D54.ヘルスロード23と県植物園
1.動 機
 和子の希望で、この土日、県植物園の展示室で開かれている「変異植物展」を見に行くことになり、そのついでに途中にあるヘルスロード23のコースを歩いて来た。

2.データ
a)山域:那珂市飯田、県植物園
b)登山日:2016/05/15(日)晴
c)コースタイム:森山自宅11:00 = 11:40ふれあいセンタよしの(ヘルスロード23)14:10 =14:20県植物園16:10 = 17:00森山
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「石塚」

3.山行記録
 植物園とヘルスロードとどっちを先にしようかと迷ったが、ヘルスロード29の途中に食事場所がありそうなので、こちらを先にすることにした。

3.1 ヘルスロード23
    ふれあいセンタよしの11:55 ---- 12:00鷲神社12:05 ---- 12:10鴻巣稲荷神社 ---- 12:10私立第三中学校 ---- 12:15芳野小学校前 ---- 12:25筑波神社12:35 ---- 12:40 SESTE(昼食)13:35 ---- 13:50一乗院14:05 ---- 14:10ふれあいセンタよしの
(ヘルスロード23の歩経路:高度計に異常あり)
 ヘルスロード23の駐車場所になっている”ふれあいセンタよしの”をナビの目的地にして出発、和子の頭には文洞溜傍のふれあいファーム芳野があったようだが、それとは別物だったが近いところにあった。ふれあいセンタは日立ではコミュニテイセンタと言っている施設で、今日も何か行事が行われているようで駐車場も混んでいる。奥の方に停めさせてもらって、事務所に届けて歩き始めた。
 よしのの前には県道315の広い道が伸びていて、田植えを終わったばかりの田圃を見ながら側道を歩いていった。
(ふれあいセンタよしのに駐車)
(田圃の畔)
 600mも歩いたところの森の中に鳥居があり、鷲神社の標柱がたっていた。「わしじんじゃ」ではなくて「おおとりさん」と仮名をふってあった。境内に入って立派な拝殿にお参りした。周りには杉の古木が囲んでおり、ご神木は樹令500年となっており、他にも樹令200年のウワミズザクラも立っていた。境内に立っていた由緒書の代わりに茨城県神社庁のHPの記述を転記しておく。
     鴻巣西部字鷲宮の森に囲まれて鎮座する。縁起では大同2年 (平城天皇807年)4月18日の創建。此の地に樹高 90丈(約30m)の松の大樹があり、毎年一大鉅鳥が西南より口に白幣を含んで飛来した。里人はこれを異とし、 神人に垂示を乞うと武州日鷲の神だといい、しかも三度 占ったが同じなのでこれを奉斎したと言う。
     天正17年(御陽成天皇1589年)額田の領主小野崎照道が、飯田村の掛札房を攻略したとき社殿が炎上。村人は協力して再建を謀る。房も金材を寄進し造営となる。元和6年(明正天皇1620年)別当宥善の家が火災に遇い、その際社殿をまた類焼し、所蔵の証文・明神記録及び旧記村里の古書等すべて焼失した。
     元禄11年(東山天皇1698年)拝殿を造営し、享保5年(中御門天皇1720年)新に本殿を造営。記録帳によると安政2年(孝明天皇1858年)拝殿を改築し社地の周りに堤を築き現在の神域となる。明治45年(明治天 皇1912年)村社となり大正4年(大正天皇1915 年)拝殿浜縁を増築し昭和30年拝殿を銅板に葺替える。 昭和43年幣殿を改築神饌所を営む。昭和59年神輿殿を新築、両部鳥居及び国旗掲揚ポール建立を営む。
(鷲神社鳥居)
(鷲神社拝殿)
 鳥居から県道に出て、すぐ先の左への分岐道に入り、神社裏の樹叢に沿って歩いていった。
 樹叢が尽きた先の右手に赤い鳥居と幟の列が目立つ神社があり、扁額には鴻巣稲荷神社とあった。
(鷲神社樹叢裏の道)
(鴻巣稲荷神社)
 鴻巣稲荷の向かいは市立第三中学校の広い敷地で、正門の中には樹叢があって校舎を隠していた。先に行くと運動場の入口になり、広いグランドでは運動部の部員と思われる生徒達が草取り作業に精出しているのが見えた。
(市立第三中学校正門)
(生徒達がグランド整備中)
 中学校の周りを回り込むとまた長い直線道路になり、左手に市立芳野幼稚園と芳野小学校が続いた。
 右手には田圃が続き、どんどん歩いていくと、左の杉林の中に神社らしい建物が見えてきた。見えた神社は確認しておきたくなる習性で、探検に森の中に入っていった。
(芳野小学校)
(スギ林の奥に神社が見えた)
 道なきところも分け入りながら神社の境内に出て、何んという神社かと拝殿をみても表示がない。拝殿の前に貼ってあった小さな張り紙の一枚に筑波神社の名前を見出すことができたが、境内にははっきりと筑波神社と明記した由緒書も立っていた。創建は1500年代で、紀州の熊野本宮から分霊されたらしいとのこと。
 長い参道の先には石の鳥居があり、その脇に「村社筑波神社」の石柱が立っていた。鳥居の前から振り返ると、立派な神社の風格があるように見えた。裏から入ってすみませんでした。
(筑波神社)
(筑波神社の鳥居)
 鳥居前の通りに出ると、道の向かいに大きな池が二つあり、池の畔には大きな広葉樹が立ち並んでいて、いい散歩道になっているように見えた。大洞池というらしい。
 少し歩くと、コースガイドにある昼食場所のイタリアン料理のSESTAがあったので、中に入って暖かい料理を頂きました。
(大洞池)
(イタリアン・シェスタ)
 美味しい食事に満足して通りに出ると、SESTAの塀際にはピンクのタニウツギの花が綺麗に咲いていた。
 その先の空地にはカラスノエンドウと思われる草(?)が一面に繁茂していた。カラスノエンドウは道傍に時々見かけ、役立たずの雑草だと思っていたが、これだけ一面に生えているということは育てられているのだと思われる。料理に使うことが出来るのかも。
(タニウツギ)
(カラスノエンドウ畑)
 その先、田圃や畑地が続く。
(水田地帯)
(畑地)
 コースマップでは、県道315に出て左に曲がってふれあいセンタよしのに戻るのだが、マップには右に一乗院の名前が見られ、ここの毘沙門天をもう一度見てみたくなってちょっと寄り道することにした。
 横合いからシャボテン園を見て一乗院の境内に入り、以前歩いた時を思い出しながら、宝物殿、身代り不動尊、薬師堂、毘沙門堂、水子地蔵尊、夫婦椿、鐘楼堂と回ると、広場に出たところに大きな毘沙門天像が立っていた。説明図では、悪者を踏みつけた全体像の高さは13mあって世界一、土台を含めると16mあるという。
(一乗院入口)
(毘沙門天)
 毘沙門天を拝んで満足し、県道を歩いてふれあいセンタに置いた車に戻って、次の県植物園に向かった。

3.2 県植物園
    ふれあいセンタよしの駐車場14:10 = 14:20県植物園駐車場 ---- 14:30展示室14:55 ---- 15:10大温室15:45 ---- 15:55バラ園 ---- 16:05県植物園駐車場 = 15:30森山
(県植物園内の歩経路)
 日曜日の県植物園の駐車場は満車に近かったが、時間はもう午後2時を過ぎていて、帰る車もあって問題なく駐車できた。
 入口を70歳以上無料で通してもらうと、目の前の沈床園には花壇の先の噴水が何時ものようにく吹き出していて綺麗だった。
(県植物園の駐車場)
(沈床園)
 早速お目当ての変異植物展を見に資料館に向かった。館内には花や葉物の鉢がたくさん並べてあって、多くの人が見て回っていた。
(資料館:変異植物展)
(見学者大勢)
 綺麗に咲いたセッコクの花が多くあり、花色はいろいろあるが、どれも綺麗で何が変異なのか判らない。
 イワタバコなどの葉物は、葉の一部が色違いになっていて、自然の森の中では見たことがないようだ。
(セッコク:花が大きい?)
(イワタバコ)
 クリンソウやフタリシズカなども葉の色に斑なのが変異なのか。
(クリンソウ)
(フタリシズカ)
 色々な植物をゆっくりと見せて貰って外に出て、園内を一回りすることにした。資料館の近くにオオヤマレンゲの木があり、もう白い花が咲き始めていた。この清楚な感じの白い花が私は好きだ。
 色々な花を見ながら歩いていくと、ツバキ園の前にはカルミヤの花が満開で、花びらにはっきりとした模様が見られ、花形がきっちりとしていて気持ちいい。
(オオヤマレンゲ)
(カルミヤ)
 何時ものように熱帯植物園である大温室に入る。入口近くの広間は華やかなランの花で飾られている。
(大温室)
(エントランスのラン鉢)
 ウツボカズラやメディニラ・マグニフィカなど珍しい熱帯の花を眺めながら一階を一巡し、二階の展望室で一休み。遠くに見える山並みはどこの山だっけ?
(ウツボカズラ)
メディニラ・マグニフィカ
 大温室を出て右手に向かうと、すぐ目の前にシャクナゲの赤い花が満開で出迎えてくれた。
 その前の芝生広場の縁には白い花が賑やかに咲いていた。大温室に入る前、ツバキ園あたりから芝生越しにこの花が見えていて、何の花だろうかと気になっていたのだが、根元にはオオデマリの名札が立っていた。
(シャクナゲ園)
(オオテマリ)
 その先のボタン園に入ると、静かに咲き始めているボタンもあったが、シャクヤクは今を盛りと華やかに咲き誇っていた。
(ボタン)
(シャクヤク)
 ボタン園から上がって広いバラ園に入ると、黄色や赤のバラの花があちこちに咲き始めていた。
 沈床園近くまで帰ると、手前の花壇に直線的に植え込まれたマリーゴールドやパンジーが黄色や青い花を咲かせていて綺麗だった。
(ボタン園)
(沈床園脇の)
 駐車場の車に戻って我家に向かう途中、何時ものように文洞溜傍のふれあいファーム芳野の売店に立寄ったが、今日は文洞溜の畔に出ると、ヘルスロード歩きの途中で第三中のところの分岐に「文洞溜」の立札があったのを思い出されて感慨ひとしお。


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