C52.桧山(すいぐん1000)
1.動 機
a)山域:桧山(510m)新聞に「すいぐん1000里山ハイキング」の5月例会として「新緑の桧山をゆく」が案内されていた。桧山には14、15年前に「福島県の山」「茨城県と近県の山」の一座として登ったことがあるが、ずっと以前の事なので記憶も定かでなく、また大震災、原発事故以来福島県の山にご無沙汰していたので、久し振りの福島の山に登りたくて早速参加の申し込みの電話を入れた。予約は不要、当日遅れないように集合場所の矢祭山駅に来て申込みすればOKとのこと。当日は天気も良く、多くの常連参加者の中に入って賑やかに歩き、降りそそぐ新緑を浴びながら気持ちの良いハイキングを楽しむことができました。 2.データ b)登山日:2015/5/15(金)晴 c)コースタイム:
e)地形図:1/25000 「東舘」 3.山行記録 当日早めに我家を発車して、集合時間の10時よりも45分も前に矢祭山観光センタ前の駐車場に到着したが、すでに数人の参加者の姿があった。矢祭山駅に行くと、反対側の駐車場が集合場所とのことなので、そちらに車を移動させるとその駐車場にはもっと多くの車が停まっていた。参加受付をして名札入れを貰い、それに住所氏名電話番号を書いた紙片を挟み込んで、観光案内所で案内図を見たりしながら出発時間を待つ。 参加者が55名と多くて、駐車場では準備運動には狭いとのことで、開会式の挨拶後、幹事1人が残って定時前に全員で歩き始めた。観光センタ前で水郡線の踏切りを渡って右手に歩き、あゆのつり橋で久慈川を渡る。以前は有料だった渡橋料は去年から無料になったらしい。
やがて右手の階段道を少し登ると友情の森公園の遊歩道に入っていく。
右から友情の森からの近道が合流してくると、下り気味の道になってきて気持ち良く歩けるようになってきた。以前歩いた女性の話では、この右から登ってくる道の登りはもっともっときつかったとのこと。
林道出合地点で遅れた仲間の到着を待ちながら一休みし、みんなが揃ってから「桧山」方向に林道を歩いて行った。林道にも新緑のシャワーが降り注いで気持ちがいい。
登山道を登って行くと左手に展望が開けたところがあり、折り重なる山並みの手前に大きな岩頭がそそり立っているのが見えていたが、10年前に登った佳老山の岩頭の一つと思われた。
すぐ先の登山道脇に石仏があり「寛政三年(1791)」の立札がたっていた。 二百年以上もの長い間風雪に負けずここで頑張っている姿に合掌して通り過ぎる。
そこから山頂はすぐ、360度の大展望を期待して登りついたが、周りの樹木が大きくなって視界は限られていた。北西方向の八溝山山群の外に、南方向にゴツゴツとした山並みが見えていたが、3年前に歩いた生瀬富士から鋸21峰の山並みかと思われた。
山頂部で席を確保して昼食を取り、山頂標の前でツーショットの写真のシャッタを押してもらって我が家の下山準備は完了した。だが、重い腰をなかなか上げようとしない人が多くて、出発時間は10分の遅れ。登ってきた道をぞろぞろと下って行った。
林道を一寸下ったところから右手の檜の植林の中の遊歩道に入った。檜の部分は綺麗に枝払いがされていたが、杉の植林になるとぼさぼさのまま、桧山の名前から檜だけが大事に取り扱われているのかな。
気持ちの良い沢沿いの遊歩道は久慈川河畔に出るまで続いた。
吊橋の下を通り過ぎたところでトップリーダの人が立ち止り、大きな声で「早く着きそうだが、予定外で夢想滝に寄り道するか」と他の幹事とご相談。夢想滝へ寄り道することが決まり、大喜びで拍手を送った。あゆのつり橋に上がる階段の途中から夢想滝への分岐に入っていくと、遊歩道は狭い谷間を流れる清流沿いの奥に伸びていた。
「世界中の子供達がおりこうで元気に育つよう願いをこめて建てられました。 1.けがをしない元気な良い子 2.べんきょうの大好きな良い子 3.先生、おとうさん、おかあさんのおしえを守る良い子」 おりこうさんの頭を良くなでると、願いがかならずかないます。
この合格さんは、あなたの希望を必ずかなえて下さいます。しんけんにおねがいしましょう。
この合格さんのすがたを良く見て下さい。頭が大きいのは、いろいろな知識がいっぱい入っているからです。それでも厚い本を読んでしんけんに学んでおられます。どんなにすぐれた人でも一生懸命努力しなければいけないと教えておられるすがたです。 この合格さんは、あなたが毎日努力しているのを良く知っておられます。 1.合格さんに手を合わせ、受験する学校の名前を5回となえて下さい。 1.合格さんの頭と本をさすりながら合格合格合格と5回となえて下さい。 さあもう大丈夫です。合格はまちがいありません。安心して、あせらずに、勉強に精を出してがんばりましょう。
有り難い不動尊のようで、滝展望台の脇に、この不動尊の縁起を記した看板があった。 夢想滝不動尊略縁起
平城天皇(大同2年)の時、弘法大使に出羽の国(山形県)湯殿山開基の勅命が下され、東北行脚のため当地を通られし時一条の滝に打たれ、念仏をとなえ、護摩をたかれ国家案穏を念じられしところが、現在の不動明王尊像の場所で古来より「弘法護摩壇」と呼ばれているところであります。その時に滝の名を無念無想の境地から、夢をかなえるという意味で、夢想滝と名付けられた云われております。護摩壇の場所に元禄時代まで、風雨にさらされておりました。尊像は朽ち果てたとも云い伝えられております。その話を聞かれた藤井二郎、吉成昌五郎、藤井清の三氏が高野村(現棚倉町)出身の彫刻家、高橋丈雲師(日本美術協会展入選十数回)に依頼し、丈雲師が昭和28年より5年有余の年月をかけ、心血を注いで彫られた一刀彫りの像が現在の不動明王の尊像でございます。 夢想滝不動尊奉賛会
あゆのつり橋を渡って車道に出ると、矢祭山観光センタの出店からは良い匂いが漂っていたが、矢祭駅の駐車場に直行して名札を返却し、整理運動をして解散になった。
時間はまだ14時前、矢祭山に登ろうと思えば十分な時間があったが、矢祭山に登るならツツジか紅葉の時期に登りたいなと話し合って今回はパス。すぐに発車し、途中、三鈷室山に寄り道して日立に帰ってきました。 |