D57-2.花の淡路島・鳴門の渦潮・神秘の小豆島(続)
 淡路島、屋島までを記したD57-1に続いて、ここでは旅の後半、小豆島に入ってから以降の様子を記述します。
 
3.3 二、三日目(小豆島観光)
    5月27日:高松東港14:35 = 15:40坂手港 = 15:55岬の分教場16:25 = 16:35京宝亭16:55 = 17:25国際ホテル17:40 ----(エンジェルロード)---- 大余島 ----(エンジェルロード)---- 約束の丘展望台 ---- 18:30国際ホテル(泊)
    5月28日:国際ホテルP9:20 = 9:30土庄港10:00 =(スカイライン)= 10:35寒霞渓11:30 =(ロープウエー) =11:35 麓駅11:40 = 11:55オリーブ公園(昼食)13:05 = 13:10草壁港13:30 =14:40 高松港 = 16:00徳島空港(始動17:30離陸18:00) = 19:05羽田空港19:35 =20:50友部PA21:00 = 21:05水戸IC =(水戸・勝田各所)= 22:15石名坂BS ----(駐車場)= 22:25スーパ22:40 = 22:45自宅
(小豆島観光コース図)
 高松から乗ってきたフェリーが坂手港に到着するとバスに乗って港に下りる。バスはそのまま県道に出て、少し走ったところから左に別れて岬の分教場に向かった。
 内海湾沿いを走っていくと、海の向こうに小豆島アルプスと呼びたいような山並みが見え、小豆島も結構大きな島なのだと思わされた。
(フェリーを下りて)
(内海湾の向こうに小豆島アルプス)
 くねくね道を10分も走って駐車場に着くと、岬の分教場はすぐその隣で、ちょっと歩いて小さな校門を入った。
 カメラマンが待ち構えていて、早速、小さな校舎の前での集合写真の撮影になった。
(岬の分教場入口へ)
(集合写真:2号車)
 校舎に入って下足を脱いで廊下に上がると、1,2年生、3,4年生、5,6年生用と三つの教室が並んでいおり、夫々で机の大きさが違っていた。教室の中の雰囲気は、戦後すぐに入学した田舎の小学校の教室と雰囲気が似ていて懐かしい感じがした。
(1,2年生教室)
(5,6年生教室)
 昔の教科書や黒い電話機、手回し計算機、蓄音機の他にも木製の三角定規や分度器、コンパス等が展示されていて、昔を思い出させる。
(昔の教科書)
(昔の備品)
 教室の壁には映画「二十四の瞳」の写真が沢山展示されていて、中学時代に田舎の映画館で感動しながら見て、美しい大石先生役の高峰秀子さんに胸が高鳴ったのを思い出す。
 庭には大きなオリーブの木があり、添乗員さんから「オリーブの葉には変形してハート形になった葉が時々見つかる。しあわせのオリーブの葉と呼ばれ、いいお土産になるでしょう。ここ以外の場所でもオリーブの木があるので、時間を見て探してみてください。最後のオリーブ公園で栞を作ることが出来るので、見付けたら大事に持っていって下さい。」と教えられ、早速多くの人がオリーブの木の下に群がって探し始めた。
(二十四の瞳写真展)
(オリーブの木)
 岬の分教場を後にして県道に戻って、道沿いの佃煮屋の京宝亭に立寄った。小豆島は醤油の生産が盛んだが、この醤油を使って作る佃煮屋も多いという。裏に回ってみると、瓦ぶきの長い工場が並んでいた。オリーブの木もあったが、ハート形の葉は見つからなかった。
 県道を更に西に進んでいくと、右手に全国版のマルキン醤油の醤油記念館と工場があり、その先には金両醤油の大きな工場が立ち並んでいるのが見えた。
(京宝亭)
(金両醤油)
 京宝亭を出てから30分で今夜の宿舎の小豆島国際ホテルに到着した。
 ホテルの裏からすぐのところにエンジェルロード(天使の散歩道)がある。エンジェルロードはホテル裏の海辺に1日2回の干潮時にだけ海の中から現れる細長い砂の道。大切な人と手をつないで渡ると、砂州の真ん中で天使が舞い降りてきて、願いを叶えてくれると言われているロマンティックな場所で、「恋人の聖地」として知られている。とのこと。
(国際ホテル)
(エンジェルロード地図)
 ホテルに着いた時、丁度干潮時でエンジェルロードが歩ける時間だと言われ、部屋に入って荷物の整理をして、カメラと水だけ持ってすぐにお散歩に出かけた。ホテルの裏に出ると、200mぐらい沖の島までS字に伸びている砂の道が見え、気持ちの良い眺めだった。
 早速砂浜に下りて歩き始めると、多くの人が行ったり来たりしている。気持良く歩いて島に着くと、ほとんどの人はここで引き返している。
(ホテル裏からエンジェルロード)
(エンジェルロードは中余島まで?)
 島の右端の崖の脇を歩いてくる人がいて、この島の向こうまで行くと、その先にも島があってもう一つ同じようなエンジェルロードがありましたよと教えてくれた。(後で知ったがこれは中余島、もう一つ沖に大余島がある。)足場が少々危なっかしい所もあったが、山歩きの崖に比べたら何という事はない。
 崖道歩きが終わったところで振り返ると「ここから先立入禁止」の立札が立っていた。正規の径路は反対側だったらしい。
(中余島右岸を歩く)
(立入禁止だった)
 島の中ほどの崖に丸い穴が開いているのが見え、これを潜って反対側に出てみた。
 その先には崖の小山があり、その先の島影が見えていた。海沿いは右の崖っぷちよりも広くて歩きやすそう。
(左岸に抜ける穴)
(中余島左岸に出た)
 左岸の岩場を歩いていくと、、見えていた崖の小山の手前は砂浜ではなくて平らな岩場になっていた。中余島は二つの小山が繋がった島だった。(写真は中間の岩場を帰りに反対側から撮ったの写真です)
 崖の小山に左岸は角張った岩が重なったような所を歩く。段差が大きくてトリッキーなところもあった。
(中余島の中間:帰りに撮影)
(左岸もガタガタ)
 これを過ぎると、向かいの大余島まで砂の道エンジェルロードが繋がっていた。最初に浜から見た中余島までのエンジェルロードと似た感じだった。
 しばらく砂の道を気持ちよく歩いて大余島に着くと、ボート乗り場が見えて何か施設もありそう。施設の入口に近付いてみると「この島は、神戸YMCAの野外活動センタです。関係者以外は入島できません。立ち入らぬようお願いします。YMCA余暇センタ」の立札が立っていた。
(大余島へのエンジェルロード)
(大余島は立入禁止)
 夕食時間が近付いてきたので、立札に従ってここで引き返すことにした。
 中余島の崖の小山まで来て、帰りは来る時と反対の左側を歩いてみようかと覗いてみたら、行く手が崖のように切れ落ちていて諦め、右側のガタガタの岩場を戻っていった。
(中余島へ引き返す)
(中余島右)
 先の小山のトンネルの手前に入道さんみたいな造形が立っているのに気付いて記念写真を撮った。エンジェルさんかな?
 トンネルから先の右側を歩いたら、平らな部分が広くて安心して歩いていくことが出来た。中余島の入口に道案内をつけたいところだ。
(エンジェル?)
(トンネルの先も右)
 島を抜けると、エンジェルロードの向こうにまた崖の小山が見える。この左側に「恋人の聖地・約束の丘」という名板が埋め込まれた岩があり、そこから階段が登っていた。
(エンジェルロードと約束の丘)
(約束の丘展望台登り口)
 石段を登っていくと4等三角点の標石があった。三角点標石を見るのは久しぶりなので嬉しくなって写真にもとっておいた。国土地理院によればこれは南郷という16.2mの4等三角点だった。
 その先からは西側の展望も開け、土庄東港の向こうの高見山のテッペンから陽が沈むところだった。夕食時間が近くなってきた、急いで一枚パチリ。
(4等三角点南郷)
(日没)
 丘の南端の崖の上には「恋人の聖地」の名板がある鐘つき台があった。昔の恋人の態で鐘を突いてみる。
 鐘つき台の下には中余島までのエンジェルロードが綺麗に見えていた。その先に大余島も見えたが、そこまでのエンジェルロードは残念ながら見ることが出来なかった。
(恋人の聖地の鐘)
(エンジェルロード俯瞰)
 ホテルに戻って夕食前に温泉に入るのは止め、他の参加者は温泉に浸かって浴衣姿になっているだろうと思って、浴衣に着替えて夕食会場に急いだ。会場はまだがらがらだった。
 テーブルの上には瀬戸内の魚介をメインに鍋やオリーブ風味島佃煮など皿物が並んでいてどれも美味しそう、ビールで乾杯! 食事途中に小豆島名物手延べ二色そうめんが出てきて、食後には珍しい醤油プリンも出てきた。
(夕食会場)
(夕食膳)
三日目:
 エンジェルロードを展望したいと思って、朝食前にホテル内をあちこち歩いてみたが、屋上に上がることも非常口に出ることもできなかった。
 今朝もエンジェルロードが歩ける状態になっているので、ホテルからの出発時間はここを歩く時間を取って9時20分とゆっくりに設定されていた。我家は昨夕、エンジェルロードを歩いて十分に満足していたので、他に面白い所はないかと相談。
 部屋の窓からは東側の漁港方面の展望が広がっていて、右端の漁港の堤防の突堤の先端まで行ったらエンジェルロードが良く見えそうだ。朝食後、荷物をフロントに預けてからお散歩開始。
(漁港方面)
 ホテルの表側から約束の丘とホテルとの間の遊歩道をお宮やモニュメントなど眺めながら浜辺まで出て、多くの人が歩いている朝のエンジェルロードを眺めてから表側に引き返した。
 ホテルの前の漁港沿いには小広場があって、色々な記念石が置いてあった。
(恋人の聖地の鐘)
(エンジェルロード俯瞰)
 防波堤の上を突端まで歩くと、エンジェルロード全体を見ることが出来た。大余島の手前に中余島が二つの山としてはっきり見え、その右に約束の丘とホテルがある。大余島と中余島の間のエンジェルロードも見ることが出来た。
(防波堤突端から見たエンジェルロード)
 ホテルに帰るともうバスは待機していて、荷物を受け取ってバスに乗り込むとすぐに土庄港に向かって出発した。
 土庄港の近くが小さな公園になっていて、岬の分校の大石先生を囲む12人の生徒達のブロンズ像があって、台座に「平和の群像」とあった。脇の説明板には
    小説「二十四の瞳」は、小豆島出身の作家坪井栄の作品で、昭和初期の小豆島田ノ浦岬の分教場を舞台にした、若い女性教師大石先生とその教え子12人の物語である。
    「平和の群像」は、昭和29年の木下恵介監督、高峰秀子主演による映画化を記念し、昭和31年11月10日に除幕された。
    この群像には、平和と幸せを求める永遠の願いが込められている。
    群像は香川県丸亀市出身の彫塑家 矢野秀徳氏の作品。題字の「平和の群像」は当時の内閣総理大臣 鳩山一郎氏、碑文は当時の文部大臣大達茂雄 氏によるもの。
(土庄港)
(平和の群像)
 その他にも、オリーブの歌の碑や俳人尾崎放哉上陸の碑等の石碑が並んでいた。公園にはオリーブの木が沢山あり、参加者の多くがハート形の葉っぱを探していた。
(オリーブの歌の碑)
(俳人尾崎放哉の碑)
 バスが土庄港の公園を出発して間もなく橋を渡るとき「ここが世界一狭い海峡の土淵海峡です」と説明が入った。海と海を繋いでいて川ではないらしい。
    土渕海峡は小豆島本島(渕崎)と前島(土庄)の間分ける全長2.5キロの海峡。 1番狭いところは、幅9.93メートルしかありません。 読み方は「どぶちかいきょう」。平成8年1月、 世界で1番狭い海峡として認定を受けました。
 バスは土淵海峡を渡ると島の中央部の山岳地帯に上がっていってスカイラインに入っていった。岩壁を露わにした山並みなど眺めながら尾根近くの道を走っていった。
(世界一狭い土淵海峡)
(スカイライン)

 30分ほどの高原ドライブをして「一億円のトイレを使って見て下さい」とガイドさん。駐車場のすぐ前がトイレで、何かを期待して入ってみると綺麗に保守されていて気持ちはよかったが、特別なものは見当たらずありふれたトイレだった。水洗トイレ、自動ドア、冷暖房、公衆電話、BGMなどの機能を備えていて完成当時としては他に類をみない豪華な造りだろうし、山の上の観光地のトイレとしては傑出している。
 トイレは寒霞渓の施設で、少し歩いてロープウエー駅の右側に出たところが第二展望台、「寒霞渓」と刻した大きな石碑があった。第一展望台はロープウエー駅の左側にあるらしい。
(一億円のトイレ)
(第二展望台・寒霞渓の碑)
 第二展望台から下を見渡すと、尖った岩頭があちこちに屹立しているのが見える。
(第二展望台からの寒霞渓)
ご参考までに、ここで今回歩いた寒霞渓散歩道のMAPを追加しておきます。

10:35 駐車場 ---- 10:35一億円のトイレ10:40 ---- 10:45第二展望台10:50 ---- 10:55鷹取展望台11:00 ---- 11:10四頂望 ---- 11:20山頂駅11:30 =(ロープウエー)= 11:35麓駅
 下の遊歩道から歩いてきたご婦人連れの「この下にある展望台まで下るとこの展望台が見えますよ。すぐです。」とのお奨めに従って遊歩道を下っていく。
 遊歩道の途中の分岐で「鷹取展望台」という案内板を見て入っていくと、ベンチもある展望台に出た。
(遊歩道)
(鷹取展望台)
 鷹取展望台から見上げると、話の通りに第二展望台と休憩舎が見え、その右下にはいくつもの岩頭が連なって見えていた。これぞ寒霞渓の絶景か。
(鷹取展望台から第二展望台)
(第二展望台下に続く岩頭群)
 鷹取展望台には、ベンチのあるところからもう一度回り込んだ絶壁上にもう一か所展望の良いところがあり、第二展望台は見えなくなったが、下の岩頭群の組み合わせが少し変わってきて、一段と良い眺めになったような気がした。
(もう一つの鷹取展望台から)
 そこからは右側の谷間の岩頭群も見える様になっていた。岩頭群の右端に四頂望展望台が見えており(下の写真の右端に展望台の屋根の半分が写っている)、そこまで足を延ばしてもロープウエーの乗車時間には間に合いそうだ。
 遊歩道に戻って更に下っていくと、寒霞渓保全の貢献者・森遷の顕彰碑があり、その先に森遷が立てた先輩長西英三郎の義挙碑があって、ここから四頂望展望台へ登る階段があった。
(右手の岩峰群)
(四望頂への入口)
 四頂望展望台からは鷹取展望台の岩壁も加わって、岩頭群の眺めがまた一層迫力を増してきた。遠くは霞んで島なの山なのかわからない。瀬戸内海まで見えていればもっと素晴らしい景色になるのだろうが贅沢と言うもの。
(四望頂からの眺め)
 四頂望からの展望をしたことに満足して、急いでロープウエー駅まで登りかえし、集合時間ぎりぎりに山頂駅に到着。添乗員さんに安心してもらって、駅舎に展示されている寒霞渓の写真や絵画を見て回った。写真よりも絵の方が迫力ありました。
(土産物店の展示絵)
 無事に皆さんと一緒にロープウエーに乗って下っていく。ロープウエーは岩峰の間を抜けていく。いい眺めだ。
(下りはロープウエーで)
(岩峰の間を下る)
 下っていくと、右側に露岩の絶壁が次々と見えてくる。表裏の登山道を汗水流して歩かなくても、こんな絶景を楽しめるとは、いいところにロープウエーを引いたものだ。
 麓駅に着くと、県道をぐるりと回って下ってきたバスが待っている。バス乗り場から振り返ってもう一度寒霞渓の眺めを確認してからバスに乗り込んだ。
(間近に見る岩壁)
(麓駅から振り返る)
 麓駅を発車したバスはくねくね道を下って県道に出る。その合流点に大きな池があって、大きな石碑に「猪ノ谷池の碑」の文字が読めて、現役時代に関わった新猪谷発電所と関係あるのかと早合点したが、新猪谷発電所は北陸電力だった。碑文を写真に撮っていたので後で読んだら、猪ノ谷池は吉宗公の時代に水田用水用に作られた歴史ある池らしい。
 県道に出てまたくねくねと下っていくと大きなダム湖が見えてきた。ダム湖は寒霞渓湖と呼ばれ、ダムはは内海ダムというらしいが発電用ではなさそう。
(猪の谷池)
(寒霞渓湖)
 寒霞渓湖からはなだらかな道を走って、高松港へのフェリーが出る草壁港に出たが、その前にオリーブ公園を案内しますと言って右に曲がった。海岸線をしばらく走り、三叉路で山の手に入ってすぐのところに道の駅オリーブ公園があった。芝生の斜面にたくさんのオリーブの木が茂り、その上に白い建物が見えていた。
 駐車場に着いて白い建物に正面から入っていくと、目の前に大きな女神像が立っていた。建物はオリーブ記念館、女神像はオリーブの女神であるアテナ像とのこと。小豆島とギリシャのミロス島とは姉妹島になっていて、ギリシャやミロス島を紹介するコーナもあった。
(オリーブ公園)
(オリーブ記念館)
 ここで昼食を含めて自由行動になったので、簡単に食事を済ませて園内のお散歩に出かけた。公園はいくつもに別れていて多くのオリーブの木が立っていたが、その中に一段と大きな木があって「昭和天皇お手播きのオリーブ」との標柱と説明板が立っていた。
    1950(昭和25)年、3月15日昭和天皇が四国地方巡航の際、香川県農業試験場小豆分場にお立ち寄りされ、オリーブの種子をお手播きされました。立派に成長している樹のうちの1本です。
(オリーブ公園内散策)
(昭和天皇お手播きのオリーブ)
 オリーブの木には花をつけたものもあり、見たことがなかったので一枚パチリ。
 ハート形のオリーブの葉が良く見つかる場所を教えて貰って、二人で目を皿にして探し回って数枚の葉を見つけた。記念館の事務所で栞の台紙とフイルムを買い、ラミネートの機械にかけて栞を作った。和子から私に贈られたオリーブの葉は、ハートの切れ込みが大きく、壊れる寸前のハートかな。

(オリーブの花)
(ハート形した葉の栞・表裏)
 公園の中には風車のある広場や、大きなモニュメントのあるイベント広場など見晴らしのいい広場もあった。
(風車)
(イベント広場)
 オリーブ公園でゆっくり遊んでから草壁港まで引き返して、高松行きのフェリーに乗った。楽しかった小豆島、サヨウナラ。
(草壁港からフェリーに)
(出港)
 小豆島が坂出港から草壁港に、高松が高松東港から高松港へと変わり、帰りの航路も来る時と少しずれて、稲毛島など来る時には見なかったと思われる島も見えてきた。
 鬼ヶ島が大きく見えてくると高松港は近い。
(稲毛島)
(鬼ヶ島)
 フェリーが高松港に到着してバスごと下船、すぐに徳島空港に向け出発した。高松港近くの高松城址を眺めながら走って高松中央ICから高松道に乗り、最後までしゃべりっぱなしだったガイドさんの挨拶を聞きながら徳島空港に到着した。
(高松城跡)
(ガイドさんご苦労さん)
 徳島空港には16時に到着したが、「羽田空港で不審物が見つかり調査中なので徳島機の着陸時間を一時間遅らせる」との連絡が入っているという。羽田空港はサミット対策でピリピリしていて、そう言えば来る時にも空港の待合室のゴミ箱は全部蓋をされて、ゴミ集めの人が歩き回っていたっけ。
 搭乗開始まで1時間、空港内の展望室などを歩き回ったり、今回の旅のデータを整理したりして過ごした。
(徳島空港到着)
(しばらく待ち時間)
 搭乗時間になると小雨模様になってきた。観光中には降らないで幸いでした。
 飛び立って雲の上に出たが、下界は見えない。途中で落日の時間になり、綺麗な夕焼け雲の芸術を楽しんだ。反対側の席からは「落日がきれい!」という声が聞こえていた。
(搭乗時は雨)
(夕焼け)
 羽田空港には17時過ぎに着陸、迎えのバスに乗って首都高を走る頃はすっかり夜景色になって、ライトアップしたスカイツリーが綺麗だったが、動くバスからでは上手く写りませんでした。
(レインボウブリッジ)
(首都高は日没後)
 帰りのバスは中型バスで、水戸、勝田からの参加者も一緒、友部SAで休憩して水戸ICで高速を下りるまでは賑やかで良かったが、ここから各乗車場所ごとに仲間を下していくので時間がかかる。日立の石名坂BSに到着したのは22時15分、直接日立南ICで下りるよりも1時間近く遅くなった。閉店間際のスーパに駆け込んで食材を買い込んで無事我家に帰り着き、楽しかった旅を思い出しながらささやかな喜寿の誕生祝をしました。


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