C95.那珂湊下見ウオーク
1.動 機
来年1月のMAC例会で「茨城の史跡めぐり」を平野さんと二人で企画することになった。去年東海村、今年は日立市水木を歩いたので、来年はひたちなか市那珂湊にしようと決めた。我家が歩いた「C21.那珂湊の文化財と寺社巡り」を下敷きに二人でコースの下見することになり、平野さんがひたちなか海浜鉄道湊線に乗ったことがないというので、電車に乗り合わせて行った。 2.データ a)山域:那珂湊 b)登山日:2015/9/29(火)晴 c)コースタイム:日立自宅 8:30 ---- 8:45大甕駅8:52 = 9:07勝田駅9:32 = 9:48@那珂湊駅10:05 ---- 10:10A勇稲荷神社 ---- 10:15Bまちかど博物館明石屋 ---- 10:20C反射炉(工事中入場禁止) ---- 10:25D西滝不動尊10:35 ---- 10:45E稲葉屋)10:50 ---- 10:55F華蔵院11:05 ---- 11:15G天満宮11:20 ---- 11:20H湊公園11:35 ---- 11:40I鐘馗神社 ---- 11:45Jあさ川 ---- 12:00Kおさかな市場(昼食)13:00 ---- 13:35L水門帰帆 ---- 13:40M津神社 ---- 14:00N橿原神宮14:10 ---- 14:25O四郎介神社14:35 ---- 14:55P名平洞 ---- 14:55Q館山七ケ寺15:25 ---- 15:40@那珂湊駅15:50 = 16:05勝田駅16:17 = 16:32大甕駅16:35 ---- 16:50日立自宅
d)同行者:平野
e)地形図:「ひたちなか」 3.山行記録 大甕駅でJR電車に乗ると、次の東海駅で平野さんが乗り込んでくる。ここから平野さんの色々なお話を聞きながらの楽しい那珂湊巡りの始まり。勝田駅でひたちなか海浜鉄道湊線の可愛い電車に乗り換える。 まっすぐ伸びる単線線路の両側に広がる田園風景を眺めながら15分程で@那珂湊駅に着く。平野さんが駅員に那珂湊のお散歩道に付いて色々相談したり資料を貰ったりしている間に、私が駅前に出てみると、右から数人のカメラマンが歩いてきて「他のところから中古の電車が運ばれてきて、今吊り下ろされたところだよ」と教えてくれた。そっちに歩いて行ってみると電車降ろしが終わったばかりのところで、まだ大勢の見物人が残っている。その向こうの線路に降ろされたばかりの電車と、まだ電車をロープで吊っままの2台の大きなクレーン車があった。電車の車両をクレーン車で吊るすというのは初めてみる光景だったが、電車がどこから運ばれてきたと教えられたのか忘れてしまった。
駅前に戻って二人でウオーキングの始まり。駅前通りを少し歩くと道の向かいに鳥居があり、その奥に三角形をしたA勇稲荷神社がある。ここから眺めるだけでいいかな。
突き当りの左にBまちかど博物館の明石屋がある。昔から団扇や扇子を商う店で、古いカラス戸の典型的な日本の商家の構え。外からその佇まいを眺めただけで通過。
次は山上門からC反射炉の丘に上がる積りだったが、反射炉が丁度改修工事中で立入禁止。柵の外から山上門を眺めただけで通過。
そのすぐ先にD西滝不動明王の石柱があり、その奥の井戸小屋では今日も水汲みをする人の姿があった。
次は湊公園入口を通り過ぎてG天満宮にお参りする。大鳥居から入って本殿まで。
公園入口まで引返し、い賓閣跡があった湊公園に入っていった。反対側の小学校の校庭には「文武館址」の碑があるが、校庭に生徒たちの姿があったので入るのを遠慮した。
黄門様が植えたという松の木はいつ見ても格好がいい。
公園から下ったところにI鐘馗神社があり、その脇に黄門様命名の金龍水井戸がある。今時珍しい手押しポンプがついている。
この石段を登って行くとM津神社が正面に見える。
津神社から県道を渡ってN橿原神宮境内に横合いから入っていき、拝殿にお参りをしてから表参道の石段を下って街に出た。
橿原神宮を出てから次の館山七ケ寺へ行くのに県道を歩いて行くと、四郎介稲荷神社の石柱があった。その奥には長い石畳みの参道があり、数多くの鳥居が並んでおり、名前からしても面白そうな神社なので寄ってみることにした。 たくさんの鳥居をくぐりながら松の木並木を入っていくと立派な社殿と境内社があった。NETには 「四郎介稲荷神社」(ひたちなか市湊中央鎮座)
祭神:宇賀魂命(豊宇気姫命・伊勢神宮外宮の神) 文禄三年(1594)に飯塚家の初代を四郎介と名乗る神託があり伏見稲荷神社を勧請した事にはじまるという。 伝説としては、静神社の森に正理を尊ぶ四匹の狐がいた。神通力でもって土地の開発に尽力し、源太郎狐は瓜連、甚二郎狐は米崎、紋三郎狐は笠間に、四郎介狐は那珂湊に住し、それぞれが川原山海を守るために御祭神の使いしめとして人々に尊敬されてきたという。 川の守護神 静神社・・・・・・瓜連の源太郎狐 野の守護神 三島神社・・・・・米崎の甚二郎狐 山の守護神 笠間稲荷神社・・・笠間の紋三郎狐 海の守護神 四郎介稲荷神社・・那珂湊の四郎介狐 現在の社殿は明治9年11月8日造営のもの。御神木の前に足尾神社を配祠している。 参道途中の神主さん宅らしい民家の表札には飯塚四郎介の表札がかかっていたので、四郎介の名前が代々を受け継がれているのだろう。
那珂湊駅で貰った観光地図には、駅の裏に館山七ヶ寺と言うところがあり、「なんと七つのお寺が集まっています」とあって面白そうなので、行ってみることにしたのだった。これらの寺院は元禄九年(1699)黄門様の命により城下各地から移されてきたものとのこと。
湊線の線路を越えてQ館山七ケ寺への入口まで来ると、すぐ前にカモがいっぱい泳いでいる広い池があって、P水鳥の楽園名平洞(なへどう)の案内板が立っていた。 館山の丘に上がって行くと、一番入口にある浄光寺の先に七ケ寺の配置図があった。浄光寺だけが広い敷地を持ち、その他の6ヵ寺は同じ面積で並んで建っているようだ。この図のお蔭で歩きやすくなった。
入口に建つ浄光寺は、庭にあった御縁起によれば、親鸞聖人御直弟唯仏房の開基であり二十四輩の二十一番に数えられる名刹とのことで、七ヶ寺の中でも一番格式の高いお寺のようだ。山門を入ると、なるほど本堂は立派で庭も広かった。
次の専光寺は鐘楼の下が門になっていて、これを通って庭に入る。専光寺は蓮如上人の開基のようで、庭には大きな蓮如上人の像が立ち、その下に蓮如上人御文章を刻した碑があった。
続く常教寺、光泉寺ともに美しい庭園があり、特に光泉寺の庭には池がしつらえられていて見事な日本庭園になっていた。
通りを引返して、次の通りに入ると最初にあったのが正徳寺。石の門を通って入った庭には別に木造の古い山門があった。那珂湊市指定の建造物としての説明板があり、安政7年(1860)に水戸藩御典医が屋敷門として建てたものを、昭和46年に正徳寺に寄進されたもの。構造は釘無しの棟門造りの建築で今も寸分の狂いもないとのこと。天狗の乱の時に一部損傷して修復されたが、門柱には今も弾痕と言われる跡が残っていた。
最後に新しく建て直されたらしい清心寺を見たその先には、長く真直ぐな石段道が街に繋がっていた。
那珂湊駅始発の電車が待っていて、これに乗り込むと間もなく15時50分発車。線路の両側の景色を朝とは反対方向から楽しみながら勝田駅に着き、常磐線にも連絡良く乗ることができた。ゆっくりと本番のコース設定や時間の振り分けなどを相談してから東海駅で平野さんが降り、大甕駅に着いたのは16時半、新しく四郎介神社や館山七ケ寺などもあって面白い下見ウオーキングでした。
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