F43.房総北部バス旅行
佐倉チューチップ園・成田新勝寺・房総のむら

1.動 機
 またスーパの優待券が当たり、佐倉ふるさと園のチューリップ、真言宗智山派大本山成田山新勝寺、昔の風情が再現されている房総のむらを観光してきた。どれも初めて訪れるところ、チューリップ畑は少し盛りが過ぎていたが、その広大さに圧倒され、成田山では開基1080年を迎える数々の堂宇に荘厳さと歴史を感じ、房総のむらではテレビドラマで見たことのある商家の街並み、昔の農家の暮らしなどを見て歩き、久し振りに充実した面白い旅を満喫して帰ってきた。

2.データ
a)山域:千葉県印旛沼周辺
b)登山日:2018/4/19(木)
c)コースタイム:
3/28;森山7:20 = 7:35スーパ駐車場7:40 = 7:50日立南IC = 7:55東海PA8:05 = 8:50つくばJCT = 9:05江戸崎PA9:15 = 9:35大栄JCT = 9:40酒々井IC = 10:10佐倉ひろば駐車場10:15 = 10:25佐倉チューリップ園11:10 = 11:20佐倉ひろば駐車場11:30 = 12:10観光センタPA(昼食)12:50 = 13:00成田新勝寺13:40 = 13:45観光センタPA14:00 = 14:10房総のむら15:30 = 16:05稲敷IC = 16:25つくばJCT = 16:50友部PA17:10 = 17:35日立南IC = 17:40スーパ駐車場18:10 = 18:20森山
(印旛沼周辺観光ポイント)
d)同行者:和子

3.山行記録
3.1 阿漕ヶ浦
 我家を7時20分に出発、スーパの駐車場で44名満員の大型バスで発車、日立南ICで常磐道に乗って筑波山竜ヶ峰・剣ヶ峰・閑居山の連山を眺めてから、つくばJCTで圏央道に曲がって牛久大仏を眺めながら房総圏に入った大栄JCTで東関東道に曲がり、酒々井ICでやっと高速を下りた。
(竜ヶ峰・剣ヶ峰・閑居山/後ろに筑波山)
(牛久大仏)
 チューリップ園のある佐倉ふるさと公園のバス駐車場は、印旛沼を渡る長い名喰戸橋の反対側にあった。ガイドさんに連れられて長い行列を作って橋を渡っていくと、だんだんとチューリップの花が見えるようになり、風車も立っているようでわくわくしながら歩いていった。
(駐車場から少々歩きます)
(印旛沼橋からチューリップ園と風車)
 案内所を通ったところのチューリップ畑には真っ赤なチューリップが満開で迎えてくれた。綺麗だった! ここからは自由行動。
(入口の赤いチューリップ畑)
 チューリップ畑は面積2000uといわれ物凄く広い、これが全部満開になっていたら素晴らしい景観だろうが、今年はサクラの開花が早まったと同じように、チューリップも開花が早かったようで、残念ながら半分は萎れたり落花したりしていた。
(広いチューリップ畑@)
 それでも園内を歩き回って、見る方向を選べばいい眺めになるところもある。
(広いチューリップ畑A)
(広いチューリップ畑B)
 風車も入れても撮ってみる。
(風車を入れて@)
(風車を入れてA)
(白いチューリップと風車)
(ネモフィラと風車)
(風車を真正面から)
 綺麗な花をアップでも撮ってみた。
(ユリの花の様なーーー)
(八重咲きのピンクミラクル)
 風車の近くに小さな展望台があったので、上がって少し高いところからも撮ってみた。
(展望台から@)
(展望台からA)
(展望台からB)
 出入口の園の辺には、チューリップとは一味違うネモフィラの青い花がさいていて、人目を惹いていた。
(出入口近くにはネモフィラ)

 3.2 成田新勝寺
 チューリップの花々に満足して名喰戸橋を渡って駐車場に戻り、次に向かったのは成田市街の中の大きな観光センタの駐車場だった。早速観光センタの店内にあるレストランで用意されていた釜飯と鍋物のセットで昼食を頂いた。
 昼食後ガイドさんに連れられて土産物店街を歩いて新勝寺に向かった。
(駐車場のレストラン)
(新勝寺へ向かう)
 車道沿いの総門前に着いて、参道の概要を説明されて自由行動。本堂まで正面の石段を登っていくのは段差が大きくてつらいが、緩やかな脇道を登るとかエレベータで上がるのもあるとのこと。
 総門を潜って手洗場で身を清めてから、我家は他の大多数とともに仁王門に向かって急勾配の石段を登っていった。
(総門を通って)
(石段登って仁王門)
 仁王門に吊るされている砲金製の大提灯に黒々と書かれている字は読めなかったが、脇の奉納板に書かれている文字は”魚がし”と読むことが出来た。両脇には大きくて怖そうな仁王さんが立っておられたが、前の金網が邪魔で写真にはならなかった。
 仁王門を潜ると池を渡る石橋があり、渡った向こうの石段の両脇はゴツゴッとした崖になっていた。
(仁王門の大提灯)
(神橋渡って石段登る)
 その左右の崖の中に、色々な石碑に混じって、怖そうな面構えをした獅子がこちらを睨んでいた。
(左崖の獅子)
(右崖の獅子)
 石段を登りきった目の前には大きな新勝寺の本堂があり、「成田山開基1080年祭」の垂幕があり、両側を紅白黄緑青の垂幕で飾られていた。本堂手前にはお祭り用の舞台が作られつつあって、参拝用には木製の仮設階段が作られていた。我家も堂内に入って見ると、大勢の人がひざまずいてお経を頂きながらお参りしている最中だった。一寸の間ひざまずいているだけで、お不動様の御加護を頂いたような気分になって退出した。
(成田山新勝寺)
 広い境内の右には立派な三重塔が建ち、その後には一切経堂と鐘楼が並んで建っていた。
(三重塔と一切経堂・鐘楼)
 本堂の裏に回ると石の崖の築山があり、あちこちに小さな仏像が立っていた。
(新勝寺の奥)
 本堂の左に出て、奥に続く平和の大塔への参道を進むと、大きく立派な光明堂が建っていて、参りするとその左側に奥ノ院の案内板が立っていた。
(光明堂)
 案内板に従って光明堂の左を入っていき、裏山との間に入って歩いていくと、中程に紫の垂幕のある扉があり、入れるのかと思ったら扉は施錠されていて説明板が立っていた。
    奥ノ院
    この洞窟は奥行約十一メートルあり、正面に不動明王の本地仏である大日如来が安置されおり、当山祇園会の日(7月7,8,9日)に限り開扉される。入口左右の石碑は考古学上貴重なものである。
 扉の隙間から覗いても何があるか目では判らなかったが、試しに撮っておいた写真を拡大してみると、中奥に明かるい部屋があって大日如来さまが祀ってある様に見える。
(奥ノ院入口扉)
(覗き込む)
 光明堂の裏道を出て裏山の反対側に回ると、真言宗の開祖の聖徳太子の旅装像が立っていた。
(大師像)
 その奥には健康長寿・病気平癒祈願所の立札が立つ医王院があり、その隣に大きな平和の大塔が建っていた。威厳のある立派な塔だった。
(医王院と平和大塔)
 ここから引き返すと、新勝寺本堂の隣に釈迦堂が建っていた。奥に行く時には見なかった社殿だが、境内の丸い花壇から眺めると一層ひきたって見えた。
(釈迦堂)
 本殿側を見ると、多くの黒衣装の人が2080年祭の準備に忙しく働いている姿があった。
(成田山開山1080年祭り準備中)
 時間も迫ってきたので脇道には入らず、気張って登ってきた石段を手摺に捉まりながら下っていった。
 帰りに離れたところから見る総門が立派に見えた。土産物店の街を歩いて駐車場に戻り、観光センタでお土産を買い込んでバスに乗り込んだ。
(帰りの仁王門)
(帰りの総門)

3.3 房総のむら
 房総のむらの駐車場に入ったバスから降りて、一般車両通行止めのバーがあり「是より房総のむら」の標柱が立つ入口から房総のむらに入っていった。
 広い道に出るとコスプレの舘や観光案内所などが並んであり、右手すぐの分岐の先に団体入口があった。
(駐車場から「是より房総のむら」)
(団体入口)
 入るとすぐに、通りの両側に食堂や宿屋など日本の古い商家が並ぶ街並みがあった。この入口で房総のむらについて案内者の説明があり、説明によればここは「花燃ゆ」や「花子とアン」など多くのテレビ番組のロケに使われたらしい。そう言えばこの商家街は見たことがある様な気がした。その後、房総のむらの案内図が配られて自由行動。
(商家の町並み)
 それぞれの商家は呉服店や紙細工の店など中が見えるようになっていた。
 通りに檜の葉でできた駕籠 が置いてあったので、ちょっと座り心地を試してみました。
(呉服店)
(篭に試乗)
 千代紙ろうそく店や木工所などでは、店頭に展示されている商品を自分で作ってみる体験をしている人の姿が中に見え、家族連れでの体験者もあるようだった。
(千代紙ろうそく体験中)
(木工所で体験中)
 奥の方には赤い鳥居が目立つむらのお稲荷さんがあり、町並みの終わりには、故郷の町内にあった昔懐かしい鍛冶屋もあったが、残念ながら作業は行われていなかった。
(町のお稲荷さん)
(鍛冶屋)
 街はずれには和舟が浮かぶお堀があり、錦鯉も泳いでいた。
 お堀を超えると満開の八重桜が並ぶ広い公園があり、気持ちの良いウオーキング。
(鯉も泳ぐお堀)
(八重桜満開)
 桜の園を歩くと武家屋敷が見えてきた。屋根は藁屋根、室内も質素な造りだった。
 武家屋敷の裏に小ぶりな家があり、お茶のお点前を案内していたが、時間がないので和子も残念そうに通過。
(藁屋根の武家屋敷)
(裏にお点前体験館)
 武家屋敷を過ぎると休憩所があるシャガや野イチゴの花が咲く広い野原があり、その先に農婦が立つ広い畑があって二人の農婦が何やら作業をしていた。
 畑地の先には数軒の藁屋根の農家が並んでいて、中央には豪農と思われる一際大きな農家があり、脇には白壁の倉も建っていた。。
(作業中の菅笠の二人)
(豪農の家屋)
 豪農の家の中に入ると、お勝手場には私の田舎でも見られた竃や七輪、水瓶などがならんでいた。
 豪農から出ようとしたとき、菅笠をかぶった農婦の方が入ってこられたので記念写真、近くいたご婦人も仲間に入られた。
(お勝手場)
(菅笠の農婦さんと記念写真)
 農家の横の山の中に三角屋根の炭焼き小屋があり、その下の谷間は水田になっていた。
(炭焼き小屋)
(水田)
 商家の街並みでの説明の時に「この先の橋を渡ると、水車小屋なども見られますよ。」と教えられていたことを思い出し、駐車場に戻る前に案内図を頼りに、県道を跨ぐ”むらのかけ橋”を渡っていくと、広いお祭り広場の奥に農村歌舞伎の舞台があった。
 お祭り広場の周りを通る広い道を歩いていけば水車小屋に行けると思って歩いていくと、向こうから女性グループが引き返してきて「水車小屋が判らなかった。」と嘆かれていたので、案内図を見直して小さな茶店のところから別れる狭い道を見付けて入っていった。知り合いのお元気なAさん夫婦と出会うと「水車小屋も見てきたよ。」とのこと。道に間違いないと歩いていくと、「行かないでー」と叫ぶ和子の声が聞こえてきた。Aさんが「今からでは間に合わないかも」と私の足取りを見て心配しておられたらしいが、もう少しだと頑張って水車小屋の写真だけ撮って引き返した。和子の小言を聞きながら。
(農村歌舞伎舞台)
(水車小屋まで頑張る)
 急ぎ足で入口近くまで引返すと、ここにも八重桜が綺麗に咲いていた。
 駐車場入口まで来ると、和子も明治時代の千葉県県議会場の復元した総合案内所の前で記念写真を撮るゆとりがでてきていた。
(入口前の八重桜)
(県議会場を復元した総合案内所)
 房総のむら駐車場を定刻に発車したバスは、一般道を延々と走ってから稲敷ICで圏央道に乗って、広い敷地に太陽光発電のパネルが目立つあみプレミアムアウトレットなどを眺めながら西走、はるかに筑波山を見ながらつくばインタで旋廻、常磐道に乗って日立に帰ってきた。
(あみプレミアム・アウトレット)
(筑波山)
 スーパにて買い物をして我家に帰ってから、期待以上の面白さがあったバス旅行を思い出しながら美味い一杯をやりました。
 

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