C103.東金沢・大沼の名所旧跡巡り
(日立の魅力再発見ウオーク)

1.動 機
 今年3回目の日立の魅力再発見ウオークは「東金沢・東大沼の名所を知ってみよう」に参加してきた。大沼地区は私一人で「B13日立市の自然文化財(7)」の時に少し歩いたことがあるが、案内されるポイントは殆ど初めての所ばかりだった。9時に大沼交流センタを出発し、いろいろな観光ポイントで説明を聞きながら歩いて地区を一周、昼前に交流センタに戻ってダンゴ入りの美味しい豚汁を振る舞われ、その後の抽選会では二人とも当たりくじを引き当てて、楽しいウオーキングの幕に花を添えました。

2.データ
a)山域:日立市金沢・大沼地区
b)登山日:2015/10/17(土)曇
c)コースタイム:
自宅8:00 = 8:10大沼交流センタ9:05 ---- 9:10金沢弁天公園9:35 ---- 9:45 中ノ沢公園9:50 ---- 9:50大沼小学校(トイレ)10:00 ---- 10:10伏見稲荷・海防陣屋跡10:15 ---- 10:30大沼松苗植樹記念碑10:35 ---- 10:50大沼川分水路 ---- 11:00横山家の墓碑11:05 ---- 11:10諏訪森公園11:15 ---- 11:20延命地蔵尊11:30 ---- 11:40大沼交流センタ(昼食・抽選会)12:05 = 12:15自宅
(東金沢・大沼ウオーキング歩経路)
(東金沢・大沼ウオーキングの高低差)
d)同行者:ウオーク参加者32名、和子
e)地形図:1/25000 「日立南部」

3.山行記録
 我家を8時に車で出発して大沼交流センタの駐車場に入ると、近所のKoさんとOmさんも入ってきた。二人は違うところのウオ―キングに行くと言っていたのでびっくりしたが、一緒に歩けることになったことを喜び合う。
 大沼交流センタは近くの水木交流センタに比べて規模が大きくて広い。施設の中をしばらく見て回っている間に集合時間になり、全員が裏の広場に集まって、役員紹介からコースの説明が行われ、ラジオ体操の準備運動をしてから幟旗を先頭に歩き始めた。
(大沼交流センタ前に集合)
(ラジオ体操第一)
 大沼公民館から歩いて5〜10分位で金沢弁天公園。鬱蒼とした木立で、昼でも公園内は薄暗い。公園内に、弁天池(湧き水が僅かながら湧いている)、厳島神社がある。
 先ずは、少し東に歩いて金沢弁天公園を案内された。広い公園に入ると厳島神社の鳥居があり、ここから参道を入って行って厳島神社の拝殿の前で、弁天公園や厳島神社の謂れなどのお話があった。この厳島神社のご神体は水を司る弁財天で、私の育った広島県の宮島厳島神社とも何か関係のあるような話しだった。
 日本三弁財天:厳島弁財天(宮島)、江の島弁財天、竹生島弁財天(びわこ)
 日立三弁財天:ここ金沢、諏訪の水穴、本山の三本杉
(厳島神社鳥居)
(厳島神社)
 公園の柵の外に出ると透き通った水を湛えた池があった。大きなプラスチックパイプから綺麗な水が流れ出していて、これを金沢弁天池の湧水というとのこと。
 また公園の中に入って、三峰神社に付いて説明あり。「埼玉県秩父郡に連なる三峰山を信仰する神で、山犬(狼)の姿をした神札は魔除けの霊験があるとされ、火災、盗難除けとして家の門口に貼られたり、害獣除けとして笹竹にはさんで田畑に立てたりしていた。」
(弁天池)
(弁財天三峰神社鳥居)
 二十三夜塔や青面大金剛の古い石碑があり、庚申塔の前でこれら石塔の説明があった。「庚申待ち信仰:日本に古くから伝わっている民間信仰で、庚申の日に村中の人が集まって、神仏を祀って徹夜をする行事。その夜は寝ずに酒盛りをして夜を明かした。」
(二十三夜塔と青面大金剛碑)
(庚申塔前で説明弁)
 弁天公園から出て歩いて行くと、すぐのところに馬力神、馬頭観世音などの石碑が沢山並んでいたが、何も説明はなかったようだった。
 よくスーパに買い物ウオーキングする道に出て大沼小学校に近くまで来ると、階段状の囲いで周りを囲まれた湿地帯の公園があり、ここが中の沢公園と呼ばれ、ホタルを育てる会の支援で定期清掃が行われているとのことだった。
(公園近くに馬力神などの石塔)
(中の沢公園)
 すぐ近くの大沼小学校の裏口からトイレを使わせていただく。今日はお休みだが、役員さんが頼んで門を開けて貰ってあった。
 大沼小学校を出るとすぐに旧日立電鉄線の跡の出る。ここも既に道路に整地されていて、BRT道路の準備は順調に進んでいるようだった。
(大沼小学校)
(日立電鉄線跡)
 次の角を曲がって通りをしばらく歩いて行くと、右手に見覚えのある伏見稲荷大明神の赤い鳥居があり、その狭い参道の奥に伏見稲荷の地味な社があった。この前に「大沼異国船陣屋跡」の説明板があって、役員さんからも説明があった。
「江戸時代、水戸藩は初代藩主の時代より幕末まで助川館とともに七つの海防設備を設けて、異国船に対する海岸防衛を行ってきた。ここはその一つである。助川海防城と同年の天保7年(1836)に九代藩主徳川斉昭の命によって建てられた。ここには役人と同心が在住して鮎川村から久慈村までの海岸防備にあたった。この地から600メートルほど離れた場所に同心の屋敷も点在していた。しかし、同心の屋敷は天狗党の乱の時に焼失した。
 現在はその遺構は残っていない。」
(伏見稲荷大明神鳥居)
(伏見稲荷前で大沼海防陣屋)
 そこから海岸方向に真直ぐに日立パワーの大沼工場脇の道を歩いてR245に出るところの右手角に松苗植樹記念碑があった。説明は
「この記念碑は大正5年3月に建立するも、文字が読みにくくなったため、平成6年に新たに建立したものです。碑に刻まれた「記念」の意味は、大正5年に海岸沿いに防潮林として松苗23,000本を植樹したことにより、当時の県知事から賞をいただいた記念に建立したものです。本文の漢詩は作者が不明ですが、このあたりから見た広々とした情景が歌われている。」
 この近くに鶴亀の松という鶴と亀の格好をした松があったが、亀の松は昭和34年、鶴の松は昭和49年に枯れてしまったとのこと。和子達は見たことがあるとのことだが、昭和37年に日立に来た私は鶴の松は見たことがあるような気がするがどうだったか。
(松苗植樹記念碑前)
(松苗植樹記念碑)
 伏見稲荷手前まで引返して左折、広い通りに入って大沼川沿いを山側に歩いて行くと通勤道路に突き当たる。この下が通れるようになっていて、通勤道路の下に大沼川分岐水路があった。
 「2級河川大沼川は、河川断面が小さく流れも急なため、一時的な降水でも流域各所で浸水被害が発生し、99年10月27日の異常降雨では、日立市の南部・大沼町、東大沼町を流れる大沼川が雨水の処理能力を超え、床上浸水22軒、床下浸水250軒の被害が発生した。この下流域の洪水時の流下能力を確保する目的で、延長約640mのトンネル分水路が太平洋まで引かれた。工期は2005年9月23日〜2008年3月20日までかかる大工事だった。」
 大沼川の左岸にコンクリートの0.5mほどの護岸があり、その先にトンネルが見えた。水位が上がって危なくなった時に、水が護岸を乗り越えてトンネルに流れていく仕組みになっているらしい。水木海岸をウオーキングした時に海側から見かけたトンネル出口はここから繋がっていたのだ。
(大沼川分水路)
(海岸で見た分水路出口)
 分水路のところから道なりに歩いて行くと、左手に広い墓地があり、その中に横山家の墓地があった。二つの大きな新しそうな墓石の他に、小さな古い墓石もあった。その脇に墓碑があって、これが今回案内される要所らしかった。墓碑の要点は
「横山家は「千部塚」又は「一軒家」と呼ばれる。甲子の乱のとき、武士横山介左衛門の妻きちは、攻めてくる敵兵に「敵も人の子なり、息子と同じ空腹を満たさん」と大釜に飯を炊き置いて裏山の穴に身を隠して難を逃れた。このため4軒のうち3軒は火をつけられたが、一軒だけ焼失を免れた。これが横山家の「一軒家」と呼ばれる由縁である。きちの心情を思う時、平和を願い子を思う深い愛情は時代を超えて相通じるところがある。この地にある千部塚は千人のお経が奉納されているので、く盛り上がったところを踏むと足が曲がると言い伝えられている。」
(横山家墓地)
(横山家の墓碑)
 横山家墓地から大沼団地の中を抜けて歩いて行くと、鬱蒼とした大樹が茂る諏訪森公園があった。 公園には樹齢450年という見事なシイの大木が生えていて、下には椎の実がいっぱい落ちていて何人もの人がシイの実拾いを始めた。
「昔は、ここに諏訪神社というのがあったそうだが、慶長7年戦乱や疫病の流行があったので、大沼村の村社を根道アパートの隣の森の中にある大山祇神社に定めて、諏訪神社を移し、病災消除を祈願した。」と。
(諏訪森公園)
(シイの実拾い)
 常磐線を渡ってR6近くまで歩いたところに延命地蔵尊の小さな社があった。
「延命地蔵尊は宝暦13年(1763)に建てられたもので、延命利生を誓願とする地蔵をいう。像は右手に錫杖、左手に宝珠を持った立像で衣を通肩にまとい蓮華座上に立っている。」
 説明が終わると、人だかりで見えなかった赤い法衣を纏った地蔵尊が見えるようになり、まわりにはお花や果物などがいっぱい供えられていた。特に両脇に何筋もの千羽鶴が吊り下げてあるのは、近所の方々の信仰の深さを思わせていた。
(延命地蔵尊)
(延命地蔵尊)
 交流センタに着くと豚汁の良い匂いがしており、裏庭にはブルーシートが敷かれ用意万端整っていた。すぐにダンゴ入りの豚汁とアンパンが振る舞われて賑やかな昼食会。とっても美味しい豚汁だった。
 豚汁が完食されると、次は抽選会。一人一人箱の中から紙切れを引っ張り出す。5本に1本当たりくじがあるとのことだったが、我家は二人とも当たりくじを引いて、参加賞と景品両方を貰って両手に花!
(ダンゴ入り豚汁)
(抽選会)
 KoさんとOmさんと明日の滑川ウオーキングには我家の車で一緒に行こうと約して交流センタを後にした。


inserted by FC2 system