G62.千葉バス旅行

1.動 機 
(千葉バス旅行立寄り地点MAP)

 スーパのバス旅行「あじさい寺・本土寺」に参加して、野田市のキッコーマンしょうゆの工場見学をし、水生植物園の花しょうぶを眺め、浦安市の貝鮮料理屋のガンガン焼きを賞味し、最後に流山市の長谷山本土寺境内のアジサイを見て回って満足して帰ってきた。

2.データ
a)山域:千葉県野田市・浦安市・流山市
b)登山日:2019/06/06(木)
c)旅程:
 自宅7:20〜7:30スーパ7:50〜8:05日立南IC〜9:02守谷SA9:20〜9:27流山IC〜9:50野田キッコーマンしょうゆ11:00----11:10水生植物園12:00〜12:12流山IC常磐道〜12:18外環〜12:38一般道〜12:50浦安市うらやす(昼食)13:55〜14:15外環〜C3〜14:55長谷山本土寺16:00〜16:23流山IC〜16:31守谷SA16:50〜17:50日立南IC〜18:10スーパ18:40〜18:45自宅
3.山行記録
3.1キッコウマンしょうゆ
 朝食をとって我が家を出てサンユーの第二駐車場に車を停め、バスに乗って出発し、日立南ICから常磐道に乗る。守谷SAを発車して間もなくの流山ICで常磐道を降り、北上して野田市に入ると、門柱に聖天堂・東正寺と刻された寺院があった。お寺らしくない近代的な造りなので、キッコーマンしょうゆ建立の私的なお寺かと思ったのだが、野田聖天堂のHPには次の記述があった。
    夢をかなえるゾウというドラマで有名なガネーシャが起源と言われ、他のどの神社仏閣でも叶わなかった願いでも叶えて下さる、最後の砦ともいわれる聖天様(歓喜天)を慕い沢山の方が訪れている寺院です。
 キッコーマンしょうゆの駐車場に入ると、大きな工場の前に竹林や高い植樹列があり、手前の池には赤い太鼓橋が渡してあって、工場の歴史の古さを感じさせた。
(野田聖天堂)
(キッコーマンしょうゆ駐車場)
 工場群の端に「もの知りしょうゆ館」というビルがあり、その中へ案内された。
(ものしりしょうゆ館)
    (窓から見えるしょうゆ工場)
 広い廊下を歩くと売店があり、キッコーマンの商品や野田市の特産品などが並んでおり、「まめカフェ」では無料でしょうゆの美味しさを味わうことができた。
 その奥に映写室があり、女性説明者がプロジェクターを使って手慣れた口調で10分ほど説明された。
(売店経由説明室へ)
(プロジェクターで説明)
 大正末期から始まったしょうゆ製造の光景や現在の自動化された光景、各工程ごとに製品検査が行われていることも強調されていた。
(昔の工場)
(今の検査)
 プロジェクターによる説明の後、廊下に置かれているボトル入りの大豆や小麦、食塩の実物を見、仕込みされた「もろみ」の初期、発酵期、熟成期の熟成の度合いによる色、香りの違いを実感することができた。。
(しょうゆの原料)
(熟成の度合い)
 その後工場見学だったが、撮影禁止だったので資料なし、記憶もなし。工場見学記念に頂いたしぼりたて生しょうゆ一瓶の現物があるので、工場見学をしたことは確かなようです。
 工場見学の後、資料館の壁面にはキッコーマンしょうゆの歴史を書いた資料の幅広い張り紙があった。全体を一枚にパノラマ合成するつもりだったが、@とAの間が繋がらなかった。
 この工場は大正15年に野田醤油KKの第17工場として作られた。昭和39年キッコーマン醤油KK第7工場、平成21年キッコーマン食品KK野田工場製造第1部と変わってきて、現在は広さは約3万坪(東京ドーム2つ分)従業員100名で日産300m3の醤油を生産している。
(キッコーマンしょうゆの歴史A)
(キッコーマンしょうゆの歴史@)
 この工場で原料仕入れから麹づくり、仕込み、圧搾、清澄などの工程を経て生醤油を製造し、パイプラインで東武鉄道の線路下を通して、向かいの第2部の工場に送られ火入れされて瓶詰め発送される。
(キッコーマンしょうゆの歴史BC)
 もの知り館の外に出ると、目の前をパイプラインが通っているのが見え、大きな高い熟成タンク群も見えていた。
(工場)
(巨大タンク群)
 もの知り館のすぐ前に手を組んで踊っている裸婦の像が立っており、これを撮った写真の向こうに場違いな感じの白壁、瓦ぶきの建物があった。これは御用蔵でHPには、
     この御用醤油醸造所(通称「御用蔵」)は、2011年(平成23年)に野田工場内に移築されたものです。
     移築前の御用蔵は、宮内省(現宮内庁)にお納めするしょうゆの専用醸造所として、1939年(昭和14年)に江戸川沿い(千葉県野田市中野台)に建設されました。老朽化で大規模な補修工事が必要となり、70年の節目に移築工事を行いました。移築にあたり、しょうゆを仕込む木桶、屋根の小屋組み、屋根瓦、石垣、門などは移築前のものを使用し、原形に近い形で再現しました。
     御用蔵では、現在も宮内庁にお納めするしょうゆを醸造しています。また、伝統的なしょうゆ醸造技術や1939年の御用蔵の建設当時の道具や装置を保存・展示しています。
 当初は気が付かなかったが、赤い太鼓橋はこの御用蔵への入口だった。
(ダンシングガールと御用しょうゆ醸造所)
 広島の田舎の生家が醤油造りをしていて、広い醤油工場に大きなタンクが並んでいて、大きな鍋で大豆を煮たりしていたのを思い出す。醤油を絞り出すところも見た記憶がある。

3.2野田市総合公園
 キッコーマンしょうゆの次は、野田市総合公園の水生植物園で花菖蒲鑑賞だ。駐車場でバスに乗り、流山街道を北上、途中の交差点で愛宕神社を眺めて通過、清水公園の交差点で左に曲がって清水公園の道に入ると、清水公園の北に隣接して野田総合公園があった。バスは公園の間を通過したところの駐車場に入った。
(愛宕神社)
(野田市総合公園案内図)
 バスを降りて自由広場と雑木林の間を歩いていき、雑木林が尽きたところを右に曲がるとすぐに水生植物園の入口だった。
(自由広場と林の間の道)
 (水生植物園入口)
 水生植物園はいま一面花菖蒲、全体を一枚には入りきれなかった。真ん中を石敷きの広い道で左側の菖蒲園には周りの溝の水が行き渡って、まだ二分咲き程度だが一面咲き始めている。これも新鮮でいいが、満開の時にも来て見たいものだ。
(左の菖蒲園)
 右側には水が行き届かないところがあって少し寂しいが、奥に休憩舎や噴水のある池が見えていた。その向こうに立つ大きな建物は体育館でクライミングの練習場もあるらしい。
(右の菖蒲園)
 和子は休憩舎でゆっくり見てるよとの一言で、ここからは私一人のゆっくりペースの話。公園の奥まで入ると木製の枝道も作ってあって、色んな角度から花菖蒲を楽しめるようになっていた。
(菖蒲園奥)
 奥の方に行くと池の中に石を積み上げて作られた小山があり、上から水が湧き出していた。ここから吹きだした清水が水生植物園のすべての水を賄っているのか、勢いよく流れ出していた。
(水源の岩場)
 水生植物園の端から少し出て、水泳プールの周りを一回りしてみた。奥に水泳所の遊具みたいなものを見、プレーヤーが汗を流しているテニスコートも眺めて歩いた。
(水生植物園を抜けて)
(テニスコート)
 奥から休憩舎に近くまで引き返してくると、笑顔で和子が待つ休憩舎の手前にも水の吹き出しが見えた。この噴水もここ水生植物園の水源になっているのだろうか。
(休憩舎)
 外側の遊歩道を歩いて入口に戻った。ここから見ると入口右側の菖蒲畑もいい絵になりそうだ。
(奥から見た右の菖蒲園)
 出口近くの浅瀬には、底に小さな魚が群れているのがよく見えた。はや?めだか?
 入口に群れをなして咲いていたこの花はメキシコマンネングサ?
(水路の底の魚影)
(メキシコマンネングサ)
3.1貝鮮料理屋うらやす
 野田市の水生植物園を出発したのは12時、そろそろお腹がすいていたが、昼食場所として決められていたのは、東京湾沿岸の浦安市のレストラン。常磐道からスカイツリーの見える首都外環道を繋いで、50分かけて駐車場に着き、案内されてたどり着いたのは、東京メトロ東西線のガード下の小さな「貝鮮料理屋(漁師料理とも)うらやす」だった。
(スカイツリー)
 (貝鮮料理うらやす)
 旅行社がここでごちそうしてくれたのは、この店名物のガンガン焼きセットだった。食台にはハマグリや殻つき牡蠣、帆立などに海鮮丼が付いており、真ん中に四人一緒に使う大きな金網を敷いたコンロが置いてある。
(ガンガン焼きセット)
(海鮮丼)
 貝を金網に並べると火がつけられ、ジュウジュウという音がしてくる。海鮮丼をつまんでいるうちにいい匂いがしてハマグリも口を開いてくる。適当に調味料を入れながらアツアツをちょうだいする。飲み物なしでは済まない。
(火入れ前)
(焼き上がり)
 アツアツで美味しかったガンガン焼きに満足して、次は松戸市のアジサイ寺本土寺に向かう。道が複雑で駐車場に戻るのも大仕事、途中の駐車場に大きなトラックが広い場所を占拠して停まっていて「この形の車を3台見るとアナタは幸せに近づきます」との宣伝しているのが面白かった。
 ややこしい交差点で信号が赤に変わる寸前に飛びこんで赤印の横断歩道を一生懸命渡って一行の顰蹙を買ったことはあったが、何とか皆さんの後に付いて渡って無事バスに到着できた。
(三度見ると幸せになる)
(バスへ)
3.3 長谷山本土寺
 うらやすで昼食を終わったら、また外環自動車道に乗って江戸川を渡り、矢切渡しの近くで水戸街道R6におりて、松戸市の北小金井商店会の駐車場にバスが入った。
(江戸川)
(本土寺駐車場)
 駐車場からすぐの交差点の木立の中の車道の両側に「長谷山」と「本土寺」の石門が立っていた。車道は狭くてバスの乗り入れはご遠慮くださいだろう。
(長谷山・本土寺)

 行列を作って車道脇の歩道をせっせと歩いていく。途中、お土産休憩所もあるがまっすぐ歩いて行った。
(仁王門まで長い参道)
 500mほど歩いてやっと長谷山の扁額がかかる仁王門に到着した。
 ここまで来たら後はアジサイを見ながら一回りすればお終いと軽く考えていたのだが、仁王門を潜って2つ繋がる石段を下ってたところに受付があり、参拝券と本土寺の説明書を受け取って歩き始めると、境内が意外と広くて存分に歩かされることになった。
(仁王門)
(仁王門から下り石段)
 右手に鐘楼があり、その前がアジサイで飾られていた。まだ三分咲きといったところか。一週間もすれば満開になって凄い光景になるのだろう。
(鐘楼前のアジサイ)

 すぐ隣に5重の塔があり、その前の石段の両側にアジサイ植え込みがあり薄紫の花が咲き始めていて綺麗。正面からも撮りたいと思ったが、大きなカメラを構えて綺麗なバラの花を狙いまわる女性の姿2,3人が邪魔。
(五重塔前のアジサイ)
 本堂前にもアジサイが咲いている。あじさい寺だもの当たり前か。
(本堂前のアジサイ@)
 本堂石段の左手は広いアジサイ畑になっていた。
(本堂前のアジサイA)
 石段を上がった広場、参拝口の左に大きな鉄の桶があって何かと思ったが、屋根の雨どいと繋がっていたので単なる水溜めか。「平賀 長谷山」の刻印があり、寄進者の名が連なっていた。平賀の意味もいぶかったが、本土寺があるこの地は松戸市平賀。
 本堂の参拝を終えて、遊歩道を少し右手にいくと「秋山夫人の墓」があった。花も供えられており、脇にその説明板が立っていた。こんなところに家康の側室の墓があるとは。
    秋山夫人は甲斐の武田一族である秋山虎康の娘で、十五歳で徳川家康の側室となり、名を於都摩の方または下山の局と称され、家康の第五子万千代君を生んだ。万千代君は後に武田信吉を名のり天正十八年(1590)に小金城三万石に封ぜられた。
    秋山夫人はその翌十九年十月六日、小金で病死した。
    現在の墓石は信吉の甥、水戸光圀が貞享元年(1684)に建立したものである。
(鉄の桶)
(秋山夫人の墓)
 秋山夫人の墓から奥には游歩道が続き、その両側にアジサイの植え込みが続いていて、写真を撮りながら歩く人も多く見られた。
(奥の遊歩道脇のアジサイ)
 もちろん私も何度もシャッタを押した。
(アジサイの花アップ)
 引き返すときに本堂近くで翁の碑を見つけた。説明版には
     この句碑は、江戸時代の文化元年(1804)に行われた芭蕉忌を期して建立されたものです。
     正面には、この句碑を建立した今日庵元夢とその門人、可長、探翠、一堂、畿来、一鄒、といった東葛地方の俳人達の名が見られます。
     ここに名を連ねる一鄒とは、本土寺第39世日浄上人のことです。
     本土寺では、しばしば「翁会」と称する句会が催され、小林一茶も参加しておりました。
    碑面には芭蕉の「御命講や油のような酒五升」のほか、芭蕉忌にちなんだ一茶の「芭蕉忌に先ずつつがなし菊の花」という句などもあります。
     平成24年 松戸市教育委員会
 仁王門に向かって歩くと、左手に白壁の長い建物が建っていた。案内図には祖師堂とあった。
(翁の碑)
(祖師堂)
 祖師堂の向かいには五重塔が建ち、人の往来がないので今度は正面からの写真をゆっくりと撮ることができた。
(正面からの五重塔)
 祖師殿の続きには木立の下に広いアジサイ園がつくられていて、奥の方まで花が広がっていた。
(木立の中のアジサイ園)
 受付の前を通って左の通りに入ると、こちらにも赤門の奥に多くの建物が見え、行く手に多くのアジサイの花が見られた。めくらめっぽう歩いていく。
 長い白いカシワバアジサイが九輪塔の周りに群れをなして咲いているところもあった。。
(赤門。方丈)
(カシワバアジサイ)
 奥に妙朗堂というお堂が建っていてその参道小径の両側にもたくさんのアジサイが植えられ、見事なアジサイの花を見ることができた。妙朗堂には、このお寺の開祖日朗上人の御母堂が祀られているとのこと。
(妙朗堂)
 歩きながら撮った写真だが、これは「仏持院」といって本土寺最古で1310年の建物らしい。
 「瑞鳳門」という門も通りました。
(佛持院)
(瑞鳳門)
 最後の「一茶」という文字だけ読み取れる、一茶の詩を書いたらしい木札が立っていたが、写真を見ても残念ながら詩の文字は読み取れない。
(一茶の歌碑)
 時間になったので、仁王門の通りに出て、長い参道を歩いてバス停まで歩いて帰ったが、も少し説明書をよく見て歩けばもっと実りの多い参拝になったのだろうとの反省はあるが、満開とはいかなくても綺麗なアジサイの花を堪能してまずまず満足の本土寺でした。
(仁王門に引き返し)
(長い参道も引き返す)
 駐車場への途中にはドクダミの花の大群落、除草されないでこれだけ広く咲いていると、ドクダミも綺麗に見えてくる。
 駐車場の大樹周りには宿根アスタの薄紫の花がまとわりつくように咲いていた。。
(ドクダミの花)
(宿根アスタ)
 民家脇のアナベルのまん丸い花がお日さまを受けて綺麗だった。和子にアナベルと書き込まれ、アジサイの花じゃないのと思って調べたら、やはりアジサイの仲間ではあった。
(アナベル)
 本土寺を出て帰路につき、常磐道の守谷SAでトイレに入ると壁にたくさんの折り紙が飾られていた。「守谷SA下り線 女性クリーンスタッフ手作りの作品です」の説明書が付いていた。ご苦労様、気持ちよかったです。
(トイレにお飾り:守谷SA)
 スーパに着いて買い物を済ませ駐車場に向かうと、入口足元に小さなマツヨイグサの苗が一輪だけ花を咲かせていてとても可愛かった。
 目の高さには金網につたって伸びた木に黄色いウサギに耳のような花をつけた木があった。ヒョウタンボク?
(マツヨイグサ)
(ヒョウタンボク?)
 先日の6月1,2,3日2泊三日の兄弟会、二日おいての今回6日のバス旅行、両方とも結構歩いたので私にはきつかったようで疲れがたまり、10日の吹矢大会では入賞できませんでした。言い訳。


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