E75.日立BRTのJR跨線橋工事(2)

1.動 機
 4月に報告した去年の9月から進行中のBRT跨線橋工事の続編です。我家からも見え工事内容も判らないので、ついつい撮りためた記録写真を報告します。近所の計算センタ(IDS)が東北大地震の被害で移転し、今年4月から撤去され始め、跡地にアパートの建設工事が始まった。跨線橋は工事内容がよく判らないので進行が遅く見えてじれったい感じもするが、こちらは工事内容がよく判るのですごく速く見える。

2.データ
a)山域:大甕駅北部JR線跨線橋、
b)撮影日:2017/4/16〜7/30
c)我家近くの工事現場:
(近所の工事場所:BRT跨線橋、IDS敷地跡)

3.山行記録
3.1 JR跨線橋BRT工事
 日立市のHPをみると、平成27年2月21日の報告として、
    平成25年3月に第1期区間(おさかなセンターから大甕駅東口までの約3.2キロメートル)で運行を開始しました『ひたちBRT』について、更なる利便性向上のため、第2期区間(大甕駅西口から常陸多賀駅西口までの約6.2キロメートル)の整備を行います。
 の概要説明と、下の計画図が出ていた。29年度中に運行予定とのこと。
ひたちBRT第2期区間概要図:日立市HP)

 JR跨線橋部分については、BRT広報紙『まちづくりかわら版』第5号に説明図があった。脚長62m、全幅15.7m(BRTバス専用4m、歩行者用2.7m、一般車両用7m)とあり、バス専用路に歩道が付いたBRT道路と、一般車両用の複線路が一緒にJR常磐線を跨がせるので、特に幅が広い巨大な橋になっている。

総巾 15700
(跨線橋計画図:ひたちBRTかわら版5号)

 前報告E41では、仮設台の上で橋本体が作られて2月に橋脚の上に移動され始め、4月初めに仮設台が取り壊され始めたところまでだったが、今回はその後の状況です。作業はJR線に電車が通らない深夜だけの作業なので、明るくなってから眺める我々には結果が見えるだけで作業内容は判らない。
 4月16日には橋体の南北両橋脚の上までの移動が終わっていた。この間に、橋の手前にあった測量設計会社の建物が撤去されたので、橋全体を一目で見ることができるようになっていた。
(4月16日には橋体の水平移動完了)
(4月16日、北橋脚付近拡大)
(4月16日、南橋脚付近拡大)
 その後、橋体の端部に何やら構築物が組み上げられていった。
(橋体端部に構築物:4月21日)
 その構築物に赤い筒が取り付けられ、それを貫通する長いネジ棒?が取り付けられた。
(構築物に長いネジ棒?:4月25日)
 0時過ぎに何度か起きだして見たことがあるが、何人もの作業者が構築物の上や橋体の下などで大きな声で合図しながら何やら作業していた。構築物はネジ棒(油圧式かも)で橋体を一時的に持ち上げて、橋脚との間の挟み物を取り外していたのかと思う。
(夜間作業:5月17日)
 一カ月も経った5月20日の写真を見ると、夜間取り外した部品がレッカーでおろされており、さもずいぶん下げられていることが分かる。
(橋体が大分下がってきた:5月20日)
 6月6日には正規位置まで下げられて、吊り上げ用ネジ棒や構築物は取り外されてきた。
(橋体さが正規高さまで下げられて構築物撤去:6月6日)
 跨線橋周りをぐるりと回る足慣らしコースを歩いていて踏切にさしかかった時、タイミングよく正規さになった跨線橋下を通過する特急列車の写真を撮ることができた。
(正規高さの跨線橋下を通過する列車:6月6日)
 6月14日には北側の橋体先端部分や仮設架台の上台が取り外されており、南側の橋体先端部分の取り外し作業中だった。
(用済みになった先端部分や仮設架台は撤去されていく:6月14日)
 6月28日に跨線橋一周足慣らしコースを歩いている途中、我が家の線路の反対側付近から見上げると、北側橋脚部分がスッキリと良く見える。
(我家の線路反対側から北側橋脚部:6月28日)
 近所のOmさん宅の裏庭側から眺めると、南側橋脚と橋体端部が良く見え、15.7mの橋の広さが実感される。BRTバスだけなら大した橋はいらないが、日立市内で渋滞が酷い一般車両用の道も一緒に通そうとするので大規模な橋になったのだ。
(近所の庭から南側橋脚部:6月28日)
 7月12日には北側の緑色の仮設架台は完全に取り払われ、いよいよこの上に跨線橋に取付く坂道が造られていくのだろうと思っていた。
(仮設架台の鉄材部撤去完了:7月12日)
 ところがコンクリートの土台の上に作業車が乗せられて、ガリガリギシギシ大きな音をさせてコンクリートを切り始めた。うるさい日が何日も続いていたが7月30日には跡形もなくなっていた。
 実は橋体は外郭だけ、8月いっぱい橋体の上に、BRTバス道路、歩道、一般車用複線路に仕切られ舗装がされて、やっと跨線橋が完成に至るらしい.毎夜橋の上に明るい光が点いているが、下からではどんな作業をしているかを見ることが出来ない。
(架台のコンクリート部も撤去完了:7月30日)
 7月30日足慣らしコースの踏切りのところから南側橋脚部分を眺めると、橋脚の間に何か作る段取りが進んでいるように見えた。こちら側は一般車両用の道路がないので、北側とは段取りが違うのかも。
 『まちづくりかわら版』第6号をみると、工事進行中の大甕駅西口新設長引くので、30年春から31年春までは大甕北通りからR245に出て大甕大沼線で水木駅跡に戻る迂回路を通るらしい。この橋を車が通るのは一年半も先の話になっていた。元気にその光景を見上げることができるかなあ。
(橋体部分完成:7月30日)

3.1 アパート新築工事
 我家へ来る人の目印になっていたIDS(茨城情報計算センタ)の3階建のビルが東北大地震で屋上から雨漏りが始まり、対策工事もうまくいかなくて、数年は2階までで仕事を続けていたが、近くに新ビルを建てて移っていった。一年近く空き家になっていたが、今年始め宅建会社から「IDSと建設設計会社のビルを壊して跡地に集合住宅6棟を建てる」とのちらしが廻った。
 4月初めからIDSが壊され始め、巨大なハサミを持った建設機械二台でまず二階、三階の床が壊され、その後天井を噛みとってそのまま下に落とすものだから凄い轟音と震動、IDSすぐ前の家のYoさんが市役所の窓口に行って申し入れしたが、そのまま何も役所からの動きはなかったという。証拠書類を残した方が効果があるだろうと、私が建設指導課にメールで対策をするよう申し入れしたら、すぐに担当者がやってきて、宅建会社、撤去請負業者、Yoさん、私と五者会談が開かれた。その後工事方法が変わったかどうかは?
(IDS建屋解体開始:4月12日)
 4月26日には床部分の解体がほぼ終わっていて、月末には外壁の解体が始まっていた。
(床天井部解体ほぼ完了:4月26日)
(外壁解体中:4月29日)
 その後一か月、5月末には建屋の解体撤去はほぼ完了、これから整地されると思っていたら、
(解体残材搬出も完了:5月27日)
 6月に入ると下の基礎の撤去が始まった。そう言えばお役所の人が「基礎の撤去になるともっと大きな振動が出るよ」と言っていたが、これだったのだ。ガンガン叩いて壊すのではないので、天井落としほどの大きな振動は感じなかった。
(基礎も解体撤去:6月5日)
 6月末には基礎撤去は完了し整地も行われた。
(基礎解体撤去も完了:6月28日)
 整地が終わった7月初めにはすぐに集合住宅の基礎がつくられ始めた。
(建屋基礎:7月12日)
 7月末にはもう2棟の建物の外郭が出来上がっていた。4月初めから4カ月でもうここまで進んでいる。JRと日立市役所との訳のわからないBBRT跨線橋工事に比べて物凄く早く感じられる。IDS跡地に5棟、測量設計会社跡地に少し大きな建物を1棟建てる計画とのこと。
(建屋外郭:7月30日)

 

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