C92.日光ー東京バスツアー

1.動 機
 日光山輪王寺御霊殿・大獣院特別公開を案内するという魅力的なツアー案内があり、1日目東京駅をバスで出発、日光見学の後鬼怒川温泉泊、2日目東京に出て東京湾をランチクルーズして、午後国会議事堂見学と浅草見物、夕方からスカイツリーのライトアップを見ながらのデイナー、3日目の午前中は別途宮内庁に予約しておいた皇居内見学を入れて別行動したが、午後合流して豪華な雅寂園での昼食と見学、その後東京駅見学をして解散と言う内容。夫々の観光スポットも見甲斐があったが、茨城の他に新潟や静岡からの参加者もいて、色々な話が出て面白い旅になった。

2.データ
a)山域:日光、東京湾、浅草、皇居、東京駅
b)登山日:2015/9/14(月)〜16(水)
c)旅程:
    1日目9/14:自宅6:30 ---- 6:45大甕駅6:52 =(特急)= 9:02東京駅=(バスツアー開始) = 12:20磐梯日光店(昼食)13:10 = 13:20日光輪王寺駐車場(逍遥園・東照宮・大猷院)16:20 = 16:40ドライブイン17:00 = 17:15鬼怒川温泉ホテル(泊)
    2日目9/15:鬼怒川温泉ホテル8:20 = 11:35日の出桟橋(東京湾クルーズ)14:00 = 14:30国会議事堂16:00 = 16:40浅草17:30 = 17:40浅草ビューホテル(夕食)19:00 = 19:40グランドパレスホテル(泊)
    3日目9/16:ホテル8:55 = (一時別行動)9:10皇居見学11:30 = 12:00(バスツアー合流) = 12:25目黒雅叙園14:20 = 14:55東京駅ガイド16:10 = 東京駅16:53 = (特急)= 18:22大甕駅18:25 ---- 18:40自宅
d)同行者:バス旅行参加者36名、和子

3.山行記録
3.1 一日目(日光)
    自宅6:30 ---- 6:45大甕駅6:52 =(ひたち2号)= 9:02東京駅集合9:50 =(ツアーバス)= 10:55羽生PA11:10 = 12:20磐梯日光店(昼食)13:10 = 13:20輪王寺駐車場 ---- 逍遥園 ---- 三仏堂 ---- 東照宮 ---- 大猷院 ---- 16:20輪王寺駐車場 = 16:40ドライブイン炉端焼17:00 = 17:15鬼怒川温泉ホテル(夕食・泊)
 集合は東京駅だが、上野止りだった常磐線の特急が東京まで乗り入れるようになったので乗り換えなしで便利になった。我家を6時半に出発して7時前の特急に乗り込むと、旅行社から指定席券が送られてきていたので、近くの席の人は同行の人たちなのだろうがまだ声はかけずらい。筑波山など眺め、朝食を食べながら東京駅まで2時間、指定集合場所に行くとバスガイドの女性が待っていた。常磐線の他、新潟からと、旅行社の添乗員さんと一緒に来る静岡からのグループと合流して総勢38名が一台のバスに乗るとのこと。30分ほど待って全員が揃ってからバス停に移動し、バスの指定された席に着いて10時前に出発。
(筑波山)
(東京駅前でバス乗車)
 バスは首都高に入って隅田川の遊覧船やスカイツリーを見たり、喋りっぱなしのガイドさんのお話を聞きながら東北道に乗り、羽生PAで休憩して宇都宮ICから日光道に入る。
 間もなく右手に篠井富屋連峰が見えてきて、定年直後、今から15年も前に縦走したことを思い出す。変化があって面白い山行だったが、残念ながらこの”夫婦二人の山歩き”を始める前だったので記録を残していない。 
(スカイツリー)
(篠井富屋連峰)
 日光ICから市内に入ってロマンチック街道を走り、二荒山神社の神橋を眺めた先に、ドライブイン磐梯があり、ここで昼食。座敷の食卓の上には、蓋をされた大きな赤いお椀が並んでいる。将軍膳といってお椀の中に小鉢が並んでいるのだが、なんとなく豪華な感じがして気分がいい。色々な料理を味わいながら美味しく頂いた。
(神橋)
(日光将軍膳)
 ゆっくり将軍様気分を味わってから、バスで近くの輪王寺駐車場に入ってから日光観光が始まった。
(輪王寺境内図)
 駐車場から見える三仏堂は大きなビルのように四角く囲われていて、手前に実物大の三仏堂の写真が貼ってあり、その上が回廊になっているようで、その壁に「公開中 輪王寺三仏堂 平成大修理」と書いてあった。
 向かいが江戸時代につくられた池泉回遊式の庭園の逍遥園で、入口門には輪王寺専任のガイドさんが待っていて案内が始まった。
(三仏堂は修復中)
(逍遥園)
 入口門から中に入ると、すぐに大きな池が見えてくる。近江八景を模したと言われ、周りは樹木で覆われ、茶室や五輪石塔などが配されていて風情がある。ツツジやカエデなどの樹が多く、花や紅葉の季節には一段と華やいだ眺めになるのだろう。
(逍遥園の池)
 遊歩道の奥には「修行道場につき立入禁止」の立札が立っていたが、今日はここも通過できるらしい。
 入っていくと神殿のようなところがあり、法衣を付けた神主さんから色々と説明があった。ここには明治、大正、昭和三代の天皇皇后の位牌が納められているとのこと。今日はこの御位牌に拝謁、お参りすることができた。
(立入禁止)
(明治・大正・昭和天皇皇后の位牌)
 三仏堂前に戻って、修理中の内部を見せて貰う。中は撮影禁止で写真は残せなかったが、日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さま(高さ7.5メートル)と、東照三社権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、2組の三尊仏が祀られていた。
 三仏堂から裏手に回って大護摩堂に入ると、中には「五大明王」や「七福神」、「十二天」など数多くの仏さまや祖師像が並んでいたが、天井に大きく描かれた登竜が今にも襲ってきそうで物凄く迫力があった。写真に残せないのが残念!
(三仏堂へ)
(大護摩堂)
 三仏堂境内を出て、東照宮の参道に入る。この参道を歩いたことは何度もあるような気がするが何時の頃だっただろう。高校の修学旅行でも来たことがあるが----。 
(表参道)
(東照宮石鳥居)
 石門をくぐって左手に五重塔を見て仁王門を通る。 
(五重塔)
(仁王門)
 左に曲がると神厩舎があり、壁に見ざる言わざる聞かざるの三猿など猿の彫り物が並んでいる。
(神厩舎)
(三猿)
 「見ざる言わざる聞かざる」しか覚えがないが、案内によれば彫刻は猿の一生を並べてあり、人に生き方を教えているとのこと。良く見れば、最初は母猿に抱かれたものから、だんだんと育っていって相手を見付けて仲良くなり、最後には大きくなったおなかを抱えた猿まで8景が並んでいた。
(子猿の成長過程)
 神厩舎の反対側に三神庫見て、輪蔵の前で右に曲がって石段を上がると陽明門の前庭に出て、右に鐘楼、左に鼓楼が対称に建っていた。それぞれ、釣り鐘と太鼓を納めてあり、外壁から屋根にかけて沢山の金ぴかの彫刻が見られた。
 正面には陽明門が見えてきたが、ここでも改修工事が進行中で全体が幕で覆われていた。門へ上がる石段の左右には鉄製のものもある多くの灯籠が並んでいた。
(右の鐘楼)
(陽明門も修理中)
 修繕中の陽明門を抜けると正面に本堂があり、その前は多くの彫刻で飾られた唐門と透塀で守られていて、ここから奥の拝殿、本殿はまた撮影禁止。
(唐門と本堂)
(豪華な唐門)
 本殿見学を終えて唐門を出て東回廊を行くと、「眠り猫」の札がかかる奥宮への入口があった。有名な眠り猫は意外と小さなもので、気が付かないで通り過ぎてしまいそうなのでこの札が取り付けてあるのだろう。眠り猫は目はつむって眠っているように見えるが、良く見ると爪をたてて前足を踏ん張っており、実は家康を護るためにいつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているとのこと。公開時期中は奥宮まで入ることができるのだが、我々は時間がなくてここで引き返す。
(眠り猫)
(眠り猫アップ)
 陽明門をくぐって右手に向かい、本地堂へ入って鳴龍の響きを聞く。神主さんが拍子木を打つと、堂内にカーンという音がいつまでも消えないで響き渡っていた。不思議な現象ではある。
(鼓楼横を通って本地堂へ)
(鳴龍を聞く)
 石鳥居まで引き返して外に出て、右手の大猷院への参道に入っていった。
(石鳥居を通って)
(大猷院参道)
 古木の杉木立に囲まれた長い参道を行くと、右手に二荒山神社への石段、左に常行堂が建ち、その奥に大猷院の仁王門があった。
 多くの彫刻で飾られた仁王門をくぐると、目の前にきらびやかな建物があって、これが手水場であることが分かってビックリ。
(仁王門)
(御水舎)
 その先の二天門は、これまた改修中で全体が大きな幕で覆われていた。
 二天門の奥には、左右に同じ形に見えるきらびやかな建物があり、左側が鼓楼で、右側が鐘楼らしい。東照宮と似ている。
(二天門も修理中)
(左側の鼓楼)
 庭の周りに鉄の灯籠がたち並んでいて、その先の石段の上にきらびやかな夜叉門がたっていた。夜叉門には前後の左右に4体の夜叉像が飾られていた。
 夜叉門をくぐると唐門があり、その奥に拝殿と金ぴかの本殿があったが、これまた国宝・世界遺産で撮影禁止。
(夜叉門)
(唐門)
 輪王寺境内の美しい堂宇を一杯眺めて大満足で駐車場に戻り、バスに乗って16時20分に今夜の宿の鬼怒川温泉に向かう。途中に見えた鬼怒川の支流・大谷川も河床が荒れていて、3日前の大水害が起きた時にはこの辺りも洪水だったのだろう。
 明日朝の出発をゆっくりにするために、明日寄る予定だったお土産屋に立ち寄ってから17時過ぎに鬼怒川温泉街に着く。温泉街沿いを流れる鬼怒川本流はまだ水量が多くて濁っており、遊覧船乗場にも船の姿は見えなかった。
(大谷川も荒れた模様)
(鬼怒川の遊覧船も休業)
 大きな温泉ホテルに入って、先ずは大浴場で汗を流し、身体を伸ばす。19時からバイキングの夕食をビールを飲みながら腹いっぱい頂いて幸せな一日目を終わりました。
(鬼怒川温泉ホテル)
(豪華夕食バイキング)
 
3.2 二日目(東京湾・浅草)
鬼怒川温泉ホテル8:20 = 9:40羽生PA9:55 = 11:35日の出桟橋(東京湾ランチクルーズ)14:00 = 14:30国会議事堂16:00 =16:40浅草散策17:30 =17:40浅草ビューホテル(デイナー)19:00 = 19:40グランドパレスホテル(泊)

  二日目朝は朝風呂に入って温泉街のお散歩、橋の対岸のところにあった展望台からは、プラザホテルの崩落した露天風呂の部分が崩落したままになっている惨状が見えていた。8時20分、多くの従業員に見送られて東京に向かってホテルを出発した。
(露天風呂)
(見送られて)
 途中の休憩場所だった羽生PA下り線は関所があったり、店舗も古い日本家屋の店構えで風情のあるパーキングだったが、お土産は見るだけにした。
(羽生PA:関所)
(羽生PA:店舗群)
 首都高に入って沢山のJCTで曲りながら走り、スカイツリーなど眺めさせてもらって11時35分に日の出桟橋に到着した。シンフォニークラシカ号が美しい船体で待っていた。
 12時からクルーズ始まり、早速バイキングの昼食を美味しくいただき、ときどき外に出ては景色を楽しみながらのクルージングを楽しんだ。
(シンフォニークラシカ号)
(ランチ)
 出港間もなく美しいレインボウブリッジが見えてきて、この下を通るのは初めてだと、盛んにシャッタを押した。
 その先にはビル群が見えていたが、巨大な倉庫群やガントリークレーンが立ち並ぶ埠頭群の景色にも目を奪われる。
(レインボーブリッジ)
(鉄鋼埠頭)
 左の水路に入っていって次のゲートブリッジの下を通過して沖に出ると、遥か遠方に東京アクアラインの海ホタルも見ることができた。
(かすかに東京港アクアライン海ほたるも見えた)
 東京灯標があったという辺りまで来ると、船は大きくUターンして羽田空港側に近づき日の出桟橋に引き返していく。
(遠ざかるゲートブリッジ)
(羽田空港)
 終わりに近づくと、白いドレスを身にまとった若い歌姫が良く響く美しい声でオペラなどの歌を歌ってみんなを楽しませてくれた。貰ったチラシにはクラシカルクロスオーバシンガー岩田悠とあったので紹介しておきましょう。
 桟橋に近づいて下船準備を始めたころに、ビル群の間にスカイツリーが小さく見えていてパチリ。完成直前に近くまで行ったが、まだ展望台に上がったことがないのでスカイツリーが見えるとやけに気になるのです。
(オペラ姫)
(ビルの間にスカイツリー)
 次は国会議事堂の内部見学。受付を通ったところで専任の案内者が居て大勢を引き連れて衆議院内を案内してくれた。
(衆議院入口)
(案内者)
 院内は本会議場以外は撮影禁止なので、赤いふかふかの絨毯や重厚なシャンデリヤ、広い階段、色々な政党名の名札がかかった控室の並ぶ廊下などちょっと頭の中に残ってはいるが、ほとんど忘れてしまった。
(本会議場)
(第二別館)
 議事堂の外に出て、第二別館前を通って議事堂前庭出ると、一帯に全国各県ごとに贈った県の樹が植えられていた。茨城県の梅の木も見つかった。
 正面出口まで来ると、議事堂をバックにした記念写真を撮る集団が順番を待っていて、しばらく待って我家も証拠写真を撮っておいた。
(茨城県から贈った梅の木)
(正門からの議事堂)
 外の通りに出ると、手前議事堂側には警備隊の車が列を作っており、向かい側の歩道には安全保障法制反対の旗やプラカードが立ち並び、長いデモ隊の列が出来ていた。
 交差点の街燈柱に日の丸と赤に白星の旗が対になってはためいていた。近日中にベトナムの要人を迎えるらしい。
(反安全保障法制反対のデモ隊)
(ベトナム国旗)
 次は浅草見物。バスから降りて二天門をくぐるとすぐに浅草寺本堂に前に出た。ここまで案内されて後は自由散策。
 本堂前に大きな壺から香の煙が流れ出ていて、御利益を願って頭や腰に煙をつけてから本堂にお参りした。
(二天門)
(本堂)
 本堂向かいの宝蔵門のわらじに健脚回復を祈念し、右手の五重塔を仰ぎ見る。
(宝蔵門)
(五重塔)
 二天門方向には以外と近くにスカイツリーが見えていた。
 宝蔵門をくぐって仲見世通りに出る。
(本堂横にスカイツリー)
(宝蔵門を振り返る)
 大勢の観光客で賑わう仲見世通りを、店先に並んだ色々な品物を見ながら買い物することなく通り過ぎた。
 雷門をくぐると仲見世通りの外に出た。
(仲見世通り)
(雷門)
 混雑する仲見世通りを引返すのには嫌気がさしてきて、静かな裏通りを通って伝法院通りまで引き返した。
(裏道で引返す)
(伝法院通り)
 伝法院通りの途中、脇の浅草公会堂に立ち寄ってみた。公会堂の中は何んという事はなかったが、前通りの歩道に有名人の手形を取ったサイン入りのタイルが夥しい数敷き詰められていた。
 よく聞くところでは、三木のり平、石井好子、今村昌平、桂歌丸、舟木一夫などの名前が見られた。
 道路側には桂文珍、水前寺清子、鶴澤寛治、野口五郎、水谷豊5人の手形が別にスターの手形として飾られていた。
(浅草公会堂前の手形)
(5人のスターの手形)
 伝法院通りを通り抜けて、これから再集合場所の浅草ビューホテルに行くにはどう行くのだろうかと迷う。手にしたマップを頼りに街中をやみくもに歩いて行ったら、広い通りの向こうにいビューホテルが見えてホッとした。
(やみくも歩き)
(浅草ビューホテルが見えた!)
 定刻にはホテルのロビーに全員集まってきて、27階まで上がってスカイツリーを間近に眺める全面ガラス窓の夕食会場に入る。次々に出てくる中華料理も美味かったが、暗くなるにつれて目の前のスカイツリーが青白黄など色とりどりに変化して美しい。手前の浅草寺もライトアップされていて良い被写体になった。
(デイナー会場)
(スカイツリーの夜景)
 デイナー後は飯田橋のグランドパレスホテルに入ってお休み。

3.2 三日目(皇居・雅叙園・東京駅)
    ホテル7:40----靖国神社---- 8:35ホテル8:40 = 9:10皇居見学11:30 = 12:05雅叙園(ツアー合流昼食)14:20 = 17:00東京駅見学16:10 = 東京駅16:53 =(ひたち25号)= 18:23大甕駅 ---- 18:40自宅
 朝起きてバイキングの朝食を食べてから、出発までの時間を使って靖国神社までお散歩してきた。
 マップを頼りに靖国神社へ向かって歩いて行くと「築土神社」の幟が目についたので寄り道。赤い鳥居の奥にこじんまりとした社があった。社の後からサラリーマンらしい人が出てきたので、靖国通りに出られるかなと進んでみたが、道が怪しくなってきて元の通りに引き返した。
 一度交差点を左折すると第一鳥居を正面に見る靖国神社参拝道に出た。この通りは通勤通りにもなっているようで、往き来するサラリーマンや学生の姿が多く見られた。
(築土神社)
(靖国参拝道)
 第一鳥居をくぐった先には道の真ん中に大村益次郎の銅像がたっていた。大村益次郎は日本陸軍の創設者だったので、靖国神社を管轄していた陸軍省がこの銅像をたてたらしい。
(第一鳥居)
(大村益次郎銅像)
 やがて第二の鳥居がありその向こうに神門があり、門の扉には大きな菊の御紋がとりつけてあった。
 次の鳥居の奥に菊の御紋の垂れ幕が張られた拝殿がある。門の入口には警備の人が一人見張っていた。一応拝殿におまいりしてからホテルに引き返した。
(第二鳥居と神門)
(拝殿)
 バス出発時間5分前にホテルについて、大急ぎで部屋から荷物を取り出してバスに乗った。
 午前中は予約しておいた皇居参観である。坂下門でバスから下してもらって、桔梗門前の受付所で手続きをして行列に入る。
(皇居参観コース)
 9時10分に行列に入ったが、さんざ待って入場は9時半から始まった。門を二つくぐったが、桔梗門は二つあるのかな。
(入場を待つ行列)
(桔梗門から入場)
 入場してすぐのところに参観者用の休み処窓明館があり、ここでビデオを使った説明が行われた。
 30分ほどの長いオリエンテーションがあって、一堂行列を作って案内者に従う。すぐ前に明治色の建物があり、元の枢密院の庁舎だったところだという。
(窓明館でビデオ説明)
(元枢密院庁舎)
 ちょっと歩いたところに石垣で、この中に島津家の家紋であるマルに十の字の刻印があるのを見つけ出す様言われる。見つけにくかったが、案内者の指差す方向を辿って、やっと小さなマルに十の字のを見つけることができた。
(この石垣に)
(マルに十の字)
 東御苑の石垣の角に富士見櫓という立派な三層の櫓を見る。
 東御苑の長い石垣の脇にお堀のように蓮池が延びていた。半分は葦に占拠されていて、蓮は石垣近くだけに繁茂していて今時は花はない。奥の方の石垣の上に白い建物が見えたが、これが富士見多聞。かつて江戸城本丸には15棟の多聞櫓があったが、その中で唯一現存する遺構だとのこと。
(富士見櫓)
(蓮池濠と富士見多聞)
 濠を越えて行くと正面に宮内庁の庁舎が見えてきた。今の宮殿が昭和43年?に完成するまでの数年間3階が仮宮殿としてつかわれていたとのこと。
 庁舎を過ぎると、新年一般参賀が行われる宮殿前の東庭に入っていく。
(宮内庁庁舎)
(宮殿東庭へ)
 宮殿は地上一階だが地下に二階があるとのこと。東庭に面した建物は長和殿で、新年年賀の時に皇族がベランダに立って手を振られるところである。
 実際に天皇皇后が立たれるベランダは、常設のベランダよりも前に出っ張った広いベランダを一時的に作るのだとのこと。
(宮殿長和殿)
 東庭で説明を聞いている間に、左手の門から立派な車が入ってきて、警備のバイクも従っていた。ベトナムの第二書記局長のご来場だとのこと。昨日国会議事堂前の交差点にベトナム国旗がたっていたのはこれだったのだ。要人の下車、入門を見て、車が出て行くのを待って次に向かう。
(正門側から警備付要人車)
(ベトナム第二書記局長ご来場)
 ベトナム第二書記局長の車が入ってきた門を出ると鉄の柵がある二重橋の鉄橋にでる。木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていたので「二重橋」と呼ばれるようになったとのこと。下のお堀を二重橋濠と呼ばれる。
(正門へ)
(鉄橋の二重橋)
 ここから下に見え、外からも見ることができる石造りの二重太鼓橋を二重橋だと思っていたが、本当の二重橋はこの橋の事だったようだ。
 二重橋から伏見櫓を眺めて引返す。
(石橋の二重橋)
(伏見櫓)
 宮殿の豊明殿前を通って山下通りに出る。長い通りをぐるりと歩いて宮内庁庁舎のところに戻る。
(宮殿・豊明殿)
(山下通りの見学者の列)
 途中、大勢の人が白い上っ張りを着て、箒や熊手、塵取りを持って落葉厚めに精を出しているところに出くわした。ご苦労さまです。
 そのまま窓明殿横を通って、11時半ごろ桔梗門で案内者と別れて皇居参観はお終い。
(勤労奉仕団)
(窓明館へ戻ってお終い)
 時間を合わせてバスに拾ってもらって無事ツアーと合流、昼食会場の雅叙園に向かった。雅叙園は日本国内最初の総合結婚式場で、ホテルやレストランもある複合施設とのこと。
 中はなかなかに高級感があり、広い回廊を行くと右内側にカフェや売店など並び、左外には美しい和風庭園が見えている。
(雅叙園)
(回廊)
 通路わきには、大きな江戸風俗画が各所に見られ、灯りに映える紅葉と傘の展示がとても綺麗だった。
(江戸風俗図)
(紅葉と紅の傘)
 エスカレータで二階に上がると絨毯が敷かれた重厚な廊下があり、食事処が続いていた。
 横に曲がって広い部屋に入ると四周の壁や天井まで風俗画で埋め尽くされていた。絵は立体的に浮き出ていて、一枚の板から掘り出したものだというから驚き。
(二階の廊下)
(天井絵、壁絵の広間)
 中華料理の部屋に案内されて入ると、孔雀の間とでもいうのか孔雀の絵がいっぱいあった。
 卓上に用意されていたのは六角形の重箱と蒸篭、吸い物、御飯が並び、重箱を開くと八皿の料理が出てきた。どれから手を付けようか迷いながら美味しく頂いた。
(食事会場)
(料理)
 食事が終わってから百段階段の案内があることになっていて、時間まで部屋の周りの芸術の写真を撮って歩いた。
(床の間の上)
(孔雀の絵)
(彫刻された床柱)
(天井絵)
 百段階段の案内は専門の案内者が来て案内してくれた。HPによれば「「百段階段」とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築です。 食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。」とある。
 入ってきた雅叙園入口まで引返し、百段階段入口に上がるエレベータも豪華で、扉も室内も蒔絵で出来ていた。
 十段ぐらい階段を上がる毎に十畝の間、漁樵の間、草丘の間静水の間、星光の間、清方の間、頂上の間と趣の違う部屋が続いて、それぞれの部屋に独特の絵や彫刻があり、それぞれについて詳しい説明がなされた。説明を聞きながら付いて歩いて行ったが、百段階段は撮影禁止、写真が残っていないとどの部屋にどんな芸術品があったかちっとも思い出せない。
(百段階段の案内者)
(華麗なエレベータ)
 百段階段の案内が終わってから本館に戻り、バスの出発時間までもう一度本館の中を見て回った。披露宴会場から幸せそうな二人が出てきて、茅葺屋根の日本家屋が並ぶ方に歩いて行くのが目に入った。個室になっているのかな。
 錦鯉が泳ぐ綺麗な流れ沿いの地庭を飛び石伝いに歩いてみたりゆっくり遊ばせて貰った。
(結婚式のお二人)
(内庭)
 雅叙園を出てからバスは東京駅の丸ビル横に停まった。下りたところに案内者が待っていて東京駅ツアーが始まった。
 南口向かい近くまで歩いて行って、「ここが吉永小百合さんが立ってJRの宣伝ポスター写真を撮った場所です」と言って、夫々を立たせて記念写真のシャッタを押してくれた。我家は気が短いので順番を待つのに耐えられず、少しずれた邪魔にならないところで記念写真を撮った。
(東京駅ツアー始まり)
(吉永小百合の写真位置)
 丸ビル内に入って、床の透明ガラスの下に展示されている丸太を示して、「これが東京駅を改築する時5年前に掘り出された100年前の基礎杭です。長さ7〜8mあり、ほとんど腐っていません」とのこと。展示杭には使用開始年から掘り出された年までの年号が彫り込まれていた。
(基礎柱)
(年号が刻まれている)
 横断歩道を東京駅前に渡ってから、先ずは中央駅前で東京駅の規模や歴史などの説明が行われた。
 南口の駅舎内に入ってドームの天井を見上げながら天井装飾の説明。「側面に十二支の彫刻があるが、8角形なので子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のうち、東西南北に相当する子・卯・午・酉が抜けています。」と気付きそうもない事を教えられた。その他「1921年、原敬首相が暗殺されたのがそこです。」と指差されたところには「原首相遭難現場」の説明板が取り付けてあって、下の床面に◎印が付けてあった。
(丸の内中央口)
(丸の内南口ドームの天井装飾)
 また向かいの通りに戻ってキッテタワーの中に入って、エレベータで6階に上がって「今は駅前が工事中で丸ビル方向からは東京駅全景を綺麗に眺めることができない。ここが東京駅を眺める一番のビューポイントです。どうぞ写真を撮ってください。」と薦められた。
(キッテタワーからの東京駅)
(丸の内側駅前は工事中)
 東京駅に戻って案内者と別れ、添乗員ともサヨナラしてすぐに常磐線特急が出る8番線に向かった。久しぶりの東京駅、もっと歩き回ってみる時間はあったのだが、今日はもう満足、満足。ベンチに座り込んで電車の到着を待ったのでした。


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