C114.天橋立・出石城址・余部駅・竹田城址・姫路城

1.動 機
 旅行社の案内に天橋立と竹田城跡・姫路城が組み合わされた企画があった。天橋立をまだ見たことがなかったし、これを北から南までウオークするというし、竹田城跡は3年前にペルーのマチュピチュ観光から帰って来た時に、娘婿に「竹田城は日本のマチュピチュなので行ってみたいのだ」と言っていたので、我が家も魅力を感じていた。心配していた雨も大したことなく、石出城跡や余部駅空中散歩という面白い観光地も加わって、大型バスの大グループでの賑やかに楽しい旅になった。

2.データ
a)山域:天橋立、出石城址、餘部駅、竹田城址、姫路城
b)登山日:2015/11/15(日)〜17(火)
c)旅程:
d)同行者:バス旅行参加者36名、和子
(天橋立・出石城址・余部駅・竹田城址・姫路城のウオーキングポイント)

3.山行記録
3.1 一日目(籠神社・笠松公園・天橋立)
    森山自宅発4:45 = 5:00計算センタ前BS = 5:05日立南IC = 5:20水戸IC = 5:40友部駅前5:45 = 6:00友部スマートIC = 6:35守谷SA6:50 = 7:30羽田空港.受付 --- 9:15チェックイン --- 出発10:00 =(ANA)= 11:10伊丹空港着・集合 ・バス発車11:55 =(舞鶴若狭道)= 12:40西紀SA13:00=(綾部宮津道) = 13:50宮津天橋立IC = 14:05シーサイドセンタ14:25 ---- 14:30神社前 ---- 14:35籠神社14:40 =(ケーブルカー)=14:50笠松公園15:10=(ケーブルカ−)= 15:20籠神社15:30 ---- 15:35(天橋立ウオーク)16:25 ---- 16:25廻旋橋 ---- 16:35天橋立売店16:40 = 17:00宮津ロイヤルホテル(泊)
 超早起きして、予定の時刻よりも早く5時にバス停に着いたが、バスはすでに待っていた。バスは14人乗りの小さなバスで、高萩、日立から乗った9人の同行者が乗っていて、この先日立南ICから常磐道に乗り、水戸ICで一旦高速を下りて友部駅で2名が乗ってきて満車に近くなった。友部スマートICから再び常磐道に乗ってトイレ休憩した守谷SAが新装されていて、気持ちの良いトイレにしゃがみこんで長居してからバスに戻ると、バスは別のところに停まっていて「危うく置いて行かれるところだったわよ」と和子に叱られた。
 首都高も快調に走って羽田空港には集合時間の9時よりも1時間半も早く到着、レストランでゆっくりと朝食をとって、8時半に集合場所にいくと、ツアーの添乗員さんも間もなくやってきて伊丹空港行きの航空券を手渡された。すぐにチェックインして搭乗口の休憩所でテレビを見ながら搭乗アナウンスを待った。
(小型バスで羽田へ)
(羽田空港)
 羽田空港を定刻に飛び立った飛行機が、座席は通路側で外が見えなくて面白くない。立ち上がって後ろの非常口の窓から下を眺めると、見えるのは一面の雲海だけでがっかりさせられたが、やがて雲間に富士山が見えてきてラッキーでした。
 席に戻って旅の資料に目を通している間に、1時間ほどで伊丹空港に着陸した。飛んでいる時間が驚くほど短くて物足りないぐらいだった。空港で待っていたバスガイドさんにバス乗場まで案内される。
(富士山見えた!)
(伊丹空港着)
 2台の大型バスが待っていたが、我が家はNo.2のバス、48名の満車で12時前に発車した。No.1バスはNo.2とは反対回りで走るとのことだったが、48名でも大変なのに、100名近い集団が一緒に歩くと、各地の観光場所で行列が渋滞することを心配したものだろう。
 空港から中国道に乗ったバスは吉川JCTから舞鶴若狭道という道に入って、今まで走ったことのない風景が展開されてきた。丹南篠山IC近くで見えた山並みが綺麗で、縦走したら気持ちよさそうだった。バスの中で注文しておいた弁当が配られ、色々な景色を眺めながら美味しくいただいた。
(大阪バス)
(丹波篠山の山並み)
 途中休憩した西紀SAでは丁度丹波焼の陶器市が開かれていて、陶芸好きの和子が喜んだ。
 やがて車は京都府に入り、福知山や由良川など聞いたことのある地名を目にしながら走っていき、綾部JCTから綾部宮津道路に入った。
(西紀SAの丹波焼陶器市)
(由良川)
 宮津天橋立ICで高速を下り、宮津の街中に入って宮津湾、阿蘇海の沿岸を走る。ずうっと天橋立の松林が右に見えているが、私の座席は残念ながら左側でした。満席なので空いている席に移動してという訳にもいかない。
 天橋立の北の入口近くの道の駅、シーサイドセンタにバスは入った。トイレ休憩だけではなくてお土産買いの時間もとってゆっくり。
(バスの中らがの天橋立)
(橋立大丸シーサイドセンタ)
 シーサイドセンタの裏庭は阿蘇海に面していて、天橋立が目の前に展開している。庭に下りたり、二階に上がったりしながらゆっくりと眺めて、バスで見られなかった分を十二分に取り返した。
(シーサイドセンタの庭から天橋立)
 20分ほど休憩してから、天橋立に向かう前に籠神社と笠松公園を観光する。笠松公園は山の中腹にある公園でケーブルカーで登るのだが、その山上駅がシーサイドセンタ前から見えていた。
一ノ宮籠神社
 籠神社前まで700mほどバスで移動して、神社の駐車場から歩き始め、お百度参りの石柱が立つ広い参道を籠神社に向かうと、「平成31年 本宮御鎮座千三百年の標柱が立っていて古い歴史を表していた。手水舎で清めてから二の鳥居の前まで行くと、若い案内者が待っていた。
(ケーブルカ笠松公園駅)
(駐車場から籠神社二の鳥居へ)
 大勢の後でよく聞こえなかったこともあるが、案内者の話の内容はほとんど覚えていないのでNETから簡単な説明を引用する。
     元伊勢籠神社
    伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれる古社。
    奈良時代に丹後の国の一の宮となり、平安時代の「延喜式」には名神大社となり、山陰道唯一の大社であり、最高の社格と由緒を誇っています。
    本殿正面には伊勢神宮と籠神社にしか祀ることが許されていない五色の座玉(すえたま)が輝いています。
    境内には地下を流れる水の音を聞くことができる水琴屈があり、その不思議な音色は心を和やかにしてくれます。
 二の鳥居を潜って左右の狛犬さんを眺めて神門を通ると目の前に立派な拝殿があった。拝殿の屋根は切妻造ので両端に千木が天に向かって聳えていて、伊勢神宮で見たと同じような形に見えた。
 拝殿左の境内には天照大神和魂社、春日大明神社、猿田彦神社、真名井稲荷神社と境内社が並び、その奥の亀に乗った倭宿禰命像の前でも説明が行われていたが、理解を諦めて写真鳥に専念する。
(二の鳥居と元伊勢籠神社)
(境内社)
 籠神社の説明が終わって、案内者はその奥に進んでケーブルカー乗場に着いて、ここまでの案内者のお仕事はお終い。
笠松公園
 ケーブルカーで上がった笠松公園は広場になっていて、スカイテラスやスカイデッキなどの展所があり、下には初めて見る細長い天橋立の姿を展望することができた。この公園からの眺めは、まるで龍が天へと昇って行くかのように見えるので「昇龍観」と呼ばているとのこと。少し小雨模様、青空だったらもっと素晴らしい景観なのだろうが、贅沢を言わないでじっくりと鑑賞させていただいた。
(ケーブルカー)
(笠松公園からの天橋立=昇龍観)
 号令がかかって、展望テラスのところで土地の人による集合写真が撮られた。その写真はすぐに印刷されて、注文しておいたら笠松公園を下りる前に売店で受け取ることができた。
 ここが股のぞきの習慣の発祥の地ということで、「股のぞき」という台がつくってあった。順番待ちして股のぞきで逆さの天橋立を覗いてみた。海と空が逆になり、まさに天に架かる浮き橋のように見えるとのことだが、曇り空では今一つ、ましてや股のぞきで写真を撮るのは全く意味ないのでシャッタは押さなかった。
 広場には対の狛犬と鳥居が立っていて、冠島・沓島遥拝所という標柱が立っていた。正面に小さな島が見えていて、脇の説明板には
    【 神が宿る冠島 沓島について】
    遥拝所の鳥居の先のかなたに浮かぶ2つの島が冠島沓島です。
    室町時代の画僧雪舟は「天橋立図」(国宝)に本来ならばこの構図に入らない島を絵の右下に書き込んでいます。
    それは、この島が天橋立を含む若狭湾沿岸の住民から篤く崇敬され、神宿る特別な島であることを雪舟が知っていたと考えられています。
    冠島沓島は籠神社ご祭神の彦火明命と市杵嶋姫命が天降(アマクダ)り夫婦となった神聖な島として古代から特別視されて来ました。
    この島に宿る神様は海を行き交う船をお守りし、人々の暮らしが豊かになるように見守っておられます。
(股のぞき)
(冠島・沓島遥拝所)
 他にも、かわらけなげがあったり笠松公園のシンボル「かさぼう」などたち並んでいた。ここから山道を登ったところにも展望所があるようだったが、駐車場に戻る時間を指定されている。ケーブルに乗って籠神社に下った。
(かわらけなげ)
(かさぼう)
一ノ宮籠神社
 集合時間まで籠神社の境内を、亀池、ゆっくりと見て回った。倭宿禰命が乗っている亀の頭は皆がご利益があるように撫でていくようで、つるつるに磨かれたようになっていた。我家も何回も撫でて健康祈願を願った。亀に乗っているのは、倭宿禰命は籠神社主祭神海部家四代目の祖先で、神武天皇東遷の途次、明石海峡に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策により天皇を無事に大和へと導いた大和建国第一の功労者として、神武天皇から「倭宿禰」の称号を賜ったとの言い伝えによるらしい。
 「水琴窟」に竹に耳をあてると、微かに水滴の落ちる音が聞こえてきて、なんとなく神秘的な感じもした。
(亀に乗った倭宿禰命)
(水琴窟)
 駐車場に戻っていよいよ天橋立に向かう。車道に出て振り返ると、右に「吉佐宮阯丹後一ノ宮」、左に「元伊勢大神宮籠之宮」と刻した大きな正門が立ち、一の鳥居の後の山には笠松公園の建物が見えていた。
天橋立
 神社前から街中を歩くとすぐに海辺の道に出て、松並木が続く長い天橋立が見えていた。添乗員は「天橋立は全長3.6kmあり、時間は50分かかる。歩くのが辛い人は遊楽船もある」と誘いをかけたが、勿論全員歩く意向。
(一の鳥居と石門)
(天橋立へ)
 いよいよ松並木の道に入ると、雨がチラチラしてきて傘をさして歩いて行く。
 入口脇に案内図があって、途中には磯清水や天橋立神社などの名所の他に、600本のマツ林の中にある天橋立の全長はおよそ3.6km。8000本にも及ぶ松林の中に名前が付いた13本の名木があると示してあった。この案内図には次の説明文が書いてあった。
     天橋立は陸前(宮城県)の松島、安芸(広島県)の宮島とともに日本三景の一つに数えられる景勝地で、文化財として特別名勝に指定されています。
     「大江山生野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」
     小式部内侍により「小倉百人一首」の上のように詠われ、「丹後天橋立大江山国定公園」にも指定されています。
     雪舟が国宝「天橋立図」を描いているとともに、天橋立は、与謝野寛・晶子など多くの歌人によまれるなど、その景観は、文化にもの影響を与えています。
(松並木に入る)
(案内図)
 途中の説明板や名木の松などゆっくり見ながら歩いて行きたいところだが、添乗員は委細構わず何も説明することもなくどんどん歩いて行く。今日はここが終わればホテルに入るだけ、別に急ぐ必要はないとおもったのだが、仕方なく写真だけ撮りながら後を追って歩いて行った。
(羽衣の松)
(千貫松)
 途中、陽射しがでる時があって、綺麗な虹を見ることができた。
 天橋立神社の先の宮津湾側には綺麗な海水浴場があり、今晩泊るホテルが立つ岬の先に、冠島、沓島が見えていた。
(虹)
(海水浴場、左に冠山?)
 雨の橋立神社は意外と小さな神社、そのすぐ先に磯清水があり、記念に飲んでみようと思ったが「湧水ですので飲むのはご遠慮ください」と注意書きがあった。
(天橋立神社)
(磯清水)
 諸国を漫遊しながら各地で狒々や大蛇を退治して歩いたという伝説の人岩見重太郎が、ここ天橋立で父の敵を討ったという石碑があり、その近くには、刀の切れ味を確かめたという斜めに切られた石が飾ってあった。
(岩見重太郎仇討の碑)
(試切之石)
 天橋立には多くの歌人が訪れて沢山の詩を残しているとのことだが、与謝野寛・晶子夫妻の詩を彫った記念碑が立っていた。
    小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波  寛
    人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天の橋立  晶子
 松並木の端には、日本三景を示す立派な碑もたっていた。
(与謝野寛・晶子の歌碑)
(日本三景碑)
 やがて大天橋という橋を渡り、これが旋廻橋だろうと思いながら渡ったが、別段変わった構造ではなかった。
 その100m先に少し小ぶりな小天橋があり、こっちの橋の途中にはリング状の切れ目があり、こっちが船が通るときに水平に回転するという旋廻橋だった。
(大天橋)
(廻旋橋の小天橋)
 小天橋を渡った時は近くの土産物店での集合時間の5分前、先に行こうと思っていたが、橋の袂の人が「16時半が最後の回転ですよ」と教えてくれた。二度とない機会なので、橋が水平に旋廻する様子を見て行こうと待っていると、間もなく遊覧船が近付いてきた。係員が橋の上に上がってスイッチを入れて橋を旋回し始めた。橋は真横を向くまで廻されたが、やって来た遊覧船は橋の手前の桟橋に停まったままでこちらにはやってこず、船が通る情景を見ることは出来なかったが、まさか旋廻する現場を見ることが出来るて思ってもいなかったのでラッキーな出来事でした。
(旋廻する小天橋)
 橋のすぐ脇に見えた立派な知恩院の山門を写真だけ撮って土産物店に急いだ。土産物店に着くと店の前で首を長くして待っていた添乗員さんが天橋立完歩証が手渡してくれた。
 しばらく経ってから、バスガイドさんに知恩院の中など案内してもらったらしい数人が帰ってきた。予定時間ばかり気にする添乗員よりもバスガイドさんの方がしっかりしている。
(智恩寺山門)
(完歩証)

 バスに揺られて20分走って着いた宮津ロイヤルホテルは、天橋立の向かいの岬の中腹に立つ眺めのいいホテルだったが、着いた時はもう暗くなっていて景色を楽しむことは出来なかった。それでも、部屋は広くて清潔、料理も美味しく、風呂は温泉の大浴場、露天の岩風呂もあって嬉しい宿だった。
(宮津ロイヤルホテル:翌朝撮影)
(夕食会場)
続き:二日目へ


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