B102.能登半島周遊と兼六園

1.動 機
 年金振込口座を持っていると自動的に友の会会員になる"ろうきん"から今年も親睦旅行「能登半島満喫、海の幸たっぷりの旅」の案内書が送られてきた。去年までは個人的に訪れた事があるところばかりだったので見向きもしなかったのだが、今年の行き先は能登半島、山歩きの頻度も減ってきており暇も出来てきたので初めて参加してみることにした。能登半島まで650kmの長いバス旅の退屈と疲れを心配していたが、旅の初めから終わりまで、バスの中でも、行く先々でも友の会幹事の方々の配慮が行き届いていて退屈する暇もない賑やかで楽しいバス旅だった。台風18号が心配されたが、一日違いで丁度台風一過の好天気になり、3日間とも暖かい好天のもとでの行楽になった。

2.データ
a)山域:能登半島、金沢市
b)登山日:2014/10/7(火)〜9(木)
c)旅程:
1日目(10/7):ろうきん大甕支店6:00 = 日立南IC = 小杉IC = 千里浜ドライブウエー = 気多大社 = のと楽(総会、宴会、泊)
2日目(10/8):のと楽 = 厳門 =輪島の朝市=輪島しおやす漆器工房= 白米千枚田 = 禄剛崎灯台 =のと楽(泊)
3日目(10/9):のと楽 = 千里浜なぎさドライブウエイ = 金沢市内観光(東茶屋街、近江市場、長町武家屋敷跡、兼六園) = 金沢森本IC = 日立南IC = ろうきん大甕支店
(能登半島観光ポイント)

(金沢市内観光ポイント)

d)同行者:ろうきん友の会会員75名、和子
e)地形図:1/200000 「輪島」「七尾」「富山」「金沢」

3)山行記録
3−1’:往路バス(10/7)
    日立自宅5:35 ---- 5:40シオン入口BS = 5:45ろうきん6:05 = 6:10労組前6:15 = 6:30日立南IC = 7:25壬生PA7:40 = 8:55甘楽PA9:10 = 10:10千曲川さかきPA10:30 = 11:20妙高SA11:40 = 12:05名立IC = 12:10海テラス名立(昼食)13:10 = 14:15有磯海SA14:30 = 15:00小杉IC = 千里浜ドライブウエー = 16:10気多大社
 バッグに朝食用のパンを入れて近くのバス停に早めに出ると、日立駅方向から順番に参加者を拾ってきてバスがすぐにやってきた。参加者が77名と多いのでバスは2台用意され、一台は南からやって来る。バスに乗り込むと先月の蔵王御釜のバス旅の時に幹事役だったItさんご夫妻の顔もあった。バスがろうきん前に着くと東海村方向からのバスと乗客の調整が行われた。ビールやお酒などが入っているらしい沢山の箱が役員の人達の手でバスに持ち込まれ、次の労組前では車をここに駐車した大勢の参加者が乗り込んできた。
 顔が揃うと役員の方々の挨拶があり、ここからは会長のAbさんの独壇場、喜寿を迎えたという高齢なのに身体も頭もお元気いっぱい、ユーモアたっぷりの話しっぷりでバスの中を明るい笑いの渦に巻き込み、一升瓶を持ち歩いてお酒を進めて歩いたり、司会役のTtさんそこのけで進行役までやってのける。歳とってもこうありたいものと、これからの人生の見本を見ている様だった。
 高速に乗ってから、すぐにつまみの箱とビールなどの飲み物が配られた。たっぷりのおつまみが入っていて、朝食用にパンを持ってくる必要はなかった。幹事さんが廻ってきてビールの追加、お酒や焼酎のお奨めがあって、朝っぱらからほろ酔い気分のバス旅になった。川柳選びや俳句投稿、謎解きやビンゴなどのゲームが続き、その都度豪華な景品が出てくる。ゲームが一段落すると、カラオケが始まる。会長は唄もお上手で、演歌だけでなくボーカルやロックなど何回もマイクを持って歌いまくる。参加者の中にも会長よりももっと上手な人が大勢いて、知らないで聞いていると、プロの歌手が吹き込んだCDを聞いているようだ。次々と素晴らしい歌声が続いていく。我家は固くご辞退。
 パーキングでトイレ休憩を取りながら赤城山や榛名山、妙義山、浅間山の山々を気にしながらも、長いバス旅もゲームやカラオケなどに惹きこまれていい気分で進んでいき、道の駅うみてらす名立に入ると、混ぜご飯に蟹の入ったおつゆが付いた豪華な昼食膳が用意されていて、すでにおつまみでおなかは膨れていたのに全部平らげてしまった。また高速に戻って西に向かったが、期待した北アルプスの山々は残念ながら雲の中に隠れていた。
 小杉ICで高速を降りて、次は千里浜ドライブウエーの予定だったが、前日の台風の影響でドライブウエーの一部が陥没などの被害が出ていて走行禁止になっているとの知らせあり、ここは修復を願って三日目に立ち寄ることになって直接気多大社に向かった。
(会長のAbさん)
(妙義山)

3−1:1日目観光(10/7)
    16:10気多大社16:45 = 17:10のと楽(総会、宴会、泊)
 1)気多大社
 気多大社の駐車場から参道を歩いて神門を潜ると、拝殿前で白い装束の女性神官が案内役として待っていた。後の本殿、左の若宮神社、右の白山神社と案内された。神門、拝殿を含めて重要文化財建造物に指定されているとのこと。
(気多大社神門へ)
(案内嬢)

 奥の鬱蒼とした樹叢は「入らずの森」と呼ばれている国指定天然記念物の原生林で、昭和天皇も入口から中には入られなかったとのこと。その時詠まれた「斧入らぬ みやしろの森 めづらかに からたちばなの 生ふるを見たり」の詩が貼りだされていた。
(入らずの森)
(昭和天皇の唄)

2)のと楽
 今日の観光は気多大社だけで、能登半島の反対側東側にある和倉温泉の"のと楽"に17時過ぎに入った。なかなか立派な構えの宿で、先ずは温泉に入り、露天風呂も楽しんでゆっくりと汗を流した。 
(のと楽入口)
(おかみさんと)

 18時45分に宴会場に集まり、会長挨拶、支店長挨拶のあと定期総会が開かれ、議長が選出されたあと議案書が上程されたが、すぐに全員異議なしで通過した。宴会場の使用時間は2時間、宴会の時間を長くしようとの役員団の配慮で、議案書はバスの中で審議済みだったのだ。
 総会を終えると、すぐに乾杯があって宴会が始まった。カラオケが始まる。同じ1号車に乗っていた人も続々演台に上がったが、2号車の人にも唄の上手な人が多かった。会長さんはダンスもお上手、何人かの馴染みの女性を演台の上引っ張り出して楽しそうに踊っていた。私は皆さんの歌を聞きながら、ひたすら飲み放題のお酒を頂きながら料理に舌鼓を打っていた。
(総会)
(宴会:カラオケ)

3-2:2日目観光(10/8)
のと楽8:30 = 9:10厳門10:05 = 11:00輪島しおやす漆器工房(昼食)12:20 = 12:40白米千枚田13:20 = 14:10禄剛崎灯台14:55 =15:10別所岳SA 15:30= 16:55のと楽17:05 ---- 17:20加賀屋17:50 ---- 18:05のと楽(夕食、泊)

1)のと楽
 翌朝は6時前に起きだして屋上に上がったり旅館前の海岸に出て軽いお散歩をした。6時に日の出になって綺麗だった。
(庭園の池と七尾西湾)
(日の出)

 お散歩の後温泉に入って、7時から海の幸いっぱいの朝食を頂く。食後、8時半の出発前にもう一度海岸に出て、運動公園の端まで歩いて振り向くと和倉温泉街に白いホテル群が朝日を受けて綺麗だった。
(和倉温泉街)

 のと楽の前には海岸に木の桟橋のようなものが長く海に出っ張っていて、その先端まで出ると向かいの能登島が左手のツインブリッジから能登島大橋まで綺麗に見えていた。振り返るとのと楽全体を正面から見ることが出来た。
(のと楽前から能登島ツインブリッジから能登島大橋)

2)巌門
 バスは定刻にのと楽を出発して半島の西側に引き返し、能登金剛の中心にある能登金剛センタに向かった。途中の崖上からも車窓から巌門が見えていて期待が広がる。
 センタの駐車場に9時10分に着いて10時まで自由時間、先ず巌門を目の前から見ようと、目の前に鷹ノ巣岩を見ながら階段道を下って行くと「20分間の遊覧船です」のアナウンスが聞こえてきて、バスの出発時間に間に合うと途中から遊覧船方向の道に別れて行った。
(バスから巖門を見下ろす)
(巖門へ下る、鷹ノ巣岩が見える)

 ひと山越えると遊覧船乗場があり、「船が出るよ」のアナウンスが流れていて、船に乗り込むとすぐに出港した。
 船は岩礁帯の間を抜けて海に出て南下し、岩礁だけで出来た海苔島と碁盤島の間を抜けていく。
(遊覧船に乗る)
(海苔島、碁盤島)

 碁盤岩の先には福浦港があり、その先に白い小さな建物があり、明治初期に作られた日本最古の木造灯台で、菜種油のランプをともしていたとのこと。その奥の高台には9台の風車が回っていた。
(日本最古の木造灯台)
(福浦の風車群)

 木造灯台を見てから船は沖に出て引き換えし、鷹ノ巣岩の近くを通ると「この急峻な岩山に登った人はまだいない。中腹の岩棚の端に見える白いものは鷹の糞だ」と言っていた。
 巌門の前に来ると、船首を巌門に向けてすぐ入口まで近づいてくれた。小舟なら通り過ぎることが出来るが、浅瀬なので遊覧船ではここが限界だと言ってバックした。巌門の下の水の色は真っ青で見事、ゴツゴツの岩肌と合わせた情景はイタリアで見た青の洞窟を思い出させた。
(鷹ノ巣岩)
(外側からの巖門)

 船は更に北上して沖に出て、能登半島の北部を見せてくれてから乗船場所に引き返した。
(能登半島北部)

 遊覧船を降りて千畳敷岩の広い岩礁帯を歩いていって、北側の登り口から階段を登って行った。
(千畳敷岩を渡って)
(階段を登る)

 登り切ったところにはゼロの焦点歌碑の道標があり、映画のロケ地になったところとのことで立ち寄ってみたかったが、今日はもう時間がない。何か良いことがありそうな”幸せのがんもん橋”を渡ってセンタに向かうと、橋の上からは遊覧船で回ったルート全体が見渡せてなかなかの絶景だった。
(幸せのがんもん橋)
(橋の上からの眺め)

 40分前にセンタから下ってきた階段道に出合い、そこから少し下った左分岐に巌門洞窟の道標があり、その先に洞窟へ下る階段道があった。
 階段を下って行き暗い洞窟を通り過ぎると巌門の入口のところに出た。ここからは巌門センタへ登る階段道で、これを登って行くと小さな滝があり、更に登ってセンタに戻った。遊覧船にも乗って充実感がある観光ポイントだった。
(巌門洞窟に下る)
(右巌門洞窟出口(右)と巌門(左))

 バスは巌門から輪島まで海岸線を走った。途中、平らに整備された岩の上で作業している集団があったが、岩海苔の生育場所とのことだった。ゴツゴツの岩肌に生えるのでは無くて、平らな岩(コンクリート?)の上だと収穫が随分と楽になりそうだ。
 海岸線には岩礁帯が続き、トトロ岩と呼ばれる面白い形の奇岩が目を惹いた。
(青海苔栽培)
(権現岩=トトロ岩)

3)しおやす漆器工房
 輪島に着いたら先ず朝市を見に行く予定だったが、今日第二水曜日は朝市がお休みだったとのことで、直接しおやす漆器工房に入って輪島塗の工程を見学することになった。工房ではベテランの職人さん(ご主人?)が説明をしてくれ、漆器が出来上がるまで木地、下地、研物工程、上塗工程と専門職人による完全分業で作らており、更にその後で蒔絵や沈金の加飾作業も入り、完成まで数カ月もかかるとのこと。高価なわけだ。
 工房内の食堂で釜飯の昼食を頂いてから店内を物色して、受験を前にした孫へのお土産に「すべらない箸」を買い込んだ。
(木地作りと下地塗り)
(上塗り)

4)白米千枚田
 輪島をあとにして海岸線を20分も北上すると白米千枚田の道の駅に到着、脇の展望台の車道から海岸線まで無数の小さな田圃が階段状に並んでいるのが見えた。稲が実る時期には黄金色の縞模様がさぞかし綺麗だろうなと想像できるが、稲は既に刈り取られていた。それでもなかなか見事な眺めではある。すぐ下に世界農業遺産の立札が立っているのが見えていた。
(千枚田を俯瞰)

 元気のある人は海岸線まで歩いていらっしゃいと40分間の自由時間が与えられ、遊歩道を一回りすることにする。海岸線まで手前の遊歩道を下っていくと、腰の曲がったお婆さんが歩いてる姿も見られ印象的だった。
 車道には農協のトラックが停まっていて、能登棚田米とプリントされたTシャツを着た若者が稲藁の束をハザ干し柵から外していた。千枚田の面倒は農協がみているらしい。
(世界農耕遺産の標識)
(稲藁の取り込み)

 海岸線まで手前の遊歩道を下って中央の遊歩道を登って行くと、田圃の端に個人名を書いた標識が立っていた。一枚毎の田圃の面積は狭くて耕運機も入らないので、栽培は昔ながらの手作業で行うしかなく、また後継者不足が深刻でなので、千枚田を後世に残すために千枚田オーナー・トラスト制度を作って保存活動に取り組んでいるとのこと。この標識にはそれぞれの田圃の耕作権を持ったオーナの名前を書いてあるのだが、小泉純一郎や安倍昭恵など政治家の名前もあった。
(オーナ制度の耕作田標識)

 千枚田から更に変化があって飽きることのない海岸沿いを行くと、今なお海水から食塩を作っている能登塩田村があり、作業をしている人の姿が見られた。
 ガイドさんが「この辺にゴジラ岩があるはずだが、見当たらなかった」とアナウンスしていたが、あとでチェックした私のカメラに映っていた岩がもしかしたらそれかも。
(塩田作業中)
(ゴジラ岩?)

5)禄剛崎灯台
 能登半島の突端まで走って道の駅狼煙にバスが停まり、禄剛崎まで坂道を登っていった。ここには明治16年に初点灯した石造りの灯台・禄剛崎灯台があり、通常の灯台はレンズを回転させることにより光を点滅させるが、この灯台では、レンズを固定し灯火の遮蔽板を回転させることによって点滅させている珍しい灯台とのこと。
 灯台前の広場には「海風の灯」という目立つモニュメントが立っていて、何だろうかと曰くを読むと、雲のようなものはこの地の地名にもなっている狼煙(のろし)を表し、上にあるのは火焔を透かしたもので石川国体の時に海風を使って採火した記念に建てられたものらしい。
(禄剛崎灯台)
(海風の灯)

 他にも「日本列島ここが中心」というモニュメントがあった。日本の中心としては名乗りをあげているところとして栃木県の田沼や群馬の渋川など聞いたことがあるが、ここが日本列島の中心だとは意外だった。
(日本列島の中心)

6)加賀屋
禄剛崎から半島の東側を南下すること2時間、17時前にのと楽に帰り着き、夕食までの時間、皆さんと一緒に有名な宿「加賀屋」までお散歩した。
 15分ほどで加賀屋に着き、丁重なお迎えもうけて、館内の広い売店でお土産ものを見て歩いた。ここの包装紙で包まれたお土産を持ち帰れば、加賀屋に泊ったと思ってもらえるるだろうとの思惑で、皆さんも色々と買い込んでいた。(宿泊代が予算に合わなかったらしい)
(加賀屋までお散歩)
(土産探し)

 加賀屋の入口で記念写真を撮り、宿泊者でもないのに、ずらりと並んだ仲居さんたちに見送られて気分を良くしてのと楽に帰ってきた。
(証拠写真)
(ご丁寧な見送り)

 この日の夜は皆既月食、夕食後に空を見上げてうっすらと見える月影を眺めながらシャッタも押したが、残念ながらうまく映っていなかった。

3−3:3日目観光(10/9)
    のと楽8:05 = 8:50千里浜なぎさドライブウエイ9:10 = 9:50東茶屋街10:30 = 10:40近江市場11:25 = 11:30長町武家屋敷跡12:10 = 12:20兼六園13:00 = 13:00寄観亭(昼食)13:30 = 13:30兼六園14:05
1)千里浜ドライブウエー
 好天気が続いたので、荒れていた浜が整備されたとのことで、今日の観光地の金沢市に向かう途中、バスは金沢千里浜ドライブウエーを走ってくれることになった。
 また能登半島の西側に戻って千里浜レストハウスで一休み、その間に外に出てみると、高みに千里浜なぎさドライブウエーの石碑が立っていて、その脇にこの記念碑建立の記があった。 レストハウスの脇には、去年日立の河原子海岸のサンドアートフェステイバスルで見たような巨大な砂の像がいくつか並んでいて、特に目を惹いていたのは大相撲で最近人気のある遠藤関の像、この近くの出身らしい。
(千里浜ドライブウエーの標石)
(砂の芸術)

 浜に出ると北側にドライブウエー終点の表示板があり、その向こうは海水浴場で焼き蛤などの看板を出す海の家もあった。
 反対側がドライブウエーでタイヤの跡がどこまでも続いていた。前出の建立の記によるとドライブウエーの長さは8kmもあるという。
(ドライブウエー終点表示)
(終点からドライブウエーを望む)

 レストハウスに戻ってバスに乗り、浜に出て波打ち際の砂地をゆっくりと走って行った。時々がたんと揺れることはあったが、意外と静かで気持ちの良いドライブだった。
(終点から始点へバスは走る)
(始点から見返す)

2)あずま茶屋街
 気持ちの良いのと里山海道を南下して金沢市に入り、最初の観光地点はあずま茶屋街だった。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「街並みの文化財」には美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめていた。
 茶屋に入らせてもらって中を見学すると、ch室には立派な衝立が並んでいた。
(あずま茶屋街)
(茶室の衝立)

3)近江市場
 次は近江市場。広い敷地に碁盤状に張り巡らされた狭い道の両側に上野のアメ横のように生鮮食品などの食品や生活雑貨を扱う店が立ち並んでいる。奥様方はめぼしいものを探して目の色を変えて歩き回って嬉しそうだった。
(近江市場)

4)長町武家屋敷跡
 次は加賀藩時代の上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねる長町武家屋敷跡。今も市民生活が続けられているようだが、土塀と石畳の路地をあるいていくと藩政時代の情緒ある雰囲気を味わうことができた。
 その中で公開されている野村家の武家屋敷跡に案内された。
(長町武家屋敷通り)
(野村家玄関)

 野村家は代々加賀藩の奉行職を歴任してきとのことで、古木や雪見灯篭を配した庭園や、山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸など、当時の格式の高い武家様式を偲ばせていた。
 認定書付の刀剣類や明智光秀直筆の感謝状があったり見所いっぱいだったが、途中でカメラの電池が切れて残念ながら映像は少ない。
(庭園)
(刀剣)

(書状)

5)兼六園
 最後は日本三大名園の一つの兼六園、いつか二人で来たことがあるように思うのだがいつのことだっただろうか。
 バスを降りて桜ヶ岡口の公園入口に行くと、専門の公園ガイドさんが出迎えてくれた。ガイドさんの説明を聞きながら虹橋や眺望台、唐崎松、根上り松など公園の要所を見て回った。
(虹橋)
(眺望台)

(唐崎松)

 雁行橋、雪見灯篭の向こうに松の美しい七福神山を眺めてから、霞ヶ池の周りを歩いて内橋亭や亀島(蓬莱島)などの説明を受けたが、この池の水を導いて動力なしで水を吹き上げる噴水の仕組みが説明が面白かった。
(霞ヶ池と内橋亭)

 植林帯を過ぎるとミツバツツジの綺麗な道になり、皆さんもシャッタ押しが忙しくなった。
(雁行橋と七福神山)
(噴水)

 ガイドさんの案内は40分で終わり、入口すぐの寄観亭に予約してあった昼食を頂いた。昼食後、14時10分まで40分間の自由時間が持たれたので、瓢池を見てこようと一人で出掛けた
 霞ヶ池のすぐ畔まで出て亀島をゆっくりと眺めてから瓢池まで行くと、岩島に一匹の鷺がいて色々なポーズを取っているのが面白くてしばらく眺めていた。
(霞ヶ池の亀島)
(瓢池の岩島)

 噴水まで引き返して写真を撮っていると、カメラを持った外人さんのご夫婦が私に手招きして何か呼びかけている。シャッタを押してくれと言っているのかと近づいて行ってよく聞くと「レインボウ、レインボウ」と聞こえる。何だろうと思ってご夫婦の示す場所に行くと、噴水に綺麗な虹が出来ていた。ご夫婦は私が気が付いたことに満足してサヨナラしていった。
集合時間5分前に寄観亭間近まで引き返してきた時、和子からの携帯が鳴った。寄観亭前を見ると、もう全員揃って私一人を待っている。みんなお土産も買ったし何もすることがなくなったので早めに出発することにしたとのことだった。和子から厳しい叱責を受けたが、やはり単独行動はいけませんですねえ。
(噴水に虹)
(噴水に虹:拡大)

3−3’:復路バス(10/9)
    兼六園14:10 = 14:25金沢森本IC = 15:20有磯海SA16:00=16:55妙高SA17:10=17:50松代PA18:00=18:55横川SA(夕食)19:25=20:25出流原PA20:40 = 21:55東海PA22:05 = 22:10日立南IC = 22:15労組前22:25 = 22:30ろうきん22:35 = 22:40シオン入口 ---- 22:50自宅
 公園で口まで出てバスに乗り込み、所要があって金沢に延泊するという一組のご夫婦の見送りを受けてすぐに出発。金沢森本ICで北陸道に乗ると、往路と同じように会長を中心にして賑やかなバスになった。昨日、全員で4句づつ投稿した俳句の審査が同乗の俳句の師匠により行われ、なんと和子の一句が佳作に入った。あとは皆さんの美声によるカラオケが続き、私は廻ってきた会員自作のおつまみを頂戴しながら、いい気分でひたすら飲むことに専念した。
 アルプスの山は往路と同じように雲に隠れていて残念、日没近くになってやっと火打、妙高などの山が見えてくるようになった。
(俳句の審査)
(妙高SA)

 夕食のために横川SAに入ったが、期待していた釜飯が売り切れになっていて皆さんもがっかり。我家は初日の朝食用のパンが食べずに残っていたので、これで夕食を済ます。復路もおつまみでお腹は大体満足になっていた。
 東海PAで最後のトイレ休憩をして、日立南ICで高速を予定より2時間遅く降り、みなさん各バス乗り場で往路と逆の順序で降りていって散会となった。観光ポイントも良かったが、長いバスの中が物凄く賑やかなで、期待以上に楽しい三日間のバス旅でした。


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