B12.馬飼三角点
(干支の山と寺社巡り)

1.動 機
 今年平成26年の干支は午年、山名に馬の付く山を探したが、手軽にアクセスできる茨城県内には見当たらず、国土地理院のHPから馬の付く三角点名を探すと、笠間に入馬沢四等三角点(292.65)、と磯原に馬飼三等三角点(109.3)があった。入馬沢三角点には一昨年3月の笠間の低山歩きの時にタッチしたので、今年の干支登山の目標は馬飼三角点に決めた。
 登山目標になるような山ではないので物凄い藪漕ぎになることを覚悟して臨んだが、たまたま入り込んだ林道が幸運にも山頂部に繋がっていて、実際には1時間ほどのらくちん登山で済んだ。暖かい車の中で昼食中、プリントして携帯していた地形図を見直すと、ここの周りには寺や神社のマークがたくさん付いていた。余った脚力と時間を使ってこれらの神社仏閣を全部回ってみたくなり、和子は神様への冒涜だと言って嫌がったが、今回は珍しく私の主張を強行した。

2.データ
a)山域:馬飼三角点(109m)、車城址(63m)
b)登山日:2014/01/05(日)晴
c)コースタイム:森山自宅 9:50 ---- 10:05日立南IC = 10:20中郷SA10:30 = 10:35北茨城IC = 10:40路側駐車P1 10:55 ---- 11:10馬飼三角点11:40 ---- 12:05路側駐車P1(昼食)12:35 = 12:40路側駐車P2 ---- 12:45愛宕神社12:55 ---- 13:05龍寅寺13:10 ----13:20路側駐車P2=13:25公民館P3 ---- 13:25石澤寺13:30 ---- 13:40八幡神社13:45 ---- 13:55公民館P3 = 14:00古峯神社 = 14:05路側駐車P4 ---- 14:15車城址・八幡神社14:20 ---- 14:30路側駐車P4 = 14:45路側駐車P5 ---- 14:55山神社 ---- 15:05路側駐車P5 = 15:10神社駐車場P6 ----15:15種殿神社15:20 ---- 15:25神社駐車場 = 15:25公民館P7 ---- 15:30常楽寺・重殿神社 ---- 15:35公民館P7 = 15:40路側駐車P8 ---- 15:45諏訪神社 ---- 15:50路側駐車P8 = 15:55北茨城IC = 16:20日立南IC = 16:30森山自宅
(馬飼三角点・寺社巡りコース)

d)同行者:和子
e)地形図:「磯原」

3.山行記録
 寒さが和らいだ10時近くになってから我家を出て、日立南ICから高速に乗り北茨城ICで降りて、馬飼三角点峰の東面の県道10号の路側の空地に車を停めた。
 身支度をして田圃脇の農道を山際まで歩くと、山沿い左右に農道が伸びていた。少し右に歩いて行くと山に入って行く林道が見つかった。これ幸いと林道に入って行くと、その先は綺麗に枝払いのされた気持ちの良い植林の中の林道になった。
(県道10号路側)
(林道を登る)

 林道は谷間に入って行き、左の山頂へ近道する誘惑も誘ってきたが、そのまま林道を辿って歩いて行くと、向かいの尾根に上がってそのまま左に曲りこんで山頂部に繋がった。
 簡単に山頂に登りついたが、山頂はただっ広くて三角点の場所の特定が難しい。二人であちこち歩き回るが標石は見つからない。20分もうろうろしても見つからず、伐採した雑木があちこちに山積みされているのが気になりだして、この雑木の下敷きにされているのかもと諦めようと思い始めた時、和子の「あったわよ!」と呼ぶ声が聞こえてきた。これで今回の山行の格好がつくと喜んで駆けつけ、早速ツーショットの証拠写真を撮った。「馬飼三角点」と書いた紙を用意するのを忘れていたのが少し残念だったが。
 その標石にあった位置は探し回っていた範囲からは茂みの陰になっていた。このポイントをポケナビに記録して、後でPC上のGPS画面をゆっくりと見直してみると、地形図に記載されている位置にぴったりと一致していた。GPSの精度をもっと信頼していたら、20分も無駄にうろうろすることもなかった訳だが、時にGPSが数十メートルもずれることがあるので、余り当てにしなかったのが拙かった。
(楽々と山頂部に到着)
(三角点を探し当てた)

 下山は同じ道を下ると楽ちんだが、我家はいつも違う道を求めて下るのを常としている。山頂部にははっきりとした道は見当たらないが下草は刈り払われているので歩きやすい。登ってきたと反対方向に歩いていき、私がうろついていた酒盛りの残骸が残る気持ちの良いところまで来ると県道方向に下る道が見つかった。この道は谷になったり尾根になったりしたが、最終的に谷間の沢のような踏み跡を下って行くと、明るい田園風景のところに飛び出した。県道まで気持ちの良い田圃道を歩いて行った。
(下りにも道あり)
(田圃に出て)

 県道に出たところは駐車場所に近く、県道の向かいにはマウントあかねの白い建物が見え、左手には歩いてきた山並みが広がっており、三角点峰は特定できなかったがパノラマ写真を撮っておいた。
 車に戻ると丁度昼食時間、暖かい車の中で弁当を広げた。弁当を食べながらプリントしてきた地形図を広げてみると、この地区は信仰深い部落のようで、周りにはお寺(卍)や神社(鳥居)のマークがいっぱいあった。卍マークが三つ、鳥居マークが六つあり、これらの神社仏閣を全部回ってみたくなり提案したが、和子は気乗りしないようで「神様への冒涜だ」などとのたまっている。それでも三角点にタッチしただけで帰るのでは物足りないのは同感なので、なんとか寺社巡りをする提案が採用されることになった。
(県道わきから三角点峰を振り返る)

 県道10号が直角に曲がった先の脇道に入ったところに空地があり、ここに駐車させてもらう。部落の狭い道を歩いて行くとすぐに「愛宕神社」と刻印された立派な石柱があり、その奥の杉林の中に参道があった。
 参道に入って行くと愛宕山の懸額が掛かった木の鳥居が立っていて、その先に急な石段があった。石段は段差は小さいが45度の急傾斜、和子が数えたら139段もあり、苔むしていて手摺もないので少々怖い思いをしながら登って行った。
(愛宕神社入口)
(139段の石段)

 氏子中と刻印された対の灯篭の奥に古びた拝殿があり、お参りして後ろに回ると立派な彫り物がしてある本殿があった。
 急階段の下りは登りより怖いので、回り道を探したが見つからず、ゆっくりと慎重に下って行った。
(愛宕神社)
(本殿)

 愛宕神社の石段を下りて、次の卍マークが近い実線道路を歩いて行くと、道を間違えたかと心配になるほど歩いた先に、左手の折り返すように登る分岐があった。その入口に「雄峰山龍寅寺」の石柱が立っていて、この道を高度差10mも登って行くと龍寅寺の境内に入った。
 立派な造りの客殿と本殿の奥に広い墓地があって、参拝されている人影もあり、その人たちの車が停めてある駐車場もあった。本殿客殿前にはまっすぐ入ってくる広い道があり、こっちが正規の参道で、我が家が登ってきた道は裏参道だったようだ。裏よりも数段立派な石柱がある入口から広い道に出ると、車までの距離もずっと短かかった。
(龍寅寺裏参道)
(龍寅寺)

 次の卍マークを目標に県道を少し引返したところで右の路地に入るとすぐに四角錐をしたお寺の屋根が見えてきた。隣の公民館に車を停めさせてもらって、お参りに向かう。
 入口に対の石門が立ち、入ったところに赤い幟が立つ弁財天があった。その奥に「平成二十五年十月十三日」などと記した柱が目立ったが、境内に立っていた縁起書によれば、このお寺の本堂と阿弥陀如来坐像とは市指定の有形文化財に指定されており、古から伊勢神宮の遷宮と同じく21年毎に御開帳されるとのこと。去年10月に御開帳祭りが行われたばかりだった。
 その外に境内には「いぼ取り石」や「湯殿山」などいわくありげな石碑がたくさん並んでいた。
(石澤寺)
(石澤寺縁起)

 地形図によれば、この南の山裾に何か神社があるはず、車で入るには心細い細い道なので歩いていく。200mも歩くと山裾に2本のポールと石柱が立っていて、その奥に鳥居が見えて、ここに神社があることを示していた。鳥居の先にはここにも34段の急傾斜の石段がまっていた。
(山裾に神社のしるし)
(石段の上に神社有)

 拝殿は質素だが綺麗に掃除されており、裏には丁寧な造りの本殿があった。
(八幡神社拝殿)
(本殿)

 公民館の駐車場に戻って、次の鳥居マークに向かって車を進めていると、花園川を渡ったところの路側に三本くっついた老木が立っていて、その根元に多くの石碑が並んでおり、その脇に質素なお宮があった。路側に車を停めて近付いてみると、お宮の裏は集会所になっているようで酒盛り最中らしい賑やかな話声が聞こえていた。あとでマピオン地図をチェックしてみると、このお宮は古峯神社という神社だった。
(古峯神社)
(供養塔群)

 次の鳥居マークは・63の山頂部にあり、その近くまで車で入ろうとしたが、その手前の路上に車を停めて作業中の人がいる。作業を中断してもらうこともないので、その手前の路側に車を置いて歩いて行くことにする。
 鳥居マークの山から下ってくる子供連れの家族があり、作業中の男性と一緒になって「この山は車城址であり、山頂に八幡神社が建っている」などと教わり、新しく私のトレードマークになった帽子を見て頼りない老人と思われたようで、「登り口にはどんぐりの実がいっぱい散らばっているから滑って転ばないように気を付けてね」とご親切な注意まで頂いた。
 車道から山道への分れには「車城址」の立札があり、更に進んだ公園(?)入口には車緑地環境保全地域の大きな看板が立っていた。
 公園入口の路上にはどんぐりの実が一面重なるように散乱しており、うっかりこれを踏んだら確かにすってんころりんになりそうだ。公園内に入って山道を登って行くと小さな祠を祀ったところがあり、その先に鳥居があって「八幡神社」の懸額が掛かっていた。
 そこからヘアピンのカーブを折り返していくと、次のヘアピンのところに「車城井戸跡」の立札が立っていたが、どれが井戸の跡を示すものなのかわからなかった。
(山道へ)
(すべて巻き道)

 更に登ったところに八幡神社の拝殿と本殿が祀ってあった。拝殿前には榊が供えてあったが、今はひっそりと静かな境内だった。
(八幡神社)
(本殿)

 境内には車城の歴史を記した説明板があった。これを転記しようかと思ったが、めんどくさいので写真を添付します。読みにくいでしょうがご容赦を。
 鎌倉時代末期に臼庭加賀の守により建てられ、室町時代は砥上氏三代が居城したが、その後、岩城氏、佐竹氏のが支配するようになり、最後は佐竹氏の秋田への移封によって廃城になったということらしい。
 推定されている車城の構成は下図のようだったという。今八幡神社が建っているところが昔本丸があったところらしい。

(車城址配置図)

 八幡神社から下って、まだ作業中だった男性に挨拶して次に向かう。
 次は県道10号に戻って北上し、華川で県道153号で西に向かい、更にその先で県道299を南下して里見十文字に向かう。鳥居マークはこの西辺りにあるようだが、そのまま県道を進むと右後ろに鳥居が見えてきた。目標がはっきりすれば苦労はない。田圃の中の狭い地方道を歩いて行くと、鳥居の奥に社が建っていた。扉もない拝殿で、後ろの本殿も透き通しで見えていた。後に回ると本殿に並んで左右に小宮も祀ってあって立派に神社の形態をなしているが、この神社の名前を示す何物も見つけることが出来なかった。マピオンの地図にも記載がないので、山神社とでもしておこう。
(山神社)
(本殿)

 次の鳥居マークは更に県道299を南下した内野集落にある。車を進めると、交差点に石碑が立つ空地があり、ここが神社の駐車場と考えて車を入れて鳥居マークに向けて歩く。神社は細い道を入ったところの高台にあり、石碑には判読しずらかったが「種殿神社」とあった。
(種殿神社)
(本殿)

 次の卍マークは県道から外れたところにあり、近くまで車で入ると誰もいない公民館があったので有り難く駐車させていただく。
 歩いて行くと「天台宗常楽寺」と刻印された立派な石柱が立っていて、お寺はそこから50mぐらい奥まったところに立っていた。境内には布袋様や水子地蔵菩薩などたくさんの石像が祀ってあったが、本堂落慶記念碑によれば、本堂は平成16年に改新築されたばかりでまだ真新しく見えていた。
 その境内に重殿神社があり、記念碑によればこの拝殿も平成8年に改築されたとあった。
(常楽寺)
(重殿神社)

 最後の鳥居マークは県道299に戻って大塚郵便局の先まで車を進めると、道沿いに石段があり、諏訪神社の石碑が立っていた。向かいの駐車場の空いたところに無断駐車してお参りに向かう。
 何回か石段を上がった先に石の鳥居があり、神社はその奥の20段の石段を登ったところにあった。今日は最初の山歩きよりも、追加の神社巡りの方が急な階段登りもあってきつかった。最後の神社に、今日も元気に歩くことが出来た御礼のお参りをしてから、夕日がまぶしい常磐道を一路日立に向かって走ったのでした。
(諏訪神社)
(本殿)

  




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