A118.日立の魅力再発見ウオーク(十王)

1.動 機
 「もっと日立が好きになる日立の魅力再発見ウォーク」と題した19回のウオーキングが募集され、これまでNo3の水木地区、No12の河原子地区、No15の中里地区と三か所を歩いてきたが、今回はその最終回で「今にのこる奈良・平安から昭和まで十王1300年の歴史」と題した十王交流センタ主催のウオーキングだった。館長さんがこの行事に大変な熱の入れようで、ウオーキングリーダ役を歴史に詳しい校長先生が担当し、二人の専門家に2ヶ所の説明を依頼してあって、十王地区の色々な史跡について専門的な話をいろいろと聞かせて貰えた。

2.データ
a)山域:山尾城址(62m)、小木津山自然公園南展望台(190m)
b)登山日:2013/11/30(土)晴
c)コースタイム:日立自宅 8:00 = 8:40十王交流センタ9:05 ---- 9:20炭鉱線路跡9:25 ---- 9:30新堀用水9:40 ---- 9:40旧櫛形村役場9:45 ---- 10:05伊師一里塚10:10 ---- 10:20長者山遺跡11:00 ---- 11:25友部海防陣屋跡 ---- 11:45山尾城跡(昼食)12:55 ---- 13:05櫛形炭鉱跡13:15 ---- 13:30十王交流センタ13:45 = 13:55小木津山自然公園駐車場14:00 ----14:10いしくぼの滝 ---- 14:25南展望台14:30 ---- 14:55小木津山自然公園駐車場15:00 = 16:00日立自宅
(十王地区歴史ウオーキングコース)

(十王地区歴史ウオーキングコースの標高差)

d)同行者:和子
e)地形図:「日立」

3.山行記録
 今日は土曜日、道路が空いていて快調に走り、十王交流センタの裏の駐車場に集合時間の20分前に到着した。車を置いて受付にいくと、名簿に我が家の名前が載っていない。受付をしていた館長さんは「よくあることですよ」と言いながら笑顔で受け付けて貰え、ペットボトルの飲み物も渡された。説明資料は全体説明が両面印刷で10枚、長者山遺跡分が5枚もあり、参加費無料なのに太っ腹な交流センタである。広報では定員30名だったはずだが、「去年は参加者17名しかいなかったのに、今年はは70名になっちゃった」と言いながら笑顔である。定刻になって全員を集めて説明会、館長さんがお笑いタレント顔負けの語り口で進行していき、ウオーキングリーダの現校長さんと遺跡発掘説明担当の日立郷土博物館員さん、参加者の安全確保のために同行する7人のスタッフが紹介された。
 すぐに歩き始めたが、リーダさんの歩調は近くの人にいろいろと説明しながら歩いているのにものすごく速く、平均時速5kmはあって付いて歩くのが大変だ。日立北部の人はみんな早足なのかと思ったが、中にはぶつぶつ言っている人もいた。
 @最初のポイントは十王駅から北上し十王川を渡る橋のところに櫛形炭鉱専用線路跡があった。河床に橋脚だったというコンクリートの構造物があり、向かい岸の土手の構築物の上を通って今の道路沿いに線路が伸びていたらしい。
(出発前の説明)
(炭鉱線路跡)

 A次はスーパセイブのところで大きく曲っていくと櫛形小学校沿いに新堀用水の水路があり、水路沿いを歩いて行き、常磐線の踏切を渡るところの上に大きな鉄の樋が見えた。新堀水路は十王川の水を上流から分水して本郷地区の水田に導くもので、この樋は鉄道を超えるためのもので、明治時代には木製だったが、その後コンクリート製になり、更に今の鉄製に作り直されたとのこと。
 線路を渡ったところの斜面を登ると用水樋の出口を覗くことが出来た。樋から流れ出る水は線路方向に伸びる水路に流れ込んでいた。
(新堀用水沿いを歩く)
(新堀用水の鉄の樋)

 B新堀用水樋のすぐ先にある本郷集落センタがあり、ここにはもとは櫛形村の役場が建っていたとのことで、集落センタ横には4人の村長を称える碑が立っていた。明治21年の町村制が施行された時、伊師村、伊師本郷、友部村の三村が合併して櫛形村が発足し、大正5年にこの地に役場が新築され、昭和30年に更に黒前村と合併して十王村になって櫛形村役場は十王村役場になった。更に翌年には町制をしいて十王町になって十王町役場となり、すぐに今の十王交流センタの地に新庁舎が新築されて役場機能は移動していったとのこと。
 Cいしまち保育園の先の、十王坂から伊師町宿へ続く旧街道と、伊師浜から伊師本郷へ通じる道とが交差する所にヒサカキの古木が立っていた。こんもりと盛り上がっていて、ここが伊師一里塚跡とのこと。一里塚は江戸時代に旅人の目安となり休憩場所になっていたもので、私の住む森山にも一里塚があるとの話だった。今まで気が付かなかったが、そのうち森山一里塚も実地調査してみよう。
(旧櫛形村役場)
(伊師一里塚)

 伊師一里塚で左の道に入って1km歩いたところの森の前に鳥居があり、石段を登ったところが愛宕神社だった。祭神は軻遇突智命で 友部山尾城主 小野崎義昌が天正2年(1574)城内に創祀し、 天正4年に現在地に遷宮して伊師本郷・伊師町・伊師浜の鎮守としたという。
(愛宕神社の森)
(愛宕神社)

 Dお参りして裏に回ると長者山の深い森になり、ここが長者山遺跡があるところで、日立市郷土博物館の遺跡調査員の方から遺跡発掘についての詳しい解説が行われた。
    「長者山遺跡」は、平成18年度に「藻島駅路跡」から続く官道を確認することを目的に日立市郷土博物館が発掘調査を実施し、愛宕神社境内で発見された新発見の遺跡です。H18年から25年までの発掘調査により、20棟の建物跡、道路跡、溝跡などの遺構や土器の遺物が発見された。
 この8月に発掘調査は終了して埋め戻さられていたが、道路跡や建物の基礎石は判るように残してあった。
 愛宕神社の森の北端に大きな椎の木が聳えているのが目に入った。近くに行ってみると(日立市天然記念物愛宕神社境内「椎」)と刻した石柱が立っていて、説明板には樹齢400年、高さ25m、幹の太さ5.8mとあった。
(長者山遺跡)
(日立市天然記念物愛宕神社境内「椎」)

 詳細で長い解説の後、神社裏の伊師町集落都市センタのトイレを使わせてもらって次に向かう。配布資料の地図では、この先は直進して常磐線を渡って歩くことになっていたが、ここの説明が長くて出発が遅くなったようで、線路手前で左にショートカットして歩いて行った。常磐線の向こうにも案内したいところがあったようだったが、みんなは歩く距離が短くなったと大歓迎。広大な畑地が広がる中の道を行列を作って歩いて行く。この辺りは車は少ないが、時々車がやってくると、スタッフの人が大きな声で「車が来ますよお!」とみんなに注意していた。
 E斜めにショートカットして常磐線を渡った先に稲荷神社の鳥居があり、その脇に友部異国船御番陣屋跡の説明板が立っていた。リーダの説明によれば、このあたり一帯に江戸時代海防業務にあたっていた陣屋の役人頭や同心の住居が建っていて、明治になってその役目を終えたが、今でも土地の人たちはこの辺りを陣屋と呼んでいるとのこと。
(広い畑地の中の道)
(友部海防陣屋跡)

 F次は住宅地の坂道を30mも登った高台にある十王中学校に入ると、図書室に会場が準備されていた。山尾城はこの中学校の敷地にあったとのことで、ホワイトボードにこの山尾城址の地形模型が取り付けてあった。この模型は元この中学校の校長先生だった説明者が、学校建設以前の色々な資料も調べ上げて手作りで作られたものとのこと。この模型を使って行われた先生の説明は、山尾城や近くにあった櫛形城、友部城の歴史から始まって、山城の構造が説明され、この山尾城の特色を今の学校の敷地と関連させて説明されて、後で実際に見て回ってほしいと結ばれた。
 各自持参した弁当をここで食べることになったが、リーダの校長先生や教頭先生の好意でお茶やコーヒが準備されていた。交流センタだけでなく土地の人たちも、この日立の魅力再発見ウオークに協力されている。館長の人柄もあるのかなあ。
 食事を終えて学校周りをかってのお城の様子を想像しながら各自で一回りした。校舎の裏の高みに62.3mの四等三角点があるとのことだったので、ピークハンターの癖が出て登ってみたいと思ったが、クラブ活動中の生徒たちに登り道を聞いてみたがみんな「登ったことないよ」とのことだったので止めにした。
(山尾城跡模型)
(濠跡)

 G最後は櫛形炭鉱跡の見学。炭鉱跡には今十王支所が建っていて、その裏手に案内されると、倉庫の上の高みにコンクリートの構築物が見えていた。支所のある場所は専用列車の操車場などあったところで、実際に採炭する炭鉱のあったところはこの上一帯で、今は大心苑ゴルフコースになっているとのこと。このゴルフコースでは何回かプレーしたことがあるが、炭鉱跡とは知らなかった。リーダの話ではゴルフ場は今閉鎖されて中に入れないとのことだった。
 参加者の一人が、昭和時代に撮った坑口での炭鉱夫の写真を持っていて、皆さんい披露して注目されていた。この写真はかって日立市報でも紹介されたことがあるとのことだった。
(十王支所の櫛形炭鉱跡)
(櫛形炭鉱)

 歴史史跡を見ながらの長いウオーキングを終わって交流センタに到着すると、入口に「十王町役場跡」の石碑があって、B旧櫛形村役場のところで教わった十王町の変遷を思いおこした。
 全員集合してリーダと館長さんから総括の話があり、説明者、スタッフの皆さんにもお礼を言って13時40分に解散になった。4時間半の充実した見学会だった。
(十王町役場跡の碑)
(解散式)

 折角十王まで来たので、数年前に歩いて綺麗な紅葉を眺めた鮮明な記憶が残る小木津山自然公園がすぐ近くなので立ち寄って帰ることにした。
 10分ほどで公園の駐車場に入って歩き始める。中央園地の池を通り過ぎた先の道沿いのカエデは少し盛りを過ぎていたが、下の道も散り敷いた落葉で赤く染まっていてまさに紅葉のトンネルだった。午後も2時を過ぎるとこの辺りは日陰になって少し残念。日当たりのいい尾根の紅葉に期待しよう。
(小木津公園の池)
(中央園地の紅葉)

 流れの少ないいしくぼの滝を眺めてから、左手の南展望台まで登って太平洋沿岸の展望を楽しんでから尾根道に戻って駐車場へ向かう。
(いしくぼの滝)
(南展望台)

 尾根道にはまだ陽が当たっていて、期待通りにカエデの赤が映えて綺麗だった。 
(尾根道の紅葉1)

(尾根道の紅葉2)

 カエデの写真をせっせと撮りながら歩いていくと、松の木も見事な緑色に日を浴びて「私の写真も撮ってくれよと」と言っているように見えた。
(松も綺麗だった)

 




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