C12.三角点探訪(長谷・田渡)

1.動 機
 昨年年末のMAC忘年登山で迦葉山に登って(この時も中腹で撤退)以来、風神山以外の山歩きをしていないので、久し振りに山歩きをしようかと相談。ピークハンタの癖は残っていて、茨城県の地図を探してみても登った山ばかりで気乗りしないし、そうはいっても他県まで遠出するのは面倒と覇気がなくなった老夫婦。地形図を眺めて手ごろな三角点印を探してみると、御馴染みのゴルフ場グランドスラムの裏山に、二つの三角点長谷(234.0)と田渡(303.3)が並んであった。標高は高くないし、2点を繋ぐ破線の道があるので余り藪漕ぎしなくても良さそうだ。長谷部落の奥を起点にして、2点の三角点を踏みながら破線の道を北上して、その東側にある実線の道で帰ってくると6kmほどの周回コースを考えた。

2.データ
a)山域:長谷三角点(234.0)、田渡三角点(303.3)
b)登山日:2015/1/9(金)晴
c)コースタイム:日立自宅 10:30 = 10:55長谷町P ---- 11:00登り口 ---- 11:35長谷三角点11:50 ---- 12:45田渡三角点(テイータイム)13:20 ---- 13:35林道始点 ---- 13:50合流点 ---- 14:10大山祇尊碑 ---- 14:15ゲート ---- 14:20登り口 ---- 14:25長谷町P = レストラン・直販店 = 16:00日立自宅
(長谷・田渡三角点巡りウオーキングコース)

(長谷・田渡三角点巡りウオーキングコースの標高差)

d)同行者:和子
e)地形図:「常陸太田」

3.山行記録
 遅い朝食をとってから、車のナビに長谷町の奥を行き先指定して発車すると、ナビはグランドスラムの間を通る道を案内した。ゴルフ場の中を走っていいのかと心配しながら走って行くと、ゴルフ場のコースは谷間の両側にあって、車道の遥か上をゴルフ場を繋ぐ橋が数本渡っていた。
 目的地の長谷町の奥の十字路に着くと、そこの一角がごみ集積場広場になっていて、今日は集荷が休みのようなので有り難く駐車させていただく。身支度をし始めて和子の登山靴が車に乗っていないことに気が付いた。車での山歩きの時にはストックと靴はいつも私が準備するのだが、今日は私が我家から登山靴で出発したのでうっかりしていた。もし藪漕ぎなどが酷くて危なそうな所があったら引き返すことにして、和子はスニーカのままで歩き始めた。
 長谷三角点の方向の斜面は、灌木や草がぼうぼうの崖になっていて取付き点はなさそうだったが、車道を歩いて地形図の破線の道が始まる辺りまで来ると、藪が切れて裸地になった。コンクリート製の水タンクがあり、その先に祀ってある観世音像と馬力神碑の脇に、足跡のようなものが崖を登っているように見えた。
(長谷町のはずれに駐車)
(登り口)

 観世音の脇を攀じ登って行くと、灌木の間に道らしきものがあり、踏み込むとはっきりとした登山道になってきた。それでもスニーカの和子は歩きにくそうで、珍しく私が前を歩くことになった。
 少し登って行くと、道の脇に赤いペンキが塗られた山印の標石があり、「山」の反対側には「五」の刻印があった。国土地理院ではなく林野庁の標石らしい。道は尾根通しについていてはっきりとしていたが、この赤い標石が「6」「7」「8」---と50m置きぐらいに立っていて良い道案内になった。
(踏み跡あり)
(#5標石)

 「十」の標石あたりから道が急になってきて、和子は歩きにくそう、なんとかピークまで登りつくと、「一二」の山標石があった。国土地理院の長谷四等三角点があるはずだと辺りを探して一回りしたが見つからず、林野庁の#12標石のところで証拠写真を撮って先に行こうとした。
 和子はもっと探してみようよと頑張るので、二人でもう一度周りを歩いてみたら、林野庁の標石のすぐ裏に、落葉に隠れた四等三角点が見つかった。山でも和子に頭が上がらなくなっては困ったものである。国土地理院の長谷三角点の前で正式な証拠写真を撮り直して、次の田渡三角点に向かって歩き始めた。
(#12標石)
(長谷三角点)

 ここから先の破線の道はなだらかで歩きやすく、和子が前を歩く構図に戻った。登山道沿いには、この先にも赤い林野庁の標石が続き、他にも少し小型の標識もあって、歩く気持ちの助けになった。
(#14標石)
(別の境界標も)

 概して尾根通しの明るい道が続いて気持良く歩いて行ったが、登りつめて平らなところになると笹がはびこるようになって、ところどころ道も隠れるようなところも出てきて道迷いを心配したが、道型は意外とはっきりとしていて一度も迷わないで歩いて行くことが出来た。
(明るい尾根道)
(しばらく笹薮の中)

 田渡三角点の近くと思われるところまで来ると、道の左が小高い森になった。最高点をめがけて登って行くと、刈り払われた明るい山頂部の真ん中に田渡の四等三角点があり、そのすぐそばの立木に「松倉山'05.3」と書いた黄色い山名板が取り付けてあった。「松倉山」という山名には記憶があるが、登ったのがこの山だったかどうか定かでない。
 三角点標石と山名板の両方の前で証拠写真を撮って、無事二つの三角点峰に登ったことを祝って、コーヒで乾杯、お八つで腹ごしらえをした。樹間に筑波山方向の山並みが見えていたが、枝が邪魔して写真を撮れるほどのパノラマ展望ではなかった。
(田渡三角点)
(松倉山山名板)

 山頂から登山道に戻って北に向かう。ところどころ倒木があったりしたが、概して手入れの良い道が続いた。
 湿地帯らしき開けた所があり、暖かいときにはずぶずぶと足が沈んで泥んこになりそうなところだったが、今日は地面が凍って固くなっていて歩きやすかった。
(始めは倒木も)
(湿地は氷結)

 15分も歩くと轍のある林道に出て、これから先は広い平らな林道歩きになった。林道にはバラスが敷かれているが固まっておらず、小石がゴロゴロしていて少々歩きにくい。この点はそれまでの山道の方が歩きやすかった。
 左から来る林道と合流すると渓流沿いの道になり、左にさらさらという沢音を聞きながら歩いて行くことになった。
(林道に出る)
(林道は渓谷沿いに)

 渓流の河床は岩っぽくて、綺麗な小さな滝が続いていい眺めだった。
(小滝が続く渓流)

 流れを右に見るようになったところで、左の斜面に自然石の碑があり、碑の前には10体以上ものちっちゃな石仏のようなものが並んでいた。石碑に彫ってある字は「大山砥尊」と読め、その上には小さな石の祠もあり、両方ともにミカンが一個づつ供えてあった。
 石碑の先で軽トラに出会ったが、すぐその先には施錠されたゲートがあり、「国有林の専用林道のため一般車通行止め」の表示板がしてあった。
(大山祇尊碑と石の祠)
(ゲート)

 ゲートの先には橋があり橋桁には「機加林道田渡線四号橋」の字が読めた。お散歩らしいご夫婦に出会ったが、今の時期我が家以外にもこんなところを歩く人がいるのかと親しみをこめて御挨拶した。
 すぐに登り口に到着して、観世音様に無事歩き終えたことを報告して車に戻った。
(機加林道田渡線四号橋)
(観世音像と馬力神碑)

 今日は弁当を持たなかったのでお腹が空いた。常陸太田のレストランで遅い昼食をとり、直販店で野菜を買い込んで気分よく我が家に戻ってきた。
 帰宅後「松倉山」について調べてみたら、このHPに2005年の1月に白羽のスポーツ広場から登っている記録があった。山頂近くに展望の良いところがあったようだが、今回は残念でした。我家が登ったのが山名板の人が登ったよりも4月前だったので、あの黄色い山名板はその時にはなかった訳だ。




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