D58.草津温泉のウオーキング

1.動 機
 日立の旧職場の水車設計部OB会では、一年毎に温泉一泊旅行を行っている。ここ数年は栃木の塩原温泉が続いたので、今年は少し遠く群馬の草津温泉に行くことにし、当日自由参加の殺生河原ハイキングと宴会とを計画した。私は草津温泉の街中を歩いたことがなかったので、その合間を使って湯畑まわりと、西の河原公園を歩いて一人ウオーキングを楽しんだ。

2.データ
a)山域:草津温泉
b)登山日:2016/5/31(火)〜6/1(水)
c)旅程:
    1日目5/31:自宅6:40 = 6:45大甕常銀前7:00 =(ホテルバス)= 7:15日立南IC = 8:20壬生SA8:50 = 9:35渋川伊香保IC = 9:55田吾作10:10 = 11:20草津温泉ホテル11:35 ---- 11:45市内食堂(昼食)12:10 ----(湯畑散歩)---- 13:20ホテル14:35 =(ホテルバス)= 14:45ロープウエー麓駅 ----(殺生河原散歩)---- 15:50ロープウエー麓駅16:00 =(ホテルバス)= 16:10ホテル(宴会・泊)
    2日目6/1:ホテル6:45 ----(西の河原散歩)---- 7:15ホテル(朝食)8:35 ----(湯畑と西の河原周回散歩)---- 11:10ホテル11:40 =(ホテルバス)= 12:50田吾作(昼食)13:25 = 13:45渋川伊香保IC = 14:50壬生SA15:05 = 16:10日立南IC = 16:20大甕駅前 ---- 16:35自宅
(草津温泉旅行移動図)
d)同行者:バス旅行参加者26名、和子は不参加

3.旅行記録
3.1 一日目
 和子の車で送ってもらって大甕常銀前に集合時間の15分前に着いたが、バスは既に到着していた。日立駅では10名全員が揃ったので予定よりも早く出発し、途中でも通勤渋滞に出合うこともなかったので大甕に随分早く到着したとのこと。大甕ではJRの電車でくる人もいたので予定の7時丁度に出発、日立南ICから高速に乗って一路目的地の草津温泉に向かった。大甕で乗ったのは10名、日立からの10名を合わせて20名(東京からの定期のホテルバスで行く人、自家用車で行く人が7人いて、今回の参加者は合計27名)、久し振りに顔を会わせる人が多くて車内は賑やかだが、このホテル送迎バスは「車内禁酒」となっていて少し口が淋しい。
(禁酒・禁煙)
(赤城山)
 車窓から見える赤城山や浅間山が目に入るが、周りに山に興味を示す人はみえない。
 高速道では壬生SAで休憩し、渋川伊香保ICで一般道に下りてからはホテルおおるり指定の田吾作に立ち寄ったが、今日は昼には早すぎるのでトイレ休憩しただけ。
(浅間山)
(田吾作)
 吾妻川沿いのR145を走っていくと、すぐ近くに絶壁の岩山が見えたので「岩櫃山だ」と思ったが、そこから10分も走ると本当の岩櫃山が見えてきた。10年前この岩山の稜線を歩いた元気だったころが懐かしい。
(岩櫃山?)
(岩櫃山!)
 11時20分にホテルに到着して、皆さんに公募していた殺生河原行きの無料バスの出発時間を確かめると14時30分、それまで3時間は自由行動。このホテル内には昼食を食べるレストランはなく、各自温泉街で昼食をとることになっていて、同室の仲間と連れ立って湯畑近くのうどん屋に入った。ここは上州地粉を使った平打ちうどんが自慢の店で、おいしいうどんに舌鼓を打った。
 昼食後、食堂前の饅頭屋に入って試食の温泉まんじゅうを一つづつ頂いた。皆さんはお土産を買ってホテルに帰っていったが、私はバスの出発時間まで一人で湯畑近くをお散歩することにした。湯畑に向かうと、その手前の角に案内板があって、石段方向を指して「高村光太郎」などの文学碑がある案内していた。
(昼食に出かける)
(案内板)
 石段には「白根神社南門」とあり、この石段を登って鳥居をくぐると道が横切っていて、右手には「諏訪大社上社草津白根分社」の立札がある狭い石段が上っていた。石段の下から上を伺うと地味な神社が見えていたが、もとに戻ると社務所があり、その前に白根神社の石畳の参道が伸びていて、石段を歩いたその奥に石の鳥居と拝殿があった。
(白根神社南門)
(白根神社の鳥居と拝殿)
 白根神社にお参りを済ませて拝殿前に引き返すと、近くに「囲山公園」の案内図が立っていた。道沿いに十返舎一九と高村光太郎、六角石憧供養塔などを見ることが出来、そのまま進むと湯畑に行くことが出来るらしい。
 松尾芭蕉の句碑が諏訪大社の奥にあるらしいが、今日はもう時間がないので諦めて、十返舎一九や高村光太郎などの碑などを見ながら歩いていった。
(囲山公園案内図)
(十返舎一一九碑)
 その先に三峰神社の小さな社を左に見て進むと、こちらにも石の鳥居があり、「奉納草津温泉三峯神社講」と彫られていた。近くの説明板には、ここは囲山公園東門と言うらしい。 
(三峰神社)
(囲山公園東門)
 東門を下りたところに妙見山日晃寺の石柱が立つ石段があったが、ここもパスして街に下りると湯畑はすぐだった。この湯畑は一度訪れた事があるような気がする。
 湯が湯煙を上げながら流れ落ちる情景や、湯の花をを採る樋の列を、足湯のある休み場から眺めたりしながら一回りした。
(湯畑)
 湯畑の脇に立派な石段があり「草津山光泉寺」の石柱が立っていて、名のあるお寺のようなのでお参りすることにした。
 先ずは仁王さんが睨んでいる山門をくぐって正面の御本堂。左前には湯あみ弁財天を祀った池があり、右には芭蕉の碑が見られた
(光泉寺)
(本堂)
 本堂手前には苔むした萱葺屋根の古びたお堂があり、赤い南無薬師如来の赤い幟が何本も立っていて、お堂の前には「遅咲如来」の看板が立っていた。遅咲きと言っても、もう一花咲かせる元気はないが丁寧にお参りはしてみた。
 その更に手前、石段のすぐ上のところに不動堂があり、その横に筆塚の石碑が立っていた。奥に何かありそうだったが寄道はここまで。
(遅咲如来・釈迦堂)
(不動堂)
 石段の右脇に鐘楼があり、左側に小林一茶の碑も見られた。
 日晃寺で名所めぐりはお終いにして、まんじゅう屋に立ち寄ってもう一度美味しい温泉まんじゅうを頂き、お土産を買ってからホテルに帰った。
(鐘楼)
(うどん屋とまんじゅう屋)
 ホテルに帰って、幹事長さんと宴会の打ち合わせをしてから、殺生河原への無料バスに乗り込んだ。バスに乗ったのは10名、囲碁に夢中な人やまだ来ていない自家用車の人もいて、ハイキングをする人は思ったより少ない。
(殺生河原ウオーキング軌跡)
 バスはくねくね曲がりくねったR292を10分ほど走って白根火山ロープウエーの山麓駅の駐車場に入った。
    ホテル14:35 =(ホテルバス)= 14:45ロープウエー麓駅14:50 ---- 14:55殺生河原入口 ----(殺生河原)---- 15:05富貴原の池への分岐 ---- 15:20殺生河原入口 ---- 15:21武具脱の池入口 ----(武具脱の池)---- 15:50武具脱の池入口 ---- 15:40ロープウエー麓駅16:00 =(ホテルバス)= 16:10ホテル
(R292バス移動)
(白根火山ロープウエー麓駅)
 駐車場から国道を五分も歩いて戻ったところに「殺生自然遊歩道入口」の案内板が立っていてハイキングの始まり。
(国道を戻って)
(殺生河原入口)
 入口には「硫化水素ガス発生地点につき立ち止らないでください」との注意札が立っていた。立入禁止になっていないのが面白い。
 遊歩道を歩いていくと、草木もなく荒れ果てたガレ地のところどころから白い噴煙が舞い上がっていて、殺生河原の名にふさわしい所が見えてきた。遊歩道の殺生河原側にはロープが張られていて近寄ることは出来ない。
(ガス発生注意札)
(殺生河原)
 この先の遊歩道にはイワカガミやムラサキヤシオなど可愛い花が咲いていて、ゆっくり花を愛でながら歩いていった。 
(イワカガミ)
(ムラサキヤシオ)
 その先の富貴原の池への分岐は立入禁止になっていて、その先の荒地を眺めただけで同じ道を引返した。
 殺生河原の前に全員集合して貰って記念写真を撮った。立ち止まってはいけないのだが、地獄の神様の罰は下らなかった。
(引返し)
(記念写真)
 入口に引き返し、少し先の武具脱の池入口の遊歩道に入った。
 5分ほど入ると武具脱の池の見えてきて、池の畔には木道の遊歩道が通っていた。遊歩道の畔にはワタスゲの白い花穂が咲き乱れて綺麗だった。
(武具脱の池入口)
(池班のワタスゲ)
 武具脱の池の畔の湿原を一回りするように遊歩道が作られていて、色々な植物が芽を出したばかりの湿原を見ながら一回りして武具脱の池に戻った。入口の国道まで出て山麓駅の駐車場まで歩いて戻り、駅の近くを歩き回りながらバスを待った。
(振り返った武具脱の池)
(武具脱の池へ木道を引き返す)
 バスに乗ってホテルに戻り、温泉に入って汗を流して宴会会場へ入った。会長の挨拶に始まって、参加者全員の近況報告を聞き、歌自慢の人の歌声を聴いてから散会。
 その後も幹事室に半数が集まっての二次会、お酒を飲みながら色々な情報交換で楽しい時間を過ごした。
(宴会)
(二次会)

3.2 二日目
 二日目は真っ青な青空が広がっている好天気、部屋の窓からは草津の温泉街が一望のもとに見渡せた。
(部屋から温泉街展望)
 今日は11時30分に送迎バスが出るまで自由時間、囲碁に興じたり温泉に入ったり土産物店を漁ったりと各自夫々にゆったりとした時間を過ごした。私は一人で街中を歩き回ることになり、その軌跡をポケナビで残した。
(草津温泉ウオーキング軌跡)

 朝食前に西の河原公園に入ってみた。ホテルを出て案内図に従って歩いていくと、温泉街を外れたところに西の河原公園の標柱が立っていた。広い遊歩道の脇には岩がゴロゴロ転がっていて、小川に綺麗な水が流れていた。
 流れはところどころよどみが出来て池となっているところもあり、一層美しい景観を作りだしていた。
(西の河原公園入口)
(石の祠がある池)
 奥に温泉が湧きだす池があり、その畔に鬼の茶釜という変わった名前の石碑があって「わき出る湯口はわれもおそろしや 鬼の茶釜の湯土産噺」と刻まれていた。この辺りは荒涼とした景観から鬼の泉水と呼ばれていて、中でもは高温の温泉が湧き出して茶釜が沸騰したような不気味な音を立てる源泉を鬼の茶釜と呼んでいたという。
 そのすぐ脇に赤い鳥居が列を作っている草津穴守稲荷神社があった。1910年頃、東京・羽田の穴守稲荷から分霊勧請された神社。境内の砂は"招福の砂"といわれ、持ち帰ってそれぞれの場所に蒔けば御利益があると伝えられています。とのこと。
(鬼の茶釜)
(草津穴守稲荷神社)
 遊歩道を歩いていくと左に「ベルツ・スクルバ両博士胸像」の説明板が立っていた。その奥の高みに二つの胸像が立っていて、それぞれの台座にEDWIN BALZとJURIUS SCRIBAの名前と功績が刻まれていた。ドイツの著名な医学者ベルツ博士は、1878年に草津温泉を訪れて以来、度々草津を訪れては時間湯や泉質を熱心に研究し、草津を世界に紹介しました。とのこと。
 奥はどこまでも続いていたが、適当なところで切り上げてホテルに戻って朝食をとった。
(ベルツ・スクルバ両博士像)
(朝食)
 草津温泉に知り合いのある仲間がいて、朝食後に草津の良いところを案内してくれるとの話を聞き、チェックアウトを済ませてホテル前に出てみたが既に出発済みだった。残念だが、また一人で案内図を頼りに街中を歩いてみることにした。
 昨日の湯畑付近のお散歩はポケナビを持たないで歩いたので軌跡が残っておらず、このコースの軌跡を取りたいと思って、先ずは昨日と同じ囲山公園に向かった。案内板のところから白根神社の石段を登って囲山公園の遊歩道まで上がって左に向かい、諏訪大社の石段のところを通り過ぎてその先に何かあるかと歩いてみた。その先民家の前を通る道になり、とうとうホテルの前の広い車道の延長上に出てしまった。車道の向こうの土手を登る階段を見付けて、何があるのだろうかの車道を横切って覗いてみると、そこは駐車場のある広い広場にすぎなかった。
(諏訪大社上社草津白根分社)
(車道沿いの広場)
 諏訪大社のところまで引き返して石段を登り、草津白根分社の小さな社殿を見て、その脇のシャクナゲの樹が茂る道を辿ると白根神社の境内に出た。拝殿の裏に回ると本殿が丁度工事中で足場が組まれていた。境内社も大分古びて崩れそう。
 境内の森の中に「皇太子御結婚記念植樹」の標柱があったが、すぐ脇の樹がそれなのか定かでない。
(白根神社本殿改修中)
(皇太子御結婚記念樹)
 諏訪大社の奥の方に入って、昨日は諦めた芭蕉に句碑を見付けた。刻まれていた俳句は「夏の夜や 谺にあくる 下駄の音」と草津の雰囲気はあるが、説明板によれば芭蕉が草津で詠んだ句ではなさそう。
 近くに「鷲湯碑」を見てから参道に戻って、囲山公園案内図の通りを歩いて十返舎一九と高村光太郎の碑を読み直す。十返舎一九の碑には「上州草津温泉道中続膝栗毛十編下より」と道中記の一部と絵が刻まれ、高村光太郎の碑には「時間湯のラッパが午前六時を吹くよ。朝霧ははれても湯けむりははなれない。湯ばたけの硫気がさっとなびけば、草津の町はただ一心に脱衣する」とあった。
(芭蕉の句碑)
(高村幸太郎碑)
 その先に六角石鐙憧供養塔が立ち、石灯籠の間を抜けて三峰神社、石の鳥居と東参道を歩いていく。
(六角石鐙憧供養塔)
(東参道)
 東参道を出たところにある日晃寺にもお参りしていく。本堂の他に石段の途中には、赤いお稲荷様と、身代わり菩薩像が祀られていて神仏混淆だった。
(妙立山日晃寺)
(本殿)
 街に下りて、草津の名所湯畑をもう一度一回りする。何度見ても飽きない眺めだ。
(湯畑)
 湯畑脇の光泉寺にももう一度お参りした。山門の仁王様に挨拶して通ると、左わきに湯善堂があり、開かれていた御堂の中には金ぴかの湯善神が祀られていた。草津の湯の守り神様だろうか。
(光泉寺山門)
(湯善堂)
 石段の途中には小林一茶の句碑があり「ゆけむりにふすぼりもせぬ月の貌」の句が読めた。
 境内の奥から声が聞こえてきて、右奥を覗くと子供たちが遊んでいる広い運動場があり、その向こう大きな建物には光泉幼稚園の文字が見え、お寺付属の幼稚園らしい。
(小林一茶句碑)
(光泉幼稚園)
 光泉寺参道を出て右に歩くとすぐにR292の日本ロマンチック街道に出た。道向かいに草津温泉資料館と尖塔が立つ草津町役場があった。資料館に入ってトイレを使って草津の歴史を少し勉強させてもらった。
 この国道を歩いていったら西の河原公園に裏側から入れるはずだ。ぶらりぶらりと歩いていく。
(草津温泉資料館と町役場)
(R292ロマンチック街道)
 途中には草津中学校が見えたが、その入口には草津総合保健福祉センタの建物があり、その奥には町営室内温泉プールもあるらしい。
 その先にお土産やバイデンファミリエの大きな建物があり、右に見えるのはマンションだったか。
(草津中学校)
(バイデンファミリエ)
 国道をどんどん歩いてS字に曲がったところから森になり、その先に草津温泉館の案内板があった。温泉館にはすぐ先を右に入るようになっている。と読んだ。
 少し歩くと湯煙を上げる川があって、ここから右に入る小道があった。ナビを見るとこの先が西の河原公園になっていて、この中に温泉館があるのだろうと入っていった。
(浅草温泉館)
(湯煙の川)
 どこまで行っても温泉館は見えてこず、やがて小高くなったところに休憩舎があって、数人の女性グループが賑やかにお休み中だった。後で調べたら、草津温泉館は手前の草津ハイランドの脇にあり、温泉館への入口は立札の手前にあったらしい
 その左は下に沼地があって遊歩道も見えていたが、沼地方向にはロープが張られていて「あぶない!沼に近付かないでください」の注意札が立っていた。
(休憩舎)
(湿原)
 休憩舎の下は一面に真っ赤なツツジが咲いて綺麗で、角の生えたお相撲さんの絵がある「鬼の相撲場」の碑がたっていた。このつつじ公園のことを鬼の相撲場と呼ぶらしい。
(つつじ園)
(鬼の相撲場)
 その先に広く沼になったところまでくると、下から先生に連れられて幼稚園児が列を作って行儀よく歩いてきた。楽しそうな幼稚園児越しに見える池には睡蓮の葉があちこちに浮いていて、白い花を咲かせていた。
(幼稚園生の列)
(睡蓮池)
 睡蓮池の先に鬼の相撲場入口の案内板があり、ツツジの咲く道の更に先には釣堀があって、ここで別の遊歩道に突き当たった。
 左に歩いていったら国道に突き当り、入口に「西の河原公園入口」の案内板がたっていた。私は脇道から入ってきたらしい。
(釣堀西楽園)
(西の河原公園遊歩道入口)
 釣堀に引き返す遊歩道脇には赤いツツジが咲き誇り、目立たないがドウダンツツジのつぼ型の花も咲いていた。
(つつじ園)
(どうだんつつじ)
 釣堀のところで鬼の相撲場への道を右に見送って直進し、左に西の河原ダムの碑を見ると階段道になり、下に鬼の泉水の全景が見渡せた。
 階段を下ると、右上に草津ビジターセンタが見えていた。朝食前にこの辺まで入ってきたらしい。
(鬼の泉水を一望)
(草津ビジターセンタ)
 円く囲った池の畔には赤子を抱いた延命子育地蔵尊と刀を抱えた西の河原不動尊の2体のお地蔵さんがたっていた。
 出口近くで縁結地蔵尊を拝んで公園を出てホテルに戻った。ホテルに着いたのはバス出発時間の30分前、みんなロビーに集まっている。一休みして入ってきたバスに乗り込んだ。
(延命子育地蔵尊)
(鬼の泉水)
 草津からのくねくね道を走って白砂川沿いの道に出て、更に白砂川沿いを走って吾妻川沿いの道に出る。右の吾妻川を渡る長い鉄橋が見えたり、工事中かもしれないコンクリート製の巨大な鉄橋が見えたりと八ツ場ダムの影響の大きさをうかがわせた。
(八ツ場ダムで沈む吾妻線の代替え鉄橋)
 田吾作で昼食を食べてから渋川伊香保ICで関越道に乗るとすぐに榛名山の山塊が見えていた。北関東道に入って茨城県に入ると筑波山が見えてきた。
(榛名山)
(筑波山)
 大甕駅に戻って皆さんと別れ、歩いて我が家に16時35分無事帰り着いた。久しぶりに出会った仲間と賑やかなOB会を楽しみ、思った以上のお散歩もできた充実した二日間でした。


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