D1c.いばらきヘルスロード18
(阿漕ヶ浦・虚空蔵尊)
1.動 機
 1月31日は常陸大宮の美和の地域活動委員会の主催で「高部部の街並みと尺丈山・百樹の森」と題した案内があり、久し振りに山登りができると喜んだ和子が、町内のKoさんOmさんと一緒に参加申込みしたのだが、大雪の天気予報が流れて主催者から中止の連絡が入ってがっかり。ところが、当日朝になると空は雲一つない快晴、家の中でじっとしてはおれずヘルスロードでも歩こうと二人の話し合いは成立、積雪が残っているかもしれない日立北部を避けて、東海村の阿漕ヶ浦と虚空蔵尊を繋いで歩くヘルススロードNo18を歩くことにした。急に決めたことだったので、KoさんOmさんには連絡しないで二人ででかけることになった。コースはMACの行事で一昨年平野さんに案内されて歩いたコースの一部で、全部見たことのあるポイントばかりだったが、快晴の空のもと、変化の多いコースを気持良く歩くことができた。

2.データ
a)山域:東海村阿漕ヶ浦・虚空蔵尊
b)登山日:2016/01/31(日)晴
c)コースタイム:森山自宅11:00 = 11:15原子力開発機構前11:25 ---- 11:45交差点 ---- 11:50虚空蔵尊 ---- 12:00村松晴嵐の碑 ---- 12:15大神宮 ---- 12:30交差点 ---- 15:10夜桜の詩碑 ---- 12:55公園管理事務所 ---- 13:15第一用水機場 ---- 13:25揚水池 ---- 13:30第一揚排水機場 ---- 13:30水利推進事業掲示塔 ---- 13:40原子力開発機構前13:45 = 13:55おさかなセンタ(昼食)15:00 = 15:15森山
(いばらきヘルスロードNo19)
(いばらきヘルスロードNo19の高低差)
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「常陸久慈」

3.山行記録
 東海村は日立南部に位置する我家からは隣町みたいなもの、11時に我家を出てR245を走って東海村の原研入口門前の交差点まで来たのは11時を10分ほど過ぎたばかりだった。渋滞した車列の前の交差点では大勢の係員が立って交通規制をしていた。今日は勝田全国マラソンの実施日で、勝田駅を出発したランナーはここまでR245を走ってきて、この交差点でR6方向に曲がって行くらしい。勝田マラソンが今日とは知っていたが、ランナ―がここまで走って来るとは認識していなかったので一瞬戸惑う。
 日立に向かってくる右車線は車両通行止めだが、勝田方向の左車線はフリーだったので、どうにかなるだろうとそのまま走っていったが、この先どの交差点でも右折禁止になっていて、狙っていた阿漕ヶ浦公園には入ることができなかった。右側にある虚空蔵尊入口の駐車場も路側に詰めかけている大勢の応援者の車で満車状態、ずるずる走っていって、駐車できたのは阿漕ヶ浦入口から1km以上も先の原子力開発機構入口前の空地だった。
 駐車場所の前にはすでに先頭集団のランナーが通過し始めていて、数か所ある給水テーブルでは係員が大きな励ましの声をかけながら紙コップの水を手渡していた。
 我家が歩き始めようとする頃には、勝田方向からどんどんとランナーがやってきていた。しばらく眺めていても、ランナーの列はいつまでも続く。何人もの人が手に手に小旗を振りながら応援している歩道を歩き始め、走り過ぎるランナーを左に見送りながらゆっくりと歩いて行った。
(勝田マラソン給水所)
(どんどん走ってくる)
 ランナーの非常事態に備えてAED装置を背負った人が自転車で伴走していた。
 途中でもらった小旗を振って応援しながら虚空蔵尊入口交差点前まで歩いて右折した。ここで、先ほどもらった小旗を小さな子供に手渡したらにっこり、親御さんにも喜ばれた。
(AED救護隊)
(虚空蔵尊交差点で応援終わり)
 虚空蔵尊入口の仁王さんに挨拶して山門を潜り、まっすぐ歩いて本堂にお参りする。いつもの日曜日なら大勢の参拝者で賑わう参道だが、今日はマラソン応援に人を取られて閑散としている。
(虚空蔵尊山門)
(鐘楼堂・本堂)
 ヘルスロードのコース図では本堂で引き返すようになっているが、村松晴嵐の碑まで歩いて来ようと、奥ノ院、三重塔を見ながら誰もいない段々坂を登っていった。
(奥ノ院)
(三重塔)

 村松晴嵐の碑まで歩いて、和子は裏を回って行こうよと金網柵沿いの道をどんどんと歩いて行く。途中左に行けば阿漕ヶ浦入口に出られるが、まだ大勢のランナーが走っている最中で、R245を横断させてくれないだろうし、和子の足に任せて海岸まで歩いて行かれては私がもたない。途中で大神宮方向の分かれ道に入った。
(村松晴嵐の碑)
(裏通り)
 大神宮拝殿前に出たが、ここも閑散としていて静かにお参り、裏に回って本殿、境内社を見て引返し、参道を歩いて一の鳥居に出た。
(大神宮拝殿)
(一の鳥居)
 そろそろランナーは通り過ぎただろうと期待して交差点に出たが、まだまだ続々と走って来ていて交通整理が続いていた。係員にお願いしてみたら、ランナーがまばらになった間を狙って横断させて貰えた。
 ここから阿漕ヶ浦公園入口まで、ランナーと一緒方向に歩いて行く。この時間にここを走っているランナーの走る速さはゆっくりで、中には歩き始めたり、道傍に立ち止まって休んだりする人もいた。ランナの背番号を見ると14,000台のものも見られたので、参加者は物凄い人数になり、出発時間も一度には出られなかったのかも。
 阿漕ヶ浦公園に入ると、ここにも人影はなくて静かなウオーキングになった。
(交差点を渡って)
(阿漕ヶ浦公園)
 広い道から右に別れて阿漕ヶ浦が見えるところまで歩くと、「東海12景」の碑がたっていて、 阿漕ヶ浦夜桜を詠った詩が刻まれていた。
    闇の深さに匂いたつ、爛漫たる夜桜。
    万灯の輝きに、微風の花びらを水面に散らすころ、
    宴いよいよたけなわとなる。
 脇には題字「夢」の碑があり、「村松小学校2020年へのタイムカプセル」と書かれていた。
(阿漕ヶ浦夜桜の歌碑)
(阿漕ヶ浦)
 阿漕ヶ浦沿いに張られた金網にはところどころ扉があり、出入りが出来る様だったが、今日は寄道を止めにして柵沿いの道を歩いて行く。左折してホッケー場と野球場の間のサクラ並木を通り抜けると、再び柵沿いの道になり、裸婦像のある管理事務所の前に着いた。この先どこまでも柵が続きそうに見えたので、事務所手前で見かけた出口扉まで引き返して、公園外の車道に出た。
(運動場の間に桜並木通り)
(管理事務所前の裸婦像)
 公園沿いの道を歩いてR245が見えるところまで来ると道は大きく右に湾曲する。
(公園の外に出て東へ)
(角を曲がって南に向かうと)
 すると右手に広い田園の風景が広がってきた。今いる道の左上、R245沿いの広場に「細浦青畝」の碑が立っていたのを思い出す。
    広闊たる稲田の上を鳥影が掠める。宗祗の詠めし天神山をわきに見て、野坂をたどれば、名も知らぬ小さき草の花々。
(細浦青畝)
 ヘルスロードのコース図に従って、途中から田圃の間の道に入っていった。真直ぐな道が長く続く。
 突き当たり右に池があり、ポンプ場と思われる小屋入口には「ほ場整備事業 細浦地区 第一号用水機場」の名板があった。
(細浦青畝の中を行く)
(第一用水機場に鴨一羽)
 用水機場の先は直線道に交差し、向かいに「細浦豊穣」と県知事橋本昌書の題字がある大きな石碑が立っていて、このほ場の計画の経緯を詳細に書かれていた。(写真をクリックすると大きな写真が現れて説明文を読むことができます。)
 「細浦豊穣」前の直道沿いには真直ぐな水路が伸びてていた。
(細浦豊穣の碑)
(用水路)
 道の突き当りにはまたポンプ場があって、こちらの小屋(というには大きすぎる建物ですが)からは太いパイプが三本出ていた。突き当りの道を右に曲がって小屋の正面に出ると、入口塀全体に立派な松の木の彫り物がしてあり「湛水防除事業 細浦排水機場」の名前が書いてあった。
 その道沿いにも用水路が伸びており、しばらく歩くと右手に広い用水池があった。池には水鳥がたくさん泳いでいたので、どんな鳥がいるのだろうかと近づくと、手前側にいた鳥たちが一斉に飛び立って池の向かい側に行ってしまった。遠目だが鴨の群れの中に白鷺が一羽遊んでいるのが見えた。
(細浦排水機場)
(水鳥賑やかな用水池)
 用水池を通り過ぎて行った隅に第一揚排水機場の建物があり、前庭には5つの記念碑が立っていた。左から「湛水防除事業完成記念碑」「真崎浦干拓五十周年之碑」「◯◯◯◯記念碑」「圃場整備事業 排水対策特別事業 竣工記念碑」「100周年記念碑」、どれもこの「細浦青畝」開発事業関連の記念碑のようだったが、真ん中の記念碑は頭も壊れていて、写真判定では判読困難だった。
 少し歩くと広い車道に出て、出口に「那珂川沿岸 農業水利事業を推進しましょう」という大きな立て看板が立っていた。
(記念碑が立つ第一揚排水機場)
(水利推進掲示塔)
 この道は原子力開発機構正門前に通じる県道で、左に大きなとうかい村こども園の建物を見ながら歩いて行き、交差点でR245を渡ると駐車している空地はすぐだった。
(とうかい村村松こども園)
(駐車場所帰着)
 車に乗ってR245を引返し、日立おさかなセンタの駐車場に車を入れて、近くのレストランでゆっくりと昼食をとり、おさかなセンタの中を一回りして我が家に帰ってきた。


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