C114.天橋立・出石城址・余部駅・竹田城址・姫路城
3.3 三日目(姫路城観光)
姫路城について姫路市HPによれば 国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。 今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14(1609)年に建築されたもの。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。
中に入ると、正面にいきなり天守閣を中心にした姫路城の主要部が見えていた。
いの門と、ろの門を通ると、石垣と城壁に挟まれた狭い通路になり、城壁には四角と三角の窓が続いていた。これは下に侵入してきた敵兵を見付けて弓矢や鉄砲で狙い撃ちするための窓で狭間と呼ばれるとのこと。
色々な展示物や説明板もあって、ゆっくりと勉強しながら歩きたいが、行列のように続く観光客に追われるように先に行くしかない。下りには同じところを通らないので、後でまた見るという事は出来ないのだが。
刑部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)は、ひと言でいうと姫路城の守護神。姫路城が建てられる前から姫山に祀られていた神社で、現在姫路市に3ヶ所ある。この大天守最上層、播磨総社境内、旧城下町の立町の3つで、加えて、姫路城の搦手道にあたる「との一門」虎口の裏手(城の鬼門)に長壁神社がもともとあった場所を示す石碑が建っている。この最上階のものは明治12年に祀られるようになったもの。
南方を見れば、備前丸の城壁と三の丸広場の向こうに大手前通りがまっすぐ伸びていて、突き当りに姫路城が見えた。昨夜はあそこからこの天守閣を眺めたのだ。
備前丸に出て、帯の櫓や腹切丸、太鼓櫓など眺めて、りの門を通ってお菊井戸を覗きこんだ。その脇には石棺や明治、昭和、平成の改修時の大天守の鯱の模型展示が面白かった。
西の丸広場からの松の木越しの天守閣の眺めも良くて、案内者が観光客の記念写真のシャッタを次々と押していた。我家もお願いしてツーショット。
廊下沿いには、石落しや狭間などの防御のための設備も各所に並んでいて百間廊下が姫路城の防御の役目も持っていたことをうかがわせた。
店主の庭の前に「官兵衛ゆかりの石垣」の案内板が立っていて、TVドラマで軍師官兵衛を見てその人格に惚れ込んでいたので寄道してみた。現在の姫路城の大半は江戸時代に池田輝政によって修復・拡張されたものだが、この上山里下段の石垣は、それより前に羽柴秀吉の命によって黒田官兵衛が築いた石垣が部分的に残っているものだとのこと。
大手門から出るころから雨がぱらつき始め、さくらもん橋を渡るころには出入りする人みんなが傘をさすようになっていた。姫路城内を歩いている時に雨に合わなくてラッキーでした。
バスは定刻に発車して姫路東ICから高速に乗って雨の中を一路伊丹空港に向かった。
ANAに乗って1時間ほどで羽田空港に到着、ここからの帰りはタクシーが用意されていたが、車は10人乗りジャンボタクシで、友部駅前のご夫婦と4人では勿体ないほど大きさだった。出発する頃には外はもう真っ暗で、雨も止んで首都高を走るときには街や道路照明の明かりが綺麗になっていた。 守谷SAで休憩後、友部駅でご夫婦が降りたあとは二人だけ。日立南ICで高速を下りてから降車予定のバス停に着いたが、親切な運転手さんにお願いして我家近くのスーパまで入ってもらった。あわただしい3日間の旅が終わりました。
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