E113.小木津山公園の紅葉と日立鉱山歴史展

1.動 機
 紅葉狩りの時期がまだ続いている。手ごろなところと思って小木津山公園に出かけたのだが、思いのほか見事な紅葉を楽しむことができた。帰りは日立駅前のデパートで行われていた、和子の思い出の場所である日立鉱山の歴史写真展を見てきた。

2.データ
a)山域:小木津山自然公園
b)登山日:2017/11/22(水)
c)コースタイム:森山10:30 = 11:15小木津山公園駐車場 ---- 11:30いしくぼの滝 ---- 11:45北展望台11:50 ---- 12:10つつじ園 ---- 12:25南展望台12:40 ---- 13:25小木津山公園駐車場 = 13:35レストラン14:00 = 14:20日立駅前16:00 = (スーパ)= 17:00森山
d)同行者:和子

3.山行記録
 小木津山公園入口まで快調に走って、ついでに楽しようと一番奥の駐車場まで入って見ると幸い一台分に空があった。
 この駐車場からすぐ先の車止めを通り越して中央園地へ向かって歩いていくと、道の両側は背の高い常緑樹の列。
 その先に南展望台への分岐道があり、ここまで来ると黄葉した樹が続いた。
(中央歩道:始めは針葉樹)
(紅葉が現れ)
 気持良くまっすぐ伸びたカラマツの並木も黄葉しており、下にも落葉が敷き詰めていて綺麗だった。
(黄葉したカラマツ)
 その先右に睡蓮の葉が浮かぶ広い中央池があり、左側にはカエデが真っ赤に紅葉していた。
(左にカエデ)
(右にスイレン池)
 中央池から先には黄葉と紅葉の大きな樹が混ざって見事な景色。
(黄葉、紅葉が綺麗)
 その先に南展望台に緩やかに登る遊歩道の分岐があり、この辺りも見事な紅葉。
(南展望への遊歩道)
 車道の続きの中央歩道の終点には休憩舎があり、ここ辺りが両側から紅葉と黄葉の枝が伸び出して紅葉のトンネルになっていた。
(中央歩道終点:休憩舎近くの紅葉、黄葉)
 休憩舎の先にいしくぼの滝がある。岩を縫うように流れるいつも水の少ない滝だが、今日は一段と静か。
 いしくぼの滝から右に登る階段道があり、北展望台の道標が立っている。
(いしくぼの滝)
(北展望台への登り)
 この道の脇の蔦も絡まっている雑木林にも綺麗なカエデの紅葉がみられ、
(紅葉と蔦)
 緑のカエデもあって新鮮な感じだった。久し振りの急登で息が上がる
(緑のカエデ)
 北展望台の下までくると、上から賑やかな声が聞こえてくる。声の主は20人ほどの女性グループで、我家が廻り道を歩いて展望台まで登り着くと下り始めるところだった。
 旧日高電線工場のあたりの展望を楽しんで軽食を摂り次に向かった。
(先客の女性グループ)
(日高方向の下り坂)
 北展望台から下ったところにつつじ園への道標が立っていて、その遊歩道を歩いていった。ところどころに階段もある緩やかな登り道が続いた。
(北展望台からつつじ園方向へ)
(登り道)
 つつじ園のところには羽黒山神峰山の道標が立っていて、神峰山からここに下ってきたこともあるのも思い出される。
 つつじ園からは緩やかな下り道になり、やはり階段道も作られていた。整備が行き届いていて「ひたち健康ハイキングコース」だけのことはある。
(神峰山羽黒山神峰山分岐)
(下り道)
 緩やかな遊歩道の先には、明るい陽射しを受けた黄葉が待っていてくれた。
 どんどん歩いていくと右へ階段道が分かれていて南展望台の道標が立っていた。
(気持のいい遊歩道)
(南展望台への分かれ道)
 階段を登っていくと和子が待ち構えていてカメラを向けたので、ばんざーいのポーズを取った。格好をつけると「歩いたなあ」という感じがして元気が出てくるから不思議だ。
 この展望台には北展望台にはなかった展望図も置かれていた。
(着いたー!)
(展望図)
 周りの森の木が育って日立市街方向の展望は遮られていたが、小貝ヶ浜の岬の長い崖が綺麗に見えていた。
(南展望台から小貝ヶ浜方向)
 また、北展望台の方向の森は色付いていて綺麗だった。
(南展望台より北展望台方向)
 ベンチもあってコーヒタイムになった。お湯もコップも全部和子が持ってくれていて、私はいつも空身で着いて歩くだけ。
 コーヒも味わって、反対側の階段道を下っていった。
(コーヒータイム)
(下り)
 すぐに遊歩道に合流すると道端にリンドウの花が咲いていたり、ムラサキシキブの赤い実も見られた。
 この緩やかな下り道にも綺麗な紅葉が多く、何枚も写真を撮った。
(遊歩道に戻って)
(紅葉を楽しんで)
(リンドウ)
(紫シキブ)
(分岐道の紅葉紅葉)
 自然公園の外周に沿って大きく廻り込んだところに「中央園地」への分岐標が立っていた。このまま歩いていっても中央園地に下り着けるが、いしくぼの滝近くに出て駐車場まで遠回りになり、この分岐道は若干急坂にはなるが駐車場近くに下り着きずいぶんと近道になる。
 分岐点からは少し狭く急な下り坂になり、降り積もった落葉を踏みながら歩くと一寸山歩きをしている気分になれる。
(中央園地への分岐)
(山道の下り)
 この道にはサザンカの木が多くて、緑の葉の中に赤い花を見付けてはシャッタを押しながら下っていった。
 中央歩道に出ると、中央歩道を下ってくる北展望台で出会った女性グループと出会い、その中の一人が和子に向かって「久しぶり!お元気そう」と声をかけてきた。山の会の大キレット大縦走の時に臨時参加された元気2女性の一人だった。和子が着ていた山の会の制服で確認できたとのことだった。
(サザンカ)
(中央歩道に出て)
 元気だった当時を思い出さされた奇遇を喜びながら、女性グループの後を追って歩いていくと、中央歩道のほとりに、のぼりの時には気が付かなかったドングリの実が転がっていたり、目立たないハキダメギクの可愛い花など見られた。
(ドングリ)
(ハキダメギク)
 駐車場近くには黒い岩の間を流れ下る小さな滝があり、近くの説明板には
      日本最古(5億年前)の地層の小さな滝
    この小さな滝の地層が5億年前の地層です。小木津山自然公園内には、ほかにも5億年前の花崗岩が露出しています。日立市内では、かみね公園の頂上展望台付近でも、5億年前の花崗岩を見ることが出来ます。これらの岩石は、ウラン・鉛法による放射年代測定によって、5億年前という火山岩の年代が得られています。2008年、田切美智雄さん(茨城大学名誉教授)の研究チームが、この小さな滝で5億500万年前の地層を日本で初めて発見しました。その後の調査研究でこの近くの東連津川やかみね公園を含め、日立市と常陸太田市に広がる多賀山地の約3分の2に日本最古(約5億年前)のカンブリア紀の地層が出ていることが分かりました。多賀山地のカンブリア紀の地層は、日本列島のルーツです。
                 日立市文化事業団・日立市環境協会
 女性グループは駐車場手前で解散式をやっていたので、これを追い越して駐車場に入って愛車に乗り、挨拶の手を振って別れた。
(5億年前の地層の小さな滝)
(駐車場に到着)
 帰途、公園入口の県道沿いのレストランでランチを食べてから、和子の古巣の日立鉱山の歴史展を今やっているという日立駅前のデパートに立寄った。会場には多くのパネルが並べられていて、創立者久原房之助や創業時代からの日立鉱山、煙害対策の大煙突、娯楽の殿堂共楽館、従業員の足にもなっていた鉱山電車などの大きなモノクロ写真が展示されていた。
 和子の父親が引き上げて来てから日立鉱山に入社して働いていた。和子も鉱山病院に務めていたことがあり、日立鉱山には随分と思い入れがある。説明員の女性の一人もここに住んでいたとのことで、写真を見ながら二人で長く話し込んでいた。
(日立鉱山の歴史展)
(案内者と仲よく)
 鉱山電車沿線の風景を描いた鉛筆画もあり、芝内停留所、杉本停留所、杉本停留所に入る鉱山電車、大雄院小学校、日鉱病院周辺、楓橋社宅と題した絵で当時を説明していた。
 芝内、杉本、などの社宅から鉱山電車で出勤してくる風景を撮った写真があり、鉱山電車の歴史の説明文もついていた。
      日立鉱山専用電気鉄道ー鉱山電車 助川ー大雄院
     日立鉱山の物資輸送のため、1908年(明治41)11月に開通した。当初は貨物輸送専用の予定だったが、10月に便乗許可願いが出された。
     大正初期には、旅客専用車が運行され、便乗できるのは、鉱山に用務のもの、来客、従業員と家族だった。
     乗客の料金は無料、無賃電車として鉱山関係者だけでなく、近隣の住民も、この電車を利用した。下車地になっていた「助川踏切」は、6号国道と鉱山電車が交差する付近で臨時に電車を止め、乗車下車させていた。1960年(昭和35)、人員輸送の便乗車は5月、貨物の輸送も10月に終了・廃止。
 鉱山電車は私が日立に入社した1962年には既に運行はしていなかったが、銀座通りの裏に日立駅前まで軌道が残っていて、無賃電車の話をよく耳にしていた。
(鉱山電車沿線の風景)
(大雄院停留所 朝の通勤風景)
 鉱山電車が行き交う杉本停留所の風景写真。和子もこの停留所から無賃電車に乗って小学校に通ったり日立の街に遊びにいったりしていたとのこと。
 鉱山従業員と家族の娯楽施設として1917年に建設された演芸場で、東京の歌舞伎座を下見して設計されたとのこと。後に映画館にもなったが、1967年には日立市に寄贈され武道館に変身した。展示されていた共楽館内部の写真を見て、どの時期だったのか私も中に案内されて階段や廊下を見たような気がする。
(鉱山電車の杉本停留所)
(共楽館内部)
 日立市の街のどこからでも見えていた日立鉱山の大煙突は日立のシンボルだった。銅鉱山の精錬の煙が廻りの山の木々を枯らしてしまう煙害に悩まされていたのを、1915年(大正4年)工場の上の山にさ156mの世界一の大煙突を建てて一挙に解決した。創業者久原房之介の名前はこの煙突と一緒に頭に入っている。
 この大煙突が1993年(平成5年)2月19日、下部約3分の1を残して倒壊してしまい、今は寂しい姿をさらしている。私は丁度その日、職場の実験所の屋上から短くなった大煙突をこの目で見て、びっくりした記憶が強く残っている。
(建設当初の大煙突)
(公開寸前と直後)
 デパートから新都市広場に出てシビックセンタを見ると、天球劇場の下の部分が全面に網が張られて工事中のように見えた。入場禁止かと思ったら出てくる人が見えたので、中に入って見ると上部全面も網が張られていて、その上で工事が行われているらしいが、天球劇場等は入場できるようだった。日立シビックセンター「外壁工事」のお知らせには
    日立シビックセンターでは平成29年9月より平成30年3月下旬まで、外壁の補修工事を行います。ご不便をおかけいたしますがご了承願います。
(シビックセンタは工事中らしい)
(内部から)
 小木津山公園の綺麗な紅葉を見ながらの4kmの予定のコースを歩き切っただけで私は大満足、日立駅前での日立鉱山の写真展を見られて和子も上機嫌、いい一日でした。
 

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