C63.馬渡はにわ公園(花しょうぶ)

1.動 機
 TVの茨城版で、花しょうぶが県内のあちこちで見ごろになっているとの放送があった。その中に「はにわ公園」という聞いたことがない場所があり、NETで調べたら御馴染みのひたち海浜公園の近くだった。早速、翌日午後出掛けてみると、湿地一面に咲き誇る花しょうぶがとても綺麗だった。

 2.データ
a)山域:馬渡はにわ公園
b)登山日:2015/6/17(水)曇
c)コースタイム:
はにわ公園臨時駐車場14:45 ---- (花しょうぶ園周回) ---- 15:15はにわ公園臨時駐車場
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「ひたちなか」

3.山行記録
 午前中の所要を終えて出発、途中のレストランでランチメニューの昼食を頂いて、車のナビに従ってR245を南下した。海浜公園西口前から勝田駅方向に曲がって、弥生団地入口交差点で右折、団地内の道を抜けた通りに何人もの観光客が往来していて「はにわ公園 花しょうぶ園」の青い旗が立っていた。道標に従って行くと、TV放送の影響もあるのか、臨時駐車場も満車に近い。丁度出来た隙間に車を入れて、駐車場の下を見ると、花しょうぶが咲く細長い湿地帯が見え、花を楽しむ多くの観光客の姿があった。
 近くの階段道を下りたところは、しょうぶ園の北端近くだった。遊歩道は細長いしょうぶ園に沿って両側に伸びていて、その間をつなぐ歩道が細かく敷いてある。先ず、手前の歩道を北の端まで歩いてから、向かいの歩道に渡って南に向かって歩いていった。
(駐車場脇から花しょうぶ園)
(菖蒲園の北端から)
 南に向かうほどに花数が多くなって賑やかになってきた。休憩舎もあったが、休む人はあまりいなかった。
(中ほどの休憩舎)
 他の人の真似をして、和子をモデルに入れた写真も撮ってみた。
(モデルさんを入れて)
 しょうぶ園は全体として眺めても賑やかで素晴らしい光景なのだが、一つ一つの花を見てみると、色々な形、模様、色をしていて夫々に違った美しさがある。大きなカメラを構えてじっくりと構図を考えながら撮っている人も多かったが、私は小さなデジガメを使い、片手で適当にピッ、ピッと押しながら歩いて行くので、大きな写真に拡大は出来ない。
(色とりどり)
 湿地の斜面に黄色い花が咲いていて、青いしょうぶの花を見慣れた目には新鮮な印象だった。「ヤマブキかな」と言ったら、和子に「今時ヤマブキは咲いていないわよ。キンシバイでしょ」とやり込められた。
(キンシバイ)
 しょうぶ園の南端まできて手前側の遊歩道に戻ると、その先にミズバショウの群落が続いていた。とっくに花は終わってお化け芭蕉になっていたが、4月の花時期に来てみたらさぞかし綺麗だろうなと思われた。
(水芭蕉)
 水芭蕉群落の端から引き返すと、遊歩道の東側に小さな蓮池が並んでいた。池の中には蓮の葉っぱが茂っていたが、葉の間を良く見るとところどころに蓮の花が咲いているのが見られた。それぞれの池の畔には踏み跡があり、入口に「マムシに注意!」の立札が立っていて、蛇嫌いの和子に「行かないでよ」と注意されたが、可愛い花の写真を撮りたくてシャッタを押しながらぐるぐると歩き回った。
(蓮池の花)
 蓮池の先には正規駐車場への分れがあり、上がって行くと駐車場脇には下記の説明板があった。
       国指定史跡 馬渡埴輪製作遺跡
     古墳時代の5世紀末から6世紀(1,400〜1,500年前)頃に、古墳に立てる埴輪を製作していた遺跡である。
     この遺跡は昭和38年に発見され、 昭和40年から平成3年までの調査の結果、窯跡19基、住居跡2軒、工房跡(作業場)16棟、粘土採掘坑25か所以上、溝などの遺構が発見された。遺跡からは、円筒埴輪や形象埴輪(人物・馬などの形をしたもの)や、当時の工人たちが使用した土器類や鉄器なども発見されている。
     原料の粘土採掘から、形を作り、焼き上げるまでの一連の工程がわかる遺構と、工人の住居跡がともに発見されたのは、日本で初めてである。現在は「はにわ公園」として整備されている。
    指定年月日 昭和44年8月5日(昭和60年8月12日 追加指定)
 遊歩道に下りる別の道の傍に、立派な「史跡 馬渡埴輪製作遺跡」の石柱が立っていた。
(馬渡埴輪製作遺跡)
 遊歩道に下りて、来た時と反対側からのしょうぶの姿を愛でながら臨時駐車場に戻った。  家への帰りに、東海の石神城址常陸太田の西山荘に立ち寄って、別の花しょうぶも眺めてみたかったが、生憎小雨模様になって来て、洗濯物を干してきたので我家に直行。幸い、日立には雨が降った形跡はなかった。


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