D87.常陸太田ヘルスロード220

1.動 機
 26日に歩いた生田川の滝巡りをアップして、HPに書く次の題材探しのウオーキングに出かけることにした。行先を、隣町の常陸太田市のヘルスロード一覧表で探すと、残っているのは車道を往復する健康目的の単調なコースばかりで、唯一残っているのがNo220黄門様の散歩道だった。コースが5年前に歩いた「Y32.常陸太田・歴史の里ウオーク」と一部重なっているので、重複する部分があるのはご容赦ください。

2.データ
a)山域:常陸太田歴史の里遊歩道
b)登山日:2016/08/31(水)晴
c)コースタイム:自宅11:10 = 11:45桃源駐車場11:55 ---- 12:00西山荘入口交差点 ---- 12:20大平交差点 ---- 12:30クリーンセンタ前 ---- 12:45山の神13:00 ---- 13:10唐傘御殿説明板 ---- 13:20分岐 ---- 13:28西山荘入口 ---- 13:38桃源13:45 = 13:55レストラン14:55 = 15:20自宅
d)同行者:和子
(ヘルスロード220歩経路)

3.山行記録
 黄門さんの隠居所西山荘入口近くにある土産物店の桃源の駐車場に車を入れて、昼前に歩き始めた。
 桃源からR293の西山荘入口交差点に向かう道は県道224に指定されている広い道。交差点手前の右には「D53.ヘルスロード223・常陸太田」で紹介した五言絶句の西山荘詩碑が立ち、反対側には馬力神の上に変わった形のモニュメントが立っていた。
(桃源)
(西山荘入口交差点)
 交差点を左に折り返すように曲った国道沿いには広い歩道があり、脇には凝ったつくりの柵が付いていた。
 歩道を緩やかに登っていくと、左下に先ほどの桃源とその裏庭が見えてきた。
(R293の歩道)
(下に桃源が見える)
 国道は車の往来が多くてうるさく少々閉口したが、どこまでも続く国道をゆっくり登っていった。
 やっと平らになったところが大平交差点、「D53.ヘルスロード223・常陸太田」ではここを直進してこめ工房に向かったが、今回はここで左折することになっている。
(車の多いR293)
(大平交差点)
 右折すれば県道167となっているが、左折したこちらの道には県道指定はないようだが、広い車道が続く。今までと同じように広い歩道が付いており、車の往来がほとんどなくなったので気持良く歩けるようになった。
 両脇には森が続いて、途中、市営葬祭場とクリーンセンタの広い公共施設があるだけで民家の気配はなかった。
(左折した車道)
(クリーンセンタ)
 時にツユクサやヘクソカズラの花を見付けては、休みがてら立ち止まってシャッタを押しながら和子の後を追って歩いていった。和子は和子で、路側の草むらにキノコを見付けてビニル袋に採り込んで、手にぶら下げて歩いていた。ヌメリイグチらしいとのこと。
 このまま車道をまっすぐ進めば、白馬寺や山寺水道に通じるが、ガイドマップで左折するところまで来ると、向かいに「からかさ御殿・西方展望休憩所」の案内板があって、右に別れて登る細い分岐道があった。
(ツユクサ・ヘクソガズラ)
(唐傘御殿案内板)
 分岐道は始め舗装されていたがすぐに草地の道になり、更に右の急斜面を登る石段道になった。
(案内板の指す坂道登って)
(石段を登って)
 くねくねの石段道を登っていくと小さな山のてっぺんに出て、そこには「山の神大権現」の小さな石の祠があり、脇に説明板が立っていた。
       山の神(山ノ神大権現)
     昔、山仕事が多かった山ノ神集落の人々は、山仕事の安全と三輪資源の豊かなことを願い、「山の神様」の祠を建ててお祭りをしてきました。
     以前には町内山の神集落ばかりではなく、稲木山の神・西新宿の人々も、また天神林の山の神以外の人々も参拝していました。
    天神林町 
 その隣に唐傘を模した屋根がある休憩舎があり、一息入れて水分補給した。この唐傘御殿には「Y32.常陸太田・歴史の里ウオーク」の時に白馬寺の方から歩いてきたのを覚えている。
(山の神大権現)
(唐傘御殿・西方展望休憩所)
 下の案内板には西方展望休憩所となっていて、東海や大洗方面が見えているらしいが、樹木が育っていて視界が限られどの辺を見ているのか良く判らなかった。
 反対側下には、これから歩く歴史の里散歩道への分岐道が見えていた。
(西方展望所から)
(歴史の里遊歩道入口を見下ろす)
 登ってきた道を引返していくと、登りでは気が付かなかったユリやヨウシュヤマゴボウの花が目に入って、何度もシャッタを押すことになった。
(ユリ)
(ヨウシュヤマゴボウ)
 向かいの分岐道入口には「この先遊歩道のため車両進入禁止」の立札が立っていて、樹間に続く歴史の里散歩道の広い遊歩道を気持ちよく歩いていくことが出来た。
(歴史の里遊歩道入口)
(遊歩道)
 入口からの登り坂が平らになったところに「唐傘御殿」の説明板があって、近くに「歴史の里遊歩道」の案内板が立っていて、左に傘御殿、白馬寺765m、右に西山公園1030m、西山研修所1230mとなっていた。「唐傘御殿」は先刻休んだところなのに、こんなところに説明板を立っているのは何かの間違いだろうと思って、内容を読みもしないで通り過ぎたが、帰宅後、改めて読んでみて、当初の唐傘御殿はこのすぐ裏のピークにあったのだと知ったが後のお祭りだった。
(唐傘御殿説明板)
(歴史の里遊歩道案内板)
 歴史の里遊歩道の案内板はこの先にも立っていて気持良く歩いていると、ここの路側にもヌメリイグチと思しきキノコがところどころにられた。
(遊歩道続く)
(ヌメリイグチ)
 西山荘分岐の手前に「久昌寺跡・永田円水の墓」への分岐があり、「Y32.常陸太田・歴史の里ウオーク」の時には向こうから登ってきて西山荘へ下っていった。
 西山荘分岐のすぐ先には右「山寺晩鐘の碑」と左「西山公園」の案内板が立つ分岐道があり、Y32の時には西山荘から西山公園に入ってからここを通過して山寺晩鐘の碑の方に下っている。5年前はずいぶんと元気だったものだ。
(旧久昌寺跡・永田円水の墓道標)
(西山公園・山寺晩鐘分岐)
 西山荘への分岐には歴史の里遊歩道の案内板が立っていて、この先細い踏み跡のような道になるが、この道も歴史の里遊歩道なのだった。
(西山荘分岐を下って)
(これも歴史の里遊歩道)
 遊歩道を下っていくと西山荘案内所の建物が見えてきた。案内所で入場券を買って左に入ると西山荘だ。
 西山荘入口には注意事項を列記した大きな看板が立っていて、その一番に写真ビデオ撮影は禁止と書いてあった。写真を撮れないのならわざわざ料金を払って入る気にはならず、料金所の前を素通りした。
(西山荘分岐へ)
(これも歴史の里遊歩道)
 料金所の前の通りを歩いていくと西山の里の公園に入る。入口近くにキキョウの花が咲いていて、我が家の庭のキキョウはとっくに終わっていたので和子が珍らしがる。
 スイレン池があり、池一面が睡蓮の葉で埋め尽くされていた。もう少し早く花の盛りの時期に見てみたいものだ。
(キキョウ)
(スイレン池)
 その先の梅園の中に立札が立っていて、中に踏み込んで読んでみると、光圀公没後三百年記念として植樹した難波梅(なにわうめ)で光圀公が一番好んだ梅と記されていた。平成12年の植樹で、立札の後にまだ小さい梅の木が立っていた。
 その先には梅やツツジの木が植え込まれた公園が続いた。
(光圀公没後三百年記念難波梅)
(梅園・つつじ園)
 梅園の反対側に稲が実っている小さな田圃があって、ご前田(ごぜんた)の説明板が立っていた。
     光圀卿が自ら耕された水田(約五十平方メートル)の一部で、一領民となられた証として、太田奉行所に十三俵の年貢米を収めました。
 その先、不老沢跡の説明板の次に「助さん住居跡」の指導標が立っていた。もう一度行ってみたいなと言ったが、結構遠くて止しておいた方がいいよと言われて残念ながら通過した。
(ご前田)
(助さん住居跡道標)
 すぐに桃源の瀟洒な建物が見えてきて、手前に裏庭の池を巡る木道に入った。右側に花しょうぶと噴水の池が見えていたが、桃源の前では家族連れが池に餌をばらまいていて、下の池に色とりどりの鯉が大きな口をあけて折り重なるように餌を漁っているのが見えていた。
(桃源裏庭の池)
(餌やりに群がる鯉)
 桃源の中に入って、レストランを横目に見ながら土産物店を通過して駐車場に戻り、車に乗って街中の馴染みのレストランでランチを食べて我が家に帰ってきました。歩程4.2km、1時間40分の面白いウオーキングでした。
 

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