B51.十王前横穴墓群
1.動 機和子が十王の友人宅に午後訪問する約束が出来、運転手として私も同行することになった。十王と聞いて、今年2月に日立北部川尻地区の寺社巡りをした時に、日立市指定文化財の十王前横穴墓に立ち寄ったがその時にはその所在が確認できなくて、さくら並木が満開の時期にリベンジしようと話し合ったことを思い出した。既にさくらの時期は逃してしまっていたが、NETで横穴墓の場所も確認していたので、早めに出発して午前中に十王前横穴墓群を探索することにした。 2.データ
a)山域:十王前横穴墓群(20)b)登山日:2014/05/05(月) c)日程:自宅10:40 = 11:20豊浦工場路側P ---- 十王前横穴墓群 ---- 12:00豊浦工場路側P = 12:15ファミレス13:00 = 13:15友人宅13:30 = 14:00自宅
e)地形図:1/25000 「日立」 3.山行記録 2月に見付けていた十王前横穴の標柱の場所を車のナビに入れて、順調に走って40分で到着して路側に駐車した。
橋を渡って民家の前を左の舗装道に曲り、少し登り加減に進むと左の竹藪の中にはっきりとした道がある。前回はこれを無視したが、NETで調べていたので迷わず入って行く。
竹藪を通り過ぎ100mも歩いて行くと右手に上がる手摺のついた階段道がある。これを登って行き、Uターンしたところに最初の横穴があり、脇に説明板が立っていた。説明板の内容は右下の写真をクリックすると現れれますが、下記にも転記しておきます。 十王前横穴墓群(通称:かんぶり穴)は、十王川に面する丘陵の西斜面にあり、29基の横穴墓が確認されています。
横穴墓とは、古墳時代の墓制の一つで、丘陵の斜面に横穴を掘って墓とするものです。 この横穴墓群の特色は、玄室(墓の内部)の規模が大きく、奥壁が台形で、石を敷きつめた一段高い床面を設けた横穴墓が多数存在することですが、最大の特色は、玄室の壁面に、三角形や菱形、靫(矢を入れるもの)などの文様が線で刻まれ、それらが赤色や黒色などに彩色された三基の装飾横穴墓が存在することです。 装飾横穴墓や装飾古墳は、九州地方に数多く分布しており、この横穴墓群の装飾横穴墓も、九州地方との関連性が考えられます。
出発前にはヘッドランプを持とうと思っていたのに忘れてきた。とにかく中に入ってみると、室内は思ったよりもずっと広く、高さ身長より高く、奥行き4m、幅2m位はありそうだ。岩をくり抜いた大きな部屋に、古墳時代の人類がこんな穴をどうやって穿ったのだろうかと驚くしかない。暗くてよくは見えないが、ままよと写真だけ撮っておいた。
左壁面には飾り棚のような穴があり、何かが置いてあった。
帰宅後、室内写真を写真を拡大してよくみると、左奥の黒いものは蝙蝠のように見える。
説明板の先にも手摺が続いていて、踏み跡を辿ると現れた次の#2横穴は入口が塞がれていた。内部保全のためだろうか。
そのすぐ隣に#3横穴があり、ここの室内の奥は床面が一段くなっていた。死者の亡骸を横たえたのだろうか。
#3横穴の先で手摺は無くなり、踏み跡も消えてしまった。ここでお終いのようにも見えたが、説明板には29基の横穴が確認されていると書いてある。よくよく見ると急斜面に踏み跡が登っているようにも見え、「危ないことはしないで」の和子の制止を振り切って登ってみたら、目の前に#4の横穴があった。
室内の天井は平らに仕上げてはなく、半円形の形になっていた。これから先に見つかった横穴でも半分はこの円天井だったが、この方が工作は楽だったことだろう。
右手にはっきりとした踏み跡が続いていて、6個の横穴を見ることが出来た。
七つ目の横穴の状態が良かったので入って見たが、装飾らしきものは見えなかった。写真でも確認できなかったが、装飾絵がある横穴は三基だけなのだから当たり前か。
六基の横穴の先で踏み跡が途絶え、無理はしないで引返す。反対方向にも薄い踏み跡があるように見えたので進んでみると、こちら側にも横穴があった。
#12の横穴は 埼群古墳館さんのHPでは装飾を施された11号墓となっている。その気で写真を見直せば、奥壁天井下に逆三角形の模様があるようにも見える。
ここの写真にも蝙蝠らしきものが写っていた。
その奥の小ぶりな横穴#13の先は、これまた踏み跡がはっきりとせず藪になっていた。ここで引返す。
見付けた横穴は13基で説明板の総数29基の半分にも満たず、ヘッドランプを忘れたので内部は殆ど観察できなかったが、考古学の専門家でもないのでこれで満足、満足。ファミリーレストランで昼食をとり、和子の友人宅に伺ってしばらく歓談、山の収穫物と畑の収穫物との交換をして、気持ちよく運転して我が家に帰ってきた。
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