C114.天橋立・出石城址・余部駅・竹田城址・姫路城

3.3 三日目(姫路城観光)
    姫路プラザホテル9:40 = 9:50駐車場9:55 ---- 10:05姫路城入口 ----(姫路城観光)---- 12:20姫路城出口 ---- 12:30茶処ちせん(昼食)13:00 ---- 13:25駐車場13:50 = 14:10姫路東IC = 15:05池田IC = 15:15伊丹空港 ---- 15:40チェックイン ---- 17:20発=(ANA)= 18:30羽田空港19:00 =(タクシ)= 20:15守谷SA20:20 = 21:10友部IC = 21:20友部駅前 = 21:35水戸IC = 21:50日立南IC = 21:55スーパ22:05 ---- 22:15森山自宅
 姫路城について姫路市HPによれば
    国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
    シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。
    今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14(1609)年に建築されたもの。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。
(姫路城全体鳥瞰図)
 三日目は午前中に姫路城内の観光があるだけで出発時間が遅いので、それまでホテルの屋上から姫路の市内を展望したり、近くを散歩したりして時間を潰した。
(ホテルからの姫路市街展望)
 バスで9時40分に出発し、10分ほどで姫路城近くの広い駐車場に入った。添乗員は入場券を買いに城入口に急ぎ、我々はバスガイドさんに連れられて後を追った。さくらもん橋を渡って入場口の大手門で入場券を受け取って場内に入った。
 中に入ると、正面にいきなり天守閣を中心にした姫路城の主要部が見えていた。
(さくらもん橋から入場)
(三の丸広場から)
 先ずは天守閣に登りましょうと入城口に向かって、姫路城全体を見上げながら三の丸広場を左に案内されていった。
(三の丸広場)
 入場券を受け取って姫路城入場口を通過し、菱の門から場内に入った。門の冠木にある「花菱」の飾りを見ておくよう案内された。
 いの門と、ろの門を通ると、石垣と城壁に挟まれた狭い通路になり、城壁には四角と三角の窓が続いていた。これは下に侵入してきた敵兵を見付けて弓矢や鉄砲で狙い撃ちするための窓で狭間と呼ばれるとのこと。
(菱の門)
(狭間の並ぶ塀)
 続いてはの門と、にの門を潜ると目の前に天守閣が見えるようになった。
(にの門)
(また天守閣が見える)
 すぐに天守閣入口になり、ここからは上り下りの一方通行になり、板の間に上がるところでは靴は脱いで備え付けのビニル袋に入れて素足で歩くことになった。ここには戻ってはこないので持ち歩くしかない、リュックの中に入れて歩いていった。
 色々な展示物や説明板もあって、ゆっくりと勉強しながら歩きたいが、行列のように続く観光客に追われるように先に行くしかない。下りには同じところを通らないので、後でまた見るという事は出来ないのだが。
(にの門)
(西大柱)
 最上階に上がると、南側に鯱の鬼瓦が見え、中には刑部神社という社があってお参りする。最上階にある神社なので、その謂れについて調べてみた。
     刑部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)は、ひと言でいうと姫路城の守護神。姫路城が建てられる前から姫山に祀られていた神社で、現在姫路市に3ヶ所ある。この大天守最上層、播磨総社境内、旧城下町の立町の3つで、加えて、姫路城の搦手道にあたる「との一門」虎口の裏手(城の鬼門)に長壁神社がもともとあった場所を示す石碑が建っている。この最上階のものは明治12年に祀られるようになったもの。
(鯱の鬼瓦)
(刑部神社)
 西の方向には西の丸御殿、百間廊下などの白塀が見え、その向こう遥かに見える山々は、地図に見られる京見山、天満山、城山、馬山などだろうか。東方向にも山並みがあり、この中には7年前に単独で歩いた播磨アルプスの山々があったのだろうが、その時にはこのことをすっかり忘れていた。
 南方を見れば、備前丸の城壁と三の丸広場の向こうに大手前通りがまっすぐ伸びていて、突き当りに姫路城が見えた。昨夜はあそこからこの天守閣を眺めたのだ。
(西方の展望)
(南方の展望)
 途中外に小天守を眺めたり、中の東大柱、武者隠し、石落とし、六葉釘隠しなど大天守の特色あるところを見ながら下り、石の階段から外に出た。出口すぐのところで振り返って見上げる天守閣もいい眺めだった。
 備前丸に出て、帯の櫓や腹切丸、太鼓櫓など眺めて、りの門を通ってお菊井戸を覗きこんだ。その脇には石棺や明治、昭和、平成の改修時の大天守の鯱の模型展示が面白かった。
(出口から振り返る)
(お菊井戸)
 ぬの門を通って扇の勾配の石垣を見て、三国濠の畔を通って西の丸に入った。
 西の丸広場からの松の木越しの天守閣の眺めも良くて、案内者が観光客の記念写真のシャッタを次々と押していた。我家もお願いしてツーショット。
(扇の勾配)
(西の丸から)
 その先に百間廊下の説明板があり、入口から中に入った。ここも靴を脱いでビニル袋に入れて持ち歩く。百間廊下は西の丸を囲むように築かれた長屋で長さが300mもあるからこの名がついたとのことだが、長い廊下が折れ曲がりながら続く。
 廊下沿いには、石落しや狭間などの防御のための設備も各所に並んでいて百間廊下が姫路城の防御の役目も持っていたことをうかがわせた。
(百間廊下)
(石落しの傍にあった説明板)
 廊下の途中の窓からは天守閣が見えたが、ここから見る天守閣の姿が今日一番のお気に入りだった。
(西の丸御殿からの天守閣)
 姫路城の歴史や構造にについての説明板や現物の展示物がいっぱい並んでいたが、終わりのところの化粧櫓で階段を上がると「西の丸御殿」の立札があり、千姫さま(?)がカルタ遊びをされている人形が面白かった。
(桐紋飾瓦)
(西の丸御殿)
 百間廊下から西の丸広場に出て駐車場に帰ろうかと思って、三国濠を過ぎて城郭外に出ると、目の前に天守の庭が見えてきた。これは天守閣の基礎をコンクリート製に補強した時に不要になった敷石を使って作られたもので、天守閣の敷石の配置を再現した配置になっていた。
 店主の庭の前に「官兵衛ゆかりの石垣」の案内板が立っていて、TVドラマで軍師官兵衛を見てその人格に惚れ込んでいたので寄道してみた。現在の姫路城の大半は江戸時代に池田輝政によって修復・拡張されたものだが、この上山里下段の石垣は、それより前に羽柴秀吉の命によって黒田官兵衛が築いた石垣が部分的に残っているものだとのこと。
(天守の庭)
(官兵衛ゆかりの石垣)
 そのまま三の丸広場の東側の歩道を歩いて行き、隣接の姫路市立動物園入口を通って大手門に近付くと松の木に囲まれた大きな記念石があった。前に回ってみると世界遺産姫路城の文字が大きく刻まれていた。
 大手門から出るころから雨がぱらつき始め、さくらもん橋を渡るころには出入りする人みんなが傘をさすようになっていた。姫路城内を歩いている時に雨に合わなくてラッキーでした。
(世界遺産姫路城の碑)
(さくらもん橋)
 バスへの集合時間が近付いたので、駐車場脇の小さな食堂に入ってうどんを頂いた。主人が忍者の歴史に凝っていて、その演劇に使うために作った日本刀が何本も立てかけてあったので、ちょっと握らせてもらった。
 バスは定刻に発車して姫路東ICから高速に乗って雨の中を一路伊丹空港に向かった。
(日本刀を構える)
(雨の中を伊丹空港へ)
 飛行機の出発予定時間の2時間前に伊丹空港に着き、お世話になった元気なバスガイドさんとさよならした。
 ANAに乗って1時間ほどで羽田空港に到着、ここからの帰りはタクシーが用意されていたが、車は10人乗りジャンボタクシで、友部駅前のご夫婦と4人では勿体ないほど大きさだった。出発する頃には外はもう真っ暗で、雨も止んで首都高を走るときには街や道路照明の明かりが綺麗になっていた。
 守谷SAで休憩後、友部駅でご夫婦が降りたあとは二人だけ。日立南ICで高速を下りてから降車予定のバス停に着いたが、親切な運転手さんにお願いして我家近くのスーパまで入ってもらった。あわただしい3日間の旅が終わりました。
(伊丹空港)
(首都高は日没後)


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