D112.県北アート・北茨城市と高萩市

1.動 機
 今回のアート巡りは、「D104.県北アートフェステイバル日立1」で見て歩いた日立市市街部を除いた、県北アートフェステイバルマップの海側の部分を全部歩いてしまおうと、往時のピークハンタの癖丸出しで二日間忙しく走り回ってきた。1日目は北茨城市の旧富士ヶ丘小学校、天心美術館、六角堂、ラジコンポートの4ヶ所と、高萩市の穂積家住宅を見て歩き、2日目は日立北部のうのしまヴィラと小貝ヶ浜に立寄り、高萩市の高土海岸前浜と小浜とを回って帰ってきた。これで海側では日立シビックセンタ天球劇場の映像A-08〜10を残すのみとなりました。

2.データ
a)山域:北茨城市、高萩市、日立市北部
b)登山日:2016/11/03(木)、11/06(日)
c)コースタイム:
11月3日:自宅9:45 = 10:55富士ヶ丘小学校(C-05,-06.-07.-08)11:55 = 12:05天心美術館(C-01.02、昼食)13:40 = 13:50六角堂(C-03,C-04)14:35 = 15:20ラジコンポート(C-09)15:30 = 15:45穂積家住宅(B-01,-02.-03.-04)16:25 = 17:45自宅
11月6日:自宅10:10 = 10:25うのしまヴィラ(A-03)10:40 = 10:50小貝浜(A-01,A-02)11:30 = 11:45高戸海岸前浜(B-05,B-06)11:55 = 12:00高戸海岸小浜(B-07) 12:20 = 12:50ラーメン屋(昼食)13:30 = 14:00自宅
d)同行者:和子
(県北アート・日立市・高萩市・北茨城市のアート展示場)

3.山行記録
3.1 一日目(11月3日)
 我家を10時前に発車して、海側の一般道を走って大津港駅付近から山側に向かって10km近く走ると、目の前に鷹ノ巣山の鋭鋒が見え、県北アートフェステイバルの幟が並んで立っていた。脇に入ると駐車場になっている広い運動場があり、その上に旧富士ヶ丘小学校の校舎が建っていた。
 正門前からの校舎も写真に残しておきたくて、駐車場から校門前に回ってシャッタを押してみた。逆光で少々苦しい。
(旧富士ヶ丘小学校体育館と鷹ノ巣山)
(旧富士ヶ丘小学校の正門)
 校舎内に入って階段を登っていくと、途中の壁には卒業記念に卒業生が創ったという絵が飾ってあった。小学校六年生でこんな細かい緻密な絵が描けるんだと驚きながら眺めた。
(生徒の作品)
(生徒の作品)
 階段の一段毎にいろんな図形の面積計算の公式や掛け算の数式、次の階段には単位の換算、足し算引き算の計算など書いてあり、毎日これを見ながら登っていたら良く覚えらたことでしょう。今時だと、マザコンから「危ないでしょ」とクレームがつく恐れがありそうですが。
 各教室にはそれぞれ違った現代アート作家が創った作品が展示されている。最初の広い教室の真ん中には机と椅子が積み重ねられていて、これで「昔は生徒が沢山いたのに今はいなくなった」ことを印象付けているらしい。
C-07:ケノプシア(人のいない空間)
 インドの作家、ミトゥ・センは、茨城県天心記念五浦美術館と、北茨城市の旧富士ケ丘小学校の二カ所で展示を行います。日本では人口が減り、廃校になる学校が次々と出てきていますが、インドでは人口が増え続けており、学校に行きたくても校舎が足りないという状況があります。芸術祭のリサーチのために県北地域を訪れたミトゥ・センは、その両者の現状の違いを見つめ、遠く離れた二つの国の空間を「子ども達がいる/いた場所」を媒介にして、一つにつなげようとします。かつて東洋思想の源流としてインドを捉え、幾度も旅し、またタゴールらと深い親交を結んだ岡倉天心の精神を受け取った作家が、旧富士ケ丘小学校を子ども達の声が聞こえる場所として再開します。
再開校のお知らせ
親愛なる茨城のみなさま
茨城県北茨城市の富士ケ丘小学校が9月17日に再び開校します。
ぜひお立ち会いいただき、今までになかった形で子どもたちの存在を感じ、彼らの声を聞いてください。
子どもたちを応援しに、ここへ来てください。
(勉強しながら階段登り)
(C-7:ケノプシア(人のいない空間))
 次の教室には、屋台車が一台置いてあって、「次はセブンスターと交換です」の札があり、「物々交換」の赤い旗が取り付けてあった。窓際には大きなスクリーンがあって、この屋台車を押して、物々交換をしながらあちこちを歩いていった映像が映し出されていた。物々交換をした人の顔写真が、屋台前や、教室の壁際、はては廊下や階段にもいっぱい並べられていた。
C-05:物々交換プロジェクト
 柚木恵介は、今夏約2ヶ月間をかけて、県北6市町を旅し、そこで出会った人々と物々交換を繰り返しました。これは2009年から継続中の、国内外各地で物々交換をしながら旅を続ける「物々交換プロジェクト」の一環で、住人や道行く人々を巻き込みながら、偶然が生み出すストーリーを記録し、作品化していくものです。わらしべ長者のように、交換するものがだんだん高価なものになっていく……というわけではありません。人と人が物を介して出会う過程で、物は「貨幣」の物差しから離れ、コミュニケーションの中から新しい価値を浮かび上がらせます。この状況そのものが、新しいアートの体験として提示されているのです。

 広い体育館に入ると暗幕が張られて暗くなっていて、真ん中に大きな空色の飛行船が吊り下げられていた。空色の機体にはなにか雲のようなものが流れていた。
C-08:今ここにある宙(そら)
 飛ぶ、浮かぶ、滑空するという感覚をテーマに、作品を作り続けてきた林剛人丸。今回、林は飛行船の形をした作品を富士ケ丘小学校の体育館に浮かべます。気体の入るエンベロープ部分には雲の流れる空の様子が映し出され、床には、飛行船に入りきらなかった空が散らばるように、空を撮影した写真が置かれています。会期中には、校庭で作家と共にキャンプをするイベントも開催されます。これらはみな、かつて多くの人たちが集まり、活動した学校施設での日々を追憶するための装置です。飛行船の空を見上げるとき、みなさんの心の中によみがえる感情や想いを、静かに味わってみてください。
(C-05:物々交換プロジェクト)
(C-08:今ここにある宙(そら))
 広い教室には、床一面に小さな紙片が敷き詰められていた。今までの見学者が「あの日、教室の窓から見ていた風景」を思い描いて色紙のチップを床に貼っていったものらしい。家や山の模型が並べられて学校周りの情景も作ったところもあり、和子も入口に置いてあった色紙を手に持って並べていた。
 これはHIBINO HOSPITALという東京芸大のアート集団が企画したもので、別の部屋に今まで20年近くの活動記録を多くの写真で示した70枚近くの説明紙が吊るしてあった。
C-06:HIBINO HOSPITAL(日比野美術研究室付属病院放送部)
 1999年より茨城県で継続してきたプロジェクト「HIBINO HOSPITAL(日比野美術研究室付属病院放送部)」の芸術祭版を開催します。インターネットが普及し始めたばかりの1999年当時は、ホームページを立ち上げ、月に 1 度オフラインパーティー(実際に顔を合わせてワークショップを行う)を実施しました。東京藝術大学の学生は「担当医」として様々な活動に関わり、参加者と対話しながら共同制作を行ってきました。今回の茨城県北芸術祭では、廃校になった小学校の教室を使って、学校の歴史や地域の特性をふまえた上で、「ここにどんなものがあったらいいか」を話し合い、藝大の学生20名と共に、段ボールを素材にした公開ワークショップを行います。
(C-06:HIBINO HOSPITAL)
(HIBINO HOSPITALの活動記録)
 富士ヶ丘小学校を出てから海側に戻り、次のアート展示場所の五浦天心美術館の駐車場に入った。
 駐車場から美術館に向かって幟の立ち並ぶ階段を上がっていくと、いい匂いを漂わせる屋台が立ち並んでいて、丁度昼食時、向かいのテントの休み場では屋台から買い入れた御馳走を美味しそうに頬張っているお客さんが大勢いた。アートフェステイバルも観光名所になった感じがした。
(天心美術館駐車場)
(屋台)
 美術館の前を通って入口に入ると、エントランスロビーに赤い大きなモニュメントがあった。このモニュメント、ゆっくりと回転しながら羽根(?)を上下に動かしている。どうでも茨城の特産のブタらしい。五浦美術館のHPには
美術館に巨大なブタが出現しました!韓国出身のアーティスト チェ・ジョンファさんの作品です。実はこのブタ、動きます!どんな動きをするのかは、来館してのお楽しみ。ぜひ間近でご覧ください。
(天心美術館)
(動くブタのモニュメント)
 展示室には、ここにも東京芸大のチームラボの作品が展示されていた。暗幕が張られた暗い部屋には、机の上に液体が入った器があり、明かりを受けて色々な花の模様が現れたり消えたりしている。
C-01:チームラボ 小さき無限に咲く花の、かそけき今を思うなりけり ほか
 チームラボは、茨城県天心記念五浦美術館にてKENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭特別展示「チームラボ 小さき無限に咲く花の、かそけき今を思うなりけり」を開催。新作「小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々」などデジタルアート8作品を展示します。
(C-01:小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々)
 チームラボの作品は次々展示されており、かわいらしい象さんの周りに、色々な動物や鳥たちが往き来する何かほのぼのとするような映像。
 何やら得体のしれない物体がうごめくように変化していく映像。
(Nirvana,6min)
(増殖する生命 II= A Whole Year per Hour, Dark)
 壁面全体をスクリーンにした室でも、変わった映像が映し出されていた。
(生命は生命の力で生きている)
(世界はこんなにもやさしく、うつくしい)
 天心記念室には、天心が日本画を描いていた部屋もあり、業績を示す書簡や遺品などが紹介され、天心の他に、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら五浦にいた作家たちの作品も展示されていて面白かったが、残念ながら撮影禁止。
(天心記念室)
(天心の経歴表示)
 天心美術館の駐車場を出て少し南下し、六角堂の駐車場に移動した。駐車場から六角堂入口に向かうと、途中に「天心先生の墓所」がありお参りする。小さな円墳の様な墓で、脇に平櫛田中先生御手植えの椿が植えられていた。
 六角堂入口門は風情のある鄙びた平屋の長屋門、懇切な説明を受けて中に入る。
(天心先生の墓所)
(六角堂入口長屋門)
 門をくぐってすぐ左手の茨大五浦美術文化研究所の天心記念館に入ると、大きな天心の胸像に迎えられ、展示室には釣りが趣味だった天心が釣竿を持って立つ姿、その後ろには天心が使っていた釣舟あった。有り難いことに、ここは撮影OK。
(岡倉天心胸像)
(釣り竿を持つ天心象)
 天心記念館から出て小道を下っていくと視界が開け、眼前に太平洋が広がり、右に旧天心邸があった。ここは立入禁止だが、その前の芝生の庭には銀色に光るアートが展示されていて、天心邸前から見たり、海側から眺めてみたり。
C-04:Artificial Rock No.109
 五浦海岸は、新天地を求めた晩年の岡倉天心がその後の拠点と定めた場所です。瞑想のための空間として構想された六角堂は、天心自らの設計によりこの地に建てられました。炭酸塩コンクリーションによる自然の奇岩が突き出た地形が、奇岩のあしらわれた中国の庭園を思わせるという理由から、天心に選ばれたのではないか、と言われています。そんな場所に展示しているのが、中国現代美術の代表的作家、ジャン・ワンの中国奇岩を象ったメタリックな彫刻作品です。この未来的な作品は、東洋の伝統に立脚しながらも、常に新しい表現へと向かった天心の精神を顕彰しています。
(C-04:Artificial Rock No.109;天心邸前から)
(C-04:Artificial Rock No.109;海側から天心邸を入れて)
 天心邸の左には「亜細亜は一な里」の石碑が立っていた。
「アジアはいつなり(ひとつなり)」 天心が没してから25年後、日中戦争が勃 発した。 「東洋の理想」の冒頭の言葉「Asia is one」は大東亜共栄圏という戦争遂行の理念の一つとして利用され、一躍世に広まった。そうした背景のもと、天心終焉の地・赤倉の土地保全のため、岡倉天心偉績顕彰会が昭和17年に設立された。これを機に五浦の土地建物が顕彰会に寄贈され、この碑が健立された。「亜細亜ハ一な里」の文字は横山大観が揮○し、横顔の浮き彫りは美術院同人の新海武蔵が制作した。

 天心邸から更に岬の先まで歩いていくと、天心自らが設計した六角堂がある。以前見た時は朱塗りの外壁が青い海に映えていたと思ったが、今はくすんだ板塀になっていた。。
(亜細亜は一つ)
(六角堂;海側から)
 説明員が熱心に説明してくれる。
 以前の六角堂は関東東北大震災で流されてしまったので、今年春に再建された。屋根瓦や外壁の色は、震災前というよりも明治38年の創建当時のもの。瓦は一般の瓦よりも小型で特殊な形をしており、瓦メーカの協力で再現できた。窓ガラスも明治38年創建当時のものを再現するために、特殊製法ができるイギリスに特注したとのこと。ガラスを通して中を覗くと、カラス面のゆがみで中のものが波立って見えていた。(海側のガラス窓は、太平洋を景観するためか平らな普通のガラスになっていた。)
 従前の床は畳敷だったと記憶するが、今は板張りになっていた。説明員に教えられて目を凝らすと、その板張りの境目から雑草が芽を出している。これもアートの造花だとのこと。床の間から伸びた朝顔の蔓からは花が咲いていた。
C-03:雑草
 明治時代、押し寄せる近代化の波にあらがい、日本近代美術を仲間とともに打ち立てた岡倉天心。美術行政家として辣腕をふるった雄々しいイメージで知られる一方、その著作『茶の本』には、「間」や「儚さ」といった、自然と調和し、ただそこに人やものがあることの、飾らない美学が表されています。この六角堂は、晩年の天心が瞑想のための場所として建てたものです。繊細な植物を彫刻する須田悦弘は、さりげなく佇む雑草と花の木彫をその中に配し、私たちをほっとさせるような、肩肘の張らない空間を表現しました。天心が慈しみ後世に遺そうとした東洋美の一端は、この展示空間に現れているのではないでしょうか。
(F-11:Life Record ー生成と生業)
(C-03:雑草)
 六角堂すぐ下の岩礁の上に白い石灯籠が立っていたが、これも大震災で流されたはずで、六角堂と一緒に再建されたものだろう。
 天心邸に引き返して、来た時と反対の道を辿って入口門に向かうと、遊歩道脇に白いハマギクや黄色いツワブキの花が咲いていて綺麗だった。天心もこれらの花を愛でたのだろうか。
(石灯籠)
(ハマギクとツワブキの花)
 次は北茨城市四つ目のアート展示ポイントのラジコンポートに向かった。ラジコンポートという名前は聞いたことがなくナビにもないが、アートフェステイバルのMAPに出ている場所をナビに入れて走る。五浦海岸から一旦高萩の街まで南下し、再び山側に向かって走って高萩ICを越えたところから山道に入っていくと、狭い脇道に道標が立っていた。狭い道で対向車が来たら大ごとだが、幸い何事もなく走って広いラジコンポートの広場が見えてきた。広場の周りをぐるりと回って、案内者に従って一番前に停めさせてもらう。道は一方通行になっていて、路側への縦列駐車が決まりになっていたのだ。
 この広場は近隣のラジコン愛好家の活動場所とのことで、「専用飛行場につき立入禁止」の立札が立っていた。
(路側駐車の烈)
(ラジコンポート立入禁止)
 広場の向こうを見ると、山裾に黄緑の線が一直線に伸びていた。説明員に促されて広場の中ほどまで出てみると、不思議な存在感がある。もっと暗くなって日没寸前が一番いい眺めになるとのこと。直線は40m以上あり、高さの誤差はわずか数センチとのこと。作家の感性と日本の職人さんの技術のなせる技とのことだったが、熱心に説明してくれる説明員もこの職人の一員だったのかも。
C-09:Untitled (kenpoku)
 キャンバスを超えて周囲の空間に広がるような作品を作ってきた、ピーター・フェルメーシュ。この作品は野原の中にまるで一本の線が引かれたように見える作品です。周囲の木々と山々、空と空気、そして作品が一体となった、壮大な風景をお楽しみください。
(C-09:Untitled (kenpoku))
 次のポイントは穂積家住宅。高萩のアート展示場所3ヶ所の一つで、高萩ICのすぐ海側にある。ラジコンポートを出てすぐに穂積家住宅の駐車場に到着した。
 穂積家は農業、酒造、造林などで財をなし、松岡藩主で水戸藩家老の中山家から苗字帯刀を許された旧家の屋敷、市指定文化財で県指定有形文化財にもなっているらしい。駐車場からお城の塀みたいな瓦屋根を持つ塀際を歩いていくと、二階構造の立派な長屋門があり、ここが穂積家への入口だった。
 門を入ると、庭の奥に萱葺きの母屋が見えていたが、順路は庭の中を右に歩くようになっていた。
(穂積家住宅 長屋門入口)
(茅葺き屋根の母屋)
 穂積家の庭園は高萩市の文化財にもなっていて、広い豪勢な日本庭園はこれを歩くだけでも価値がありそうだ。
 庭園の中には、変形した瓦の様に曲がりくねった青と白のアート作品がこんもりと盛られていた。
(庭園)
(アート作品)
 その近くには色違いの破片も盛られていたが、更に先にいくと、もっとたくさんの破片(?)が盛られたアートがあり、穂積家母屋や蔵との調和が良かった。そばにB-3の説明板が立っていた。
B-03:pearl blueの襞 ー空へ・ソラからー
 穂積家住宅の伝統的な日本庭園に集合・散在する柔らかな襞の彫刻は、陶芸家、伊藤公象によって「多軟面体」と名付けられたものです。陶磁土の塊を薄くスライスして即興的に曲げる手作業で作られた3000ピースの多軟面体は、自然界に属するものの中にまったく同一のかたちが存在しないように、それぞれ違った形状をしています。表面に塗られたパール・ブルーの釉薬により、彫刻が持つたくさんの曲面は、ふりそそぐ太陽光を乱反射させていきます。土という大地のエネルギーを内包する陶器の彫刻が、光という空からのエネルギーを周囲にまき散らす様子は、単なる「もの」の展示を超え、宇宙規模の生命の交感を感じさせます。
(B-03:pearl blueの襞 ー空へ・ソラから)
 一回りして母屋の表に戻ると、縁側から中に入るようになっていた。行列が出来ていて、7,8名づつ順番に中に入ることができる決まりになっていた。障子戸の向こうは期間限定の古民家レストランになっていて、賑やかな会話も聞こえてくるようだった。
 順番が来て、先の人が脱いだスリッパを履いて縁側に上がる。廊下の壁には市内の小学生が創った生花の写真がいっぱい貼ってあって場違いの感じがした。
(御母屋へ縁側から入る)
(廊下)
 その奥の部屋は暗くなっていて、目が慣れてくると砂山の上に一輪の花が立てられているのが見えてきた。
B-02:天を仰ぎ 地に立つ 者として
 華道家である上野雄次は、自身の表現である「生け花」について考えたことをインスタレーションとして視覚化しました。それは本質的な地球のバランスを考えるものです。土は下方へ引っ張られる重力を意味し、花は天から降り注ぐ太陽の力によって上昇する生命の力を意味しています。「天」と「地」、これら2つの力の間にある花は、大きな力の関係性の中で生きている私たち自身のメタファーでもあります。この花は3Dプリンタで出力されたものです。エネルギーを失ったものに「立つ」状態を与えることで、命の象徴としての花の形がいっそう際立つのです。
この3Dプリンターを使ったいけばなは、イスラエルのアーティスト Maya Ben David 氏のアイデアを基に、上野氏、Maya氏が協働して実現しました。改めて Maya Ben David 氏に敬意を表します。
 この作者は前衛的な生花の指導も行っていて、高萩の小学生にも指導をしたことがあって、廊下に貼ってあった写真はその時に小学生が創った生花の写真だったらしい。
(B-02:天を仰ぎ 地に立つ 者として)
 反対側に回って階段を上がると、初代穂積家当主の肖像画のある部屋があり、中に入ると飾り物、骨董品、アシカの頭蓋骨、造形、色紙、実験器具など色々なものが展示されていた。
B-01:紅毛先生の驚異の部屋
 この穂積家住宅の主には、オランダ人医師の友人がいた……という架空の設定を、フランス出身のアーティストであるサンドリーヌ・ルケは考えています。彼女は県北地域のリサーチを通して、妖怪、見世物小屋、蘭学など江戸時代の様々な文化的側面を考察。そして、そのオランダ人医師が集めたと推測されるものを陳列する部屋を作りました。これは、西洋で15世紀から18世紀にかけて王侯貴族や学者たちの間で盛んに作られた博物陳列室「驚異の部屋」の伝統を下敷きにしたものです。現実のものが儀式の中で変形・変質することに興味を持ち、世界中の伝承や神話に共通して見られる原形のような図像を研究しているルケの、時空間を旅する好奇心がここに結実しています。
(B-01:紅毛先生の驚異の部屋)
 母屋の外に出て別棟の蔵に入ると、薄暗い部屋いっぱいに、細い銅のような帯を折り曲げながら創ったものが幕のようになってぶら下がっていた。その気になって良く見ると、その中に人の顔のように見えるところがあった。
B-04:ウェブ・オブ・ライフ
 世間に流通している顔や身体の理想化されたステレオタイプに疑問を持ち、現実にいる人間の顔をしたヴィーナス像などを制作してきたデビー・ハン。近年は、どのような社会・文化のバックグラウンドがあろうとも、人間の根源的な感情は世界に共通するものとして、それを形にする試みを始めています。アルミニウムの細い紐で作られた網状のものに近づいてよく見てみると、それらがさまざまな表情の人間の顔であることがわかります。どこか気味悪いイメージと共に、人類全体に通じる笑い、悲しみ、驚きなどの純粋な感情を、ダイレクトに感じることができるでしょう。

(B-04:ウェブ・オブ・ライフ)
 もう16時半、そろそろ暗くなり始めたので、今日のアート見学はここで終わりにして、高萩の残り2地点は日立北部の2地点と一緒にあらためて見に来ることにした。

3.2 二日目(11月6日)
自宅10:10 = 10:25うのしまヴィラ(A-03)10:40 = 10:50小貝浜(A-01,A-02)11:30 = 11:45高戸海岸前浜(B-05,B-06)11:55 = 12:00高戸海岸小浜(B-07) 12:20 = 12:50中華ラーメン店(昼食)13:30 = 14:00自宅
 10時過ぎに我が家を出発して、海側の国道を北上して、うのしまヴィラの駐車場に入った。
 ここのアートは右側の「ユズリハhouse1F」に展示されていた。中に入ると、たくさんのガラスケースが並べられていて、一つ一つにお城など世界各地の名所を象ったガラス細工を背負った巻貝が入っていた。
(うのしまヴィラ)
(ユズリハハウス)
 水の入った水槽には、このガラスの巻貝の中に入ったヤドカリが、ガラス細工を背負ってゆるゆると動いていた。面白い自慢げな面構え。 
A-03:やどかりに「やど」をわたしてみる ーBorderー
 やどかりはその成長にともない、より大きな貝殻へと引っ越しを行います。そして時には、力の強い別のやどかりによって殻の交換を強いられることもあります。AKI INOMATAは、2009年の在日仏大使館での展覧会をきっかけに、自ら制作した殻へと、やどかりに引越ししてもらうプロジェクトを始めました。やどかりが背負っていた貝殻をCTスキャンし、そのデータを元に3Dプリンタで出力した人工の殻の上部には、ニューヨークのマンハッタンなど、世界各地の都市を模した形が彫刻されています。殻から殻へと引っ越すことで、その見た目を大きく変えてしまうやどかりを通して、作家は「私たち自身のアイデンティティが何処にあるのか?」を問いかけています。
(A-03:やどかりに「やど」をわたしてみる)
 次はの小貝ヶ浜の駐車場に移動して、旧美容院の虚舟ミュージアムに入った。常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」があったとのことで、これに関する資料が色々と展示されていた。UFOを見たという新聞記事や虚ろ舟に関する記事など盛り沢山、入口で借りた管内案内板を見ると展示品一覧を見ることができます。
A-02:うつろ舟ミニ博物館
 宇宙に大きな興味を寄せ、様々な作品を作るだけでなく、宇宙にまつわる国際シンポジウムを開催するなど、活発な活動を行ってきたヴェンザ・クリスト。県北地域において、彼は江戸時代に常陸の国へ流れ着いたという謎の舟、「うつろ舟」伝説をリサーチしました。正体不明の文字が表面に書かれ、中から異国の女性が出てきたと伝えられるこの舟は、まるで円盤形UFOのような形で古文書に描かれています。クリストは資料や本を分析、またUFOを目撃した茨城県在住の人々にインタビューし、うつろ舟の存在を考察します。
(UFOが描かれた古文書)
(A-02:うつろ舟)
 次のアートは、うのしまヴィラの横の海岸縁を歩いていって太鼓橋を渡ったところにある小貝ヶ浜緑地の中にある。
(太鼓橋渡って)
(小貝ヶ浜緑地)
 緑地に入ってすぐに右の松林の中に、丸太を組んだ大きな鳥の巣の様な形をしたアートが見えてきた。なんだか常陸太田のパルテイ―ホールで見た”常陸のおお田守る竜神の像”と感じが似ているなと思って、アートに近づいて説明板を見てみると、やはり作者は同じ國安孝昌さんだった。
A-01:朝日立つ浜の産土神の御座(あさひたつはまのうぶすながみのみざ)
 國安孝昌の《朝日立つ浜の産土神の御座(あさひたつはまのうぶすながみのみざ)》は、山側地域にあるパルティホールに設置された《常陸のおお田守る竜神》と対になる作品です。國安はたった一人で制作作業を行い、丸太150本、陶ブロック3000個、スチールパイプ40本を木立の間に組み上げました。浜から上る「朝日」と地名の「日立」をかけ、土地の守り神である「産土神」の居場所を意味するタイトルとしています。そこに込められた意味の通り、地域の人々の祈りの依り代となる作品であり、その祈りは宗教や美術などの制度を超えた、シンプルで力強い原初の情動を指しています。
(A-01:朝日立つ浜の産土神の御座)
 緑地公園の遊歩道を少し奥まで歩いていくと、二見島という立札が立っていて、断崖の下に二つの小さな島が見えていた。
 二見島を見たところで引返し、小貝ヶ浜の駐車場から高萩の高土海岸前浜の駐車場に入る。すぐ脇の砂浜の中にハマギクの花壇があり、「里浜づくり 高萩市立東小学校」の立札が立っていた。
(二見島)
(ハマギクの花壇)
 青空を描いた大きなカンバスが砂浜に展示されている。次々とやってくる人が、カンバスをバックに写真を撮っている。これがアートB-03の「落ちてきた青空」だった。
B-05:落ちてきた空
 雄大な海を背景に空が砂浜に突き刺さるイリヤ&エミリア・カバコフの《落ちてきた空》(1995/2016)。その解説文を読むと「昔、ある航空マニアの、部屋全体に空の絵の描かれていた建物が、台風によって吹き飛ばされた」とあります。本当にそのような人物がいたのかどうか? その台風によって吹き飛ばされた部屋の一部が海岸に落ちてきたのは本当の話なのか?・・・と疑問は尽きません。それが真実であれ作り話であれ、この作品は、不思議なストーリーの余韻と共に、私たちの生きる星の大地と海洋、大気の流れのダイナミクスを、美しい風景の中で感じさせてくれます。
(B-05:落ちてきた空)
 河口の向こう側はテトラポッドで護岸されていて、その黒っぽくなったコンクリートのテトラポッドの間に置かれた、数個の黄色や赤のテトラポッドがあって目立っていた。これもアート作品だった。
B-06:テトラパッド
 英国在住のアーティスト、ニティパク・サムセンが、リサーチで訪れた県北地域でもっとも興味を持ったものが消波ブロックです(消波ブロックは一般に「テトラポッド」と呼ばれています)。景観を破壊すると議論のある消波ブロックですが、サムセンはその形をユーモラスなものとして捉え、ビーチボールのような素材で作ったカラフルな作品制作を模索しました。無表情な工業製品に色が与えられる時、軽快な印象とともに海辺の風景が変わるのを感じるでしょう。(当初触れられる作品として計画されましたが、安全性を考慮し鑑賞のみとさせていただきます。ご了承ください。)
(B-06:テトラパッド)
 前浜の駐車場の山側には広大な太陽光発電のパネルが広がっていた。
 前浜から小浜の駐車場に移動すると、「日本の渚百選・高戸小浜海岸」の標識が立っていて、その後ろに松の木と小さな島が見えていた。
(広大な太陽光発電所)
(日本の渚百選標識
 海岸沿いに敷石が敷き詰められた広場に、貝殻の下から人の手の指がのぞいている気持ちの悪いアートが展示されていた。
B-07:ソウル・シェルター
 ソウル・シェルター=「魂の殻」と名付けられたこの彫刻作品は、貝殻の中から人の指が突き出た形をしています。一見、不気味にも感じられますが、スッシリー・プイオックは、この作品に、仮の宿に住まう人間の努力や生命力、そして「新しい肉体」への魂の旅という意味を込めました。常に自然と人間の関係を問い直してきたプイオックは、環境とともに生きるすべての生き物たちの人生を見つめようとしているのです。「日本の渚100選」にも選ばれた高戸小浜で、いのちへの想いはいっそう美しく、重みをもって感じられるでしょう。

 ソウルシェルターを見て、護岸を進むと向こうの小島との間が干潮になった今は歩いて渡れるようになっていた。多くの人が向うから帰って来るのを見ると、私も渡ってみたくなる。
(B-07:ソウル・シェルター)
(浅瀬を渡る人たち)
 私の足腰を心配する和子の反対を押し切って浅瀬を渡ると、島の山に登る道は立入禁止となっていた。左側の岩だらけの浜を歩いていくと、行く手に小高い岩壁が立ちはだかった。
 踏み跡が階段状に出来ていたので攀じ登ってみると、岩壁の向こうも岩壁で行止まり、太平洋の荒波が打ち寄せていた。これを見たことに満足して引返すことにした。
(行く手に岩壁)
(岩壁に打ち寄せる白波)
 県北の海側のアート展示場所を全部歩いたことに満足して、途中のラーメン屋に入って美味しく頂いて我が家に帰ってきました。


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