A103.風神山ときのこランド
(日立の魅力再発見ウオーク(水木学区))

1.動 機
 9月の日立市報を見ていたら「日立の魅力再発見ウオーク」という行事が載っていて、今回で16回目らしいが、この行事の事が我家の目にとまったのは今回が初めてだった。学区ごとに色々なコースの計画があり、興味があって日程の都合がつく4つのコースに申込みした。初めて参加する今回の企画は我が地区の水木公民館主催で行われるウオークで、イトヨの里−泉川道標−大甕神社−風神雷神碑−大みかきのこランドと歩くことになっていた。いずれも何度か訪れた事のある所だったが、最後の大みかきのこランドだけは看板と建屋の外見を見ただけで中に入って見たことがなく、一番興味のある場所だった。今日は観測史上一番遅い真夏日になったというニュースが流れた暑い日だったが、久しぶりに大勢の人たちとの賑やかな会話を楽しみながら、汗をかきながらも楽しく元気に歩き通すことが出来た。

2.データ
a)山域:風神山(242m)
b)登山日:2013/10/12(土)、晴
c)コースタイム:自宅8:35 ---- 8:50水木公民館9:00 ---- 9:05イトヨの里9:30 ---- 9:55泉川道標10:05 ---- 10:05大甕神社10:35 ---- 10:50登山口10:55 ---- 11:15風の広場11:25 ---- 11:30芝生広場(昼食)12:15 ---- 12:20風神山頂12:25 ---- 12:35トーチカの広場 ---- 12:55登山口 ---- 13:15きのこランド14:00 ---- 14:15イトヨの里 ---- 14:20水木公民館14:25 ---- 14:40自宅
d)同行者:再発見ウオーク参加者27、和子
e)地形図:1/25000 「日立南部」「常陸太田」
(日立の魅力再発見水木地区ウオークのマップ)

(日立の魅力再発見水木地区ウオークの高低差)

3.1 山行記録
 今日は一日中晴れで8月の暑さだという天気予報を見て、真夏の山行きの装束で出発、定刻に公民館に到着して参加費100円払って受付すると、我が家が参加者29名の最後の登録者ですぐにオリエンテーションが始まった。推進会会長さんの挨拶や今回行事の幹事さん達の説明があって、準備運動をしてから全員一団となって歩き始めた。
 最初は公民館裏手のイトヨの里に立ち寄る。今日はイトヨの里公園の定例の整備日とのことで、大勢のボランテアさんが集まって作業前の打ち合わせ中だった。纏め者である推進会役員の方からイトヨの里の歴史についての説明がなされた。
    昔はここは泉神社の湧水を引き入れた養魚場だったが、台風で壊滅的な被害を受けて廃業、平成になって宅地開発の計画が持ち上がっていたが、地区の市民運動推進会の音頭とりで、元の養魚場に生息していた珍魚イトヨを保護する公園として整備する計画が持ち上がり、H5年市議会でも採択された。土地取得等に時間がかかったが、H10年から事業に取り掛かり、H14年5月に開園となった。公園化を要望してきた地区の有志に開園後の保守作業を行うよう市から要請があり、推進会が中心になってボランテアを集めて定期的に整備を行ない、イトヨやゲンジボタルの生態育成に努めてきた。会員の努力でイトヨの数は年々増えてきていたが、近年の大雨で池が溢れてイトヨが流出してしまってか今はイトヨの姿を見つけるのが難儀な状態になっています。ゲンジボタルもカワニナが激減して、今年は蛍狩り祭りも実施できなかった。専門家にも相談して原因調査と対策を検討中です。現在の登録会員は60名いるが、常時出席しているのは30名程度です。
(公民館前に集合)
(イトヨの里の歴史説明会)

 役員の説明が行われている間に、公園の整備作業が始まり、ボランテアさんが各所に散らばって雑草の除草、植え込みの剪定、池の浮き草の除去作業などに精出していた。
 イトヨの里の話を聞いてから、公園の池の水源である泉神社の中の湧水を見学して、次の泉川道標に向かった。
(イトヨの里のお手入れボランテア)

 泉川道標の前には推進会会長さんが先回りしていて、道標の歴史について色々と詳しくお話してくれた。会長は福島の出身者とのことで、三陸浜街道については親しみもあって詳しく調べたとのこと。内容はほぼA71.日立市の自然・文化財(2)に記載した通りだった。
 道標の下にあった「泉川道標復元の記」は今日日当たりが良くてかなりはっきりと読み取ることが出来た。
    泉の水が流れ去るように人の世も しばしの休みとてなく移り変わって行く。
    遥かなるみちのくに通ずるここ陸前浜街道も かっての岩城海道の昔の面影今は知るよしもなく 昨日の?かっておおらかな旅人の姿は今日疾風の如く往き来する近代車輛の轟音に代わっている。 二百年の風雪に耐え時の去来を静かに見守っていた泉川道標も近代交通の波にうちひしがれ 一時は日立製作所厚生園内に退避を余儀なくされていたものであるが 苔むしたkの小さな道標の 日本交通史上に占める意義を考えるとき 群叢中に是をあたら散逸させるに忍びず ここに元の位置に復し再建するものである。
      昭和三十八年三月八日
      日立市大久保町 大窪定一
      日立市森山町  丹 規矩
      日立市水木町  河村佐内
(泉川道標の説明会)
(泉川道標復元の記)

 泉川道標の説明を聞いた後、すぐ前の大甕神社にお参りする。拝殿にお参りしてから、右にある本殿入口の道標に従って登って行くと、鎖が付いているちょっとした岩場になる。「希望者のみ」と幹事さんの声があったが、皆さんすいすいと登って行った。岩場の上の短い石段を上がって本殿にお参りして一回り、石段を下りて岩場の左の小道を歩いた儀式殿の先で一休み。
 一休み後国道6号を渡って祖霊殿参道に入り、祖霊殿は素通りして日研通勤道に出て、通勤道を登って日研正門に着き、そこから日研の金網柵脇の道を歩いてエネ研正門前まで一気に歩く。ここからは我が家のお散歩コースと同じ道を歩いて行った。 
(大甕神社本殿への岩場登り)
(大甕神社祖霊殿の参道)

 日研坂を登るのにも汗が出てきて、携帯温度計を見ると30度を越している。暑くて登山口の日陰で一休みしてから登り始めたが、歩き始めてすぐに、我家やスイーパ役員と一緒に最後尾あたりを歩いていた女性が立ち止まった。8月に酷い風邪を患って以来体調が悪かったらしく、この暑さが応えたらしい。また日陰でしばらく休んで、ザックを救護車に預けてゆっくり歩いて風の広場に登りつくと、首を長くして待っていた先の登りついていた皆さんは、その姿を見て安心したのか、すぐに次に向かって歩き始めた。我々は風の広場でおしゃべりしながら10分ほど休んでから歩き始めると、皆さんは次の芝生広場でお休みしていた。日陰もベンチもあるこの芝生広場で昼食休みになった。
(風の広場)
(芝生広場で昼食)

 昼食後もゆっくり休んでから風神山山頂まで足を伸ばして風神雷神の碑を眺め、看板の説明を読んでちょっぴり勉強し、集合写真を撮る。
 山頂を後にして下山にかかる。リーダは風の広場に戻ってから、左手の道を下って行った。その先にはベンチのある別の芝生広場があり、5m角程の大きなコンクリート製の土台があった。戦時中のトーチカの跡とのことだった。ここへ下ってくる道は歩いたことがなかったので、もしかして新しい下山道を歩けるかと期待して後に続いたが、トーチカの説明があった後、別の道で風の広場に登り返して、一般道を歩いての下山になった。
(風神雷神)
(トーチカ跡)

 エネ研正門前からお散歩道を下って森山浄水場脇に出て、浄水場隣にある2棟の黒い建物のところで止まった。ここがKKあいファームの大みかきのこランドだった。建物の中に案内されると、中にはL鋼造り棚がぎっしりと並んでおり、棚にはおびただしい数の四角い菌床が整然と並べられていて、にょきにょきと可愛いキノコが頭を出していた。
 社長の説明があった。
    去年2012年6月に障害者就労継続支援(A型)事業として開業
    障害者40名、所員9名が交代制で働いている。
    菌床はブナやナラの木のチップを固めたものにシイタケ菌を植えたもの。
    菌を植えた菌床は北海道から仕入れていたが今は群馬産。
    昼20℃、夜10℃にコントロールしている。
    1週間から10日で発芽、4日間で1回目の収穫、12時間浸水して10日後2回目発芽
    これを繰り返して2か月ぐらい収穫している。
    収穫物は市内のスーパや直販店などに卸している。工場に来れば直販もできる。
    用済み菌床は産業廃棄物として処分場に持ち込んで処分。
    菌床は無料で支給、しばらくは収穫可能。砕けば畑地改良剤にもなる。
(あいファームキノコランド)
(温室内部)

(収穫中)
(菌床アップ)

 大勢で新鮮なシイタケを買い込んで、きのこランドを後にして公民館に向かった。途中、我が家の傍を通過したが、途中離脱しないで皆さんと一緒に最後まで歩いた。途中、朝案内されたイトヨの里に入ってみたら、整備作業はすでに終わっていて、芝生も植え込みも整然と綺麗になっていた。ボランテアさんご苦労様でした。
 公民館に着くと、参加賞としてシイタケ一袋づつが配られた。参加費100円では赤字ではなかったかな。
(整備後のイトヨの里)
(公民館にゴールイン)

 それにしても今日は暑かった。23,000歩だけでも充分なのに、暑さのおまけがついて少しオーバワークでした。アツアツの焼きしいたけに美味しいビールで乾杯!


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