C33.大洗の寺社史跡を辿る

1.動 機
 図書館で借りてきたガイドブックに「大洗町の伝説にふれながら歴史をたどる」というウオーキングコースがあり、面白そうで距離も適当なので、これに従って歩いてみることにした。また、ピークハンターの癖が出て、マピオンの地図に出ている寺社に全部お参りすることでコース作りをしたが、少し離れている博物館と巌船の夕照とは車で移動することにした。
(ガイドマップの大洗ウオーキングコース)


2.データ
a)山域:大洗町
b)登山日:2015/3/23(月)晴のち曇、雨
c)コースタイム:日立自宅 9:00 = 9:40幕末と明治の博物館10:55 = 11:00護国寺 = 11:05駐車場 ---- 11:15神磯鳥居・二の鳥居11:20 ---- 11:25大洗磯前神社11:30 ---- 11:36与利畿神社 ---- 11:40茶釜神社 ---- 11:42大甕磯神社 ---- 11:47一の大鳥居 ---- 11:55@駐車場12:00 = 12:00海鮮市場駐車場12:44---- 12:53新高野山 ---- 12:56千手観音 ---- 13:07犬飼稲荷 ---- 13:09金毘羅神社 ---- 13:11弁天堂 ---- 13:12西福寺13:15 ---- 13:15御嶽山神社 ---- 13:17桜井稲荷 ---- 13:27稲荷大明神 ---- 13:28日下ケ塚古墳13:35 ---- 13:40稲荷神社 ---- 13:43須賀神社 ---- 13:47道祖神社 ---- 13:52金剛院 ---- 14:02花池寺 ---- 14:16浅間神社 ---- 14:31西行院14:37 ---- 14:44加波山神社 ---- 14:53妻恋神社 ---- 15:20めんたいパーク15:30 ---- 15:40海鮮市場駐車場 = 15:50巌船の夕照16:00 = 16:05願入寺 = 17:20日立自宅
(今回の大洗のウオーキングコース・南部)

d)同行者:和子
e)地形図:「磯浜」

3.山行記録
 我家を9時に出て、R245を走って大洗ゴルフ場の脇の県道108を走って行くと、左手の松林の中に博物館がある。角を曲がって県道2号に入るとすぐに入場門があり、そのずっと奥に白い建物が見える。入場門からは大洗キャンプ場になっていて、あちこちに駐車場案内が立っている。一番奥まで車で入って、博物館前の駐車場に車を停めた。博物館に入ると、75歳以上は無料、和子だけ700円也を払って入館した。他にお客の姿は見えない。
(博物館入場門)
(博物館)

 入口すぐに映像ホールがあり、「博物館の案内」と「幕末の激動の中で」のビデオを自分の操作で見ることができた。
 16分間の「幕末の激動の中で」は、江戸時代の水戸藩の活躍と瓦解の顛末が分かりやすく解説されていて、先日の「水戸ロマンチックゾーン散歩」は、ここで予備知識を得てから歩いていたらもっと面白かっただろうなと思わされた。
 館内には常設展や企画展の部屋が続き、江戸時代から明治にかけての説明写真や実物など歴史資料が数多く並んでいた。半日ぐらいは時間を使いたいところだが、今日はウオーキングが目的なので、また改めて勉強に来ましょう。入場料はタダだから---。
(映像プルグラム)
(水戸藩の歴史資料)

 館内に明治天皇の像が立っているのを見て、入場門から車で入ってくるときに藤田東湖像の案内板が目に入っていたので、林の中を歩いて東湖像を拝みに行った。
(明治天皇像)
(藤田東湖像)

 博物館に戻って車に乗って県道に出ると、すぐ左手に護国寺の入口があった。入口に車を置いて参道を歩いて行くと、派手やかな本殿と三重塔の前に、井上日召という人のブロンズ像が立っていた。脇には「昭和維新烈士之墓」がも立っており、井上日召は戦前の「血盟団」戦後の「護国団」の指導者を務めた人とのことなので、護国寺は日本最右翼のお寺らしい。
(護国寺)
(三重の塔)

 昼食を海鮮市場で食べたかったが、まだ時間が早いので、コースを分割して昼食前に磯前神社だけを歩くことにした。護国寺から県道2号の海岸線を走って大洗港入口の空地に車を停めて、大洗の荒磯を眺めながら海岸線を歩いて戻った。
 一の大鳥居が立つ交差点を右折して、大洗磯前神社の石段前の二の大鳥居まで歩いて、左手の美術館脇の道を下っていくと、海中の岩礁の上に「神磯の鳥居」が立っている。神磯の鳥居は平安時代初期に神が降り立ったと言われる日の出の名所とのこと、何人もの人がカメラを構えてシャッタチャンスを待っている。波が高く巻き上がる瞬間を待っているのだろうか。
(磯浜)
(神磯の鳥居)

 二の大鳥居を潜って長い石段を登っていくと立派な造りの大洗町指定文化財の瑞神門がある。瑞神門の周りは凝った彫り物で飾られていたが、両側の瑞神像はガラス窓が反射して残念ながら拝むことができなかった。
(大洗磯前神社二の大鳥居)
(山門)

 瑞神門を潜ると県指定文化財の拝殿があり、その前で団体さんが神官から説明を受けていた。もう少し早く着いていれば、神社の由緒などを一緒に拝聴することができたのだろうが、みんなが見上げていた拝殿周りの彫り物を鑑賞しただけでおしまい。
 拝殿の屋根は銅葺だったが、これまた県指定文化財の裏に建つ本殿の屋根は萱葺で重厚な感じを醸し出していた。
(拝殿)
(本殿)

 境内社などを見て回って、県道2号への下りは、左手の海洋博物館を左に行けば近道と思って歩いて行ったが、与利畿神社の鳥居がある先で県道を跨ぐ橋になり、県道には下りられないことが分かってがっかり。
 仕方なく来た道を引返し、海洋博物館を通り過ぎていくと、右手に茶釜神社の鳥居があった。
(与利畿神社鳥居)
(茶釜神社鳥居)

 この鳥居を潜ると、また右に石と赤い鳥居の連なりがあり、その先に大甕磯神社があり、更に与利畿神社があった。さっき引き返した橋のところの鳥居から入ってくれば近道だったようだ。与利畿神社から南に曲がって下って行くと、一の大鳥居のところから直接磯前神社に上がる車道に出たが、ここにも与利畿神社の鳥居があった。
 県道2号に出て、交差点の横断歩道を渡って、県道の反対側から一の大鳥居の写真を撮ってから駐車場まで戻った。近くにレストランを探したが見当たらず、車で海鮮市場まで移動してから、市場の食堂で海鮮丼をいただいた。
(大甕磯神社)
(大洗磯前神社の一の大鳥居)

 昼食後、ガイドブックのマップに記載されている西福寺に向かうが、途中、地形図に数多くある寺社マークに一つ一つ立ち寄って行った。
 最初に出会った小さな地味なお寺では、大きな声でお経を読み上げている男性があり、何というお寺かなと静かに近寄ってみると、扁額には新高野山とあった。
 新高野山の脇に大きな「天台宗西福寺 磐舟山養福院」の標柱があり、その先の道の上には養福院千手観音堂の横看板があり、その奥に千手観音堂のお堂が見えていた。
(新高野山)
(養福院千手観音堂)

 千手観音堂にお参りをして、ガイドブックにある西福寺に向かう。何回か角を曲がりながら街中を歩いていると犬飼稲荷尊天の赤い幟と鳥居の列があり、その奥にお宮が見えていた。
 その先にも大きな鳥居があり、その奥の長い石段を上がっていった。社殿には扁額がなかったので、お掃除をされていた男性にきくと、金毘羅さんを祀っていますとのことだった。
(犬飼稲荷)
(金毘羅神社)

 金毘羅さんから出てすぐのところにも小さなお宮があり、後ろに、並んで吊るされた提灯には弁天堂の字があった。
 西福寺はそのすぐ先で、広い境内を持つ立派なお寺だった。入口に曲がり松活性化委員会作成の真新しい由来書が立っていて、「本堂には比叡山延歴寺に1200年余に渡って灯し続けられている「不滅の法灯」が、昭和62年に分灯されて静かに悠久に燃え続けている」とあった。
(弁天堂)
(西福寺)

 境内には、これまた立派な不動堂が立っていて、上記の由来書に中には「北関東不動尊霊場36ヶ所のうち28番霊場として不動明王を司った堂があり、「開運のお不動さん」として近隣の人々から深く信仰されています」とある。
 真新しそうな大洗中学校に向かって境内をいくと、こちらの出口にも小さなお宮があって、扁額を見ると「御嶽山」とあって、木曽の御嶽山を思い起こさせた。
(西福寺不動堂)
(大洗第一中学校と御嶽山神社)

 西福寺から次の日下ケ塚古墳に向かうと、中学校の下に小さな桜井稲荷の赤い社がみえたが、下から写真だけ撮って通り過ぎる。
 古墳近くまで歩いて行くと、い擁壁下に、地図に出ていない鳥居が立っていたので石段を登ってみる。上には対の狛犬さんに守られた赤いお宮があり、社は小さかったが、正一位稲荷大明神と書いた立派な扁額がかかっていた。
(桜井稲荷)
(稲荷大明神)

 その奥の小高いところに公園のような広場があり、日下ケ塚古墳の真新しい説明板が立っていた。
    昭和28年茨城県指定史跡
    4世紀後半に築造された全長103.5mの前方後円墳
    昭和24年の発掘調査で粘土で覆われた木棺が出土し、中ならは人骨のほか副葬品4100点以上が発掘、平成24年の再確認調査では埴輪などが出土
 後円墳の上に上がると「史跡日下ケ塚」と彫った立派な石碑が飾ってあった。今は周りの立木が育って見晴らしが制限されているが、昔は見晴らしが良いところだっただろう。近在の水上交通の有力者のお墓だったという説明がうなづける。
(日下ケ塚古墳)
(後円墳)

 日下ケ塚古墳の説明板には、古墳の前の高みが海防陣屋跡だという。海側の展望が広く、海防見張には最適な場所として斉昭が選んだ場所なのだろう。当時の大砲では弾は海まで届かなかっただろうが----。
 西方向には筑波山、加波山、吾国山の山並みがうっすらと見えていた。
 ここの展望で満足してしまって、ガイドブックにもう一つ「車塚古墳」という古墳が書いてあるのを失念して、次の神社マークに向かってしまった。車塚古墳は日下ケ塚古墳よりも少し大きな古墳のようなので残念なことでした。
(海防陣屋跡)
(筑波山・加波山・吾国山)

 陣屋跡を下って街中の道に出ると、古墳側の高みに稲荷神社があり、続いて少し大きな須賀神社が見えていた。
(稲荷神社)
(須賀神社)

 次の道祖神社は、平地にあっていくつかの境内社も持っていた。
 旅の安全や足の神様なのか、たくさんの履物が奉納されていた。由来書にあった御祭神の猿田彦命をNETで調べると、天孫降臨の際に天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊を道案内した神様とのことだ。
(道祖神社)
(足の神様?)

 次の成田山金剛院の境内入ると、梅も綺麗に咲いていた。
 その次の花池寺では、奥深い境内に入って公孫樹の古木を見上げたりしていると、住職さんらしいお方が見えて「どこから?」と聞かれ、「日立から来て大洗の寺社巡りをしている」と答えると、次の浅間神社への行き方を親切に説明して下さった。
(成田山金剛院)
(花池寺)

 教えに従って大貫小学校の裏手に回ると、右手に浅間神社の石碑と鳥居があり、参道が山の中に伸びていた。どんな立派な神社があるのかと思って狭い参道を歩いて行くと、行き着いたところには意外に小さなお宮があった。
(浅間神社入口)
(浅間神社)

 次の西行院には裏手の東側からも入ることができるだろうと、浅間神社の通りをそのまま歩いて行ったが、裏手の広い墓地には歩道が整備されていて直接西行院の境内に入ることができず、一旦外に出てから神社横から入り直しした。
 西行院は大洗のお大師様として厄除け、交通安全に御利益があるとされる大きなお寺で、広い境内には、立派な本堂の他に客殿や薬師堂が立ち並び、鐘撞堂も建っていた。
(西行院)
(鐘撞堂)

 薬師堂前には茨城県指定天然記念物のお葉付銀杏がそびえ立っていた。お葉付銀杏は先日、水戸八幡宮でお目にかかったばかりだが、ここのお葉付銀杏は、由来書によれば、直径4.5m、樹高25mの大樹で、海難者慰の霊をこの樹に招いて慰霊したと伝えられるとのこと。
 境内出口には立派な仁王門があり、ここの仁王様はガラスで保護されていなくて、猛々しい姿をじっくりと拝見することができた。
(御葉付銀杏)
(仁王門)

 瑞神門から山門を通って街路に出て南下し、交差点のすぐ左手に諏訪神社の鳥居があった。拝殿は鳥居を潜って石段を登った鬱蒼とした森の中にあった。拝殿は地味だったが、その右には小さな石祠がいくつも並び、左に木造の境内社があり、裏には本殿があった。
(諏訪神社鳥居)
(拝殿)

 ガイドブックのコースの外側だったが、先ほど通った交差点の向こうに鳥居マークがあり、マピオン地図には加波山神社の名前があった。山好きには茨城の名山である加波山の名前を聞いては見過ごすことは出来ない。少し引返して、次の辻にある加波山神社にもお参りしてきた。
 加波山神社から引き返し、次の鳥居マークを目当てに諏訪神社前の通りを歩いて行った。
(加波山神社)
(街中をどんどん歩く)

 500mも歩いた辻を左に入ると、山に登る石段があり、登って行くと妻恋神社の石碑が立っていた。マピオン地図にもこの名前は出てないが、嬉しい名前の神社があるものだ。石碑の右の鳥居の奥に狛犬さんに守られた小ぶりな神社があった。
(妻恋神社入口)
(妻恋神社)

 妻恋神社の参拝で、マップに出ている寺社マークを全部歩き終え、県道2号に出て駐車場所の海鮮市場に向かった。空模様が怪しくなり、途中のマリンタワーは県道から眺めただけ、めんたいパークでお土産を買い込んで海鮮市場の駐車場に戻った。
(マリンタワー)
(めんたいパーク)

 最後の巌船の夕照には2年半前の「水戸八景巡り」の時に訪れたことがあるが、ガイドブックに紹介されている名所なので、帰りの車で立ち寄った。かんぽの宿から奥に入った車道の突き当りの願入寺の門前に駐車場所があり、巌船の夕照への入口はこのお寺のすぐ右手にある。
 整備された遊歩道を5分も歩くと説明板があり、その先に見覚えのある「巌船夕照」の碑があった。
(巌船の夕照入口)
(巌船の夕照碑)

 丁度、碑の立つ高みに上がった時、涸沼川の川面に群れていた雁の群れが突然飛び立った。慌ててシャッタを押したが、場所が良くなくて、写った景色はあまり良くなかった。景色のいい場所に移動した時には雁の群れは遠くまで飛び去っていた。しばし、涸沼川と那珂川の眺めを楽しんだ。
 駐車場に戻って、願入寺の山門をくぐってお参りしたが、願入寺は黄門さまが寄進して親鸞の孫如信に開基させたお寺、前回見た巨大なやすらぎの鐘が強く印象に残っていた。
(雁の飛び立ち)
(願入寺のやすらぎ鐘)

 巌船の夕照を出たころ、少しぱらつき始めた雨が、願入寺のお参りを済ませたころは本降りになってきた。だんだんと強く降り出した雨の中を、一路日立に向かって車を走らせた。幸運にも歩いている間は雨に会わないで済んだことで、帰りの車中で同じ幸運を体験した2月の房総アルプスの思い出話に花を咲かせた。




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