D81.ヘルスロード222(常陸太田蔵つくりの街)

1.動 機
 8月に入ってパソコンにトラブルが発生して、その対策をしてからこのHPの記録D75,D76を書いたり、吹矢の例会があったりして1週間の間があいたので、久しぶりにヘルスロード歩きに出かけることにした。常陸太田の街中を歩く2km足らずのコースなので私にも楽に歩け、古い市街なので昔の建物や寺社などがあってゆっくり楽しみながら歩くことができた。

2.データ
a)山域:常陸太田
b)登山日:2016/08/07(日)晴
c)コースタイム:自宅14:50 = 15:15郷土資料館15:50 ---- 16:00遍照寺 ---- 16:05山田神社 ---- 16:10秋葉神社 ---- 16:20別雷神 ---- 16:25鯨ヶ丘ふれあい広場16:30 ---- 16:30法然寺 ---- 16:35板谷坂---- 16:40東の辻 ---- 16:40赤煉瓦蔵 ---- 16:45古刀比羅神社 ---- ---- 16:50郷土資料館 = 17:15自宅
d)同行者:和子
(常陸太田蔵つくりの街の歩経路)

3.山行記録
 常陸太田も日立と同じようにあまり暑いところではないが、熱中症警報が出ているので用心して午後遅くなってから我が家を出発し、ヘルスロード222の案内図でS&G地点になっている郷土資料館の道路向かいの駐車場に到着したのは15時15分だった。歴史資料館の見学を先にした方が陽射しが弱くなるだろうと話し合って玄関前に行ってみると、「国道356今昔物語」と「わが西山風土記〜梶山俊夫の世界」の特別の特別展の立て看板が立っていた。室内に入ると一段と涼しく、係員受付嬢の丁重な挨拶もあって気持良く見て回る。
(郷土資料館)
(玄関の立て看板)
 郷土資料館には梅津会館の別名があり、梅津福次郎翁の功績などについての資料が数多く展示されていた。梅津福次郎翁は江戸時代末期に太田村に生まれ、函館に出て成功して大商人になり多額の寄付を続けていて、この建物もその寄付で1936年に町役場として建てられたものとのこと。
 梅津福次郎翁像の隣には水戸黄門さんの像も立っていて、その前には黄門さんの隠居所西山荘の模型もおいてあった。
(梅津福次郎翁)
(水戸黄門さん)
 常陸太田の原始古代からの年表があり、遺跡や古墳などからの出土品が数多く展示されていた。
 R349については、南北に長い常陸太田市を通る各地の昭和30年代と現在の写真が並べて展示されており、常陸の国と言われた時代の長大な絵図も展示されていた。
(出土品)
(R349の歴史写真)
 贅沢な造りの大理石の階段室を上がると、二階の一室が梶山俊夫の世界になっていた。梶山俊夫は東京生まれの絵本作家で、小学生時代常陸太田に疎開していたことがあるらしい。広い部屋いっぱいに、絵本だけでなく抽象画、木版画、陶作品、わら細工などの面白い作品がところ狭しと展示されていた。
(梶山俊夫の絵本)
(作品例)
 一階に下りると、まだ見ていない展示品がたくさんあった。水戸藩の天保の改革時代の大田村の御用留(公用の文書控え簿)の例が数点展示されており、藤田東湖の上申書や「街道の桃の木の開花中は一枝とて折ってはならない」などとの御用留の例が展示されていた。
 その横には常陸太田の真弓町から発掘された、高級感のある大理石の一種寒水石に付いての説明があり、この郷土館のカウンターや階段に使われており、国会議事堂の中央玄関や中央階段にも使われているとのこと。
(御用溜の歴史)
(寒水石の国会議事堂中央玄関)
 郷土博物館の展示物を30分ほど見学させてもらってから街に出て、R293を南に向かう。R293は旧家が立ち並ぶ常陸太田の中心街のこの部分で拡張することが出来ず、狭いままになっていて今は一方通行だ。
 街並みの先に「万国醤油」の看板がある古い大きな平屋の建物があった。生家が醤油屋だったので、この造りの建物を見ると懐かしい思いがする。
(R293の街通り)
(古い商家)
 コース図には次の交差点の右に入ったところに、お寺と神社があるようになっている。右に曲がって少し歩くと右手の分岐に「呑龍上人霊堂入口・時宗遍照寺」と刻した大きな石柱が立っていた。
 この案内を頼りに右の道に入っていくと何軒かの民家の先に広い墓地を持った遍照寺があり、中は金ぴかの飾りで光り輝いていた。
(遍照寺入口標石)
(遍照寺)
 石柱のところに戻るとこの先は急坂の下りになっていた。ずっと下の方に山田神社の鳥居が見えているが、あそこまで下ってまた登りかえしてくるのかと思うと自信が無くなってくる。
 それでも行くしかないかと和子の後を追う。鳥居には山田神社の神名板が懸かり、奥にこじんまりとした神社があった。鳥居の前の石柱には杉本坂の名が彫られていたので、下ってきた坂道を杉本坂と呼ぶらしい。
 交差点を登りかえしていると追い越していく車があり、下ってくる車にも出会った。こんな狭い道が一方通行ではないのに驚いた。
(杉本坂)
(山田神社)
 交差点に戻って向かいの道に入って少し歩くと、右手の奥に秋葉神社があった。ご神体を拝むことが出来るかと神社の柵の中を覗きこむと、中には一回り小さなお宮が祀ってあった。
(秋葉神社)
(内部のお宮)
 交差点まで引返して南に向かうと、右手にまた鳥居があった。丸い石の鳥居には何の表示もないので、中のお宮に近付いてみると「別雷神」の扁額はかかっていた。
 別雷神のすぐ先の左手が鯨ヶ丘ふれあい広場だ。芝生の広場になっていて古墳のような山も出来ていて、鯨ヶ丘の石碑が立っていた。ベンチもあるので水分補給をしながら一休み。
(別雷神)
(鯨ヶ丘ふれあい広場)
 ふれあい広場がコースの折返し点、ここから西町通りを北に向かって歩いていく。
 少し歩くと右手に朝鮮風の変わった石門があり、石柱には「浄土宗五祖蓮勝上人旧蹟」と彫られていた。
(東通り)
(法然寺山門)
 石門をくぐって境内に入ると立派なお寺があった。石門から外に出て道向かいの駐車場を見ると「法然寺」の名板が立っていた。
 西通りを北上して秋葉神社を拝んだ通りとの交差点に来ると、右手が階段のある急坂になっていて、入口の石柱には「板谷坂」の名があった。反対側に下ったのは杉本坂だった。常陸太田鯨ヶ丘の商店街は高台の上に出来上がっていて、東西に坂道が下っているのだ。「成田山不動尊」と「板谷稲荷」の石柱も立っているが、この急坂を覗くと下っていく気が失せて、このまま通り過ぎることにした。
(法然寺)
(坂谷坂)
 その先の交差点には「東の辻」の休憩所があり、また一休み。
 「東の辻」のすぐ先には赤煉瓦の建物が建っていて、その前に「赤煉瓦蔵」の説明板が立っていた。明治43年に建てられ、平成26年に国登録有形文化財になり,現在はギャラリーとして活用されているとのこと。
(東の辻)
(赤煉瓦蔵)
 蔵の前を通り過ぎて行くとT字路にぶっつかり、左手に曲がる。この通りには歩道がなくて、ヘルスロードのマップにはここで引き返して東の辻で曲ることになっている。
    今回日立市の新しいヘルスロードの募集があり、その要領書を見ると、ヘルスロードの道には歩道があることが必須事項になっている。
 歩道のない道を歩いていった交差点の角に古刀比羅神社があった。四国琴平の金毘羅さんと字を少し変わっているのが面白い。
(歩道のない接続道)
(古刀比羅神社)
 交差点を左のR293に曲がると歩道が整備された道になり、再びヘルスロードのコースを歩くことになった。
 この道を少し歩くとまた黒い板塀の古い家があり、また醤油工場があったと喜んだが、司法書士の看板があるだけで醤油の名前は見つからなかった。
(R293に戻って)
(昔の醤油工場?)
 郷土博物館の駐車場に戻ってすぐに帰途につく。途上、緑鮮やかな稲が綺麗な田圃が広がっていて目を楽しませてくれた。
(稲の緑輝く田圃)


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