d)同行者:和子
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(No.024 うりづらロマンロード) |
3.山行記録
昼過ぎに我家を出て、常陸太田のレストランでランチを食べ、久慈川を渡って那珂市北端にある八重桜の名所静峰ふるさと公園に着いたのは14時過ぎだった。12月に入ると16時半ごろには日が暮れるので、許されるのは2時間半、静峰公園は後回しにしてすぐに古徳沼に向かって歩き始めた。
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(静峰ふるさと公園駐車場) | (車道に出て) |
国道沿いの右に大きな綺麗な池があり、ヘルスロードのマップには静溜池となっている。湖面にはたくさんの水鳥が泳いでいるが、白鳥の姿はない。古徳沼に近いのだから、ここにも白鳥がやって来てもよさそうなものだが、車の往来が多い県道のすぐ傍だからだろうか。
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(静溜池) |
しばらく静溜池を眺めながら池畔の説明板を読んだりして、県道から右に別れて古徳沼への道に入った。私が土手に上がって溜池を眺めながら歩いたら、和子は「腰を痛めるから止しなさいよ」と言っておかんむり。
溜池の端に来ると、右に別れる道に「監物の墓」の道標があったが、これは帰りに歩くことにして古徳沼にまっすぐ進んだ。
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(溜池の脇の道) | (溜池端・監物の墓分岐を見送る) |
やがて緩やかな坂道になり、最高点に「玉栗坂」の標柱が立っていた。峠の両方の坂を玉栗坂と呼ぶらしい。
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(古徳沼に向かう坂道) | (玉栗坂の峠) |
林の間の玉栗坂を下っていくと、左の林が尽きて視界が広がって、高鈴山から奥久慈の山までずらりと並んだ山並みを眺めることが出来た。
その先に部落が見えてきたが、最初の民家の玄関前でワンちゃんが尻尾を振りながら盛んに吠えかかる。歩く人が少ないので、寂しくて歓迎してくれているのか。
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(高鈴山) | (ワンちゃんご機嫌) |
左に部落を見ながら歩いていって、林をぐるりと回り込むと古徳沼が見えてきた。四阿のある展望所があり、数人の人がベンチに座って池を眺めながら何やら話し合っていた。
岸辺に上がってみると、カモなど多くの水鳥に混じって真っ白い白鳥が何羽も泳いでいた。
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(古徳沼展望所) | (白鳥がいた) |
展望所の右の方で、一人の男性が食パンを千切りながら池に向かって投げており、その前に多くの水鳥がウジャウジャと集まっていた。
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(白鳥と多くの水鳥たち) |
男性はパンくずを白鳥に向かって投げるが、なかなか上手くいかず、すばっしこい水鳥がそれを競って横取りしてしまう。上手く目の前に落ちたパンくずは白鳥も口にすることができ、その時は男性も嬉しそうに「よしよし」と声をかけていた。
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(パンくずを争う) | (猫も参戦) |
岸辺には古徳沼で越冬する水鳥の説明図が立っていた。白鳥にはオオハクチョウとコハクチョウとがあり、カモにはもっと多くの種類があるようだが、泳いでいる水鳥を見て私に見分けられるわけがない。
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(越冬する水鳥図鑑) |
十数羽の白鳥を見ることができて満足して引き返し、玉栗坂を越えて静溜池の手前まで来ると、右に分かれ道があって案内板が立っていた。この道は静古徳古道と言って古徳沼につながる1.3kmの道だが、山道のようなので古徳沼に行くとき気が付いていても、この道は選ばなかっただろう。元気なときなら喜んで歩いたかもしれないが。
溜池まで来ると「斎藤監物の墓」の道標があり、岸沿いの道を歩いて楽にいけそうだ。
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(静古徳古道道標と案内図) | (監物の墓分岐道標) |
岸辺にはススキが続き、白い穂並みが逆光を受けて綺麗、何度もシャッタを押した。
ススキとは少し違う穂があったが、どこでも繁茂して嫌われ者の外来種セイダカアワダチソウだと思われた。
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(ススキの穂) | (セイタカアワダチソウの穂) |
溜池を過ぎたすぐのところに左の分かれ道があり、「うりづらロマンロード」と一緒に「斎藤監物の墓」の白い道標が立っていて、その先には鳥居が見えていた。お墓に鳥居?
鳥居の手前に「斎藤監物の墓」の道標があるので、鳥居の奥が墓への寄り道で、道をそのまま歩くのが「うりづらロマンロード」らしい。
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(分岐Bを曲がって) | (斎藤監物の墓の前に鳥居) |
階段を登って鳥居をくぐっていくと、周りが真新しい石で囲まれた監物の墓が左にあり、右にはそれより大きな墓が並んだ墓地があった。こちらの墓石にはどれにも斎藤の姓が彫られており、斎藤家本家筋の墓地と思われ、監物の墓の左の方にも多くの斎藤姓の墓が見られた
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(斎藤監物の墓) | (斎藤家の墓) |
鳥居の下には「斎藤監物の墓」の詳しい由来書が立っていた。監物は天下国家を論じて、桜田門外の変に参加した水戸藩士、生家が静神社神官の家だったので、この地にお墓があるらしい。
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(斎藤監物の人物像) |
監物の墓から静溜池に引返し、岸辺を歩いて静峰ふるさと公園に戻って、すこし公園内を散歩した。駐車場下の水鳥の池に下って蓮が繁茂する池を見ながら歩いて対岸を行くと、水上ステージに行く細長い池があったが、そのまま通り越した。
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(静峰公園の水鳥の池) | (水上ステージ前の池) |
上に見える八重桜の園にも寄らないで、水鳥の池の畔を歩いて駐車場に戻った。
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(八重桜の園) | (駐車場へ) |
駐車場に戻ると、ここから先のポイントは車に乗って見て廻る。最初の「静の椋の木」は、ふるさと公園のすぐ先で県道から左に別れる道沿いにあるらしい。分かれ道に入って、大きな木を探しながらしばらく走ったが、それらしい木は見当たらない。奥に入り過ぎたと思ってUターンして、庭におられたご婦人に訊いてやっと椋の木に出合えた。民家の間の狭い道を入っていくと、広い畑地の向こうのお宮に脇に、三本に枝張りした、いかにも古木らしい大きな樹が見えていた。
近づいてみると、もう枯れてしまっているような樹皮をしていて、いかにも古木らしい風情、前には県指定天然記念物の説明板が立っていた。樹令900年余とのことだが、写真をクリックすると説明板を読むことができます。
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(静の椋の木) | (椋の木の説明板) |
裏に回って全体像の写真を撮ってみたが、後ろの木が大きすぎて、良い出来とは言い難い写真になった。
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(裏側から見た椋の木) |
次は静駅前で曲った先にある弘願寺。道沿いに「聴くだけ観音」の赤い旗が立つていて、対の仁王様に守られた立派な構えの山門があった。その前を通ったところに車を停めて山門をくぐった。
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(弘願寺山門) |
参道沿いに「観音堂」「弁天堂」「薬師堂」と続き、
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(観音堂) | (弁天堂・薬師堂) |
突き当りに「本堂」があって、それぞれシャッタを押しながら歩いた。
本堂の左に参拝順路の案内板が立っていて、写真を撮ってきた順番と違っていて、見ていない「くすぐり地蔵」があるようだったが、暗くなってきたのでそのまま車に引き返した。「くすぐり地蔵」は、自分が病んでいる体と同じ地蔵の部位をくすぐると、身代わりになってくださって病が治るという有り難い地蔵さんだったらしい。地蔵さんの腰をさすってくればよかった。無信心者は駄目ですねえ。
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(本堂) | (案内板) |
次は常福寺。弘願寺から引返して走っていった県道61沿いに、「常福寺」の石柱が立っており、大きく立派な常福寺の楼門が建っていた。その脇に狭い駐車場所があったので車を入れたが、多くの車が楼門の横を通って奥に入っていった。
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(常福寺楼門) |
常福寺が建つ敷地は瓜連城跡で、両方の由来を書いた大きな説明板が立っていた。
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(常福寺由来書) |
常福寺に着いたのは16時45分、既に暗くなっていて、境内には照明の灯りが点いていた。楼門に続く参道奥の境内には、暗がりの中に鐘楼、開山堂、唐門、蓮華院の建物が建っているのを、その灯りによってなんとか見ることができた。
参道の突き当りには山門(唐門)があり、その奥に本堂が見えていた。
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(鐘楼・開山堂・唐門・蓮華院) | (唐門の奥に本堂) |
楼門の脇を通った車道は唐門の奥まで続いて、本堂前には駐車場があって多くの車が停まっていた。流石の名刹、この時間まで参拝者がお参りに来るのかと思ったが、本堂の左の敷地に明るい保育園が建っていて、今丁度閉園時間、嬉しそうにお母さんの手を繋ぐ園児の姿があった。駐車場の車の主は園児を迎えにきた父母達だった。
保育園の本堂寄りには、これまた立派な造りの鐘楼が建っていた。
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(保育園) | (鐘楼) |
帰りは唐門の反対側を歩いていくと、脇に大きな水子地蔵さんが立っていらっしゃるのが見られた。
楼門近くまで来ると、楼門の上に三日月がくっきりと見えていて、綺麗な光景に思わずシャッタを押した。
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(水子地蔵) | (楼門の上に三日月) |
終りの二つのお寺さんはゆっくりお参りする時間もなく、駆け足のお散歩になったが、これで一応ヘルスロードNo.024を回ったことにして家路についた。