E101-5.瀬戸内海と世界遺産3ヶ所を巡るクルーズ
(5日目:瀬戸内海)

 今回は5日目の瀬戸内海観光時、三つの大橋を通過する時に撮った写真を紹介します。デイナータイムには二人が来春迎える金婚式の前祝いもやってもらった。

b)登山日:2017/10/08(日)
c)旅程:
 10月4日:森山町出発=(マイカー)= 大洗港= (日本丸クルーズ)
 10月5日:新宮港着= オプションツアー語りべと巡る熊野古道伊勢路 = (日本丸)
 10月6日:宮之浦港着 = オプションツアー屋久島半日観光 = (日本丸)
 10月7日:青方港着 = オプションツアー上五島写真家同行ツアー = (日本丸)
 10月8日:日本丸船上から瀬戸内海観光
 10月9日:(日本丸)=大洗港着=(マイカー)= 森山町帰着
d)同行者:旅行参加者370名、和子
(世界遺産クルーズ観光ポイント)

3.山行記録
3.5 五日目ー10月8日(瀬戸内海観光)
 今日は瀬戸内海を航行、夜明けから日没まで一日中瀬戸内海を観光した。瀬戸大橋と明石大橋通過時には、昨日のツアーに同行してもらった写真家中村さんのご指導もあった。今日の記録を纏める段階で、撮影した写真が何処を撮ったのか判らず時間がかかった。ポケナビを流しておけば良かったと思ったが、後の祭り。

6:10日の出 =9:15しまなみ街道通過 = 11:15瀬戸大橋 = 15:15明石大橋通過 = 17:30日没 = 17:30デイナータイム19:10

(瀬戸内海観光ポイント)
 目が覚めた時には既に関門海峡を通過していて、空は雲に覆われていた。日の出を拝むことは出来なかったが、ところどころの雲間から朝焼けが漏れていた。朝焼けの手前に大きな山が見えていて、四国の山だと思ってシャッタを押したが、九州の大分県国後半島の両子山らしかった。
 やがてデッキでおはよう体操が始まり、周りの島々を眺めながらみんなと一緒に気持ちいい朝の運動ができた。
(朝焼けと両子山)
(おはよう体操)
 やがてい山の真上から朝日が射すようになり、格好いいと思ってシャッタを押した。これは四国松山近くの高縄山だったようだ。
 太陽が明るくなって、朝食前の最後の写真を撮ってからダイニングルームに入った。
(四国の山?)
(お日様バンザイ)
 やがて四国近海を離れ、大三島と大崎上島との間を通って広島県沿岸に向かった。
(大崎上島)
 竹原が左に見えてきたところで、左に曲がって呉線の通る沿岸沿いを航行し、見近に感じられる忠海や三原の沿岸を行ってくれるので嬉しい。
 しばらくすると大きな造船所が見えてきた。クレーンの大きな横梁に、真新しい赤い「IMABARI SHIPBUIDUDING」の表示があった。ここは広島県、四国の都市の名前があるのは変だなと思ったら、三原の造船所が3年前今治造船に吸収合併されとの案内があった。
(竹原)
(今治造船広島工場)
 すぐに懐かしい三原の街と港が見えてきた。故郷の久井村からバスに乗って、バスがはみ出しそうな狭いくねくねの峠道を、怖い思いをしながら越えて出てきたことがあるが、育った家も無くなり長いこと不義理をしているので、どの尾根だったのか定かでなくなっていた。
 この港から義母の故郷だった因島まで何度か渡ったことがあるが、当時もこんなに大きな港だったのかなあ。
(三原港)
 三原港を過ぎると、海水浴をしたことのある須波港や、山陽本線乗換をした糸崎港が見え、丁度通りかかった船と一緒に写真を撮った。瀬戸内海は船による運搬が物資輸送のメインのようで、ここまでも貨物船に度々出会ってきた。
(須波港)
(糸崎港)
(船の往来多くなる)
 間もなく尾道の街並みが見えてきたが、流石の日本丸もこの超狭い尾道水道は通過できないようで、ここで大きく取舵を切って向島と因島の間の布刈瀬戸に入っていった。
(尾道水道で取舵)
 右に因島が見えてきて、義母の故郷田熊は島の反対側だったが、島の名前を懐かしみながら眺めていると、正面にしまなみ街道の因島大橋が見えてきた。
(右に因島)
(右因島:左向島)
 因島大橋を今までの感覚で撮った写真を数点添付する。プロ写真家のアドバイスを受けて撮った瀬戸大橋以後の写真と比べると差は歴然。橋の下は何度か通ったことがあり、経験は十分あると思っていたのだがーーー。
(もうすぐ:向島方向)
(真下)
(通過@)
(通過A)
 通り過ぎると橋がお日様を受けて綺麗に見えた。
(通過後)
 布刈瀬戸を抜けると備後灘に出て、また向かいの四国に向かった。
 備後灘から燧灘に入ると、讃岐平野の平らな象頭山と尖った飯野山が低山ながらくっきりと見えていた。
(広い海に出て)
(讃岐に近付く)象頭山飯野山
 修学旅行で行ったことのある多度津や丸亀を過ぎて瀬戸大橋が近付いてくると、昨日のツアーで同行してもらったプロ写真家の中村さんが出てきて、瀬戸大橋の撮影ポイントの説明が始まった。お話上手。
 説明が一段落すると左右に瀬戸大橋が見えてきて、更にタイミングの撮り方など指導が続いた。
(中村写真家の撮影指導)
(瀬戸大橋が見えてきた)
 一番四国よりなので、岡山側になだらかで美しい形状の吊橋が長くつながって見えて見事な光景を作っていた。
(瀬戸大橋岡山県側)
 瀬戸大橋が近付いてくると、「赤い煙突と組み合わせると面白い写真になりますよ。ファインダを見ながら一発で撮るか連写にするかは各人の流儀です。」とアドバイス。我家は一発に自信なく、通過のずっと前からシャッタを何回も押し続けた。その中で気に入ったものを2枚づつ貼りつけてみた。和子と私でどっちがセンスいいでしょう。私のが大きくコピーした分有利だったかな?
(シャッタチャンス:和子@)
(シャッターチャンス:和子A)
(シャッタチャンス:一俊@)

(シャッターチャンス:一俊A)
 橋が真上に来た時もシャッタを押してみた。やはり煙突の赤い色が入らないと物足りない感じがするかなあ。
(真上に望む)
 通り過ぎた時、今までの流儀で岡山県側と坂出県側の写真も撮った。
(岡山県側)
(坂出側)
 日本丸の船員がグループ分けした順番にデッキに並んで、デッキの上に立っていた中村さんに集合写真を撮ってもらった。
 貰った写真を添付するが、デッキの色、海の色、瀬戸大橋の位置といい、さすが素晴らしい組み合わせだ。
(集合写真撮りますよ)
(集合写真)
 記念写真を終わって後ろを向くと、瀬戸大橋が端から端まで広く見えていて、4枚の写真に分けて撮ってパノラマ合成にしてみた。橋や海面が丸く反っているのが気になるが、瀬戸大橋は香川県側から岡山県側まで全部入り、讃岐平野の山まで入っていてOKとしたい。
(瀬戸大橋全景)
 ダイニングルームで昼食を頂いている間に船は小豆島の南に回り込んでいき、窓から外を覗くと平らな山と尖った山が見えていた。形から見て平らな山は屋島、尖った山は五剣山だと思ったが、位置関係がおかしい。どっちが間違い? どっちも?
(五剣山と屋島?)
(五剣山?)
 小豆島を過ぎると小島も見えない広い播磨灘、この時間に合わせてか写真家中村さんの写真講座があり、各地の橋を撮った写真のスライドが紹介された。
 播磨灘を2時間程航行すると、左の明石市と右の淡路島の間に明石大橋が見えてきた。
(播磨灘)
(明石大橋が見えてきた)
 、近づいてくる明石大橋をどう撮ろうかと考えながら、ファインダーに赤い煙突を入れたままひたすら待った。
(明石大橋)
(七里御浜)
 いよいよシャッタチャンス。
(明石大橋シャッタチャンス:和子)
 私は、今度は赤い煙突を端に寄せて、橋を長く撮ろうとしたのだが、ちょっとバランスが悪かったか。
(明石大橋シャッタチャンス:一俊@)
(明石大橋シャッタチャンス:一俊A)
 橋が真上を通り過ぎると橋と太陽が重なり、これは面白い!と思ってシャッタを押してみたが駄作だったようだ。
(通過)
(眩しい通過)
 通過後の明石大橋の左右も撮っておいた。
(淡路島方向)
(明石方向)
 大阪湾を進んでいくと淡路島の全体が見えるようになり、パノラマ合成の写真を撮った。島の右側部分はシャッタを押し損ねていたようだった。左の明かるい部分は、デッキの上のライトが点灯していたのが入ったもので太陽の明かりではない。
(淡路島)
 反対側はガスっていたが、私が4年間の大学生活を送った堺港辺りの街並みが見えていた。 デイナータイムの直前に日没、デイナールーム入口で気が付いてデッキに出てシャッタを押したがちょっと遅かった。夕日の写真ではなくて、夕焼けの写真になった。。
(堺港)
(最後の日没)
 二人は来春金婚式を迎える。申請していた通りに今日お祝いをして貰えることになったが、他の誕生日祝いと同じように、デイナータイムに大勢の注視の中バンド演奏で祝って貰って面映ゆい事だった。船長さんにお祝いの言葉を頂き、記念写真を撮った。
 お祝いに大きな円形ケーキを頂いたが、二人ではとても食べきれないので近くの席のテーブルの人にも切り分けて貰った。四人テーブル同席のご夫婦も金婚式が間近いとのことだったが、お祝いは誕生日だけだと思って申請しなかったとのこと、奥ゆかしい人は御気の毒。結婚式が同じ頃の二夫婦、話が合ってデイナーが終わっても話は尽きなかった。
(船長さんと記念写真)
(お祝いケーキ)
 ソプラノ歌手吉村美樹さんのナイトメロディータイム。い音程と凄い声量の臨場感に圧倒されながら楽しませて貰った。昨日の記録に吉村美樹さんのコンサートがあったと書いたが、記憶違いだった。修正しました。


inserted by FC2 system