D75.ヘルスロード221(常陸太田の歴史散歩道)

1.動 機
 水木交流センタの歩く会から「前日光県立自然公園 井戸湿原横根山ハイキングと古峯神社への参拝」の案内が届いた。この会のハイキングには去年も参加していて(C111.愛宕山ハイキングと笠間焼見学)この会のペースなら私も皆と一緒に歩けそうだと判断し、早速二人で参加の申し込みした。その後私の足の調子が悪くなって、リーダにペースを落としてもらうことになって皆さんに迷惑をかけることになりそうだと、私の参加を取り消して和子だけの参加になった。当日はお天気もいいので、一人残される私も少し歩こうと思い立って茨城ヘルスロードコースマップを調べると、その中のヘルスロード221が、5年前に二人で歩いた「Y32.常陸太田・歴史の里ウオーク」の一部を歩くもので、距離は横根山コースと同じぐらいを歩くが、高低差が半分で済む。当日は天気が良いのに木立の中で日陰になるところも多く、一人でマイペースを歩いて無事完歩することが出来た。観光ポイントは全てY32に含まれており、詳細な説明はそちらに譲ることにして、ここではそれぞれ見て歩いた事実だけを記述することにします。

2.データ
a)山域:常陸太田歴史の道
b)登山日:2016/07/31(日)晴
c)コースタイム:自宅8:50 = 9:20山吹運動公園駐車場9:35 ---- 9:45蓮池 ---- 9:50山寺晩鐘の碑9:55 ---- 10:00西山研修所 ---- 10:10雪村の碑 ---- 10:30山の寺10:35 ---- 10:45旧久昌寺跡10:50 ---- 11:10円水の墓 ---- 11:20山寺水道碑 ---- 11:25山寺水道説明板 ---- 11:35梶山敬介碑 ---- 12:00山吹運動公園駐車場12:15 = 12:30レストラン13:05 = スーパ = 14:00自宅
d)同行者:単独行
(常陸太田の歴史散歩道の歩経路)

3.山行記録
 和子は私が寝ている間に雨戸を全部開けて身支度を済ませて、5時半ごろ出かけていった。これを見送ってからゆっくり朝食の準備をして食べ、今日歩く予定のコースを「Y32.常陸太田・歴史の里ウオーク」をもう一度開いて復習しなおした。
 9時前に我家を出発して山吹運動公園駐車場に向かうが、5年前の記憶を頼りに走って道を間違え、30分もかかってやっと到着した。駐車場の向かいはテニスコート、横には広い野球場があって、夏休みに入って練習に励む多くのプレーヤの姿が見られた。
(山吹運動公園駐車場とテニスコート)
(野球場)
 野球場沿いの道を歩いていくと、向かいにも大声を上げて野球の練習に励む子供たちの姿があり、こっちは少年野球練習場とのこと。
 「山寺晩鐘の碑」の道標が立っていて、それに従って二つの野球場の間を歩いていくと蓮が一面に茂る蓮池があった。この池の畔から山寺晩鐘の碑に向かって登っていったような気がする。
(野球場の先に山寺晩鐘の碑の道標)
(蓮池)
 向かいの斜面に登り口を探すが見つからず、和子が一緒ならすぐ思い出してくれたのだろうがと思いながら、どっちに進もうと迷っていると、一人の男性が歩いてきた。尋ねると「この池の向こうに行くと道標があって、そこからくねくねした階段道を登っていくと広場があって、その端に石碑が立っていますよ。頑張ってください。」と教えて貰えた。蓮池の端に橋を渡っていく遊歩道があり、その先に道標が立っていて、その奥に階段道が見えていた。
 くねくねと曲りを繰り返す階段道で急斜面を登っていく。杉林で日陰になっていて助かった。登りきったところに山寺晩鐘と刻した自然石の石碑が立っていて、西山公園歴史の里散歩コースの案内図と水戸八景の説明板が立っていた。それぞれ写真をとってから、広場の真ん中に立っている四阿に入ってベンチに座って水分補給。
(山寺晩鐘の碑への階段道の始まり)
(山寺晩鐘の碑)
 次の雪村の碑は西山研修所の反対側にあるはずだと研修所の方向に階段を下ったところに「山寺晩鐘」の説明板が立っていた。山寺晩鐘の碑にはこっちから入るのが正規の道らしい。そのさきの研修所まで歩くと、丁度一仕事終わって次に向かう作業員の方がいたので雪村の碑の場所を尋ねると、「これからそっちに行くところだから案内するよ。」と言って歩き始めた。一生懸命ついて歩いていると「なかなか格好いい歩き方ですねえ。」とお褒めのお言葉、「腰が痛くて歩けないですよ」と言うと「歳をとったら仕方ないこと、その姿勢で歩ければ立派なものですよ」と慰めて貰った。
 「このすぐ先ですよ。ちょっと待って」と言って、研修所の玄関口に寄って所員の人と何やら話し合ってから引返してきて雪村の碑入口ところまで案内して頂き、「この道を下って行けば山の寺への道に出ますよ」と一つ先までの心配までして頂いた。
 車道から左に入った小広場の奥に目立たない階段道があり、案内板も何もないのでここまで案内して頂かないと迷ったことだろう。
(西山研修所)
(雪村の碑への登り口)
 小広場から短い階段を登ると広場があり、左に横山大観の書になる「雪村」の石碑とその説明板が立ち、右側には雪村顕彰会長の撰文になる雪村の生涯と業績を記した石碑が立っていた。
(山頂広場)
(雪村の碑)
 西山研修所の道を下ると狭い車道に出合い、地図を見て折り返す方向を選んだ。歩きながらも心もとないので、行き交ったハイカーに「この先に山の寺と言うのがありましたか」と尋ねると「山の寺?すこし先の左側に神社のようなのがありましたよ。あれがお寺だったのかな。」との返事でそのまま歩いていった。
 ガマの穂が賑やかな沼地の向こうに白壁の塀に囲まれた大名屋敷のような瓦葺の建物が見えてきた。とても「山の寺」の持つ片田舎のお寺のイメージには合わないがーー。
(研修所の道から山の寺への道へ)
(大名屋敷?)
 白壁の塀が道のとこまできているところまで行くと、奥に赤い地蔵菩薩の旗が立ち並ぶお地蔵さんが何体も立っていた。
 その右の石段を登っていくと、大きな立派な建物の入口の上には「山の寺」の扁額がかかっていた。これで山の寺のチェックも出来た。
(地蔵菩薩)
(山の寺の扁額)
 山の寺から先に歩いていくと、民家の前の電柱脇に「永田円水の墓、旧久昌寺跡」の道標が立っていて、民家と蔵との間を抜けて畑地の中の道を歩いていくと「歴史の里ハイキングコースご案内」とういう道標があった。直進100m旧久昌寺跡、左300m永田円水の墓、この他に右折700m西山荘、900m西山公園、1000m桃源、手前引き返す方向300m山寺水道の碑、500m白馬寺、1300m佐竹寺、1500m稲村神社、1800m馬坂城跡と懇切詳細なものだった。
(永田円水の墓、旧久昌寺跡の道標)
(畑地道の先にも分岐道標)
 狭い道を少し登ると左に旧久昌寺跡の石碑と説明板が立っていた。説明板によれば、黄門様が久昌寺を建てたころは数多くの堂宇が立ち並んでいたらしいので、手入れされず雑草の繁るこの広場一帯が旧久昌寺跡なのだろうか。
(旧久昌寺跡)
(旧久昌寺の跡地か?)
 分岐道標のところまで引き返して、今度は左の円水の墓に向かった。墓地の入口には「永田勘衛門(円水)の墓」の説明板があり、脇を登っていくと広い墓地があった。
(円水の墓へ)
(円水の墓の説明板)
 一番左端に「圓水の墓」と刻した灯篭が2基並び、その奥に永田円水一族の墓石が立ち並んでいた。左の一際大きな墓石に「妙法圓水居士」と刻されていた。
 周りには円水一族と同じ規模の墓地が立ち並び、一つには「杉森家」等の家名が刻されていた。丁度墓地の手入れが終わった人が出てきたので、「この広い墓地は円水の墓だけではなくて、いろいろな家が入っているのですか。」と尋ねると「この近在の方達の墓地ですよ。昔は梶原静六さんの一族の墓もあったが、政治家として出世したら自分の家の近くに自分の墓地を作って引っ越していったよ。」と皮肉っていた。
(円水の墓地)
(多くの墓)
 円水の墓から引返して車道に出て、道なりに歩いていくと坂道になった。私の足腰には少々辛い道だったが、西山研修所のところで歩き方を褒められたのを励みにせっせと歩いていくと、坂道が終わったところの崖下に鉄柵に囲まれた石碑があった。近付いてから覗きこむと「茨城県指定史跡・山寺水道之碑」の常陸太田市作成の石碑だった。
(崖下に鉄柵)
(山寺水道之碑)
 山寺水道之碑のすぐ先には、右に別れる道に「白馬寺・笠御殿」への道標が立っていたが、ここはY32の時に歩いたので今日はパスして直進。すると、すぐ先に山寺水道の写真入りの説明板が立っていた。
(白馬寺、笠御殿の道標)
(山寺水道の説明板)
 少し登ってから下っていくと、道が曲がる手前の目立つところに「天下の魁 水戸天狗党梶山敬介君留魂之碑」が立っていて、建設者の名前に自由民主党幹事長梶山静六の名前があった。奥の方には墓地も見えたので、この辺りに梶山静六の実家があるのだろう。
 この石碑のところから下り道は急になって、私の腰には応えそうだがどんどん下っていった。途中で気が付いたが、途中に右に別れる破線の道があったはず、これを見落としたために300mぐらい遠回りすることになった。まあお蔭で良い道を歩けたのだから良しとしましょう。
(梶山敬介之碑)
(下り道)
 運動公園への広い道に出たところは山の寺に近いところで運動公園まで随分遠くなった。また西山研修所のところでの励ましを思い出し、気を取り直しててくてく歩いていき、運動公園の夜間照明の電柱が見えてきた時にはホッとした。
 テニスコートの手前の左奥に、屋外の水道栓の前ではかま姿の女学生達が汗を拭いており、部屋の中には練習の順番を待っているらしい女学生の姿が見えていた。武道館だろうか。
(山吹運動公園が見えてきた!)
(武道館?)
 12時丁度に駐車所に帰り着いた。4.7kmを2時間ほどで歩くゆっくりウオーキングでした。
 常陸太田の馴染みのレストランで昼食をとろうと思い、土地勘に自信が無くなったので車のナビに行き先指定しようとしたが、今度は、なんとナビの地図にレストランを表示するやり方が分からない。諦めておぼろげな記憶で場所を指定して出発したが、発車できたのは到着してから15分も経過していた。ナビが指示する曲がり角を一つ早く曲がり過ぎて遠回り、15分もかかってやっとレストランに着いて定食ランチにありつけ、美味しく頂いて満足、家路についた。
(駐車場に帰着)
(レストランで昼食)
 調子込んで歩いた所為か、翌日のウオーキングでは膝関節に少し違和感があり、なんとなく神経痛の気配も感じられ、ちょっと反省。


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