D18.いばらきヘルスロード38-2
(久慈川サイクリングロード後半)
1.動 機
 いばらきヘルスロードNo.38は、久慈川サイクリングロードの全長16kmのうち、隣町常陸太田市の境界までの4.5kmがコースになっている。前回11日に、この半分の久慈大橋から中間点まで歩いた。今日もお天気が良く、お元気な和子からウオーキングの催促が出て、残り半分を歩くことにした。

2.データ
a)山域:久慈川河畔
b)登山日:2016/01/20(水)晴
c)コースタイム:森山自宅13:40 = 14:00竹瓦駐車場所14:05 ---- 14:10中間点 ---- 14:40R6榊橋 ---- 14:45常磐道久慈川橋 ---- 15:00折返し ---- 15:15常磐道久慈川橋 ---- 15:20R6榊橋 ---- 15:45木橋(竹瓦橋)15:50 ---- 15:55駐車場所 = 16:10森山
(いばらきヘルスロードNo38-2)
(いばらきヘルスロードNo38-2の高低差)
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「日立南部」

3.山行記録
 前回の折返し点辺りを車のナビに指定して走ると、車は一本松通りを走って、R293之交差点の隅から久慈川への部落道に入って見覚えのある小さな石仏が並んでいる小広場に着いた。久慈川が日立市と東海村の境界で、久慈川から北は日立市だと思い込んでいたが、ここには東海村議会選挙のポスターが貼ってあり、東海村村長名での村道舗装作業のための土地一時使用許可札が立っていた。
    帰宅後、地図で確かめると、留大橋から東小沢小学校の間の1kmほどの間に、東海村の竹瓦部落が入り込んでいることが確認できた。
 車を停めて東海村の村道を少し歩くと、堤防に上がる階段があった。
(石仏の列)
(歩き始めの東海村村道)
 階段を上がって堤防の上に出ると、そこからはサイクリングロードが伸びている。
(階段登って)
(サイクリングロード)
 少し歩くと、前回確認した「ゴールまで2,080m」の表示があった。
 その左下には、久慈川にかかる木製の橋が見えていた。昔車で渡ったような記憶があるが、今でもまだ残っていたのかと嬉しくなり、帰りに時間があれば寄り道してみようと話し合う。
(中間点)
(木橋)
 少し先に白いポールの車止めがあり、右の竹瓦から上がってきた村道が、前を横切ってVターンするように木橋の方に下っている。
 村道を横断するとすぐに東小沢小学校があり、その向こうに風神山も見えている。
(車止め)
(東小沢小学校)
 のんびり歩いて行くと、後から一人の男性が追い越していった。それから10分も歩いて、R6の榊橋が近くに見えてきた頃にこの男性が引返してきた。結構な歳に見えたが、はーはー言いながらも元気な足取りで走っていく。
 男性はヘルスロードの終点で引き返してきたのだろうから、ランニングとはいえ終点は近いなと思った。
(ランニングで追い越し)
(引返してきたランニング)
 境橋の下を通った先に日立市水道の取水場があり、ここからポンプアップされて我家の上の森山浄水場まで送水されている。標識の「最大取水量0.998m3/s」と、ぎりぎり1m3/s以下とする数字が面白い。メータの測定精度では判定できないだろうに。
 その先に常磐道の久慈川橋が見えてくる。
(日立市の取水場)
(常磐道の久慈川橋)
 橋の下に来ると、橋桁の壁に子供たちの笑顔が並んだペンキ絵が描いてあった。我が家近くの水木小学校通学路の洞門の壁にも似たような絵が描いてあって、小学生の共同作品だったので、これも東小沢小学校の生徒の作品かと思ったのだが、プロの作品だったらごめんなさい。
 常磐道を過ぎて、そろそろ折返し点の表示があるだろうと気を付けて歩いて行ったが、それらしき表示は見つからず、元気な和子はどんどん先に歩いて行く。そのうち、「海から左岸7.0km」の立札が出てきて、これは来過ぎたなと引き返すことになった。
(常磐道下の壁絵)
(7km標識)
 風神山、真弓山から国見山にかけての常陸太田の山並みを眺めて引き返した。
(常陸太田の山並)
 引返す道でも色々な人と出会い、ローラスケートを転がしながらやってくる若者もいた。
 東小沢小学校を通り過ぎたところで、丁度下校時間だったようで、下の道から集団の小学生が上がってきて、待っていた二人の保護者と一緒にサイクリングロードを歩いて行った。竹瓦部落の下流側の留町の子供たちなのだろう。
(ローラスケータ)
(小学生の集団下校)
 竹瓦からの村道を横切るところで、右の久慈川方向に車道を下っていった。すぐに木橋の入口に着いて見ると、その橋は木製ではなくて、コンクリート造りの橋だった。車も渡って行く。「この橋は通学路につき、学童の歩行中はわたりきるまでお待ちください。東海村」の標識があった。飛地の竹瓦部落の子供たちが東海村の学校に通う大事な橋で「竹瓦橋」の名前がついているらしい。
 和子は予定通りこの橋を渡りはじめたが、私はこちら側でゆっくり休んで待っていることにした。歩行軌跡の記録を取るためにナビを和子に持ってもらった。
 後で調べたら、私の記憶している木橋はもっと下流の鉄橋の近くに架かっていた木製の沈下橋で、平成10年に流されてしまったらしい。15cmほどの車止めがあるだけのもぐり橋で、20年前に一家4人が車ごと転落して全員死亡する等、自転車等の転落事故が度々起こっていた。私が車で渡った時も随分怖い思いをしたような気がする。
(木橋へ)
(竹瓦橋を渡る)
(向こう岸から)
(引返してくる)
 下流側に舗装道を歩いていくと、すぐのところに堰堤に上がる階段があり、これを上がったサイクリングロードの真向いに、今日歩き始めに登ってきた階段があった。
 この階段を下って村道を歩いて、待っていた我が愛車に乗って我家に帰ってきた。歩行距離6.4km、時間1時間50分のウオーキングでした。
(下流側へ)
(駐車場所帰着)


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