F101-3.にっぽん丸でゆく秋の日本一周クルーズ
(3日目:奥能登)

1.動 機 
 三日目は予定通り輪島港に入り、オプショナルツアー”日本の原風景・奥能登周遊”に参加した。バスに乗ってガイドさんの説明を聞きながら、まずは珠洲ビーチホテルで豪華昼食をとって、別名軍艦島の見附島、恋路海岸、珠洲製塩、千枚田、キリコ会館を見て回った。

2.データ
a)山域:奥能登
b)登山日:2018/10/03(水)
c)旅程:
 10月3日:にっぽん丸〜10:55輪島港沖・通船〜11:05@輪島港・観光バス11:20〜12:20A珠洲ビーチホテル(昼食)13:10〜13:40B見附島13:50〜14:10C恋路海岸14:20〜14:55D珠洲製塩15:20〜16:00G千枚田16:30〜16:45Hキリコ会館17:10〜17:15@輪島港〜17:20にっぽん丸
(3日目の奥能登観光ポイント)

3.山行記録
 昨日は一日中船の中、歌を歌ったり楽しいイベントに参加したりで満足して寝たので、今朝は早目に目が覚め、部屋の窓越しに日の出を見ることができた。撮った写真には新潟当たりの陸地は見えず、太陽は海面から昇っているように見える。右端の方には佐渡島らしき陸地が見え、その山の間に丸い光が見え、二つの光でいい光景になっている。満月だろうと思ってカットしなかったのだが、もしかしたら窓ガラスのハレーション?
(日の出と満月5:53)
 朝食前に行われるおはよう体操に参加しようと7階のデッキに上がったら、昨日参加したらくらくストレッチと同じリーダ嬢の指揮で気持ちのいい体操をした。
 朝食は函館サンマの塩焼き、北海道産鶏胸肉などいろいろなおかずに、おかゆを頂いてお腹も満ち足りて大満足。
(7階デッキでおはよう体操6:43)
(朝食7:19)
 船内放送で「七ツ島が見えています」と流れてきたので7階デッキに上がって沖を見ると、島は三つしか見えなかった。NETで調べると、右図のように「七つ島は大きく北の島群(大島、狩又島、竜島)と南の島群(荒三子島、烏帽子島、赤島、御厨島)に分けられる。」とあるので、右は大島で、狩又島と竜島はその陰に隠れ、左は荒三子島と赤島が重なり、烏帽子島と御厨島が重なっていたようだ。
(七つ島9:34)
 反対側には能登半島の全景が見えていた。
(能登半島全景9:36)
 右端が輪島辺りだったようで、しばらくすると輪島湾が見えるようになった。
(輪島湾辺り9:51)
 長い第4防波堤が見えるようになると、「防波堤に打ち寄せる波を見ていただくとわかりますように、まだ波が大きくて接岸すると危ないので、にっぽん丸は沖に錨を下ろして、皆さんには通船で港に上がっていただきます。」との船長メッセージが放送された。
(第4防波堤通過10:12)
 船首方向に大きく堂々とした山の麓に広がる輪島市街、海際に輪島港の突堤が見えていた。後ろの山は気勝山343mと思われる。
(輪島港が見えてきた10:13)
 第4防波堤を過ぎると、にっぽん丸の両側にたくさんの漁船が旗をひらめかせて歓迎のパレード。こんなに大歓迎されるとは少なからず驚いた。
(歓迎の漁船群10:17)
(歓迎の漁船群10:12)
 ゆっくり朝食を頂いてから、また先ほどの扉を開けると、海沿いが崖になっている美しい島が連なっていた。後で地図を見ると、これはみな岬で、左から綾里崎・脚崎・首崎という岬の先端だった。
(輪島港10:23)
 写真に写っていたこの船は目では気が付かなかったが、案内に出てきた船だったのか?
 にっぽん丸の船体に固定されていた赤い通船が海面に下ろされて、乗客を乗せていく。400名の乗客を何回か往復しながら港に運んだ。
(案内船10:33)
(下ろされた通船10:39)
 予め指定されていた順番の通船に、係員に手を取られて乗り込むと、船内でも係員が待っていて各自の座席を指定していく。
 右手に広い漁港を見ながら左手のマリンタウンの港に入っていった。
(通船に乗換え10:56)
(右に漁港11:03)
 通船は狭くて長いL字の桟橋に到着し、係員の指示に従って順番に降り、足元に気をつけながら港の広場まで歩いて行った。歩きながら写真を撮ったのはまずかったかな。
(下船11:08)
(輪島港マリンタウン上陸11:09)
 広場に上がって港を振り返ると沖に停泊中のにっぽん丸が見え、2艘目の通船がくっついて乗客を乗せているところ、港内の桟橋には今降りた通船が引き返していくところだった。2艘の通船で効率よく乗客を港に運んでいる。
(通船桟橋の沖に停泊中のにっぽん丸11:10)
 選んだオプショナルツアー「日本の原風景・奥能登周遊」はあまり脚力を要しないとなっていた奥能登の観光地をめぐるツアーだった。バスは2台でずうっとR249沿いを走り、乗ったバスのガイドさんは元気のいいお嬢さんで、お話が休みなく続いた。
 指定された座席は右側、見どころはほとんど海側でガイドさんの親切な説明もむなしい。千枚田は山側の棚田が見えていたが、千枚田のほとんどは海側にある。
(バスに乗って11:20)
(千枚田11:36)
 左側の窓越しにやたらとシャッタを押した中に、一枚だけ垂水の滝がわずかに写っている写真があった。
 輪島市から珠洲市に入ると右手の鞍坪岳の山頂周りに何台もの大型風車が立っていた。タワー高65m、ローター径70m、単機出力1500kWを30基備える珠洲風力発電所らしい。
(垂水の滝11:46)
(風力発電所11:59)
 R249が能登の先端を南北に横切る山道になると、ガイド嬢は案内するものが無くなったようで、紙に書いた漢字の読み方当てクイズを始めた。その一部
 「羽咋」「千里浜」が提示され、「はくい」「ちりはま」と読むとのこと。羽咋郡は輪島市のすぐ南に隣接する志賀町を含む郡名。石川県羽咋郡宝達志水町今浜から同県羽咋市千里浜町に至る砂浜の延長約8km の観光道路であり、これを千里浜なぎさドライブウェイと呼び、千里浜と今浜の一部と出浜の各海水浴場も兼ねている。
 次の「鳳珠」は「ほうす」と読み、これも能登町と穴水町からなる郡の名前で奥能登の内海側にある。
(はくい12:03)
(ほうす郡能登町12:07)
 「一青」は「ひとと」と読み、能登半島の付け根辺りにある中能登町の町名。
 今では「一青」というと、中能登町のほんの一部ですが、昔は、この中能登町の黒氏(くろじ)から大槻にかけての町域の大半を一青といいました。一青庄の範囲は、江戸時代の村名でいうと、石塚、久乃木、坪川、西、新庄、在江、廿九日(ひづめ)、大槻、春木、羽坂、今羽坂、末坂、一青、黒氏、花見月の15か村にあたります。
 「代田」は普通、田植え前のすっかりならした田んぼのことを言いますが、石川県には羽咋郡志賀町代田があり、「しなんた」と読みます。
(ひとと12:10
 (しろた・しなんた12:10)
 漢字ゲームが終わったころバスは内海側に出て、R249を外れて左折、県道を走って珠洲ビーチホテルの駐車場に入った。2階の広間に用意されていた昼食会場に入り、案内されて差し向かいで食膳に着いた。カットステーキを焼いて食べたり、またおなか一杯になった。
(珠洲ビーチホテルの昼食室12:27)
(牛ステーキ焼き定食12:29)

 食後はR249に戻って内海側を南下していくと、垂直の砂壁の上に立ち木が茂っている小島が見えてきた。看板には「国定公園 目附島 (別名 軍艦島)」とあった。ツーショットの写真を撮ってもらう。
 奥の方に小さな社があり、その脇に目附島と空海との関係を書いた説明版が立っていた。
           見附島と空海
    弘法大師空海が唐の国に渡り恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修行され、三国伝来の伝承者と認められ金胎両部(こんたいりょうぶ)の潅頂(かんじょう)をうけ密教伝来の三杵(さんしょ)を授けられた。唐の僧達はその三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。
    その時空海は東方を望まれ「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。
    帰国された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦する声が聞こえてきたので島を頼りに着岸された。そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵(ごこしょ)が光り輝き白夜法華経を唱えていた。空海は深くお喜びになりここに一宇を創建され吼木山(ほえぎざん)法住寺と名づけられた。そして三鈷杵は高野山の松の樹に独鈷杵(どっこしょ)は佐渡の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。
    それより島を見附島と呼び縁結びの神を祭り海難の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日とし舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉じて来た。しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に往時を偲ぶ雄姿はなく島上の社も崩壊したまま今日に到っています。      平成12年7月   見附の社
(見附島の看板13:44)
(見附の社13:49)
 改めて目附島を見てみよう。周囲は白い珪藻土の絶壁、頭だけに緑が生い茂り、どこから見ても目立つおもしろい姿をしている。こちら側を船首にした軍艦にも見え「軍艦島」と呼んでも納得がいく。
(見附島(軍艦島)13:46)
 手前の岩の道を行けば目附島すぐ近くまで行けそう、近くから見たら迫力がありそうだが時間がなさそう。慌てて歩いたらツルリン・ドブンとやりそうなので、入口で格好つけ写真を撮っただけで我慢。
(見附島前にて13:44)
(見附島前にて13:46)
 海側に「縁結びの鐘」と書かれた有難そうな鐘があり、二人にひびが入らないように鐘を鳴らしあった。
(縁結びの鐘13:43)
(縁結びの鐘13:41)
 次はもう少し南下して恋路海岸、その入り口の波打ち際にずんぐりとした岩が突っ立っていた。金網柵で囲まれていて、ソフトクリーム岩となっていた。 
     立入禁止
    この正面のソフトクリーム岩はもろく、登ったりするととっても危険です。
    あなたの恋も砕けるおそれがあるので中には入らないでください。
 そういえばそう見えないことはないが、と回って横から見ると、猫岩とかなにか可愛い動物の名前を付けたい形にもなった。
(ソフトクリーム岩14:11)
(横から見ると猫岩?14:14)
 ソフトクリーム岩の後ろには木の茂る小島があり、そのわきに小さな赤い鳥居が立っていた。これが恋路海岸のシンボルらしい。そのいわれは旅ねっとによると
     波が穏やかな恋路海岸は伝説が残る海岸です。その昔、深い恋仲となった2人の若者、鍋乃と助三郎がいました。鍋乃に思いを寄せる恋仇の男の罠のため、助三郎は海の深みにはまって命を落としてしまいました。鍋乃も助三郎の後を追って海に身を投げ死んでしまうという悲しい恋の伝説から、いつしかこの地が「恋路」と呼ばれるようになりました。この2人をしのぶモニュメントや鐘、銅像が設置されています。沖には弁天島が浮かび、恋路海岸から見附島(珠洲市)までの3.5キロの海岸線は、「えんむすビーチ」と呼ばれています。
(弁天島と赤い鳥居14:12)
 綾乃と助三郎の像のところまでは歩かなかったので、写真も旅ねっとから拝借。
 駐車場脇に「幸せの鐘」があり、幸せになりたい人が鐘を鳴らしていた。
(鍋乃と助三郎の像:旅ねっとより)
(ハート形の「幸せの鐘」14:18)
 「能登の民家の屋根を見ると、瓦が黒光しているでしょう」とガイド嬢に言われてその気で見ると、どの家の屋根も黒い屋根瓦が使われ、お日様を受けてピカピカ光っていた。「屋根の上に積もった雪が、早く解けて滑り落ちやすいから」とか、製法についての歴史の説明もあったが忘れてしまった。
(黒く輝く瓦屋根の民家@14:44)
(黒く輝く瓦屋根の民家A14:44)
 次はR249を引き返して日本海側に出てすぐのところにあった珠洲製塩に立ち寄った。中で待っていたおじさんが慣れた口調で説明しながら工房内を案内してくださった。
 広く使われている製塩法は電気透析法で塩化ナトリウムの純度が高く単純な味の塩が作られているが、ここでの製塩に採用されているのは室町時代のあげ浜式と昭和時代の流下式で、あげ浜式は国の無形文化財で世界農業遺産になっているとのこと。 
(珠洲製塩工房の入口14:56)
(製塩工程を説明してくれたおじさん15:16)
 まずは工房から外の塩田に出てあげ浜式の説明。海水を海から運んできて樽に貯めます。
 砂を薄くひろげ「すじ目」をつけられた塩田にその塩を播きます。しおくみ三年、しおまき十年と言われます。
(海から海水を運んで貯めます15:00)
(海水をまきます15:03)
 天日で乾いた砂を集めます。
 集めた砂をたれ舟に貯めます。砂の貯まったたれ舟の上に海水を流しいれ、下から出てくるかん水を大釜に運びます。洗われた砂はまた塩田に戻します。
(天日で乾いた砂を集めます15:08)
(集めた脛を「たれ舟」に入れ、海水を流し込みます15:09)
 集めたかん水を大釡で水分を蒸発させ、さらに濃縮していきます。その後濾過、にがり抜き、自然乾燥してから袋詰めします。
 くみ上げた海水を一週間以上、すだれや竹枝、ネットにスプリンクラーで散布し自然の太陽と風で濃縮します。あとは大釜に移されて揚げ浜式と同じ工程で仕上げられる。人手がかからないのが利点。。
 去年のクルーズでも上五島で矢堅目の塩の製塩法を見学したのを思い出した。塩田があったかどうか記憶が定かでない。
(かん水を釜で濃縮します15:16)
(流下式製塩15:09)
 今度は席が海側になったのに、垂水の滝も窓岩についても説明なくてシャッタチャンスがつかめず、逆光で真っ暗になりガラスの反射光もあって残念ながらいい写真は撮れなかった。
(垂水の滝写らず15:45)
(窓岩15:46)
 海沿いには多くの塩田を見ることができた。
 千枚田が見えるようになったら、バスが道の駅の駐車場に入って展望台まで案内されて30分間の自由行動。
(塩田15:52)
(道の駅千枚田ポケットパーク16:00)
 展望台から白米千枚田の全景を眺めながら、4年前にここにきて遊歩道を大きく一回りしたのを思い出した。
(千枚田パノラマ16:03)
 輪島市のHPには次の説明がある。
    白米千枚田は石川県輪島市白米町にある棚田です。日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景は、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、それらの風景は2011年6月には「世界農業遺産」にも認定されました。
 国道出口に世界農業遺産指定記念の標柱があり、その先にも田んぼの形を模擬したのか変わった形の標識も立っていた。この標識の下には電源箱らしき金属製のボックスがあり、夜中に行われる壮大なライトアップの電源なのかも。
(世界農業遺産16:06)
(看板の下は電源箱?16:08)
 遊歩道の途中には稲束のはさ干しが見られたが、稲穂の実はなくなっていたので観光用の飾り物。
 田んぼの方にはいかないで近道し、海や千枚田を眺めながら階段回廊を登って展望台に戻った。
(はさ干し16:09)
(階段回廊を上って戻る16:14)
 ここからだと七つ島の全部を見ることができた。左から
御厨島(みくりやじま)、荒三子島(あらみこじま)、赤島、烏帽子島(えぼしじま)、狩又島(かりまたじまorやわずじま)、竜島(うじま)、大島
(七つ島16:11)
 バスが千枚田を出るとにっぽん丸が輪島港に接岸したと連絡が入ったとのアナウンス。車窓からも港の突堤の中ににっぽン丸が入っているのが確認できた。
(にっぽん丸は輪島港に接岸していた16:41)
 駐車場入り口までくると港に接岸しているにっぽん丸が見え、そのすぐこちら側の建物がこれから見学するキリコ会館だった。
 キリコ会館の中に入ると、長い会館の一階は明かりをつけたキリコがずらりと並んでいて壮観だった。
(キリコ会館とにっぽん丸16:43)
(キリコ会館案内者と大キリコ16:50)
 視野角の狭い和子のカメラの方が迫力があるかも。
(大キリコ)
 キリコ祭りの大きな写真が展示されていて、実際のお祭りに臨場すればさぞや賑やかで楽しいことだろうと思われた。
 階段を上がっていくと壁に沿ってぐるりと回廊があり、目の前に迫力あるキリコ灯篭を眺めながら歩くことができた。
(キリコ祭りの展示写真16:54)
(上段に登って16:57)
 真ん中に回廊をつなぐ橋があり、両側にキリコの行列を見ることができた。入口側には小キリコが二列に並び天井から部落の名を書いた提灯がぶら下がっており、奥側には大キリコが一列で部落名が灯篭に書き込まれていた。
(橋の上から入口側の小キリコ16:58)
(橋の上から奥の大キリコ16:58)
 キリコ会館の窓からはにっぽん丸が間近に見え、すでに帰船した人たちが大勢4階デッキに並んでいるのが見えた。会館の表に出るとバスが待っていて契約ですからと乗せられて、すぐ近くの乗船口広場まで移動してくれた。
 広場には輪島のゆるキャラ・まありん君や 
(キリコ会館からにっぽん丸17:06)
(輪島ゆるキャラ、まありん17:18)
朝いっちゃんを中心に赤いはっぴを着たご婦人が踊っていたりして歓送会が盛り上がっていた。
 広場に並んでいたお土産屋に寄る間もなく乗船してすぐにデッキに出ると、輪になっての踊りがまだ続いていた。
(輪島ゆるキャラ、朝いっちゃん17:19)
(輪になって踊り17:21)
 次は赤い絨毯の上で輪島の御陣所太鼓、何人かの鬼が踊りながら入れ替わり立ち替わり大太鼓を叩く。地の底から響くような音色をもっと近いところで聞いてみたかった。HPの説明
    御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)は、輪島市の名舟町でのみ伝承される陣太鼓です。
    まさに奇芸。まずは見てください。太鼓を叩く前、一人の鬼が太鼓の後ろで吠えたあと、いよいよ御陣乗太鼓が始まります。激しく太鼓を叩く音は遠く私の家まで響いて聞こえるほど(!)大きく、迫力があります。最初は2人で叩いていたかと思うとその数は徐々に増え、最後には全員出演で見入ってしまうこと間違いなし!常に全力でバチを握り叩くみなさんの腕の筋肉にも注目です。
 いよいよドラが鳴って出港、紙テープが投げられる。今日は競ってテープを受け取ってくれ、私のテープも小さな子供さんと繋がった。御陣所太鼓の音に送られながら賑やかな見送り風景、うれしいお見送りだった。
(御陣乗太鼓17:34)
(紙テープ17:56)
 部屋に帰って一休み、着替えて2階ダイニングルームでの夕食。
  オードブル 鰆と野菜のソース スープ オマール海老のビスク
  メイン 日高産鮭 牛ほほ肉 サラダ
  デザート パパイヤ、パンナコッタ
 ワイン片手に今日もまたお腹いっぱい!
(夕食オードブル18:38)
(夕食デザート19:24)
 連日三食御馳走が出てお腹いっぱい食べているので、さぞかし体重が増えているだろうとバスルーム入口にあった体重計に乗ってみたが、平日と変化なく60〜61kgに安定していた。いつも我が家でも腹いっぱい御馳走を食べさせていただいているということのようです。感謝!


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