:日立市役所前 (8/5)22:35 =(高速バス)= (8/6)6:15 京都駅(市内観光) 14:30 =(JR)= 15:10大阪駅 ---- 兄弟会宴会(泊)
2日目:(8/7)11:15兄弟会ツアー12:45 ---- 梅田駅 =(地下鉄)= 難波駅(15:45なんば花月18:15)----(通天閣)= 阿倍野駅 20:30 =(高速バス)= (8/8)6:20 日立市役所前
d)同行者:和子


3.旅行記録
(1日目:8月6日)
日立自宅 前夜21:50 = 22:10 日立電鉄南営業所 22:35 =(高速バス)= 22:40 日立中央IC = 22:50 東海SA 23:05 = 6:15 京都IC = 6:35 京都駅(朝食) 8:35 =(市バス)= 8:50 清水道BS ---- 8:50 八坂の塔 9:00 ----二段坂---- 9:15 高台寺 10:15 ---- 10:15 掌美術館 10:25 ---- 10:30 高台寺公園 11:35 =(人力車)11:05知恩院大鐘楼 11:10 = 11:20 大鳥居前 ---- 11:30 八坂神社 11:45 ---- 11:55 円山公園入口 ---- 12:05 知恩院三門 = 12:30知恩院黒門 ---- 12:45知恩院前 = (市バス)= 12:50 東山安井BS ----(昼食)---- 13:25 建仁寺 13:40 ---- 13:45 東山安井BS = 14:10 京都駅 14:30 = 15:10 大阪駅 ---- 15:15大阪駅ホテル16:45 ---- 17:00 ヒルトンウエスト(兄弟会) 22:10 ---- 22:20 大阪駅ホテル (泊)
(京都東山観光ルート)

 息子に車で送ってもらって22時35分発の夜行高速バスに乗る。途中、東海PAで休憩しただけで乗客はノンストップ、3列リクライニングシートでゆっくりと眠って朝6時35分に京都駅に到着した。朝食をとってから不案内な京都駅をうろついてバス乗り場を探す。京都はバスの便が便利にできていて、広いバス乗り場にはいっぱい乗場があるが、どこへでも頻繁に出発していてタクシーに乗らなくてもよさそうだ。一日乗車券を買って東山方面行きの206番のバスに乗り込んだ。
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(京都駅到着)
(広いバス乗り場)

 観光地図で調べておいた清水道のバス停で降りて少し歩くと、右手の路地奥に五重の塔が見えていた。いかにも京都らしい雰囲気の路地を歩いて行くとすぐに八坂の塔の下に着いた。案内看板も立っていたが、角のおうちの方に入口を尋ねると「入れるのは土日だけどっせ」とのこと。
 右手の工芸品を飾った家など並ぶ石畳みの道を緩やかに登っていくと、次の角に「二年坂」の立札があって、風情のある石段道が続いていた。二年坂で転ぶと二年で死ぬという話があるらしい。ゆっくりと歩く。
(八坂の塔)
(二年坂)


 二年坂を下ると道向かいに霊山観音の大きな石像が見え、その前の広い駐車場へ入る。右手の受付のところを入ると霊山観音にお参りできそうだが、今日はまず正面の高台寺にお参りすることにする。
 鐘楼の奥にある受付で掌美術館込みで¥600円の入園料を払って入場券を受け取り、順路に従って見学させていただく。北政所ねねが豊臣秀吉のその菩提を弔うために開いたお寺ときいている。

 手入れされた砂利道を日本庭園や風情の建物を眺めながらゆっくりと進む。
(高台寺案内図)
(庭園の道)

 方丈の間の入口には下足用のビニル袋が用意されていて靴を脱いで裸足で入らせていただく。襖絵や仏間?や天井など見事だったが撮影禁止、案内者がいて色々お話して頂いたが中身はあまり覚えていない。縁側から眺める撮影OKと言ってもらったお庭が見事だった。
(方丈からお庭拝見)

 方丈から出て開山亭手前に来ると、東山をバックに真っ赤なサルスベリの花が綺麗に見えて、右手の開山亭と組み合わせて一枚パチリ。手前の偃月池も綺麗だった。ここの庭全体が小堀遠州の作と聞いた。開山亭に向かうと仏間は立ち入り禁止、説明では大きな天井絵に謂れがあるらしかった。右手の廊下を行くと上の霊屋(おたまや)に向かう臥龍廊は入口で通行止めになっていた。
 開山亭を過ぎて霊屋にお参りする。秀吉とねねをお祀りしている所で、左右に秀吉と北政所の木像を安置してあり、祭壇や厨子には華麗な蒔絵が施されていた。説明者がいてねねの方の像が片膝立ちになっているのは当時の風習で、どこの女性像も同じ姿であるとのこと。そういえば、この姿、茨城の笠間あたりでも出会ったような気がする。
(開山亭)
(霊屋おたまや)

 更に登っていくと傘亭と時雨亭という鄙びた風情の藁ぶきの建物が並んでいた。傘亭は竹と丸木が放射状に組まれ、名のようにカラカサを開けたよう形になっている茶室、時雨亭はねねがここにいるときに秀吉の死去を知らされて涙にくれたという謂れを聞いた。
 時雨亭から竹林の道を下って入口に戻り、台所坂を下ったところが「ねねの道」で、道向かいに掌美術館があった。掌美術館は高台寺に伝わる桃山時代から江戸時代の品々を展示してあるとのことで、 蒔絵のほどこされた豪華な調度品や手の込んだ掛軸など見応えのあるものがいっぱい並んでいた。念のため聞いてみたが、もちろん撮影禁止。
(時雨亭と傘亭)
(竹林)

 高台寺を歩き回って少し疲れた。ねねの道を少し歩いた先に人力車の待機所があり、数人の若者が屯していた。次の知恩院入口まで楽しようと乗ることにして、一人と交渉を始めた。コースはいろいろあって、祇園の街を歩き回ったりする2,3時間コースが普通らしいが、お値段も大変になるし、今日は時間もない。知恩院の大鐘楼までの道は随分高度差があって年寄りには大変らしいというので、あちこち名所を巡りながら大鐘楼まで登って八坂神社前で降ろしてもらう45分予定、¥12000で出発した。イケメンの好青年は、汗を流しながらも一生懸命説明をしながら走ってくれた。ところどころ、いいところで車を停めてはツーショット写真のシャッタも押してくれる。
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(人力車)
(ねねの道)

 外人さんも歩くねねの道、八坂の塔再訪(新たな説明を受ける)、三猿の彫り物のある門(庚申塚のあるお寺の名前は忘れた)、三十三観音霊場長楽寺、大雪院、長安館、高級料亭左阿彌などいろいろと案内してもらった。
 知恩院の大鐘楼の前近くは車両通行止め、空の人力車は通行を許されるので、人力車を降りて説明を聞きながら並んで歩いて行く。大晦日の百八つの鐘撞きの作法、梵鐘上の吊具(竜頭)の意匠などここでも説明が続いた。
 下に知恩院の全景が見渡せて、大きな覆いをしてある御影堂が現在工事中で、知恩院全体の観光が制限されているとのこと。緑したたる青葉の道を進んで祇園の街並みに下る。
(知恩院の大梵鐘)
(目に青葉)

 人力車に乗っていると、舞子さんが数人歩いてくるのに出会った。喜んでいると「舞子さんは複数では街中を歩かない。彼女達は舞子さんの衣装を着せて貰った観光客ですよ。」とのこと。気が付けば、すぐ後ろをカメラを背負った案内者が付いて歩いていた。
 丁度予定時間に八坂神社前に付いて人力車を下りた。「八坂神社の境内に入って、右にまっすぐ歩いて行くと円山公園の前に出る。そこから左の道を歩いて行くと知恩院の三門はすぐですよ」と教えて貰ってイケメン青年とバイバイ。
(舞子姿の観光客)
(八坂神社前で下車)

 大鳥居を潜ると正面に提灯をいっぱい飾った舞殿が見えてくる。今年の厄年に当たる生まれ年の表があって、今年は息子が後厄だったことを思い出す。舞殿の左側に七夕祭りの笹竹がいっぱい飾ってあって、願いを書いた札がこれまたいっぱい取り付けてあったので、ハハも息子の幸せを願った札を書いて取り付けていた。
(舞殿)
(本殿)

 赤い本殿にお参りしてから右の道を進み、玉光稲荷社、八坂神社清々館、祇園祭山鉾館前を通っていくと、円山公園入口に着いた。のどが渇いたので自動販売機で冷たいお茶を買って休憩所の石のベンチで一休みした。目の前のひょうたん池の眺めが良かった。
(円山公園入口)
(ひょうたん池)

 案内板を見ると円山公園の中を歩いて知恩院の三門に行く道がありそうだったが、今日は時間が短い。最短距離の広い道を歩いて南門前を左に曲って三門の前に着いた。目の前の三門は高さ24m、横幅50m、わが国現存の最大の木造二重門とのことで見応えがあった。
 中は入場制限されていると人力車のイケメンから聞いていたのでここで引き返す積りだったが、三門の先がどうなっているのか見てみたくなり、三門まで上がってみた。その向こうにも通行止めはなく、石段が伸びていて歩いて行けそうだった。
 向かいの石段は男坂で、右に女坂があるようだった。男坂を登っていって工事中の御影堂前に出ると、御影堂には近付けないが、その前を通って更に奥にも行けそうだった。納骨堂、経蔵を過ぎて石段を登って勢至堂まで歩いてみた。後から調べてみると、大鐘楼のすぐ近くまで入っていたようだ。
(知恩院の三門)
(勢至堂へ)

 御影堂まで引き返すと、赤い多宝塔の前を通って左手に参道が伸びていた。阿弥陀堂、法然上人御堂の武家門、新玄関と続いて北門に至り、黒門坂を下って黒門を潜った。
(多宝塔)
(黒門坂を下る)

 街並みに出た時が12時半、大阪のホテルは15時まではチェックイン出来ないので、京都駅14時半の快速に乗ればいいからもう一か所は観光できる。次を近くの青蓮院にするか京都駅方向にある建仁寺にするか迷ったが、せっかくバスの一日乗車券を買ったのを有効に使おうという詰まらぬ理由で建仁寺に行くことに決めた。
 そのまま直進して東大路通りに出て、知恩院入口のバス停で丁度やって来たバスに飛び乗った。数駅過ぎた東山安井バス停でバスを降り、道路を渡って建仁寺への安井通りに入って小さな食堂で昼食をとった。冷房も利いていて気持ち良く生き返った。
 食事をいただいてから建仁寺に向かい、入口門から境内に入って堂宇を見ながら一回りした。
(建仁寺)
(気持ちの良い参道)

 本坊前を通って方丈と法堂の間を歩いてから法堂裏に回って三門を潜り、池の間を歩いて行ったが、そこに通行止めの柵があった。三門も通行止めだったのかも。柵を跨いで越えて、参道に出てからは正しい道を歩いて、茶碑や桑の碑、陀羅尼の鐘を見ながら無事入ってきた門に戻った。
(法堂方丈)
(三門)

 東山安井バス停で市バスに乗り、京都駅に14時10分に着いて14時半の快速を待つ。次にやって来た電車の行き先を聞いて、待っているホームが間違っていることに和子が気付いた。早めに気づいて無事大阪行きに乗ることが出来たが、16年前スイスで反対方向の電車に乗って大慌てしたことを思い出した。途中で踏切の信号事故があって到着時間が大幅に遅れたが、無事ホテルにチェックインしてシャワーを浴びて汗を流すことが出来た。
 会場は駅のすぐ向かいのビルの中だが、幹事役の末弟夫婦が迎えに来てくれて、同宿の三男夫婦と6人一緒になって会場に向かった。大阪駅前は大学時代に知っているものとは様変わり、どっちを向いていいかもわからず、ただ案内に従って後に続いた。
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(阪神ビル)
(ヒルトンプラザ)

 兄弟会の会場はヒルトンプラザ6階の銀座蔵人に設定されていて、会場前には長男と従弟が待っていた。特に従弟とは両親の法事以来会ったことがなく、お互いに奇遇を喜び合った。
 8名の参加者、みんな久しぶりの顔合わせで話が弾み、ビールやワインが進む。三男、末弟の奥さんもなかなかいける口で、和子もつられて今日はビールを飲んでいる。自分史を書いた三男が一番多くの話題を提供したが、長男や従弟も今まで聞いたことがなかった意外な過去を色々と話してくれた。私も「夫婦二人の山歩きの歴史」をまとめたプリントを用意して話したが、どうして山歩きに凝るのかはなかなか理解できない様子だった。美味しい料理も平らげて、5時間も尽きない話が続いて一日目はお開きになった。
(銀座蔵人)
(兄弟会)


(2日目:8月7日)
 2日目は昼前にダックツアーという水陸両用車による市内観光に参加してから昼食後解散の予定になっている。我家は、その後なんば花月の吉本演芸のチケットを予約してあり、通天閣に登ってから阿倍野発の夜行高速バスに乗って日立に帰る予定にしていた。

ホテル 10:45 = 10:50 新阪急ビル 11:15 =(ダックツアー)=12:45新阪急ビル ---- 12:50 阪急32番街(昼食) 14:00 ---- 14:30 地下鉄梅田駅 = 14:35 地下鉄なんば駅 ---- 15:10 なんばグランド花月(公演15:45〜18:15)) 18:30 ---- 19:00 通天閣 19:40 =(タクシ)= 19:50 あべの駅前 20:30 =(高速バス)= 6:20 日立市役所前 ---- 6:50 日立駅 7:15 = 7:25 大甕駅 ---- 7:40 森山自宅
(ダックツアーコース)
(難波から阿倍野へ)

 今日は10時45分ホテル前に集合、我が家は遅い朝食をたべてから新聞など読みながらゆっくりと部屋で過ごしたが、三男夫婦は建造物調査に朝早くから出かけてきたとのこと。定時に全員集合してバス乗り場に向かう。従弟を除いた7人でのツアー参加である。
 待っていた水陸両用車は遠目にはバスに見えるが、周りにガラスは無くて素通し、屋根も支柱にテントを張っただけ。船としての認可を優しくするために総排水量を5トンに抑えた設計になっているとのことで、座席より上は全体に素通しになっている。悪天候ではカッパで風雨をしのぐらしいが、今日は好天気、風通しが良くて快適である。
(水陸両用バス)
(一番乗りの兄弟会)

 ガイドのおばさんは1時間半しゃべりっぱなしで案内してくれた。バスの運転は陸上と水上とで免許が違うので、川に出入りする時に床下を点検してから運転手も交代した。
(喋りっぱなしのガイドさん)
(水上専門の運転手さん)

 始めは路上から市中観光、市庁舎が古いとか、この商店街は長いよとか、右や左を休む間もなく説明してくれる。それも大阪城は私の実家だとか上沼恵美子に向こうを張った口調で、面白おかしく飽きさせない。「通行人には笑顔で楽しそうな顔を見せてください。冷房がなくて暑くてたまらんよというような顔をされると、明日からのお客が減ってしまいまーす」と冗談ともとれるお願いも交じる。
(大阪市庁舎)
(通行人も物珍しげ)

 バスは桜の宮公園で点検、運転手が交代してから大川に滑り込み、桜宮橋と川崎橋、天満橋の三つの橋の下を潜って中の島近くまで下ってから引き返して往復した。
 桜宮橋は京阪国道の上下線毎に別に架かる複線橋、川崎橋はケーブルで吊られた綺麗な橋だったが歩行者と自転車の専用の橋とのこと。
(桜宮橋)
(川崎橋:復路)

 川沿いの公園や京阪電車の走るところ、大阪城の見通しのいいところもあり、川面の冷風が気持ちよく、通りかかった冷房完備の豪華クルーズ船も羨ましくはなかった。こちらは満席だが、あちらは数人しか姿が見えなかった。
(大阪城も)
(豪華観光クルーズ船)


 気持ちの良いダックツアーが終わって、丁度昼食時間。何を食べたいか聞かれたが、大阪らしいものがいいと、暑さ覚悟でお好み焼き屋に入ることになった。ジュウジュウ焼けたお好み焼きと焼きそば、冷たい生ビールが美味しかった。次は今回残念だった新潟夫婦のところに押しかけようと話がまとまり、楽しい兄弟会を行き届いた配慮で仕切ってくれた末弟夫婦に御礼を言ってお開きになった。
 お開きになってからも、ホテルに預けた荷物を受け取ってから、地下鉄梅田駅までの道を末弟夫婦に案内してもらった。地下鉄に乗って難波駅で下りるまでは問題なかったが、はてどこから地上に出たものか? 案内書で予習はしてきた積りだが、どうも勝手が少し違う。地下ではGPSも利かないのでお手上げ、店員に聞きながら歩いていってタカシマヤのところで地上にでたら、目の前に目印の南海通り商店街の看板が見えて一安心。
(お好み焼きで散会)
(なんば花月へ)

 花月劇場に入ると、開演の30分も前なのに人がごった返している。機械を使ってNETで予約していた入場券を手に入れて、並んで待つ。出入り口が一か所で、前の公演を見た観客が出てくるだけでずいぶん時間がかかった。
 前座で10分の健康診断などの芝居があってから、本番の漫才、落語が始まった。出演者は順番に、キングコング、メッセンジャー、テイーアップ、西川きよし、中川屋、いくよくるよ、桂文珍と続き、最後は吉本新喜劇・お化け屋敷で締めくくった。初めごろの漫才の話題は最近のギャグが多くてジジババには理解できなかったが、満席の会場の中からは子供たちの笑い声で沸き立っていた。西川きよしから桂文珍までは落ち着いて面白く聴くことが出来て、大満足の花月劇場だった。
(お歓迎)
(行列満員)

 次の通天閣まで行くのに、地下鉄を使うとまた地下道で迷って反って時間がかかる。堺筋に出てから南下するとすぐに通天閣が見えてくるよと末弟に教えて貰っていたので、歩いていった。それでも歩いても歩いてもなかなか通天閣の姿が見えず、何度か店員に確認しながら歩いて行って、通天閣本通の交差点のところで明るい通天閣が見えた時はホッとした。
(堺筋通りへ)
(堺筋通りから通天閣本通)

 通天閣の下に入ってエレベータに乗ると最上階の5階まで直通かと思ったが、二階で降りて三階から乗り換える。5階に上がると周りがガラス張りで、外にはすでに夜景になった大阪市街の展望が広がっていた。一回り展望を楽しんで、飾りのビリケンさんの足裏を撫でると良いことがあると教えられて触ってみる。ビリケンさん、何か喋っていた。
 下りは直通で一階まで下れると思っていたら、下りエレベータは一階階段を下りた4階にあった。4階も展望台になっていて、こちらの方が室内の照明が少なくて外が綺麗に見えていた。展望し直してからエレベータに乗ると、3階が終点。地上に下る階段が見つからず、うろうろ歩き回ってやっと土産物店の奥に出口の小さな表示板を見つけた。
(展望台から)
(ビリケンさん)

 やっと地上に戻ったが、ここまで重いバッグを一人で持って歩いてきた和子がもう限界、道を間違えたらバスに間に合わないかもしれないしで、タクシーに乗ってバス乗り場のある近鉄百貨店前まで移動した。レストランに入って夕食を食べる時間はなさそうなので、閉店時間が過ぎた百貨店の地下売り場に入って、半額になっていた美味しそうなちらし弁当を買って、定時20時30分の5分前に入ってきた高速バスに乗ってからゆっくりと頂いた。
 京都駅を過ぎて1時間ぐらい過ぎた新名神の土山SAでトイレ休憩してからは消灯時間、どこを走ったか分からないうちに朝6時20分日立市役所前に着いた。バスは出たばかりで、ここから日立駅まで朝の空気を吸いながら2kmほどを30分で歩いて、7時16分発のJR電車に乗った。もう通勤客で込み始める時間、空いていた席に座って大甕駅につき、8時前に我が家にたどり着いた。大変だったけど、充実した旅でありました。
(阿倍野から高速バス)
(日立平和通り)





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