D25.ヘルスロード141(塙山)・142(諏訪)

1.動 機
 百名山に登った時の絵を展示しているアトリエ「遊歩」という画廊が河原子にあるよ、と山歩きの達人松川さんから紹介されていた。気になりながら1ヶ月が過ぎてやっと出掛ける気になり、お天気がいい今日の日、ついでに近くのヘルスロードNo141と142とを歩いてきた。

2.データ
a)山域:日立市塙山地区、諏訪地区
b)登山日:2016/02/17(水)晴
c)コースタイム:森山自宅10:10 = 10:30塙山交流センタ10:35 ---- 10:55聖愛保育園 ---- 11:00正伝寺11:10 ---- 11:45長福寺11:50 ---- 12:10修理公園 ---- 12:15塙山交流センタ = 12:35レストラン13:30 = 13:40アトリエ遊歩14:20 = 14:35諏訪スポーツ広場(ヘルスロード2周)14:55 =15:00諏訪梅林15:15 =スーパ= 16:10森山
(ヘルスロードNo141塙山ハナトピアコース)
d)同行者:和子

3.山行記録
 10時半ごろヘルスロードNo141の出発点である塙山交流センタに到着すると、何か行事があるのか駐車場はほぼ満車だったが、一番奥の方に車を入れることができた。
 交流センタ前の歩道上にヘルスロード「スタート」のマークを見て歩き始めると、すぐの交差点の左手に塙山小学校の何棟もの校舎が見えていた。
(塙山交流センタ)
(塙山小学校)
 小学校周りを歩くのかと思っていたら、マップを持った和子は、小学校脇を通り過ぎてもどんどん先に向かって歩いて行く。
 少しカーブして小川沿いの道を歩いて行くと広い車道と交差し、車道向かいにも狭い路地が入り込んでいて、その入口に「左に480m愛宕山城跡、直進350m天神山城跡(正伝寺)」の道標が立っていた。ヘルスロードマップでは、左に曲がって車道を歩いて行くことになっているが、少し歩けば城跡を見ることが出来ると考えてその路地に入っていった。
(小川沿いの道)
(城跡への道標)
 路地に出会って左折、少し先右の分岐に愛宕神社の道標があったが、この愛宕神社には去年1月の「C11.日立の神社巡り(多賀地区)」の時に立寄ったが、個人宅の氏神様であって城跡とは思えない。そのまま直進すると左手に見覚えのある石の鳥居が見えてきた。去年のC11ではこの鳥居のところまで歩いてきたが、神社の名前が判らなかったので山神社と表記していた。
 更に天神山城跡か正伝寺の道標がないかと思いながら歩いて行ったが見当たらず、右手に見えてきた保育園で子供たちを遊ばせていた保母さんに尋ねると、ちょっと待ってくださいと云ってそばの家に駆けこんで行った。ご主人が地図帳を持って出てきて、地図を見せながら「正伝寺は愛宕神社の通りに入っていった先にあるようですよ」と教えて貰えた。
 地図帳を見せて貰った時に、鳥居の神社にも神社名を書いてあるのに気付いたのだが、名前を記録しなかったので神社名を忘れてしまった。後で図書館に行って調べると、2001年版日立市文化財分布図に、個人の氏神様と同じ「愛宕神社」となっているのが見つかった。
(古い愛宕神社)
(聖愛保育園)
 愛宕神社の道を歩いて行くと道祖神も立ち並ぶ広い墓地があり、その先に石段があり、脇に「哲勝山 正伝寺」の標識が立っていた。
(愛宕神社)
(正伝寺)
 途中に無縁供養塔や不動尊を見ながら石段を登ると、住職さんの住居があり、その奥にこじんまりとしたお寺がたっていた。
(愛宕神社)
(正伝寺)
 境内には天神山城跡の説明板が立っていて、これを読むと、天神山城はこの上の山頂にあったらしい。お寺は城跡の一部だろうと期待してここまで歩いて来たのだが、これからまだ山登りが必要とは!今日はスニーカでもあるので登っていくのは止めにした。
(天神山城跡案内板)
 境内からは見晴らしがよく、日立市南部の市街を見渡すことができた。
(正伝寺からの展望)
 道標のところまで引き返し、車道沿いを歩いて行けば愛宕山城跡の案内板があるだろうと右手を気にしながら歩いて行ったが、それらしき案内は見当たらない。
 そのまま住宅が立ち並ぶ曲がりくねった坂道を登っていくと、塙山団地入口の交差点があり、歩道面に「左折ゴールまで2100m」の案内あった。
(愛宕山城跡へに入口探し)
(塙山団地入口交差点)
 団地住宅街の道を少し歩くと、また「左折ゴールまで2000m」の案内があってまた左折する。
 眼下に太平洋が見えるようになって来て、それからも案内に従って曲りながらどんどん下っていく。塙山団地はずいぶんと高台の上にできているのだった。
(塙山団地)
(Uターンを繰り返して下る)
 道が平らになってからしばらく南に歩くと、右手に見覚えのある長福寺があった。長福寺には一昨年「B13日立市の自然・文化財(7)」で歩いた時に訪れたことがあり、石段を登って境内にヘルスロードマップに記載されている照山修理の顕彰碑がある。これについてもこの時勉強して記載している。
(長福寺)
(照山修理顕彰碑)
 長福寺を出て葬祭場を右下に見ながら更に左に曲がって歩いて行くと、今度はアパート群が立ち並ぶ広い森下団地の中に入った。
 団地の先にいくと歩道面に「修理公園」という変わった名前の公園のヘルスロードの標識があり、何度か曲がった先に干上がった池のある公園があった。ナビを見ると、ここは長福寺の下近くまで舞い戻った所だったので、修理公園の名前は郷土の偉人「照山修理」の名前を持ってきたのだと判断できた。
(森下団地)
(修理公園の池)
 修理公園で一休みして少し歩いたらスタート地点の塙山交流センタに戻ってきた。駐車場はガラガラになっていた。
(修理公園)
(塙山交流センタに戻る)
 塙山を出てから6号沿いのレストランで美味しいランチをゆっくり頂いてからアトリエ遊歩に向かった。車のナビにアトリエの所番地「河原子2-2-24」を入れて走っていくと、河原子海水浴場の二つのトイレの建物の間の奥に遊歩の看板が見えた。トイレ脇が道路工事の最中だったが、工事現場の駐車場所に車を入れさせて貰ってアトリエに向かった。
 一寸入ったところに「アトリエ日本百名山遊歩」の看板があるが、アトリエらしき建物は見あたらない。もしかしてここかなと言い合いながら、その先の民家のガラス戸に近付くと、中から「いらっしゃい」の声が聞こええきた。
(河原子海水浴場トイレの間)
(アトリエ遊歩)
 ガラス戸をあけると、室内には、山の絵だけではなくて、海の荒波の絵、馬や犬の動物画、柿や魚の干物の静物画など、壁から床上まで夥しい数の油絵が重なるように並べられていた。中に上がらせていただいて、ゆっくり鑑賞させていただく。
 松川さんに紹介されて以来、画廊主の宮本さんのHPアトリエ遊歩を開いて色々な絵をPC上で見ることは出来たが、実物の絵を目の前にするとその精緻な筆致に感じ入ってしまう。主さんは今もイーゼルにカンバスを立てて細かい作画作業に余念がない様だった。
 百名山の絵を見ながら、二人で登った時の思い出話をしながら順々に見ていると、先生は作業を中断して、重なっている下の絵を前に出したり、山を描いた地点の話などをして貰えた。描いた連山の一つ一つの山名などを正確に覚えておられて、HPのプロフィルによると私よりも3つも年上の筈だが、記憶も定かだし、顔の色つやも良くて、和子によれば私よりも随分若く見えたそうだ。
(アトリエ内の作品の一部)
 40分ほどゆっくりと絵を見せていただいてアトリエ遊歩を辞して、次のヘルスロードの諏訪スポーツ広場に向かった。
(ヘルスロードNo142諏訪諏訪スポーツ広場コース)
 駐車場に車を入れて、いネットで囲まれた自由広場の周りの遊歩道をコース図の矢印の方向に歩き始めた。ウオ―キングをしている多くの人がどんどん追い抜いて行く。ここを歩く人は、周りの景色を楽しむのではなくて健康のために歩いている訳で、手を振りながら走るような速さで歩いていく。和子も始めは私に調子を合わせていたが、そのうち皆さんに調子を合わせて競争するように速足で歩き始めた。
(自由広場)
(せっせと歩く)
 自由広場の周りには6ホールのターゲットバードゴルフ場があって、羽根を取りつけたゴルフボールを的に向かってショットしていた。
 自由広場には人影がなかったが、隣のテニスコートには多くの人がプレーを楽しんでいた。私は外回り一周とテニスコート周り一周とで止めにしたが、和子は私から離れて外回りを2周して満足そうな顔をしていた。
(ターゲットバードゴルフ)
(テニスコート)
 スポーツ広場のヘルスロードを歩いてから、下の諏訪梅林に立ち寄ってみた。まだ開花している木は少なかったが、数本の木が白い花や赤い花を咲かせていた。梅林のはずれに黄色い花を付けている数本の木が見え、近付いてみるとロウバイの花だった。
(諏訪梅林)
(白梅)
(紅梅)
(ロウバイ)
 梅園内を歩き回って満足して帰途に付き、途中スーパに立寄って我家に16時過ぎに到着した。


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