F111.労金友の会バス旅行・上州すずめのお宿

1.動 機 
 日頃スポーツ吹矢でお世話になっている労金友の会の年間行事の親睦旅行の案内が来た。今年は上州の観光地「ロックハート城」「吹割の滝」「めがね橋」「鉄道文化村」「榛名神社」を巡る秘湯「舌切り雀のお宿」に一泊する面白そうな計画だった。早速申し込みして、顔なじみの仲間とも一緒に楽しい旅を堪能してきた。昔登ったことのありそうな山や綺麗な岩峰の山など、山の写真をいっぱい撮ってきたので、後で山名特定を楽しんだり、取捨選択したりしているうちに記録を纏めるのが遅くなってしまいました。

2.データ
a)山域:上州
b)登山日:2018/11/01(木)、02(金)
c)旅程:
 11月1日:自宅5:30----5:40シオン学園BS5:45〜5:55労金6:10〜7:20那珂IC〜7:50笠間PA8:05〜9:15太田強戸PA9:25〜10:00昭和IC〜10:30ロックハート城(昼食)12:50〜13:50吹割の滝14:15〜14:40沼田IC〜15:55甘楽PA16:10〜16:25松井田妙義IC〜16:40磯部温泉すずめのお宿(泊)
 11月2日:すずめのお宿8:25〜8:50めがね橋9:35〜9:50鉄道文化村10:50〜〜11:45駒寄PA11:55〜12:00渋川伊香保IC〜12:30上州物産館(昼食)13:20〜14:00榛名神社15:05〜16:00渋川伊香保IC〜16:05駒寄PA16:15〜17:10壬生PA17:30〜18:00笠間PA18:20〜19:50那珂IC〜19:45労金〜19:50シオン学園BS----20:05自宅
(ろうきん友の会親睦旅行観光ポイント)

3.山行記録
3.1一日目
 朝超早起きして5時半に我が家を出て近くのバス停まで歩くと、待つまでもなく先客を乗せたバスがやってきて、指定された座席に座った。それから先、東海駅西口まで各所で参加者が乗ってきてほぼ満車になって那珂ICで常磐道に乗り、北関東道に西に曲がって笠間PAで最初の休憩をとった。ここで日立より北部の参加者が乗った2号車が到着合流、メンバー乗換えもあって出発。
(バス2台8:00)
(笠間PA8:01)
 バスの中ではその後カラオケなどが始まって賑やかになり、栃木県を通過して群馬県に入って関越道を北上していった。途中、日光連山赤城山塊が間近に見えていた。。
(日光連山8:35)
    (赤城山9:08)
 昭和ICで高速を降りて利根川を渡り、R17を北上、新鷺井橋の交差点で左折してロマンチック街道を10分走ったところにロックハート城の駐車場があった。
ロックハート城
 対のライオン像の間を通って石造りの建物の間を歩いていくと入場門、チケットをもらって通過、中には何があるのだろうかと期待が膨らんできた。
(新鷺井橋10:27)
(ロックハート城入口10:43)
 中の広場にロックハート城全体の案内図が立っていたのでパチリ。
(ロックハート城案内図10:44)
 広場の先の石段を登っていくと石造りの城門があり、門を潜ると目の前に洋風の古城ロックハート城が見えてきた。案内者の同行は石段をローックハート城の前庭まで上がって、バスへの集合時間を確認されて、ここまで。
(石段登り10:47)
(門を潜ると10:48)
 目の前で見るイギリスの古城は、日本のお城とは雰囲気がまるで違う風情で美しいたたずまい、その前で記念写真を撮る観光客が大勢、我が家も方向を変えながらパチリ、パチリ。
(ロックハート城10:49)
 お城の中に入ると、このロックハート城の建設、歴史についていろいろ資料があり、俳優の津川雅彦さんが大きな貢献をしているらしくてびっくりさせられた。Wikipediaから引用、要約すると。
    ロックハート城は、1829年に英国のウィリアム・ロックハート伯爵がスコットランドに建設し、英国における名称はミルトン・ロックハート・ハウスであったが、日本ではロックハート城と呼ばれている。
    1987年に俳優の津川雅彦が、北海道の広尾町に計画していたレジャーランドの中核施設とすべく私費でロックハート城を購入した。1988年4月から7ヶ月をかけて建物を解体して約4000個の石として日本へ輸送された。
    一部のコンテナが町営牧場に運び込まれたところで、資金計画を巡って町と対立計画は頓挫、1992年、沼田市の株式会社サンポウが、これらを買い取り、同社が高山村に建設していたテーマパーク「大理石村」内で復元を実施した。1993年4月6日、高さが塔部で20メートルになり、幅31.3メートル、奥行き22.3メートルで、建築面積1361平方メートルの建物が復元された。
    なお津川は、ロックハート城の名誉城主に就任している。
(ハートの紋章10:54)
(津川雅彦伝10:57)
 広い展示場には、王冠やサンタクロースなどスコットランドを思わせる展示物がたくさん置かれていた。
(ハクスブルグ家の王冠10:57)
(サンタ11:06)
 伯爵様がお座りになったであろう立派な椅子も展示されていたので、ふん反り返って座ってみたが貫禄不十分。
(女玉座11:00)
 (王座11:11)
 城の脇には古風で高価そうな車が展示されていて、ダイアナ妃の御料車とかプジョー201といった説明版が立っていた。
(ダイアナ妃御料車11:19)
(プジョー201 11:19)
 ビッグハート城から出て下を眺めると、前庭の周りには左からレストランのビッグハートの建物、お城のシンボル・ハートマークの碑、スプリングベルの塔、右にセントローレンス教会と並んでいた。
 庭に降りると、綺麗なドレスをまとったお嬢さんが二人恥ずかしそうな風情で駆けてきた。城内には記念写真などのためにプリンセスドレスを貸し出すサービスがあるらしい。
(前庭11:21)
(プリンセスドレス11:24)
 ハートマークのところで二人の記念写真を撮ってもらった。バックにロックハート城を入れた素晴らしい構図だが、肝心の人物がパッとしないのはしようがないか。
 スプリングベルの塔の最上階まで登って二人で鐘を鳴らしましょと入り口を入った。
(ハートマーク11:25)
(スプリングベル11:27)
 和子に振り返り、振り返りされながらぐるぐる階段で20m登って愛の鐘を鳴らし、また20m下って愛の泉の清水を頂いた。
(スプリングベル最上階から11:32)
(愛の泉12:34)
 ビッグハートのレストランで昼食をとってから、城門を潜って外に出て石段を下り、登坂の脇に並ぶ土産物店ハートバザールを覗いて、いろいろな粘土細工や木工品を見て回った。
(城門を出る12:31)
(ハートバザールのお土産品12:31)
 駐車場に戻ってバスに乗り、ロマンチック街道を新鷺井橋まで引き返し、そのまま橋を渡った。橋の向こうには5年前に登った三峰山がポッコリと見えていた。橋を渡った先の道も通称ロマンチック街道だった。
 左右に見える山並みの山頂辺りは秋色の染まり始めていて、30分のドライブを飽きさせなかった。
(新鷺井橋に戻って・後ろに三峰山13:25)
(ロマンチック街道を遡る13:34)
吹割の滝
 ドライブインの駐車場について用を足してからガイドさんの案内が始まった。石段を下って川幅の広い河原の遊歩道に出たが、河原には岩礁や草原はあるが滝らしきものは見えない。
 それでも少し下流に歩くと川の中心を蛇行する溝に両側から流れ込む吹き割の滝が見えてきた。その下流には岩場が広くなったところがあって、多くの観光客が滝を覗いているのが見えた。
(河畔の遊歩道13:51)
 (吹割の滝13:53)
 だんだんと眺めが良くなる吹き割の滝を眺めながら岩の広場に着いた。ここから上流側を眺めるとすぐ近くに吹き割の滝、そのバックに紅葉の岩碧、吊り橋のおまけもついて正に絶景!
 もっと岩場の端まで近づいて滝壺まで覗き込みたいが、岩場はロープで制限されていて残念ながらこれが限界。9年前に孫と一緒にここに来た時は、白線を引いただけで監視人付きだったが、今はガッチリロープで囲ってあって間違って出ることはない。16年前至仏山尾瀬ヶ原の帰りに立ち寄った時はすべて自己責任で、もっといい眺めを楽しめたのに、安全のために仕方ないことなのか。
(吹割の滝@13:56)
 岩広場で記念写真の撮り合いなどしてる間に急に空が晴れ渡ってきて、日が当たってきて紅葉が映えてきた。滝も日が当たっているところは光って綺麗だが、日陰になっている部分が暗くて写りが悪くとちょっと残念。
(吹割の滝A14:01)
 時間になって遊歩道を引き返しながら後ろの滝を見返すと、日が当たった水面は、波立ったところが白く輝いてコントラストができて綺麗に見えた。
 上流側の岩場、吊り橋、浮島もくっきりとしていい景色。
(滝を見返す14:04)
(浮島観音堂への橋14:05)
 ドライブインで試食などしてバスに乗って今夜の宿屋に向かって出発、沼田ICで関越道に乗って南下、利根川を渡るとき上流側に二つの大きな山群が見えていた。地図を見ると、左は小野子山右は子持山だった。
(利根川・小野子山・子持山15:27)
雀のお宿
 上信越道の松井田妙義ICで高速を降りて磯部温泉のすずめのお宿に16時40分に到着、4階の14部屋に参加者65名を4,5名ずつに分かれて入室。
 温泉に入って汗を流して、宴会と総会が行われる大部屋に入る。各自注文した飲み物で乾杯して鍋付きの料理を頂いた。カラオケが始まり、総会で締めくくった。
(雀のお宿磯部ガーデン16:43)
(友の会総会18:34)
3.2二日目
 翌朝7時からのバイキングタイプの朝食をお腹いっぱい頂いて、集合時間前に広い中庭の周りを歩いていくと舌切り雀のお爺さんと雀の嬢ちゃんが仲良く一緒に歩いていた。
(中庭8:01)
(舌切り雀8:07)
めがね橋
 ホテル前で集合写真を撮ってからR18と碓氷関所跡から中山道をくねくねと走ってめがね橋駐車場に入った。
 駐車道から中山道の歩道を少し引き返すと、カーブの向こうにめがね橋が見えてきた。
(めがね橋駐車場8:57)
(中山道沿いの歩道8:58)
 中山道を横断する前に、めがね橋の全体像の写真をパチリ。
(めがね橋9:03)
 下を通るとき見上げた橋桁もなかなかいい絵になる。
(めがね橋下9:05)
 すぐ先に階段道があって、登っていくとめがね橋の上に出た。
(階段道登って9:06)
(めがね橋の上9:10)
 橋の中ほどから山の方を見ると、全山紅葉真っ盛り、素晴らしい眺めだった。真ん中でアクセントになっている橋は鉄道の橋か?車道の橋なのか?地図に載っていないが、昔の橋の遺跡なのか?
 撮り鉄さんのHPには、見えている橋の上をEF63重連が189系あさまを押し上げている1996年に撮った写真が載っている。めがね橋は碓氷旧線の橋で、見えている橋は碓氷新線の橋で、これも1997年に廃線になったとのこと。
(紅葉の絶景・旧中山道の橋9:12)
 めがね橋を渡った先には、碓氷峠鉄道の第五号トンネルがあった。このトンネルを見て、以前アプトの道としてこんなトンネルを幾つも通って、めがね橋では下に降りて写真を撮ったことも思い出した。
 トンネルの手前の右手に踏み跡があり、先まで歩くと右下にめがね橋を見ることができた。正面から見るのとは一味違ったいい眺めだった。
(碓氷峠鉄道の隧道9:17)
(隧道脇から眺めためがね橋9:14)
碓氷峠鉄道文化むら
 めがね橋駐車場でバスに乗って麓に下りて、信越本線の終点の横川駅のはずれにある鉄道文化むらの見学に立ち寄った。文化村の後ろには裏妙義の岩山群が聳えていた。
 場内の隅に「鉄道文化むら」の白い高い標柱が立っていて、後ろに見える岩壁が目立つ山は御岳みたい。
(碓氷峠鉄道文化むらと裏妙義9:49)
(高い標識・御岳9:51)
 文化むらに入ると案内者が待っていて、アプト式鉄道の歴史や仕組みの説明をしてもらえた。
(案内者9:57)
(ばね10:13)
(解説用アプト式機関車10:20)
(歯車10:23)
 奥には列車に繋がったアプト式機関車や巨大な羽根をもつ除雪車などがあり、運転席に入って見られるようになっていた。
(機関車10:27)
(除雪車10:27)
 園内には書類ケースを持った児童たちが先生に引率されて見学している姿も見られ、土地では小さいころからアプトに親しむようにしているようだった。
 紅葉の並木もあり、紅葉狩りをしながらバスに戻った。
(見学児童10:28)
(紅葉の遊歩道10:29)
 松井田妙義ICで上信越道に乗って表妙義にさよならし、関越道を北上し榛名山の山塊を眺めて渋川伊香保ICで高速道を降りた。
(妙義山11:08)
(榛名山?11:49)
 渋川市街を抜けて上毛三山パノラマライン沿いの上洲物産館に入って予約されていた昼食を頂いた。
(上州物産館13:06)
(昼食12:38)
 食後お土産品あさりをしてバスに乗ってパノラマラインをそのまま走り、ゴルフ場の間を抜けたところからジグザグ道を森林公園まで登りきると、目の前に名峰榛名富士が見えてきた。山頂までゴンドラが登っていた。
 榛名富士を回り込むと榛名湖畔、湖面の向こうの鬢櫛山と烏帽子ヶ岳が格好良かった。
(榛名富士13:46)
(榛名湖と鬢櫛山・烏帽子ヶ岳13:49)
榛名神社
 榛名湖湖畔からジグザグ坂を下って土産物店が並ぶ部落に入りドライブインの駐車場に入った。駐車場から歩いてすぐに鳥居が見え前に「榛名神社」の石柱が立っていた。
 鳥居の奥にお寺の仁王門のような随神門があった。両側に随神像が入っていたが、門の前後の壁屋根下に細かい彫刻が刻まれていた。
(榛名神社鳥居14:05)
(随神門14:06)
 隋神門を潜るとすぐに榛名川、赤いみそぎ橋を渡って石畳の参道が続く。
 橋を渡ると間もなく、右の渓流沿いに「鞍掛岩」の標識があり(川向う崖の中腹)の注釈が付いている。その気でよく見ると、上には草が茂っていてよく判らないが、下側は岩肌と思える細い半円形の橋があった。もとは洞窟だった岩の奥の部分が崩れ落ちて、入口の岩だけがアーチ状に残ったものとのこと。
(みそぎ橋と参道14:08)
(鞍掛岩14:09)
 さらに進むと杉木立の森の中の参道になり、大きな杉の木の袂に「千本杉」の標識が立っていた。参道に杉の木は見られるが、杉並木というほどではない。周り一帯の森の中にある杉全体の総称とのこと。
 その先、布袋さん、福禄寿の石像が立っていた。境内内に七福神の石像が祀られているらしい。
(千本杉14:11)
(福禄寿14:13)
 福禄寿の像の先からところどころ石段道も出てきて、その先に三重塔が建っていた。元は慶長5年(1600)の建立、明治2年(1869)年に再建されたという。
 参道の右側には杉の古木が立ち並び、さらに進むと、左から岩が張り出してきて、岩屑の落下の危険防止のためか屋根付きの参道になっていた。
(三重塔14:14)
(大岩の参道14:15)
 その先に行者渓という細い沢があって赤い神橋が架かっていた。周りの緑の中の赤い橋は厳かな感じがした。
 またしばらく歩いて右下を見ると、幾つか石段道を登ってきたこの参道とは別の参道が見えていた。この先にさらに急な石段が続くのが見え、もう石段はたくさんと、ここから分かれて下の参道に下っていく人もいた。
(神橋14:16)
(下の参道14:16)
 左に「矢立杉」という杉の巨木があり、先の石段道が大きな岩に挟まれていた。
 神幸殿の先からは石段道の真ん中に手すりがあり、左右で上り下りに分けられていた。二つの岩の先に見えているのは、神門と双龍門だった。
(矢立杉14:17)
(巨岩の間14:18)
 石段を登って右の神門を潜り、その先の社務所前で左にVターン、その先の石段の上に御本殿のような立派な構えの「双龍門」があり、その背後に先の尖った大きな「鉾岩」が威圧するように聳えていた。後で写真をみると右の岩も尖っていていて、これがを龍頭とも見えるので左右合わせて総龍門かと思った。左右の扉に立派な龍の彫り物が飾ってあったらしいが、時が経つとすぐに忘れる。
 双龍門を潜るとまた長い石段、これを登ってやっと本殿前、腰をいたわりながらも御本殿にお参りすることができた。本殿の後ろにも大きな岩が覗いているが、これを「御姿岩」といって、横から眺めると御本殿を飲み込むような凄い形をしているらしい。私はここまで登ってきたことだけで十分満足していて、そのことには気が付かなった。残念!
(双龍門14:20)
(本殿14:21)
 双龍門まで下って脇から左の崖を見ると。真っ赤な紅葉の木があって思わずパチリ。
 神門辺りからは川向こうの崖を流れ下っている細い滝をパチリ。両脇の岩を神に捧げるお神酒を入れる器・瓶子(みすず)に見立てて「瓶子の滝」という名前が付いている、榛名神社の大切な名所らしい。
(真っ赤な紅葉14:28)
(瓶子の滝14:29)
 下の参道を見ると道の両側に紅葉した木が多く、これに日が当たって綺麗に見えた。
 そのまま石段道を下ってみそぎ橋を渡ると、橋の袂に幟では気が付かなかった寿老人の石像が立っていた。
(紅葉の参道14:30)
(寿老人14:40)
 載せ損ねた二つの銅像を追加します。弁財天さんは紳橋の先の左手におられた。
 布袋さんは千本杉の標識のすぐ先に並んで立っていて、出っ張ったお腹は御利益を願ってかみんなが撫でていくようで、てかてかに光っていた。
(弁財天14:16)
(布袋さん14:11)
 榛名神社参拝を終えてバスに乗り、榛名湖湖畔、伊香保温泉街を見ながら渋川伊香保ICに戻って関越自動車道に乗り、夕日に映える榛名山を眺めてすぐの酒寄PAで休憩、
(伊香保温泉15:33)
(榛名山16:00)
 西空の夕日と夕焼けを眺め、カラオケと飲み物に酔い痴れ、俳句教室にも聞き入りながら関越道を南下して北関東道に入り、壬生PAで休憩、次の笠間PAで解散式が行われた。
(夕焼け16:44)
(解散式18:10)
 解散後はバスは往路のまま走って、シオン学園前BSで皆さんにさよならして我が家に歩いて帰った。賑やかで楽しい顔なじみとのバス旅行でした。


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