A86.日立市の自然・文化財(4)
(日立工場周辺)

1.動 機
 気の合う昔の仕事仲間4人で、年に2度ほど日立の街に集まって好き勝手なことをだべりあっている。今回は26日の昼間、旧職場日立工場近くのホテルのレストランが会場になり、いろいろと情報交換し2時間の楽しい時間を持って散会、その後私一人で工場まわりの神社やお寺を見て回った。歩程8.5km、暑さに耐えながらのお散歩でした。

2.データ
a)山域:日立工場周辺
b)登山日:2013/08/26(月)
c)日程:日立駅11:45 ---- 11:55天地閣14:00 ---- 14:10津神社 ---- 14:15四祠 ---- 14:30八幡神社 ---- 14:40会瀬鹿嶋神社14:50 ---- 15:05鏡徳寺15:10 ---- 15:20妙光寺 ---- 15:35鹿嶋神社 ---- 15:45不動尊 ---- 16:00須賀神社 ---- 16:10日立駅
d)同行者:単独
e)地形図:1/25000 「日立」
(日立市街の文化財探索歩行ルート)

(日立市街の文化財探索歩行ルート標高差)


3.山行記録
和子に大甕駅まで車で送ってもらって電車に乗り込むと、東海駅から乗ってきたYさんが目の前でにっこり笑っている。お互い元気そうで何より、いろいろ話しているとすぐに日立駅に到着。新しい日立駅にについては私の方が良く知っている。案内しながら展望舎から太平洋を眺めて会場の天地閣に向かうと、バスでやって来たSさんが跨線橋を渡ってきて合流、ここにあった会社の施設東暁館が跡形もない。「会合やビール飲みに良く来ていたのに」と嘆きながらホテルに着くと山の上の団地から歩いてきたKさんが待っていた。すぐに予約席に入ってビールで乾杯!あちこち話が飛んだが、皆さん私と違って食事をしょっちゅう自分で作っているらしい。レシピを考えて食材の買い出しもしているとのこと。当然終活の話にもいくが、すでにお墓を作った人、墓地を始末して散骨の方法を考えている人、いずれにしても後の始末をどうしてもらいたいか書類にしておくことが大事だとのしめくくり。
 2時間ほど楽しく語り合って、再会を約して散会。それぞれ家路に向かったが、私は昨夜神社やお寺を尋ねながら古巣の日立工場の周りを一回りする計画を作っていた。
 先ずは海岸近くの道に入って南に向かう。職場や同期の集会で良く使っていた初崎保養所がこれまた撤去されて瓦礫の山になっているのを見てまたがっくり。その先、磯遊びをしている親子を見ながら海岸沿いを歩いていくと会瀬海水浴場の手前の突端に津神社があった。先日の久慈地区お散歩の時に津とは港のことと学習したが、津神社はどこにでもある神社らしい。
(初崎保養所跡)
(津神社)

 海水浴場の脇から崖の登る階段道を登って行くと、途中に小さな祠が4体祀ってあった。地図にも出ていないところで、一か所拾い物をした感じ。
 祠の階段を登りきってR245に出て南下、会瀬の交差点を過ぎて美容室の先の路地に入りこんで行くと、太い注連縄をはったコンクリ製の鳥居の後ろにお社があった。脇に小さな境内社もある。地図にある八幡神社だろう。
(4体の小祠)
(八幡神社)

 八幡神社の先を突っ切れば常磐線を渡ることが出来るかもと歩いてみたが、常磐線は崖の下、とても下れそうにない。R245に引き返して会瀬十字路から左の会瀬洞門通に曲がった。日立工場正門通と合流するとすぐに大きな「会瀬鹿嶋神社」の看板が立っていて左を差している。
 辺りは系列会社の従業員駐車場になっていて、車列の先の右に鳥居があり、森に上がる広い石段があった。
(会瀬鹿嶋神社看板)
(会瀬鹿嶋神社表参道)

 石段を上がると立派な社殿があった。工場のすぐ脇なのに、現役時代にここにお参りしたことはない。この神社は会瀬地区の氏神様になっているのか、裏庭には茨城県無形文化財になっている会瀬地区のささら踊りの装備品を収納した倉庫があった。
 社殿の奥には赤い鳥居の列が2列あり、右の社には「正一位祝崎稲荷大明神」という厳めしい名前の標石があり、左の社には「大山阿夫利神社」の石柱があった。
(会瀬鹿嶋神社)
(大山阿夫利神社と祝崎稲荷大明神)

 そのまま裏参道を直進して車道に出て、右に曲がっていくと日立工場脇で会瀬洞門通と合流する。その先の交差点をけやき通に曲がって日立工場の周りを歩き続けると、山側門の先に鏡徳寺が見えてくる。このお寺には何度か入ったことがあり、この辺りから見る日立工場の大きな建屋群の姿が好きだった。
 鏡徳寺は500年前室町時代創建だとのこと。恐ろしい顔つきの対の仁王様(?)に睨まれながら広い石段を登ると狭い境内に出る。
(日立工場)
(鏡徳寺参道)

 目の前に荘厳な感じの本堂、その右に真っ赤なサルスベリの花が満開で綺麗だった。左手の観音堂は柱や軒下が真っ赤に塗装されていてきらびやか、修復間もない感じだった。
(鏡徳寺本堂)
(鏡徳寺観音堂)

 次は地図上に、R6近く日立二高下に表示されている妙光寺に向かう。広い道を歩くと遠回りになるので最短距離で行こうと住宅地の中の狭い道も選びながら歩いて行った。日立二高近くまで来たときに、右上の民家の庭に「日蓮宗妙光寺」の看板が見えた。夜は中に照明が点いて明るくなりそうなモダンなつくりに見える。その家の先に狭い石段があり、その入口にも「日蓮宗妙光寺」の標識があったので、これを登ればその奥にお寺があるのだろうと期待して登り始めたが、3mも登ると民家の玄関口が見え、玄関脇には「「日蓮宗正法山妙光寺」の木の看板が掛けてあった。この2階建ての民家がお寺だったのだ。
 少なからずがっかりして、R6に出てから国道の歩道を北に向かう。500mも歩くと鹿嶋神社の標石があり、石灯篭、石の鳥居と石畳の参道が伸びている。近くの鳥居は古そうだが、その先に見える鳥居は真っ白で新しそうだ。中の鳥居まで入って見ると平成二十三年十月十五日の刻印がしてあり、大震災で崩れて建て直されたようだった。さらにその奥にある三の鳥居は柱だけで笠木や貫は付いていなかった。
(妙光寺)
(R6からの鹿嶋神社参道)

 鹿嶋神社の本殿は、市街地には不似合いなほどの巨木が聳える鬱蒼とした神社林に囲まれている。境内に立っていた説明板によれば、大同年間に鹿島神宮から分霊勧請して建設され、昭和20年の戦災で焼失、36年10月15日に再建復興されたものとのこと。
 境内には県指定無形文化財助川佐々羅と市指定有形文化財旧助川町西上町舞屋台を保管する立派な倉庫があった。会瀬鹿嶋神社にも会瀬ささらの保管倉庫があったっけ。
 NETによれば日立市内には鹿島神社は鹿島神宮(鹿嶋市)から分祀された鹿嶋神社が7社(鹿島町、多賀町、大久保町、成沢町、助川町、会瀬町、南高野町)あるとのこと、鹿嶋神社だけ探して歩くのも面白そうだ。
(鹿嶋神社本殿)
(西上町舞屋台と助川ささらの収納庫)

 
 鹿嶋神社を後にして次は市役所近くの不動尊を尋ねる。R6に出ないで裏道を歩いて行くと、日立銀座通りを横切る。昔は多くの買い物客で賑わっていた通りで、全体が歩行者天国になっていたと記憶するが、今は道が車道と歩道に二分されている。記憶よりも随分狭い通りに見えるが、店の看板を見ると確かに通ったことのあるスポーツ店やレコード店の名前もある。通りを歩く人の姿はなく、シャッタを下した店も多く、思っていた以上にさびれた街並みになっていた。
(日立銀座通り)

 そのまま裏道を歩いて行って、広い平和通りを過ぎると、すぐに樹木が茂り彫刻の人形が何体も立つ公園が見えてきた。かずさがわの児童公園のはずだが、子供の姿は見えない。
 公園の奥まで歩くと、不動尊の社が建っていて、その回廊で風体の判らない男性が一人休んでいた。会釈をして正面に回って男性が入らないようにシャッタを押す。
(かずさがわ児童公園)
(不動尊)

 次は今日最後の須賀神社を探す。地図を見て市民会館の奥の方だとは分かっていたので、会館裏に回って100m歩いたところに巨木が聳える森を見付けて、その手前の草地の中の踏み跡を辿ってみた。森まで歩いても神社はなく、藪で阻まれて引き返していると、丁度通りかかったご婦人が不審顔。「須賀神社ってこの近くにありませんか」と尋ねると、笑顔になって「この草地は以前建っていた家が撤去された跡、神社はもう少し先にありますよ。」と教えて貰えた。すぐ先に鳥居があって、その奥に小さな社が建っていた。
 ここから1km近く歩いて日立駅に着き、トイレを使って改札口に向かうと、上りの電車は出たばかり、30分待たなければならない。30分ぐらい平素は景気で無駄に費やしている時間だが、ただ待たされるとやけに長い時間に感じられる。展望舎から太平洋を眺め、駅の旅パンフを眺めながら時間を潰して電車に乗り、大甕駅から我が家まで歩いて帰ったら、今日の総歩数は2万歩に近かった。ああ疲れた! ビールを飲んで歩いたからかなあ。
(須賀神社)
(日立駅展望舎から)

 



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