D103.県北アートフェステイバル常陸太田

1.動 機

 県北アートフェステイバル2016という行事が9月17日からから始まっており、多くのアーテイストが日立近郷の町に散在する会館などで色々な展示物を出品しているとのこと。全部を見て回ることができる前売り鑑賞パスポートを早めに買ってはいたが、アートには興味が薄いので今までついつい見に行き損ねていた。最近、神経痛で長く歩くのが難儀になって、外に出掛ける機会が少なくなってきたので、アートを見に出かけることにし、最初に近場の常陸太田市市街の中の5ヶ所の展示場を見て回ってきた。

2.データ

3.山行記録

 10時からの囲碁の会に参加しようと思って大甕クラブまで出かけたが、日程変更を聞き落としていて空振り。家に帰って今日の予定を相談し、行きそびれていた県北アートフェステイバルを初めて見に出かけることにした。
 開催地域は常陸太田市街とし、最初に我家から一番近い市街入口にある、常陸太田市市民交流センタであるパルテイ―ホールに入った。
 館内に入ってみると、フェステイバル用に飾ったような装飾があちこちに飾ってあった。

 案内所の前には、京都芸大4回生の黒沢理菜さんが綺麗な花々を描いて装飾したという、自身が幼いころから弾いていたピアノが展示されていた。京都芸大制作展で奨励賞を受けた作品らしいが、県北アートフェステイバルへの出展ではなかった。
 ホールの前庭には、以前製作中のものを何度か見たことがある、常陸のおお田守る竜神の像(D-10)が完成した姿を見せていた。資料には次の様な説明がある。
 丸太2000本、陶ブロック50000個、スチールパイプ500本を使い、組み上げられた、高さ16メートルにもなる巨大な彫刻は、國安孝昌の手によるものです。同市内には竜神大吊橋や、水戸徳川家墓所の瑞龍山があり、國安はそこから常陸太田市の守り神としての「竜」をイメージして、この作品を作りました。竜神は水の神であり、農業を守ると言われています。たった一人でコツコツと丸太や陶ブロックを積み上げる制作の中で、國安は宗教が始まる前の素朴な信仰を思い浮かべながら、地域の祈りの依り代となり、守り神となるものを作り上げたのです。

 次は常陸太田の郷土資料館である梅津会館の駐車場に車で移動した。会館の窓全部に、絵と物語りが書きこまれたピンクの幕が張られていた。これがD-14の展示物で、芸術祭情報サイトによれば、
 ピンクの窓は原高史さんと常陸太田の皆さんの作品です。 梅津会館など歴史的建造物を始めとしてレトロな建物が建ち並ぶ常陸太田市鯨ケ丘商店街。原さんはこの商店街で、そこに住む人の記憶と共に窓をピンクに豹変させる<Signs of Memory>を展開します。 建物の所有者やそこに住む一人ひとりから話しを聞き、その人の歴史や地域の歴史から抽出された言葉と発想されたイラストをピンクのパネルに入れ込んでいきます。 ピンクのパネルは人々の記憶と共に各々の建物のユニークな窓の形を浮上させ、街全体が不思議な魅力を放ち始めます。
 館内1階にある展示室の古物や掛け軸などの展示物があり、常陸太田市の歴史を示す常設の展示品と思い込んで見たのだが、後で調べると、これらはアーテイスト深沢孝史さんによって作られた「D-12:常陸佐竹市」の展示だった。常陸太田市の地を昔治めていた佐竹氏に結び付けて構成された展示室とか。そう言えば、会館の入口にも「常陸佐竹市市役所」の看板が掛けられていました。
 1936年に梅津福次郎の寄付により太田町役場として建てられ、以後常陸太田市役所を経て現在は郷土度資料館として親しまれている梅津会館。その1階が「常陸佐竹市」の市役所に変貌します。常陸太田は、源義光の流れをくむ佐竹氏が450年間拠点として治めた地。太田城跡は鯨ヶ丘北部に位置します。1602年に秋田に転封された後、水戸藩の支配下となり、佐竹氏は歴史に埋もれることになりました。深澤はこの土地の精神性を象徴する佐竹氏に注目、歴史の縦軸を結びつける試みとして「常陸佐竹市」を地域の人々とともに立ちあげました。「市役所」には、市の歴史、現代の佐竹市民の紹介に加え、アーティストが会期中人々と対話を行います。「常陸佐竹市祭」を中心に様々なイベントも開催されます。

 

 2階に上がると、広い展示場いっぱいのテーブルの上面が白っぽく平らで、周りからライトが当てられている。
 近付いて良く見ると、地形図の湖のようなものが見えてきた。これはニバン・オラニウェー氏による作品「D-11:イバラキ」で「お願い。ベビーパウダーで出来ています。手を触れないでください。」との注意書きが詳しい説明板の下に貼ってあった。説明板には
 曲線的な梁や櫛引仕上げの壁が優雅な空間に、白い世界が広がっています。よく見るとそれは街並みです。カッターで建物部分をくりぬいた型紙のような地図の上に、ベビーパウダーを振りかけ作られています。街は茨城県32市10町2村の地図を組み合わせ、現実と虚構が出会う風景を形成しています。広大で近隣都県とつながる文化圏がいくつも存在する茨城県。この作品を通してニパンは、県内の新たなつながりを示唆しているのかもしれません。地図は実際の世界を計測して作られます。抽象化し縮尺表記することで俯瞰が可能になるものの、人々のリアルな生活や時間軸はあらわせません。ニパンは詩的で美しいインスタレーションによって、そのことを気づかせてくれます。

 別の部屋には丸い玉を連ねた造形があり、常陸太田市在住の陶芸家根本芙紗子さんによる「超じょうづるさん」なる作品で、常陸太田市のマスコットキャラクター「じょうづるさん」をモチーフにしたとのこと。
 脇の展示箱にはたくさんのじょうづるさんの人形が並べられていた。

 梅津会館を出て、車には乗らないでここからは少し街を歩くことにした。街を北に歩いた最初の交差点の向かいの店が★8の旧オーベルジーヌで、店の前にD-15の説明板が立っていた。
 デザインやアートを超えて人々の知覚や気持ち、記憶に関わるクリエイティブを生みだすSPREAD(小林和弘、山田春奈)。《Life Stripe》は、睡眠、食事、くつろぎ、仕事といった1日の行動を21の色に置き換え、時間軸に沿って記録した「生活の模様」です。県北では漁業や林業関係をはじめ様々な職業や年代の人々、そして動物にもリサーチを行いました。日本家屋をモダンに改築した空間に、彩り豊かなそれぞれのLife Stripeがアクリルプレートに息づいています。流行りのデータ・ビジュアリゼーションを思わせますが、一つひとつ手作業で色変換されました。このプロジェクトには、生きていることの素晴らしさ、生命への肯定が込められています。
 店内の展示場に入ると、赤や青、色々な色の横縞で区切られた板が何枚も整然と並べられていた。入口で預かった色模型には、色ごとに、睡眠、働く、勉強する、病院、くつろぐ、などの生活様式毎に色が決まっていた。板を見ればどれぐらいの時間寝ているか、働いているのか、人や家畜の環境ごとに代表的な例を作って展示してあるのだった。それぞれの板の下には、その人の職業と(何時〜何時:何をしているか)を表にした紙が置かれていたが、この表を見るよりも色分けした板を見る方が、その人の一日の生活パターンが直感的に良く分かった。それでもこれがアートなの?の感がぬぐえなかった。

 街に出ると、あちこちのビルや小さな商店の窓にもD-14のピンクの幕が張られていた。

 時計屋さんのショウウインドウには、細い白い線にした材料で作った綺麗な飾りがあった。後ろに「光発電」の表示があったので、その時は太陽エネルギーをモチーフにした造形かと感心してみたのだが、表示板は後ろにある腕時計の宣伝文句だった。。
 空き店舗らしき★7の旧コーワがあり、広い店舗の中はとても明るく、カーペットの上に炬燵の組み合わせた場所が何カ所もあり、女性から「どうぞ中に入って休んでいってください。その辺にあるもので気に入ったものがあったら、何かと交換して行かれてもいいですよ。」と案内された。説明板によればこれもアートの一つ、D-13:リビングルーム鯨ケ丘とのこと。
 北澤潤が、これまで国内外で展開してきたプロジェクト「リビングルーム」。空き店舗を使用し、地域の人々が持ち寄った家具や日用品を配置することで、街なかにオープンな「居間」が出現し、モノの交換や人の交流を通して予測できない空間や出来事が生まれていきます。創造的なコミュニティー形成のきっかけ作りに取り組む美術家である北澤は、リビングルームを開き見守る存在であり、そして生まれた空間や雰囲気は、地域によって毎回異なります。鯨ヶ丘ではここ(旧衣料品店コウワ)が、地域の人々の協力のもとリビングルームに変身。普段からもイベントが盛んで「リビングルーム」的マインドあふれるこの地で、どのような場が生まれるのでしょうか。

 リビングルーム鯨ケ丘は外から眺めさせてもらうだけにして、梅津会館の駐車場によたよた歩いて戻り、車に乗って街中にある馴染みのレストランに入った。遅い昼食をとってから、車に乗って北に向かい、太田市街を抜けて誉田小入口交差点を右折し、更に小学校を過ぎたところで左に曲がってどんどん走っていくと、見たことのあるホテルときわ路があった。ここが★4の展示場だと思って玄関に向かって歩いていくと、車に乗り込もうとしている作業者が見えたので、念のために訊いてみると、「ここでアートフェステイバルはやってませんよ。この先の建物だと思いますよ。」とのこと。引返して少し走るとすぐに、見たことのあるような気がする★4自然休暇村の建物があった。
 館内に入ると、奥の広間に天井からたくさんの折り鶴が吊るされているのが目に入った。単なる折り鶴ではなくてD-09の折り紙ミューテーションとのことで、説明板によれば、
 ゲオアグ・トレメルと福原志保を中心にしたアーティスティックリサーチ・フレームワーク「BCL」の新作です。県北地域の西の内紙によるこの折鶴は、じつはバイオアートの最先端を取り入れたものです。DNA鎖を折り曲げ、ナノサイズで構築できる構造体「DNA折り紙」を和紙に入れ込んだ本作には、DNA折り紙による折り紙、という二重の意味が含まれています。その制作方法は、鶴の折り紙(三次元)をモデルに、その形に沿って特定の温度環境によって合成DNAの折り紙を形成。そうやってできたDNA折り紙を変異・増殖させたものを減菌水に溶かし、和紙に注入した上で鶴を折っています。本作は、伝統的な和紙と合成生物学とを合体させた新しいアートの方向性を示唆しているのです。大子町の麗潤館でも展示をしています。
 係員がいて丁寧に説明してくれたが、私には余り理解できなかった。

 暗幕で仕切られた部屋があって、中に入ると壁面に光が当たって、色々な模様が刻々変化していた。暗い室内には説明者がいて、眺めるにいい場所も教えてくれる。説明板によればここはD-05の旧展示室で、
 作品タイトルは、以前展示室として使われた大きい部屋にちなんでいます。コンクリートの壁に差し込む光を観察するように、チョークや水を使って描き進め、その工程を撮影しアニメーションが制作されました。絵を描く中で生成するプロセスを重視し、その映像から空間的なインスタレーションを仕上げる手法は、絵画、アニメーション、空間がつながった石田独自のものです。光と闇を意識したアニメーションが、描いた痕跡が生々しい空間で映写されています。ゆっくりご鑑賞ください。瞑想的な雰囲気に包まれながら、映像の中に自ら入り込んでいくような体験が待っています。

 受付前の床面には直径20cmぐらいの丸い塊が12個転がっており、説明者の話を聞きながら良く見るとそれは苔の塊だった。D-07大宇宙の片隅という展示物で
 床上には、県北地域の苔で作られた苔玉がさりげなく置かれています。目を離した瞬間、苔玉の気配を感じるかもしれません。三原聡一郎は、世界の砂の多様さに魅了され、土壌のリサーチをする中で砂や土に棲息する微生物で発電する微生物燃料電池(MFC)に出会いました。2000年頃から活発化したこの科学分野では、素材研究、植物他の生命との組合せなどの基礎実験が行われ、そのいくつかは個人でも実践可能です。アーティストはこの技術が成熟した時代の芸術を構想し、苔玉が生む電気で気配を成立させる目標のため、発電とエネルギーの体験方法を試行錯誤していきます。会期中、苔から生まれたエネルギーで苔玉が歌い踊り出すかもしれません。その光景は人間にどう映るのでしょうか?

 別の部屋に入ると、納豆のエキスを抽出した液を使って3Dプリンタで色々な造形を作りだす過程と、出来た造形がだんだんと崩れていく過程が展示してあった。壊れて捨てられても自然に戻るのが狙いだとの説明者の話があったが、D-08ヴァイド・インフラの説明板には、
 吉岡裕記、金岡大輝、砂山タイチ、御幸朋寿、三桶シモン、加藤昌和、高岸寛によるチームは、「ハッカソン」という方法で集結したデザイナーや建築家によるチームです。「ヴァイド・インフラ」は、ラテン語で「下を見よ」の意味。ボトムアップやミクロな視点から世界を捉えようとする意志が感じられます。彼らは、県北地域に根づく発酵文化の中でも納豆に注目、納豆菌によってかつてない素材を作ろうと実験を重ねてきました。菌から納豆樹脂を作り3Dプリントで構造物を作る。廃棄しても微生物に分解され自然に戻る、という構想は現時点では実現途上ですが、これまでのドキュメンタリーにフィクションを織り交ぜた映像作品、そして実験の成果物である3Dプリントの造形を展示します。

 次の部屋は和室で、二つの展示品が並んでいた。展示台の上には瓶に入った標本があり、台には説明を流すビデオ画面が流れていた。D-06の説明板には
 生命科学の最前線で行われている細胞の人工的合成と県北地域の発酵文化を「慰霊」をめぐって結びつけ、生命とは何かを問いかけます。手前の茶室は人工細胞と発酵微生物の慰霊空間となっており、架台にはスライドや資料に加え、ガラス壺に研究道具や微生物が収められています。左手奥の和室では、人工細胞関係者、地元の発酵・醸造・石材・慰霊碑関係者のインタビューが流れています。そして地元の方々の協力のもと、人工細胞と発酵微生物の慰霊碑が市内里美地区に恒久設置されました。生物学者・造形作家の岩崎(早稲田大学理工学術院教授)が主宰する生命美学のプラットフォームmetaPhorestのメンバーから齋藤帆奈、飯沢未央、切江志龍が参加しています。

 最後の展示室にはコンポストの発熱を使った二つの展示品があり、手前は微生物用の恒温器だったが、窓よりにはミツバチの巣箱で外からアクリルパイプを通してミツバチが出入りしていた。外の気温が下がって蜜を作るところを見ることは出来なかったが、D-04:ケアとコントロールのための容器の説明板
 西オーストラリア大学のバイオアート研究センターSymbioticaA創設者でディレクターのオロン・カッツ、彼とともにバイオアートの第一人者であるイオナ・ズール、アーティストで養蜂家のマイク・ビアンコが、県北地域の豊かな自然を生かし、2台の恒温器(一定温度に保つシステムをもつ容器)をアートとして運用します。一つは巣箱を備えたミツバチ用の恒温器。ミツバチたちが外界と行き来をしています。もう一つは微生物用の恒温器で、コンポスト(有機物を微生物の働きで分解する堆肥)の発熱で維持されます。培養ケースで実際の培養はせず、今後のためのプロトタイプの展示です。閉じた研究室にとどまらず、地域の生態系と関わっていく最先端のバイオアートの取り組みです。

 常陸太田市は県北アートフェスチバルに随分力を入れているようで、それぞれの展示場に多くの案内者、説明者が配置されていた。常陸太田北部の3地点は後回しになったが、お蔭様で充実した見学ができて大満足、買物もなしで我が家に直行した。

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