C116.ブラ・久慈町 愛称道路を散策する
(日立の魅力再発見ウオーク) 1.動 機
a)山域:日立市久慈地区今年最後の「日立の魅力再発見ウオーク」は久慈交流センタ主催の「久慈町愛称道路を歩こう」と題して、参宮道路沿いのポイントを見ながら歩く企画だった。ほとんどは我が家で歩いたことのあるところ(A62日立市の自然公園(南高野史跡公園と赤羽緑地)、A64東海村の文化財(9)、A84日立市の自然文化財(久慈地区)、C43赤羽緑地、)だったが、色々な説明を聞くのを楽しみに参加した。 2.データ b)登山日:2015/11/28(土)晴 c)コースタイム: 森山8:35 = 8:55久慈交流センタ(集合)9:15 ---- 9:20@久慈川レリーフ9:25 ---- 9:30A津神社 ---- 9:40B薬師堂 ---- 9:40C久慈小学校(茨城百景・LNG基地遠望)9:55 ---- 10:05D二十三夜尊 ---- 10:20E大溜池(従是高鈴道) ---- 10:30F跨線人道橋 ---- 10:55G一本松(トイレ)11:10 ---- 11:25H赤羽緑地(昼食・生物観察池・野鳥池・I横穴墓群・棚田池)12:55 ---- 13:00J富士神社 ---- 13:15K南部図書館(赤羽緑地写真展)13:25 ---- 13:35久慈交流センタ(解散)13:40 = 14:00森山
e)地形図:1/25000 「常陸久慈」 3.山行記録 朝食を済ませて我が家を出発、御馴染みのおさかなセンタ駐車場に車を入れると、久慈交流センタはすぐ目の前、受付をしてお茶と13頁もの資料を受け取った。 幹事さんの説明を聞いて、交流センタ裏の広場を横切って歩いて行く。参加者は20名ほどでそれほど多くはなく、交流センタの若い女性職員も参加していて明るい笑い声が聞こえてきていた。
スポーツセンタ前まで歩いて、角を左に曲がるとすぐに津神社があった。資料では 津神社は、久慈浜の信仰の歴史の上に於いて最も古いお社で、神亀元年の春、毎夜大磯あたりから一条の光が照り続き、秋の9月18日恐れ慄く村人を救うためある童子がこの山に登って「我はこの海上を司る海神であるぞ。汝等我をここに祀らば長く海上を守護し海の幸を与えるであろう」と言いながら相果て、村人は直ちにこの山に海神綿津見神を祀った。それ以後は光が射すことはなかったという。これより津明神の例祭は毎年旧暦9月18日に行われてきたが、時代の変化とともに、新暦の11月2,3日の両日に行われている。御神徳は、海上安全、大漁満足はもちろん、商売繁盛と広大無辺である。
校庭には三本のケヤキの大木が見られたが、これについての説明。 校庭に聳え立つケヤキの巨木は久慈小の象徴となっている。明治三八年十月、日露戦争の戦勝記念として百本植えられたが、校舎の拡張と共に失われ現在は三本が百年の歴史を見守っている。(日立市巨木指定)
東京瓦斯が北関東地域への都市ガス供給を目的に、日立港区第5ふ頭地区で平成24年7月に着工し、タンク等の陸上工事及び桟橋等の海上工事が同時並行で実施され、現在は工事は完了して試運転を待っている段階だ。海が荒れて長さ300mのLNG船の入港が出来ず待っている段階だが、入港しだい試運転が始まり、試運転で発生するガスを煙突で燃焼させるので、街からも見ることができるはずだ。
12月6日夕方、山の会の忘年山行の帰り、常磐道を走るバスの車窓から、煙突から赤く燃え上がる炎をこの目で見ることができた。この日聞いていなかったら気が付かなかったことだろう。
もっと先の角を曲がった先に大きな看板が立っている二十三夜尊があった。地味な社は千福寺の別当で大正15年11月建立、毎月旧暦二十三日が縁日とのこと。
BRT道路と近くまで進むと、BRTの歩道から高台の日立商業高校に上がる新しい階段があった。先週見た日立の津波避難階段は開通していたが、こちらはまだ通行止めだった。
商業高校と並んで久慈中学校があり、皆さんの話しぶりでは、ここを卒業した参加者も多いようだった。
入口の駐車場の下にベンチもある広場があり、ここに「赤羽緑地を守る会」の管理舎が建っていて、ここの会長さんに赤羽緑地についての説明を依頼してあった。予定よりも早く着き過ぎたため、しばらく待ち時間。その間、前の生物観察池の真ん中の橋まで行って、広場にいる皆さんの様子を観察池越しに写真に撮ってみた。
ここには、古いため池とそれを囲む樹林があり、また、古代の史跡(赤羽横穴墓群)があります。永年放置されたままになっていたのですが、この自然環境と歴史的遺産を有効活用しようと、行政(日立市)と市民が協力して2年かけて公園に作り上げました。そして、平成15年4月29日にオープンしたのです。
全体の面積は7.3ヘクタール、中央は野鳥池になっています。池に生えているヨシやガマは周囲の樹林と共に、野鳥の営巣のために出来るだけ自然の形で残されています。 野鳥池の下流側、常磐線側には、生物観察池が設けられています。水生生物(メダカや水生昆虫など)の保護・再生のために利用し易く、子供達が池の中に入っても良いように水深を浅く調整されています。 公園の北側の斜面はAからD支丘と名付けられた丘があります。ここには100余りの横穴墓が埋もれているようですが、現在見られるのはB支丘の一基です。郷土史の学習などに役立てられます。 公園の入口には駐車場、トイレ、中にはあづまやも整備しました。 この公園が「自然環境と歴史的遺産の保全と再生」というキーワードのもとに、子供達からお年寄りにいたる幅広い世代の人達に“憩いを与えられる場”となってもらいたいと願っています。 説明が終わって、会長さん自ら先導して公園内を案内して頂いた。先ずは、横穴墓群に案内された。横穴式の墓については、去年の5月、日立北部の十王で見たことがある(B51十王前横穴墓群)が、詳しいお話を聞くのは初めてだ。 公園の北側の斜面には今からおよそ1400年前の古墳時代のお墓がたくさん確認されております。ここは赤羽横穴墓群と呼ばれています。
横穴墓というのは丘陵の斜面に穴を横に掘ってその中に遺体を埋葬するものです。この周辺を全面調査すると100基以上の横穴墓が確認されるものと推定されています。 B支丘は昭和51年に発掘調査が行われましたがここにはひときわ大型の横穴墓が一基あります。現在見られるのはこの一基だけです(この東側に見られる幾つかの横穴は防空壕のようです)が、その横穴墓からは金銅製の冠の一部・鎧の小札(コザネ)・玉類・武器なども発見されました。これらは現在、日立市郷土博物館に展示されています。 冠の存在は、それをかぶった人物が地域の有力者などではなく、おそらく大和王権と関わりの有った官人としての性格をもった人物が葬られたのではないかと考えられています。
赤羽緑地は古いため、池を中心に多種多様な樹木や草木に囲まれた自然環境豊か なところです。この環境が色々な虫たちを育み、土手の藪の中は小鳥たちの格好 の隠れ家を提供してくれるため、ここには年間を通じて虫や木の実・草花の種を 求めて沢山の野鳥たちが訪れます。 耳を澄ましてそっと池の周りの遊歩道を歩いてみましょう。藪の中から小鳥 のささやきが聞こえてくるかもしれませんし、足元から小鳥が飛び立つかもしれ ません。
二つの野鳥の池の間を歩いて行くとホタルの里の立札があり、左に曲がるとロープで囲われた区域ごとにニッコウキスゲ、サクラソウ、クリンソウなどの立札が立っていた。その上が棚田のようになっていて水芭蕉が植栽されている。小学生の協力も得ながら種から育てるので、段ごとに年齢が違い葉の大きさが違っている。水芭蕉などを植栽して育てる苦労話については、一昨年に聞いたことがある。A62.日立市の自然公園(1)(南高野史跡公園と赤羽緑地)
富士神社は富士権現を祀り、祭神は木花咲耶姫命で、日本三美人の一人である。創祀は永享年間といわれているが詳らかでない。新宿町の守護神としてのみならず、豊作、安産の守護神として近在の人々の篤い信仰を集め、権現様とよばれ親しまれている。
例祭日:旧暦6月4日(お田植祭)
交流センタまで歩いて玄関前で解散会、詳しい説明を聞きながらの楽しいウオーキングでした。
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