D101.ろうきん友の会親睦旅行・信州上田

1.動 機

 現役時代から利用していたろうきんに、年金の振込口座を作って友の会会員になっている。毎年、10月には友の会総会を含めた親睦旅行が行われている。ろうきん同好会のスポーツ吹矢の練習中に、友の会会長から今年の真田城などを巡る旅行の誘いを受け、一昨年の(能登半島周遊)での賑やかで楽しい旅行がいい思い出になっていて申込みした。二日間ともお天気も良く、わさび園以外は初めてのところばかりで面白く、泊った緑翆亭景水での宴会は一昨年と同じように賑やかで楽しく、長いバスの中も色々な趣向があって面白い旅になった。

2.データ


(ろうきん友の会親睦旅行・信州上田の観光ポイント)

3.山行記録

 早起きして急いで朝食をとって、日立電鉄南営業所の駐車場に着くとろうきんから出発したバスはもう待っていて、駐車場に車を入れて乗り込んだバスは定刻に発車した。参加者は64人、バスは2台。我家は2号車。バスは日立南ICで高速に乗って、適宜トイレ休憩にPAに寄りながら快調に走っていく。
 バスの中では旅行と総会に付いての資料が配布されて説明があってからは、ゲームやカラオケなどで賑やか。遊び興じながらも、車窓から見える山が気になる。記憶が頼りなくなって、登った記憶はあるのに名前が判らなくなった山が多かったが、赤城山や浅間山などの山名を思いだせた時は嬉しくなった。

 バスは上田菅平ICで高速を下りて、真田丸の赤い旗が立ち並ぶ上田の街中を走っていき、上田城址のバス専用駐車場に入った。少し車道を歩いて城址よりの一般駐車場の脇を通って、「上田城跡公園正門入口」への遊歩道に入った。
 公園の下を回り込む遊歩道沿いには、田丸の赤い旗が街中以上密に立ち並んでいた。観光客の増大にNHK大河ドラマの効果絶大と見えた。

 遊歩道から上がって二ノ丸橋を渡って公園内に入っていくと、すぐに大河ドラマ館の立派な建物があり、入場券を貰って館内に入った。
 館内に入ると、幸村の人物像やドラマの内容を要領よく纏められていて、TVでは複雑な人物関係など、頭の中がこんがらがっている事が多いのでゆっくり読んでいきたいが時間は限られている。読んでも内容はすぐに忘れてしまうことが分かっているので、写真に撮って残しておきたかったが、館内は一切撮影禁止。唯一、撮影OKだったのは、雪村の甲冑像と、真田城の撮影用セットだけだった。甲冑像の前でツーショットのシャッタを押してもらった。

 大河ドラマ館を出ると、行く手に上田城址の入口門の東虎口櫓門があり、その左右を南櫓門と北櫓門の二つの櫓門が守っていた。
 虎口に近付くと北櫓門城壁の石垣の巨石が見えてきて、その前に「真田石」の説明板が立っていた。曰く、
 大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために、大きさを競ったという。真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承がある。現在ある石垣は仙石忠政が造ったものであるが、真田氏に寄せる人々の敬愛の情がうかがえる伝承である。

 その先には真田神社があり、拝殿にお参りした。
 奥の本殿横には「真田井戸」があった。説明板には 「この井戸からは抜け穴があって、城北の太郎山麓の砦に砦に通じていた。敵に包囲されても、その抜け穴より兵糧を運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという。」とあった。

 そのあと大きな真っ赤な真田冑や、戦時中に強制接収された鐘を上田市民の手で再現したという鐘楼を見て上田城址を出た。
 

 上田城址をを後にして上田菅平ICに戻って高速に乗り、長野ICで下りて5分ほど走って千曲川を渡ったところにあるドライブインそば蔵に入った。建物の二階の壁一面に描かれた信州の山が海と繋がっているという壁画が面白かった。昼食のためにわざわざ高速を使って立寄った訳だから、よっぽど旅行社とのつながりが強いのだろう。
 出てきた定食のそばは、さすが歯ごたえも良く絶品で、空いていたお腹にしみわたった。

 食事が終わるとすぐに長野ICに戻り、安曇野ICまで高速を走って下り、しばらく北上したところにある大王わさび農場に立寄った。ここには去年の黒部湖バスツアーの時に立寄っており、今回の旅行で唯一見たことのあるポイントだった。
 売店を通り過ぎた奥にはカタカタコットンの水車小屋が3軒並んでいる。

 去年は農場創始者を祀る大王神社など見ながら広い農場周りを一回りしたが、今年はそんな元気はなく、わさび畑をゆっくり眺めて、名物のワサビソフトを舐めながらバスに戻った。

 ワサビ農場で遊んでから高瀬川沿いの道を北上して大町温泉に入り、緑翆亭景水という今夜の宿に入った。

 温泉でゆっくり汗を流してから宴会場に入ると、品数多い宴会料理が並んでいて舌鼓なめずりした。
 すぐに友の会の総会が始まり、役員さんたちの挨拶や乾杯、会計報告、行事報告などがあり、その後でカラオケやダンスなどの演芸が続いた。楽しく聞きながら、料理を美味しく頂いた。

 翌朝はバイキングの朝食を腹いっぱい食べてから、ホテル裏の高瀬川の遊歩道に上がると、恰好のいい飯綱山が近くに見えていた。
 バスに乗り込む前に、ホテル玄関前で記念の集合写真が撮られた。人数が多いからバス毎に2班に分かれて。

 大町温泉を8時に出発して、国道を北上して木崎湖湖畔を過ぎて、青木湖のところで右折してちろりん村美麻という道の駅で一休み。歴史のあるところで「ふれあいの里」の大きな石碑が立っていた。
 その先、千曲川を渡ってどんどん東進。

長野ICの脇を通り過ぎて松代に入ると、道路脇に広いリンゴ園が広がっていた。信州リンゴだ。
 次は象山地下壕の見学だが、象山の駐車場にはトイレがないといって、途中「宮坂酒造」というお土産屋に駐車してトイレ休憩。

 宮坂酒造を出たバスは、象山地下壕に近い代官町駐車場に入った。ここに女性説明者が待っていて、松代の地下壕に付いての説明が始まった。長野市のHPには
「松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。  ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。  第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。  この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。  なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な見解があります。  松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。」
 街角を曲がって象山地下壕に向かうと、舞鶴山と皆神山が見えるところがあって、それぞれを指差しながら紹介された。

 

 道沿いには、象山地下壕にゆかりがありそうな山寺象山邸や象山恵明禅寺など歴史的なところがあった。

 地下壕の入口近くに「朝鮮人犠牲者追悼記念碑」と彫った石碑が立っていた。突貫工事で行われた地下壕建設工事には、当時、植民地支配下にあった朝鮮人約7千人が動員され、多くの犠牲者を出したらしい。この碑は戦後50周年の節目に、戦争責任を踏まえ建立されたもの。
 地下壕の入口には大きな案内板が立っていて、説明 「ちゃんとした見学ルートが整備されているのはこの象山地下壕跡だけで、全長6キロ弱のうち約500mが公開されている。中は場所にもよるが幅・高さ共に約3mは確保されている。

 入口で決まりになっているヘルメットをかぶって中に入ると、ところどころに照明があるが、壁も天井も素掘りのままむき出しになっていた。岩盤が凄く固いのでぞのままで崩れないらしい。
 途中で直角に右に曲り、ところどころに補強鉄柱を見ながらしばらく進むと、H鋼で枠組みを作って鋼板の天井を張った部分もあった。公開するのは大変なことなのだ。

 300mも歩くと行く手が金網で立入禁止。金網越しに覗いて見ると、真っ暗い闇の100m先に小さく明かりが射しこんでいた。反対側の地下壕入口とのこと。
 右手の壕は金網で封鎖されて真っ暗だったが、右手には公開されている照明のある広い壕がまっすぐ伸びていた。あと200mぐらいが公開部分とのこと。

 地下壕見学を終えての帰りの歴史的道すじでは立ち並ぶ板塀や瓦屋根の古民家に目を奪われながら歩いた。
 途中の公園では紅葉が綺麗で、思わずシャッタを押した。

 代官町駐車場に戻ると、バスはまた地酒真田十万石の宮坂酒造に立寄った。
 ここで今度はたっぷりと休憩時間が取られ、有り難く何度も試飲させて貰った。店内にはお土産物がいっぱい並んでいて、ここも旅行社なじみのお店だったみたい。

 宮坂酒造でお土産を買い込んで、次は松代城址公園の市営駐車場に入り、公園とは反対方向のお菓子屋脇の狭い道を抜けて広い車道に出た。
 少し左に歩いてこの車道を渡ったところに真田宝物館があった。

 宝物館の中に入ってすぐに展示室に向かった。
 展示室の中はここも撮影禁止、入口にあった武者像の顔のところに顔を入れて唯一の記念撮影。展示室には書状や絵巻物、刀剣や大名道具などたくさん見られたように思うが、写真なしではさっぱり具体像がは思い出せない。

 真田宝物館近くには以外にも真田邸や松代城址などの見所があるようだったが時間切れ、市営駐車場に戻ってバスに乗り、昨日昼食をとったそば蔵まで走って隣の道の駅おぎのやに入った。レストランのある二階に上がると、今日は天気も良くて鹿島槍から白馬岳まで綺麗に見渡すことができた。

 出てきたのは、ここの名物峠の釜めしがメインの釜飯御膳を美味しく頂いた。
 買物時間がたっぷり取られたので、バス発車までの時間、お散歩に裏の千曲川支流沿いの岸辺に上がると、高妻山と一緒に登った飯綱山がスッキリと見えていた。

 バスは定刻になって発車して一路日立に向かう。途中見えた岩山は妙義山だと思うが、裏妙義だったか表妙義だったか?

 妙義山を眺めた後に甘楽PAとトイレ休憩に立ち寄ると、PAの端に今まで気が付かなかったものが見えた。
 トイレを使った後、何かと思って近寄ってみると「埋蔵文化財 神保下條古墳」の説明板がたっていた。後に粘土で作った人や食器、馬などあり、古墳らしき芝生で覆われた土盛りがあった。ピークハントの癖で、てっぺんに上がって御荷鉾山等の山並みを眺めてから表側に下りて見ると、なんと「展示物に登らないようお願いします」という立札が立っていた。済みません、裏側からは見えなかったのです。

 最後の休憩所の笠間PAに入った時、1、2号車全員が集められて解散式が行われた。会長などの挨拶のあと、バンザイでお開きになった。バスはその後も順調に走って日立南ICで高速を下り、終点の電鉄営業所に18時35分に到着し、我家の愛車に乗ってスーパに立寄って夕食の食材を買って帰宅、面白かったバス旅にカンパーイ!

夫婦二人の山歩きに戻る

inserted by FC2 system