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(滑川ウオーキング歩経路) | (滑川ウオーキング歩経路の高低差) |
d)同行者:ウオーク参加者57名、和子
e)地形図:1/25000 「日立」
3.山行記録
KoさんとOmさんを乗せて森山を8時10分に出発して、R245とR6海側バイパスを繋いで快調に走って、集合時間前に滑川交流センタの駐車場に到着した。体育館前で受付し、役員紹介、コース説明があってから、ラジオ体操をして9時丁度に歩き始めた。
参加者は59名、長い行列を作って、常磐線の踏切りを渡り、国道6号の下をくぐって海側に歩いて行く。
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(滑川交流センタに集合) | (常磐線と国道6号を横切る) |
交差点で滑川浜通りを横切ったところの右手に「海雲山観音院」の石柱があり、ここから観音院の参道が伸びていて、正面奥に本院が見え、右の石塀の上に鐘楼堂が見えていた。
境内には子育て観音や不動明王、説法地蔵などいろいろな仏像、彫り物が並んでいたが、一番目立つのは右手の大きな梵鐘堂、柱や屋根下が竜の彫刻で埋め尽くされている。
梵鐘堂や本院の佇まいを見て、和子は「ここには来たことがある。」という。何かのついでに、この観音院の境内や、常磐線山側にある滑川八景の海運山の夕照、舞台遺跡と車で回ったような気もしてくる。
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(海雲山観音院に到着) | (鐘楼堂) |
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(仏像) | (香炉) |
しばらく境内を見学していると、住職さんが出てこられてみんなを本院の中に招じいれられた。本院の中は天井から壁まで仏画などの絵で埋め尽くされていた。
ここで、住職さんのお話が始まり、御話上手で、お寺の歴史など詳しく聞かせていただいたが、一番驚いたのは、この部屋の絵は全部先々代が一人で描かれたのだという。その絵の中には物語を語っているものもあった。写真を撮れなかったのが残念。
由緒に付いてはメモしなかったので、NETの情報を転写
本尊:釈迦牟尼仏 創立年代:天正三年(1575) 曹洞禅宗海雲山観音院と号す。
大正二年(1913)不慮の事態で焼失する。
寺を舞台の地より現在地へ移し、大正十五年(1926)再建された。
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(本堂へ) | (住職さんに見送られて) |
次は街中の道を歩いて行った一角に小さな小幡町の公民館があり、その右に阿弥陀堂が建ち、左には石仏群が並んでいた。
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(街中を歩いて) | (小幡町公民館) |
阿弥陀堂はガラス戸が閉ざされていたが、ガラス越しに阿弥陀如来堂が見え、その中には阿弥陀如来が祀ってあるとのことだが、今日はその上にある阿弥陀如来の写真を見て拝みなさいと言われた。
左の通路に並んでいる石仏の一つが「いぼ神様」といういぼを取ってくれる有り難い仏様だという人がいたが、阿弥陀如来様とどっちが偉いのかな。
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(阿弥陀如来堂) | (石仏群) |
長い道中にトイレがないので、滑川浜児童公園に立ち寄って一休み。60人の用足しには時間がかかる。その間にやって来た3人の女の子、ブランコをやった後、大きな木に上手に登っていき、下りるのもスルスルスットン、お見事なお転婆ぶりで目を楽しませてくれました。
休憩後、辻を何度か曲がりながら海の方に歩いて行き、突き当たった丘の茂みに石段道があり、これを登って行った。
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(滑川浜児童公園) | (石段を登って) |
石段の途中の左手に小さなお堂があり、この前の小広場に入っていった。ここは通称みみだれ観音と呼ばれる清水聖観音堂で、耳の病気を治してくださる神様とのこと。
お参りして耳が治ったら、お椀に穴を開けてひもを通して奉納するとのこと。お堂の四隅にはたくさんのお椀が束になってぶら下がっていたが、縁側の上には吊るし切れなかったお椀がいくつも置いてあった。そのお椀を良く見ると、底には小さな穴があけられていた。
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(清水聖観音堂(みみだれ観音)) | (穴の開いたお椀) |
みみだれ観音から更に茂みを登って行くと広い畑地になり、目の前の太平洋の展望が広がって、海の白波の上には国道六号バイパスの高架橋が見えていた。
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(更に登って) | (展望広がる) |
畑地の丘を下って高架橋すぐ傍まで行くと、高架橋と平行に通る車道に突き当たる。その左角に、百万遍供養塔が立っていた。集落の人々が講を作り念仏を唱え百万回に達したのを記念して供養塔が建てられたとのこと。昔は浜に建っていたものを、6号バイパス工事に伴ってこの地に移されたとのこと。
ここからは高架橋を右上に見ながら橋と平行に歩いて行く。橋脚の間から眺めるテトラポットの山と押し寄せる白波とが作る風景が綺麗だった。
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(百万遍供養塔) | (国道6号沿いの道を歩く) |
どんどん歩いて行って、小さな橋を渡った先の民家脇の石段道を登っていくと、右手に小さなお社があった。これが津神社だが、今は参道が壊れていてお参りができず、横から眺めただけで通過した。
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(橋脚下歩きはお終い) | (津神社) |
津神社を見てから少し登ると広い舗装道になり、今度は6号バイパスを右下に見ながら歩くことになった。その先に滑川新橋の大きな円弧の橋脚が見えていた。
しばらく舗装道を歩いて滑川新橋に近付くと、この円弧の橋脚が大きく見えてきて、初めて見るこの高さからの滑川新橋に向かって何回もシャッタを押した。
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(国道6号バイパスと滑川新橋) | (滑川新橋) |
下の6号バイパスを車で走っている時に、いつも円弧が目立つこの橋を見上げながら通過するのだが、この橋の上を歩くのは参加者ほとんどが初めてのようだった。リーダに言われて、橋の途中から振り返ると神峰山、鞍掛山の山並みが綺麗に見えていた。
立派な橋を渡ると広い道が繋がっているのだろうと思っていたのだが、実際にはそこには広い畑地があるだけで、畑の間の農作業用の道しかなかった。我々も草の生えた狭い農道を歩いて行く。
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(橋からの展望) | (畑地道) |
畑地の先には小さな森があり、古木の枝が覆いかぶさる道を歩いて行くと、左斜面にたくさんの横穴が続いていた。横穴はごく浅い壕で、中には落葉が積もっていた。
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(東滑川海浜緑地へ) | (横穴群) |
その横穴群の道の先には温泉スタンドへの分岐があり、ここから先は擬木の柵が付いた舗装された遊歩道になり「日立市公園里親制度」の立札が立っており、この東滑川海浜緑地では日立一高が里親になってヒカリモを育てているとのこと。説明板によれば、ヒカリモの発光が見られるのは春先から6月頃までとなっていたが、いくつかの横穴の中には、水溜まり一面にお日様を受けて黄緑色に光るヒカリモが見られた。
ヒカリモの横穴群からは、下に見えるグミ島に向かって階段道を下って行く。
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(ヒカリモ) | (グミ島へ) |
海沿いの遊歩道と交差するまで下って右に進むと、遊歩道の脇にはハマギクの花があちこちに咲いており、ヒカリモの光っている横穴もいくつかあった。
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(ハマギク) | (ここにもヒカリモ) |
グミ島間近で遊歩道が終わって引返し、反対方向のハマギクの咲き乱れる断崖の上まで歩くと、遊具も置いてある健康広場に到着。向かいに見えるグミ島と右側の断崖がウミウの休息地になっているとのことで、手前の松の木と調和していい景色をつくっていた。
健康広場の先には鵜の島温泉の建物が見え、そちらに向いて階段道があったので一人で下ってみると、ぐるっと向きを変えたところの先に砂浜があった。砂浜には足跡があったが、遊歩道入口あたりに「危険なので砂浜には出ないでください」という立札があったのを思い出して、砂浜を踏まないで引き返した。
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(ウミウの休息地・グミ島) | (砂浜) |
残りのポイントはホタルの里だけで、交流センタの先にあるらしい。健康広場から引返し、滑川新橋を渡ったところで左に進路を取り、後はジグザク、滑川中学校の脇を通り抜ける。
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(滑川新橋) | (滑川中学校) |
国道六号の下をくぐり、狭い道を歩いて行くと常磐線沿いの道になり、観音院へ歩いて行った見覚えのある道に出た。
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(国道6号下通過) | (常磐線沿い) |
踏切りを渡って交流センタへの道と別れ、左に進んで県道10号を渡って滑川小学校の校庭脇の道に入ると、土手に「なめかわホタルの里」の名板があった。校庭土手下のこの小さな小川でゲンジホタルを育てているとのこと。ここで卵は孵化しないので、毎年、幼虫をどこかからか貰ってきて育てているとの説明だった。
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(ホタルの里) |
ホタルに付いての色々な解説版が立っていたが「ホタルの一生」の説明版が面白そうだったので記録に残しておきます。
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(ホタルの一生) |
丁度昼前に交流センタに到着すると、美味しそうな豚汁の匂いが漂っていた。トイレを使って、どんぶりいっぱいの豚汁とおにぎり2個を貰って、庭に並べられたテーブルにKoさんOmさんと一緒に陣取って楽しく美味しく、お代わりまで頂きました。
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(豚とおにぎり汁) | (昼食会) |
今回の抽選会は残念ながら当たりくじにならなかったが参加賞のお土産を頂き、森山までのKoさんOmさんと一緒の車中は、ウオーキングの思い話などで賑やかなことでした。