A92.日立市の自然・文化財(5)
(日立南部1/2)

1.動 機
 9月になっても暑い日が続き、山歩きは早朝の風神山だけ、これでは「夫婦二人の山歩き」の話題に出来なくなってきた。話題を作るため、東海村の文化財マップ探索の後続として、日立のまち案内人の自然文化財マップの探索を始めたが、各地点が離れていて車での移動が多くてリハビリ運動には面白くない。そこでA84.日立市の自然文化財(3)から、マピオンの地図から寺社仏閣を拾い出してしらみつぶしに見て歩くことを始めた。
 マピオン地図の日立市南端地区を探すと、石名坂町北野神社、留町北野神社、熊野鹿嶋両神社、大和田町鹿嶋神社、国神神社、南高野町鹿嶋神社、北野天満宮、熊野神社、三峰神社、吉田神社、愛宕吉田神社、愛宕神社、羽黒神社の13ヶ所の鳥居マークが見つかった。この広い地域に卍マークのお寺が一つもないのが不思議だった。それは置いておいて、この13ヶ所の中で、北野天満宮、熊野神社、三峰神社、吉田神社、愛宕吉田神社、愛宕神社、羽黒神社の7社は、R293沿いのドライブインから歩いて周回するコースを作ることが出来た。このコースから外れた残りについては、石名坂町北野神社は我が家から歩いて往復、留町北野神社と熊野鹿嶋両神社は馴染みのスーパの駐車場から歩いて周回、大和田町鹿嶋神社、国神神社、南高野町鹿嶋神社はそれぞれが離れていて車道沿いなので車で巡回することとした。
 後者の3グループの6社を一日でまとめて探訪したので、今回はこれについて報告し、周回コースの7社については、そのうち日を改めて歩いて後日報告したい。ただ建物を観るだけに歩き回っている何の信仰心もなさそうな老人を見て、あちこちに散在する小さなお社の神々様はなんと思っておられるだろうか。五七五を作ってみた。
    寺社巡り ピークハントの 癖が出た
    リハビリに 応援よろしく 神々よ
 
2.データ
a)山域:日立市南部地区
b)登山日:2013/09/06(金)
c)日程:
午前中:自宅10:20 ---- 11:00石名坂町北野神社11:05 ---- 11:45自宅
午後:スーパP13:50 ---- 14:00留町北野神社14:05 ---- 14:25熊野鹿嶋両神社14:35 ---- 14:50スーパP15:20 ⇒ 15:30大和田町鹿嶋神社15:40 ⇒ 15:45国神神社15:50 ⇒ 16:00南高野町鹿嶋神社16:10 ⇒ 16:15自宅
d)同行者:単独
e)地形図:1/25000 「日立南部」
(日立南部地区の神社探索歩行ルート)


3.山行記録
 早朝は今にも降りそうな空模様で風神山を敬遠したが、朝食が終わると何とか持ちそうな雲行き、かって計画していた石名坂町の北野神社まで往復してくることにした。泉川道標を過ぎてR6に出て国道沿いを歩いて、山側道路の旧合流点を過ぎたところで山手に向かう路地を見つけて入って行った。ここは天神山の山麓のようである。
 住宅地の坂道を150mも歩いて行くと北野神社の標石がある石の大鳥居があった。
(泉川道標)
(石名坂町北野神社の鳥居)

 大鳥居の奥の参道には、右に馬頭観世音や庚申供養塔などの石碑、左には神社の由緒を書いた説明板がたっていた。菅原道真公を祭神とする京都の北野天満宮の分霊が祀ってあるとのこと。
(津神社)

 大鳥居から石段を登って行くと木の鳥居があって、その奥の石段の上に北野神社の拝殿が見えた。境内に上がると、右手に説明板にあった境内社が一つの屋根の下に並んでいた。
 奥には本宮があり、左手に鳥居、灯篭等の改修碑が立っていて、今年7月に改修が終わったばかりとの説明があった。
    北野神社の大鳥居は、明治42年当時の氏子により御影石で建立され、灯篭は明治18年に阿夫利講中を中心に奉納されたが、先の太平洋戦争の艦砲射撃により半壊し、修復を重ねて今日に至った。
    平成23年3月11日の東日本大震災により大鳥居に亀裂が入り、倒壊の怖れを生じ灯篭とともに撤去した。平成24年11月、北野神社鳥居、灯篭再建実行委員会を設立し、この事業の推進に当たると同時に、長年の懸案事項であった神輿舎を新築し、老朽した末社の整備も行った。氏子各位の援助に感謝し、平成25年5月地鎮祭を執り行い、平成25年7月完成の日を迎えた。
(二の鳥居と北野神社拝殿)
(境内社)

 その日の午後から、またぞろ神社探訪癖が出てきて車で出発した。御馴染みのスーパの駐車場に車を置いて留町の北野神社に向かった。常磐線の下を潜ってR293を横断して線路沿いをいく。田圃の間の道を歩いて住宅地に入ると、その先に鳥居が見えた。
 鳥居の前まで来ると、正面に小さな鳥居があって八坂神社の表示がしてあった。北野神社は鳥居の左手にある社だった。
 鳥居の右手には聖観世音の御堂があった。
(留町の北野神社と八坂神社)
(聖観世音)

 北野神社を後にして立派な門構えの旧家が並ぶ部落を過ぎ、疾走する特急スーパ日立を見上げながら常磐線を潜ると、一面豊かに実った稲穂で覆われた田圃の向こうに、たおやかな風神山の山並みが広がっていた。
 その先には自然文化財に指定されてもよさそうな大樹ある民家を過ぎ、私立三育小学校のある教会の尖塔を過ぎると、県道358に交差する。
(稲穂と風神山)
(大樹)

 車を気にしながら県道を横断して向かいの農道に入り、二つ目の交差点で左に曲がって道なりに歩いて行くと、突き当りに鳥居が見えてきた。鳥居の脇に熊野鹿嶋両神社改築記念碑が立っていて、寄進者名簿の上に下記記述があった。
    熊野鹿嶋両神社の明細書には天正年間以前の勧請に有之 最初より熊野鹿嶋両神社として伊弉諾尊伊弉冊尊武甕槌尊を祭神として祀る。戦後は宗教法人として名実共に氏子崇敬者の手によって維持される事となった。然るに鳥居拝殿玉垣とて歳月を経て腐朽甚だしいため氏子等相寄り相計り浄財を募りて改築す。将来永く神前に氏子の繁栄を祈念し碑文とす
                               昭和50年9月15日
 鳥居からの参道を歩いて行くと対の灯篭のの奥に拝殿があった。拝殿奥に本殿があり、境内には明治19年奉納された自然石の手水鉢があり、真新しい村社昇格記念碑に脇に小さな境内社があった。
(熊野鹿嶋両神社鳥居)
(熊野鹿嶋両神社拝殿)

 両神社から引き返してR293を横切り、田圃道を歩いてスーパの駐車場に戻り、和子に頼まれた買い物を済ませてから、プリントしたマピオン地図を見ながら車のナビに次に向かう3つの神社のポイントをインプットして走り始めた。車のナビにはこれらの小さな神社は登録されていなかった。
 車でR293を西走し、R6の大和田町交差点を過ぎた次の交差点で右折、走っていくと常陸太田に向かう時良く走る道に出た。近くまで来て空き地に車を停めて、近くで作業中の男性に「この近くに神社はありませんか」と聞くと「その屋敷の向こうだよ」とのこと。少し歩くと左手に「村社鹿島神社」の石碑と木の鳥居があった。鳥居の奥は鬱蒼とした森で薄暗く、長い石段が見えていて、その石段の上には拝殿がみえた。
(大和田町の鹿島神社鳥居)
(鹿島神社拝殿)

 拝殿の奥は更に古びた石段があり、その上に二つの社があって、正面が本殿だろうか。両方のお社ともに貫録があった。
 お参りを済ませて車に戻り、南高野方向に車を進める。その先Y字路の左の坂道を登って行けば国神神社があるはずだが、この坂道には車を停められそうにない。Y字路手前の空き地に車を停めて坂道を歩いて行くと、すぐに左手に国神神社が見えてきた。この神社はコンクリートの擁壁に囲まれた窪みの中に作られた小さな祠だった。石碑には昭和60年11月吉日清水町内建納とあり、鳥居も鉄製で歴史は感じさせなかった。
(鹿島神社奥ノ院)
(国神神社)

 車に戻ってそのまま道を走り、R6手前で南高野団地の中に入って行った。車のナビが指定する地点まで来ると、茂みの中に駐車場があった。樹木越しに神社の建物が見え、駐車場に車を入れて神社に向かおうと思ったが、周りが金網に囲まれていて近付けない。金網沿いに周りを歩いて行くと、2/3周したところに「村社鹿島神社」と石碑と鳥居があった。駐車場は神社の真裏だったようで、神社用の駐車場ではなかったのかもしれない。
 鳥居の奥の参道脇には大きな老木が何本も茂っていて「この緑地は日立市緑の保全と緑化の推進に関する条例に基づき指定された保存緑地です。みんなで大切に守りましょう。第15号昭和53年12月1日指定」の立札が立っていた。金網は緑地を保全するための金網だったのだ。
 薄暗い参道を進んで拝殿裏に回ると塀の中に立派な彫り物で飾られた本殿があった。
(南高野の鹿島神社)
(本殿)

 鳥居の脇には、この鹿島神社に献納するために二部落の氏子が嘉永4年にそれぞれ二張りづつ藤田東湖に揮毫して貰った幟が昭和61年に日立市指定歴史資料第一号に指定されたという説明板があった。
 その隣には「八幡太郎手割りの石」という真っ二つに切られた石が飾ってあって、下記説明板が立っていた。
    昔、南高野村字宿地内の旧街道の路傍に饅頭型の大きな石が道路の両側に相向かって据えられていた。これが世にいう「八幡太郎手割りの石」である。八幡太郎義家が奥州征伐に向かうおり、道路をふさぐ邪魔な石を太刀を持って三つに切ったという伝説が残されている。三つに切った中の石は、この地を流れる瀬上川の用水路の落ち水うけに使われたと伝える。昭和52年頃都市計画道路新設(一本松通り)による拡幅のため一時移動されていたが、平成15年10月5日南高野町字家後地内の鹿嶋神社境内に移設した。
(日立市指定歴史資料)
(手割りの石)

 午前午後を合わせて2万歩を越え、少しオーバワークだったかもしれないが結構面白かった。残った7社の周回が楽しみになった。




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