A105.妙義山中間道とアプトの道
(頑張る会ハイキングに同行)

1.動 機
 頑張る会の幹事のImさんからメールで表裏妙義山登山の募集案内が送られてきた。Imさんは喜楽会の会員で、以前何度か一緒に山を歩いたことがあったので、その誼で連絡を貰えたのだ。山行は一日目に表妙義の中間道、二日目に国民宿舎から丁頭の頭、赤岩、烏帽子岩と裏妙義を周回する計画だった。中間道は2000年11月に石門巡りをしたが妙義神社からの縦走はしたことがなく、裏妙義縦走には2005年5月に今回と同じコースで出かけたが、丁須の頭をこなしてチムニーの20mの崖下りを覗いたところで怖くなって引き返したことがある。ベテランと一緒に歩けばこのリベンジが出来るだろうと思って参加したいと思ったが、今の腰の具合では赤岩の岩場トラバースは無理と思って最初は和子だけ参加申込みにした。ところが、送られてきた参加者名簿を見ると喜楽会の懐かしいお名前が並んでいて、奥久慈男体山の岩場で体力チェックをして何とかなりそうと思い直して、追加で参加させて貰うことにした。
 一日目は計画通り中間道を縦走したが、2日目は朝から生憎の雨模様で計画変更となり裏妙義は中止し、アプトの道のお散歩と富岡製糸場の見学を楽しんで帰ってきた。

2.データ
a)山域:大砲岩(880m)、アプトの道(690m)
b)登山日:2013/10/19(土)曇、20(日)小雨
d)同行者:頑張る会会員11名、和子
e)地形図:1/25000 「南軽井沢」「軽井沢」

3.1 妙義山山行記録
c)コースタイム:(1日目)
日立自宅6:00 ---- 6:15大甕駅前6:20 = 7:25壬生PA7:35 = 9:00道の駅妙義9:20 ---- 9:25妙義神社9:35 ---- 9:55大黒の滝10:00 ---- 10:15第二展望台10:20 ---- 10:30タルワキ沢分岐 ---- 10:45本読みの僧 ---- 11:00(昼食)11:25 ---- 12:20休憩12:30 ---- 12:35大砲岩入口12:40 ---- 12:45大砲岩12:50 ---- 12:55大砲岩入口 ---- 13:05第4石門 ---- 13:15展望台13:20 ---- 13:40中之岳神社13:45 ---- 13:50中之岳神社駐車場14:05 = 14:40国民宿舎裏妙義(泊)
(妙義山登山マップ:富岡市役所HPより)

 朝早起きし、朝食を済ませて6時に出発して大甕駅前に向かい、常陽銀行前で待っていたチャータバスに乗り込んだ。皆さんみんな揃っていてバスはすぐに定刻出発、日立南ICから高速に乗り、途中壬生PAでトイレ休憩をしただけで一気に松井田妙義ICまで走って、登山口の道の駅妙義に9時に到着した。
 かすかな霧雨模様のお天気に雨具を付け準備運動をしてから9時20分に歩き始めた。
 県道を少し歩いて大鳥居を潜り、旅館街を抜けて石段を登って妙義神社にお参りした。波己曾社から百六十五段の石段を登って随神門を潜り、更に唐門を潜って豪華な装飾が施された本殿に今日一日の無事の山行をお祈りした。
(道の駅駐車場で準備運動)
(妙義神社にお参り)

 本殿の左手に進むと上記の登山マップの看板があり、関東ふれあいの道の道標には中之岳神社まで4.8kmとなっていた。その先の分岐から道が登山道らしくなり、第一見晴の分岐は通過して、階段道を登ったりしながら20分歩くと岩肌を細く流れ下るきれいな滝があった。脇に大黒の滝の立札があり、滝を眺めながら5分ばかり休憩。少し歩いて暑くなり、雨も止んできたのでみんなで雨具を脱いだ。
 滝から岩の崖の脇の道を登ったり下ったりしながら15分ほど歩いて行くと第二見晴の道標があり、分岐に入って少し鎖場を登ると展望が開けた。一部雲に隠されているが、目の前に金鶏山や筆頭岩の尖峰が望まれた。
(大黒の滝)
(第二見晴から)

 更に登ったり下ったりして10分歩いて妙義神社から1.6kmのタルワキ沢分岐を過ぎ、更に15分手摺のある崖上や岩の庇の下の道を歩いたりしながら15分歩くと、本読みの僧の石像があり中間道の中間点の立札が立てかけてあった。前後の道標の数値から見ると、この中間点とは真ん中と言う意味ではなさそうで、まだ妙義神社側にずっと近いはずだ。石像は自然のままの石とのことだが、座して本を両手で持って読んでいる姿になっていて、お地蔵さんのようにちゃんちゃんこを掛けて貰って赤い帽子を被っていた。
 さらに大石がごろごろする道を上り下りした先の高みに少し広いところがあって、「まだ11時だが朝が早かったからここで昼食にしよう」とImさんの声がかかって、めいめい陣取って弁当を広げた。あちこちから差し入れが廻ってきて賑やかな昼食になった。
(登ったり下ったり)
(本読みの僧)

 妙義神社2.3km中之岳神社2.6kmの道標を越え大岩の下を潜った先に四阿があったが、リーダのImさんはこれには目もくれないで先を行く。バスの中では「今日はゆっくり歩きます」と言っていたが、我が家のペースよりずいぶん早くて、周りの景色に見惚れてシャッタを押していると追いつくのが大変だ。それでも手摺のある急な鉄階段を登ったり、丸太の階段を登ったり、大岩の庇の下を歩いたり、目の前に断崖絶壁や鋭い鋭鋒が見えたり、なかなか変化があって面白く、辛さを忘れて懸命に後について歩いていく。
(休憩舎は通過)
(岩の庇もあり)

 そのうち大震災の後遺症か、台風や大雨のためなのか、行く手が土砂や倒木で埋め尽くされているとことが何カ所か続いた。新たに歩道は作り直されていたが、こんな急斜面のところでの補修作業は大変だろうなと思いながら通り過ぎると、その先の中之岳神社1.0kmのところでやっと休憩になった。
 休憩地点から5分も歩くと大砲岩の分岐があり、大勢の登山者が屯している。分岐から岩場を少し登ると小広くなっていて、ここで集合写真を撮ることになり、カメラマンが難しいところに三脚を構えて撮ってくれた。
(崩落地点あり)
(大砲岩入口で記念写真)

 集合写真が終わってから「ここから先は難所なので希望者だけで大砲岩まで往復する」とImさん。和子は足が攣りそうで調子が悪いらしく「大砲岩は前に見たことあるからもういいわ」と言って、高所恐怖症の男性と二人で待機することになった。前日まで庭仕事に精出していた疲れが出てきたのだろう。
 急な岩場を長い鎖を使ってやっと下り切ると、その先には岩壁のトラバースと急登とおっかない鎖場が続く。Imさんは皆さんの岩場の経験を心配していたようだが、みんな平気の平左、Imさんに続いてどんどん進んでいく。私は遅れて登りの岩場に着いた時には、別グループが下ってくるところで、しばらく待たされて遅れが大きくなってしまった。
(岩場下り)
(登り返し)

 大砲岩の手前の岩の上に上がると、皆さんはもう天狗のひょうていの上に上がりきっていた。
 会長のKgさんが一人大砲岩の方に向かっていた。なんの心配もない風情で歩いて行って大砲岩の上に立ったその姿を見て私もいけそうな気がしてきてそっちに向かってしまった。大砲岩の付け根までくると、「その金具に足を掛けると楽だよ」と細かに指導されてなんとか大砲岩の上に上がることが出来た。無謀さに向かいの天狗のひょうていの上の仲間に呆れられたが、万歳をして証拠の写真も撮っていただいた。(2000年にここに来た時には大砲岩の上までは上がらなかったような気がする)
(天狗のひょうてい)
(大砲岩)

 大砲岩の上は眺めも素晴らしかった。天狗のひょうていから先の岩峰の連なりがいかにも妙義山らしい感じで素晴らしい。
(岩頭群の連なり)

 先には奇岩のゆるぎ岩が根元から見え、その右には第2石門の岩峰があり、そこに空いた石門の下から急な岩場に2本の鎖が垂れ下がっているのが見えた。これからの下りであそこを通過するのだろうか。
 眼下には第4石門の大きな穴が見え、その穴を通して数人の登山者がこっちを見ているのが見えた。
(揺るぎ岩と第2石門)
(第4石門)

 大砲岩から降りるのは登るよりも足元がよく見えなくて怖い。Kgさんが下で足の置き場を指示してくれて助かった。向かいの天狗のひょうていの皆さんも下り始めたが、IMさんは途中の胎内くぐりにも寄り道していた。
 また岩場下り、トラバース、岩場登りと鎖場をこなして入口の岩場まで戻って、荷物番の和子たちと合流して第4石門まで下ったところでも集合写真を撮った。石門の穴を通して大砲岩とゆるぎ岩を入れて撮るのにみんなの位置やカメラ位置に工夫をしていた。
(胎内くぐり)
(第4石門から大砲岩とゆるぎ岩)

 第4石門から左の石門巡りルートに入って、我家が2000年に登ってきた石門コースの連続する岩場を下るのかと思って心配していたら、リーダは分岐のところで右の金洞山中之岳神社の方向に向かったので安堵した。
(第2石門のかにの横ばい)
(第2石門のたてばり)
(2000年の思い出写真)

 頑張る会のメイン行事は近くの里山歩きで、月に一度の例会をしている。時々番外編として年に何回か今度のようなバスの一泊山行が入ることがあるとのこと。私も大砲岩に登って満足していたので、今日の岩場はもう十分だった
    もともと頑張る会は大正末期、日立山手工場の工場長だった高尾さんが「設計や研究の技術者は運動不足になるから」と昼休みや休日にウオーキングなどの運動を推奨したのがきっかけで、昭和の初めに有志で歩く会をつくったのが始まりとのこと。その後、日立工場が国分、大甕、那珂などに分散したが、系列会社も含めて活動が続き、最近は家族や知り合いを含めた活動になっているらしい。昭和初年を創立とするともうすぐ創立90周年を迎える歴史ある山の会である。
 分岐から石の階段を登って行くと、ここからは行き交う人が多くなり、小さな子供も元気に歩いて来る。金洞山分岐を過ぎると見晴台の分岐があり、そちらに向かうと岩場の上に小さな祠があり、ここから眺める岩場の眺めがなかなか良かった。大砲岩を思い出しながらしばらく眺めていた。
(展望台から大砲岩など岩頭のパノラマ)

 目の上には金洞山や東岳の大岩壁が聳えていて、こっちの迫力も素晴らしい。
(展望台から金洞山ー東岳の表妙義稜線パノラマ)

 展望台でパノラマを楽しんでから分岐に戻って薄暗い谷間を石の階段、石畳みの道、石くれの道をどんどん下って行くと20分で注連縄を潜って大勢の観光客もいる中之岳神社の境内に入った。社殿の後ろには轟岩が覆いかぶさるように聳えていたが、お参りする人の中からは「あの岩の上に上がれるらしいよ」という声も聞こえてきた。
 無事山行のお礼のお参りを済ませて長い石段を下って、大黒神社の境内に下り、赤い鳥居をくぐって広い駐車場に出た。石段や階段歩きはもう沢山!
(轟岩と中之岳神社)
(中之岳神社の石段)

 大黒神社の参道からは20mもあるという大きな金ぴかの大国さまが鎮座していた。轟岩を入れてシャッタを押す。
 赤い鳥居の右には中之岳神社と彫った石柱があり、左には大黒梵天の石柱が立っていた。
(轟岩と金ぴか大黒)
(赤い鳥居)

 駐車場に入って待っていたバスに荷物を置いて、トイレを使って、駐車場越しに表妙義山の山並みを見上げると、見晴台で眺めたよりも稜線のギザギザがはっきりと見えて、この稜線を踏破するコースがプロ級の難コースだと言われるのに納得がいった。
(中之岳神社駐車場からの表妙義稜線パノラマ)

 駐車場から35分バスに揺られて裏妙義国民宿舎に着いて早速温泉に入って汗を流した。そのあと幹事室に集まって、持ち寄りのお酒とおつまみで大宴会。テレビを見て、明日は朝から雨模様との天気予報だったので、裏妙義の岩場縦走は取りやめになり、代わりにアプトの道歩きと富岡製糸場観光に切り替わった。これで明日の岩場の心配がなくなり、心おきなくお酒をいただいて、色々賑やかなお話の仲間に入ることが出来た。
 宴会の後食堂で夕食だったが、何度も乾杯をくり返しながら、お安い宿泊費の割に品数多く並んだ豪華な夕食を美味しく頂いたのでした。 
(国民宿舎裏妙義)
(豪華夕食)


3.2 アプトの道お散歩記録
c)コースタイム:(2日目)
国民宿舎裏妙義8:35 = 9:05熊の平駐車場 ---- 9:35めがね橋9:40 ---- 10:00碓井湖10:15 = 10:45富岡製糸場12:00 = 12:10富岡IC = 12:15甘楽PA(昼食)12:40 = 13:45壬生IC13:55 = 14:55日立南IC = 15:05大甕駅前 = 15:20日立自宅
(幹事さんから配られたアプトの道の案内図)

 翌日は美味しい朝食を頂いてフロントで柿のお土産を頂き8時半過ぎに国民宿舎を出発して、出発点の峠の湯に向かった。アプトの道は文化村駅から始まるが、フルコースを歩くと雨の中のお散歩にしては距離が長すぎるので、めがね橋の上を歩けばみんな満足だろうと少し短縮されたのだ。峠の湯の分岐点を見過ごしてしまい、結局は終点の熊ノ平駅までバスは走って碓井湖までアプトの道を歩いて引き返すことになった。
 熊ノ平駅からアプトの道に入ると、そこは複線区間で廃墟のような変電所の跡があり、その前で集合写真を撮ってお散歩が始まった。昨日と同じくImさんの足取りは速い。
(熊の平から歩き始め)
(アプトに道始点の変電所跡)

 すぐにトンネルに入っていったが、トンネルは10号から1号まで連続する。道は綺麗に整備されていて、トンネルの中には照明も点いていて歩きやすかった。めがね橋まで10号から6号まで五つのトンネルを潜ったがトンネルは入口から次の出口が見えるほど短かったが、最後の6号トンネルだけは随分と長く、途中には明り取りに天井にガラス窓があったが、そのガラスの上に枯葉が散り敷いていてステンドグラスのように見えた。
(トンネルに入り)
(トンネルを出て)

 めがね橋の上まで来ると、Kgさんは上からでは写真にならないので車道まで降りてめがね橋の写真を撮りたいと言って脇道を下って行った。和子は鼻曲山の時に下から眺めたし下まで降りると疲れるよと言って渋ったが、私はMrさんとKgさんの後に続いた。めがね橋を見上げながら車道近くまで降りて、3人でいろいろ場所を変えながらシャッタを押しまくった。皆さんは橋の上で手を振っていた。
 めがね橋の上に引き返すと、橋を渡った右手に出たところもめがね橋のビューポイントだったよと和子に耳打ちされ、そのポイントに行ってみるとなかなかの眺めだった。
(めがね橋:左端で皆さんがこちらを見下ろしている)

 めがね橋から5,4,3号のトンネルを潜って、2号トンネルの手前で車道に出て碓井湖の駐車場に下った。碓井湖をバックにした集合写真が撮られ、トイレを使ってからバスに乗って次に向かった。
(第2トンネル手前から碓井湖へ)
(碓井湖)

 30分で富岡製糸場近くの駐車場に入り、街中を歩いて製糸場の正門に入った。¥500の入場券を買ったが混んでいてガイドさんの手配はできず、12時までにバスに帰ることにして1時間の自由見学になった。入口正面の東繭倉庫に入って説明展示物を見ながら周り、20分ばかりのスライドの説明を聞いた。製糸場には何度も見学に来たことがあるが、改めてじっくりと説明を聞くのも面白かった。
 場内では座繰り・煮繭の実演が行われていて、繭から引き出されたばかりの生糸に触らせてもらったが、クモの糸より細くて強いものだった。
(富岡製糸場)
(座繰り・煮繭の実演)

 製糸場の見学を終えてバスに乗り帰途に着き、途中、甘楽PAで昼食を食べて一路日立に向かった。15時過ぎに大甕駅前に着いた時には雨が降っていて、風に吹かれながらの我が家までの道のりがずいぶん遠く感じられた。その晩は、久しぶりに賑やかな山歩きをした満足感でぐっすりと眠ることができた。


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