B43.大子のカタクリと桜

1.動 機
 新聞に「奥久慈茶の里公園の近くに3000uのカタクリの群生地があり、山の斜面に可愛い花が咲き始めている」との情報があり、そういえば、以前大矢さんが「大子にも広いカタクリ園があるよ」と言っているのを思い出し、しきりにそこのカタクリを見たくなって出かけることにした。当初はカタクリ鑑賞と山歩きで出かける積りだったが、テレビのサクラ情報で大子の桜が見ごろだとの情報も流れていたので大子の桜も見たくなり、NETで大子のサクラ情報も集めた。NETでは判らなかったものは役場で細かく教えて貰うつもりで出発した。
 今回は和子もカメラを持って行ったので、二人の写真を並べて表示してみます。

2.データ
a)山域:大子町
b)登山日:2014/04/11(金)
c)日程:自宅 9:30 = 10:25 生瀬地蔵桜 10:40 = 11:15 大子のカタクリ園 11:35 = 11:40 茶の里公園 11:55 = 12:10 上岡のしだれ桜 12:25 = 12:40 相川のしだれ桜C12:50 = 12:55 相川のしだれ桜D(昼食) 13:20 = 13:25 相川のしだれ桜B 13:30 = 13:45 上岡小学校跡 13:50 =14:00 大子町役場(湯の里公園・久慈川河畔) 14:20 = 14:40 外大野のしだれ桜 14:55 = 15:00 沓掛峠の山桜 15:15 =15:45 泉福寺のしだれ桜 15:55 = 17:00 自宅
(4/12):自宅 15:00 ---- 15:45 風の広場 ---- 16:25 ヤマザクラ鉄塔 ---- 16:40 #68鉄塔 ---- 18:20 自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「常陸太田」

3.山行記録
 先ずはカタクリの里へ向かう積りで出発したが、水府から生瀬に向かってR461を北上している途中、小生瀬十字路交差点に出る手前で、左の旧道分岐に「生瀬地蔵桜」の立札が目に入った。「生瀬地蔵桜」の場所が判らなかったので、大子町役場で教えて貰う積りだったので助かった。カタクリの前に寄り道することにして旧道に入ると、間もなく左上に大きなシダレザクラが立っているのが見えてきた。路上からカメラを構えている人もいる。
 路側に小さなスペースがあり数台駐車してる隙間に車を入れさせて貰って、我家も二人でカメラを持って撮影開始。
 案内板には「かつてこの小高い丘の上には広大な寺屋敷があり、竜骨が秘蔵されていたとの伝説がある。八竜山地福寺の地跡で、地域有志により延子安地蔵堂が祀ってある」。さくらは幹回り4m、樹高15m、推定樹齢500年とあり、幹は無残に朽ちていているが、枝は支柱に支えられて四方にたくましく伸びていている。
 県道から見上げたり、石段を登って地蔵堂前の庭から間近に見上げたり、色々な角度からシャッタを押した。
(小生瀬の地蔵桜:県道から一俊)

(小生瀬の地蔵桜:地蔵堂前庭から和子)

 「かたくりの花の群生地は茶の里公園をすぎると看板があります」とのNET情報を頼りに走る。ところが、大子の街を通り過ぎ、上岡三叉路でR461から県道205に別れ茶の里公園を過ぎて1km以上走ってもカタクリの看板は見つからない。道端で作業中の男性がおられたので聞いてみると「手前のミラーのある交差点を西に入り、川の手前で左に曲がるとカラクリ園に行けるよ」と教えて貰えた。川の手前を左折すると道路工事中の数人の人がいたが「カタクリ園に行きたい」というと、「すぐ先のあの山だよ」と言って通して貰えた。その先大型機械で工事中で通行止めになっていたが、カタクリの山はそのすぐ手前で右折したところだった。NETにあった県道沿いにあるはずの看板はこの工事で一時取り払われているのかもしれない。危うくセーフでカタクリの里に到着することが出来た。
他に誰も来ていないが、個人宅の庭の前に車を停めて向かいの山に向かう。遠くからでは枯れた荒れ地にしか見えなかったが、近づいてみるとゆるやかな山の斜面一面に可愛いカタクリの花がいっぱい咲いている! 花は小ぶりで、他の雑草が見事に取り払われているので、全体的に荒れ地の感じがするが、広さは去年も歩いた那賀のカタクリ園よりも広い。 
(カタクリ園)
(カタクリがいっぱい)

 ロープで挟まれた狭い遊歩道を、左右の斜面のカタクリの花の写真を撮りながら歩いて行くと、立木も出てきて園は終わりの感じになった。それでもポチポチとカタクリも咲いているのでそのまま歩いて行くと、そのうち「ここから先は個人の農地なので立ち入らないで」の立札が立っていた。そこから斜面を下る踏み跡があったので下って行くと茶畑になり、周囲に張られた猪除けの電線柵沿いをカタクリ園に引き返す様に歩いて行く。この電線柵を2度乗越えてやっと元のカタクリ園に戻ることが出来た。遊歩道は周遊路にはなっていなくて、園の端から引返さなければならなかったようだ。
(カタクリアップ:和子)

(カタクリアップ:一俊)

 カタクリの花を堪能してから、トイレを使いたくて奥久慈茶の里公園に立ち寄った。「古くは江戸時代より栽培が始められた奥久慈茶の、センター的役割を担う」らしいが、直販所などの建物の先の公園まで入ると、パターゴルフ場では4人の男女がプレーを楽しんでおり、流れの中には清楚なミズバショウが咲いていた。
(パターゴルフ)
(ミズバショウ)

 県道を大子の街に引き返し、R461に入ってすぐに右の高台にサクラの木が見えてくる。右の路側が広くなっていて十台近くの車が停まっていたので、我が家もその先に車を停めた。国道の向かいに部落道があり、これを登るとすぐに2本の桜の古木が見えてくる。大子町上岡にある2本の古木。手前は橋本家のエドヒガンで樹高約27m、目通り幹周約3.2m、推定樹齢300年という。
(上岡のエドヒガン:手前の畑地から一俊)

(上岡のエドヒガン:真下の道から和子)

  奥は永瀬家のしだれ桜で、大子町でも最大級とのこと。樹高約16m、目通り幹周約4.6m、推定樹齢300年、支柱もなく樹勢は良好、巨大な枝張りつくっている。観光客に説明している人があり「去年の大風で枝二本が折れて、上にあった三つの花の山が一つになってしまった。手前にあるのがその残骸です」と言っていたが、以前の姿をしっかりとは覚えていない身には、そんなことは関係なく立派なシダレザクラに見える。
 この男性に相川のシダレサクラの場所を聞くと「ここから国道を5kmほど行ったところに相川への分岐がある。桜のある細かい場所は説明できん」と言われ、相川部落に入れば大きなシダレザクラは目立つから判るだろうと思い、ここから役場まで引き返すことは割愛して相川に向かった。
(上岡のシダレザクラ:全景和子)

(上岡のシダレザクラ:近景一俊)

 相川の分岐まで来ると、角に大きな「相川地区観光案内」の看板がたっていて、その中の案内図にシダレザクラの場所も明示されていた。シダレザクラは6ヶ所にあるらしい。手前の4ヶ所だけを見る積りで出発した。
(相川のしだれ桜の案内図)

 先ずは右の民家の上にNo4の桜が見えてきた。路側に車を停めたが、車道からでは迫力がないので、民家の脇を通らせていただいて、その上から観察させていただく。私は更にその上の畑地に上がってシャッタを押した。
 車道沿いにあった看板には「相川22、樹高:約10m、目通り幹周:約2.7m」とあった。
(相川のシダレザクラNo4:和子)

(相川のシダレザクラNo4:一俊)

 少し走ると右上の民家の上にシダレザクラが見えてきた。路側に車を停めて弁当を食べてから、民家の庭に上がると家の奥さんが出てきて「少し盛りを過ぎたよ。二三日前だともっと綺麗だったんだよ」とおっしゃるが、なかなかいい眺めに十分満足できた。
 車道沿いにあった看板には「相川283、樹高:約10m、目通り幹周:約1.5m」とあった。
(相川のシダレザクラNo5:和子)

(相川のシダレザクラNo5:一俊)

 No5の桜のところで、車道の左奥に大きなシダレザクラが見えたので、奥さんに「あのサクラの所にはどうやって行けますか」と訊くと「その先に橋を渡ってすぐに左に分かれ道がありますよ」と教えられた。狭い部落道を走り、畑入口に車を停めて撮影タイム。あまり手入れされていないようで、周りは藪が蔓延っていて少し見苦しい。
 道傍にあった看板には「相川321、樹高:約17m、目通り幹周:約2.7m」
 その道を進むと分岐があり、左に曲がったらそのまま元の車道に出てしまい、No2のサクラは見ずじまいになってしまった。
(相川のシダレザクラNo3:和子)

(相川のシダレザクラNo3:一俊)

 相川から国道に引き返し、大子市街に向かうと上岡のシダレサクラの先の左手に上岡小学校があり、校庭に入って車を停める。この地区の小学校と同じように校庭の周りには多くのサクラの木が植えられていて綺麗だ。
 この学校は明治12年4月20日に創立され、現存するの校舎は昭和初期に建築され、平成13年3月31日に廃校されたが、現在は多くの映画などのロケ地として使われており、また地域住民の陶芸や絵画教室等にも活用されているとのこと。平成23年4月からのNHK朝の連続テレビドラマ「おひさま」に出ていたらしい。そういえばこの校舎、見たことがあるような気もする。
(旧上岡小学校の櫻:和子)

(旧上岡小学校の櫻:一俊)

 大子町役場の駐車場に車を入れて、すぐ近くの湯の里公園に行ってみる。ここのサクラはもう散ってしまったようで、入口にある木だけが被写体になった。
(湯の里公園)

 湯の里公園からR湯の里橋を渡ると、向かいのR118号線沿いの久慈川河川敷に桜並木が見える。このサクラ並木の下を歩いて向こうの橋を渡って帰ってくる周回をしようと提案するが、外大野のシダレサクラを眺める時間が無くなるよと却下される。橋の中ほどでシャッタを押して引返す。
(久慈川河畔のサクラ並木)

 R118を少し北上して大子中入口から地方道に入り、鋸21峰や生瀬富士に登った時に車を停めたり歩いたりした覚えがある道を通る。ここを通過して県道33号に入ると、分岐ごとに「外大野のシダレザクラ」と「沓掛峠のヤマザクラ」の立札が立っていて、我が車の前にも数台の車が列をなして走って行く。向かいからも下ってくる何台もの車と行き交いながら走ってシダレザクラに近づくと、駐車場には車がいっぱい。外大野のシダレサクラはこの辺りで一番有名らしく、大勢の人が押しかけている。手前の路側に車を停めて歩いて行く。
 外大野のシダレサクラは「樹齢320年、幹周囲3.5m、樹高20m、茨城県指定天然記念物に指定されている。水戸藩主・徳川光圀公のお手植えといわれ、「桜を守る会」が保護と管理を行っており、春には桜まつりが行われます。エドヒガンの一種で別名糸桜ともいいます。」
 サクラの下の広場にはテントが作られて、土地の人が観光客の接待に当たっている。後の高台に上がる階段を使って、四方からサクラを眺め、シャッタを押しながら一回りした。
 下の湿地には水芭蕉が綺麗に咲いていたが、そばにある池の水面に映る逆さサクラを撮ろうと思ったが、今日は風が強くて水面が波立っていて残念。
(外大野のシダレザクラ:正面から和子)

(外大野のシダレザクラ:横から一俊)

(外大野のシダレザクラ:上部だけ一俊)

(上から、接待所が見える)
(ミズバショウ)

 外大野のシダレザクラの所から少し引返したところから脇道に入って沓掛峠に向かう。山菜の山・高見山の麓で何度も通ったところである。対向車が来ないことを祈りながら狭い道を走って峠に着くと、駐車場が広くなっていて数台の車が停まっていてもガラガラの感じ。
 高見山の麓は雑木や下草が綺麗に刈り払われていて「農薬を散布してあるので山菜採取は禁止」の立札が数か所に立っていた。ヤマザクラ見物を売り出すために整備されているのだろうが、山菜の収穫にも期待していた者には少々残念。枯れた原っぱに咲くヤマザクラも味気ない。一回りしたが、和子はカメラを構えようとはしなかった。
(沓掛峠の山桜(1))

(沓掛峠の山桜(2))

 外大野から帰りは猪鼻峠を越えてR349で常陸太田に向かう。途中、里見の泉福寺に立ち寄ってシダレザクラを眺めて帰ることにした。
 ここも県指定天然記念物。「泉福寺は、里美地区で唯一住職がいる寺院。貞保元(1684)年に廃寺であった松安寺の跡地に日立市小木津より引寺されました。このシダレザクラはその際に植樹されたものと考えられており,茨城県の天然記念物に指定されています。その推定樹齢は300年,根回り4m,目通幹囲3.5m,高さ20mと,茨城県内でも有数の樹勢を誇る巨木として,古くから多くの観光客の目を楽しませてきました。通常,シダレザクラと聞くと,傘のような樹形を思い浮かべるものですが,このシダレザクラは途中から二股に分かれており,あたかも丁寧に手を掛けた盆栽のように,どの角度から見ても美しい樹形を目にすることができます。なお,枝先から主幹にかけて空洞ができてしまったことから,平成8(1996)年に樹勢回復のための外科手術が施されています。」
 到着時刻がもう午後4時に近く、一部まわりの巨木に陽が遮られて写真の出来は今一つ。
(泉福寺のシダレザクラ:和子)

(泉福寺のシダレザクラ:一俊)

 次の日、夕方になって風神山のヤマザクラとニリンソウを見ようと出かけた。風の広場では夕日を受けた綺麗な桜を見ることが出来たが、出発が遅かったので鉄塔のところに着いた時にはヤマザクラは逆光で台無し、ニリンソウも夕方になると花弁を閉じる様で華やかさが今一つだった。#68鉄塔の点検路を通って周回して帰ってきたが、一周12km、3時間半のウオーキング、お疲れ様でした。
(風の広場)

(ニリンソウ)





inserted by FC2 system